君を知る前の僕には戻れない

にまる いお

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50話 車内の静寂と揺れる想い

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春菜は助手席で小さく手のひらを握りしめ、窓の外を見つめていた。

蒼真はハンドルを握り直し、静かに前を見つめる。

「……正直に言います。今日あなたがお見合いに行くと聞いたとき、胸が張り裂けそうでした。」

春菜の手が、わずかに震える。

「……そうですか。」

「でも、それを言うこともできず、ただ仕事に集中しようとしていました。会議中も、あなたのことばかり考えて……部下に迷惑をかけました。」

春菜は振り返らずに、かすかに声を震わせた。

「社長……」

「少なくとも今日は、隠し事はやめませんか?」

春菜は少し間を置いてから、小さく頷いた。

「……はい。」

車内の静寂が続く中、春菜は俯いたまま、指先でバッグの縁をぎゅっと握りしめていた。

運転席の蒼真は、視線を前に向けたまま、深く息を吐いた。

「……君は、僕の前で、いつも素直に弱さを見せてくれた。」

春菜は思わず目を見張った。

「……え……?」

蒼真は静かに続けた。

「どれだけ強がっていても……すぐにわかるくらい素直で……それが、僕には救いだったんです。」

春菜の胸が、ずっと張り詰めていた糸を切られたように、ふっと揺れた。

「……救い……? わたしが……?」

蒼真は頷く。

「君を見てると……ちゃんと弱さを認めても、人は前に進めるんだって思えた。だから……君が他の誰かのものになるなんて……耐えられなかった。」

春菜は一度、笑うように息を吐いてから、俯いた。

「……わたしの弱さが、誰かの救いになるなんて……考えたこともなかった。」

言葉の奥には、小さな戸惑いと、少しの温かさが混じっていた。

信号が赤に変わり、車がゆっくりと止まった。

春菜は膝の上でバッグを握りしめ、小さく続ける。

「……誰かと向き合うのが、少し怖かったんです。」

蒼真の横顔が、静かにこちらを向いた。

春菜は苦笑しながら、かすれた声を重ねた。

「でも……今はわかりました。怖いままでも、"平気なふり"をしても、何も変わらないって。」

ハンドルの上で、蒼真の指先がゆっくりとほどけた。

「……君は、ちゃんと怖いって言える。それが……君の強さです。」

春菜は、にじむ涙を指先でそっと押さえた。

「……本当は、誰かとちゃんと向き合いたいって……ずっと思ってたのに……自分で遠ざけてました。」

赤信号が青に変わり、車が静かに走り出す。

「……春菜さん。もし……誰かとちゃんと向き合いたいって思ったら……もう一度……僕に向き合ってください。」

蒼真の低い声が、車内にだけ落ちた。

春菜は声を出さずに、小さく頷いた。

――まだ怖い。でも、誰かの救いになれるなら。そんな自分を、少しだけ信じてみたかった。

窓の外の街灯が、にじんで揺れていた。
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