51 / 103
51話 小さな一歩、大きな一歩
しおりを挟む
春菜は玄関を閉めて、部屋の明かりをつけた。
ふわりと照らされる部屋の中に、自分だけの気配が広がっていく。
手には、あの小さな紙袋。
お見合い相手からの手土産。
テーブルに置こうとして、やっぱり抱え直した。
あの車の中で、ずっと握っていた感触がまだ残っている。
---
ソファに腰を下ろすと、心の奥に温かなものがじんわりと広がった。
(……救い、か。)
蒼真が言った言葉。
「僕には救いだったんです」
(わたしの"弱さ"が、誰かの救いになるなんて……。)
目を閉じると、車内の空気がまだ胸に残っている気がした。
蒼真の言葉、あの声の震え。
「向き合ってください」と言われたときの自分の胸の奥の、小さな熱。
(……誰かとちゃんと向き合いたい。でも、また怖くなるかもしれない。)
「……ちゃんと怖いって言えるのが、強さ……?」
声に出してみると、なんだか不思議だった。
---
テーブルの上には、母からのメッセージの通知が光っている。
『今日のお見合い、どうだった?』
スマホを伏せて、息を吐く。
(怖いのに、向き合いたいなんて……欲張り、かな……)
でも――
「……少しずつでいいから。ちゃんと、向き合える私に。」
その独り言だけが、部屋の中に小さく落ちた。
---
翌日、会社。
春菜は昼休みのタイミングで、そっと成瀬のデスクを訪れた。
「成瀬くん、これ……お礼。仕事のカバー、ありがとう」
「えっ!お礼!ありがとうございます!」
成瀬は目を輝かせながら、紙袋を受け取って中身を覗き込む。
「わ~美味しそう……!」
無邪気に笑う成瀬を見て、春菜の心がほんの少しだけ軽くなる。
「良かった。喜んでもらえて」
「お見合い、お疲れさまでした。どうでしたか?」
春菜はちょっと困ったように笑って、小さく肩をすくめた。
「……まぁ、普通でした。相手の方も良い人だったけど」
「そうなんですね。あ、そうだ……」
成瀬は少し声を落として続けた。
「あの日、高瀬社長が俺のところに来られたんです。春菜さんの居場所を聞かれて……何か緊急の用事だったんですか?」
春菜の手が一瞬止まった。
「……え?」
「なんかすごく真剣な表情で……俺、ちょっと驚いちゃって」
春菜は一瞬言葉に詰まったが、笑みを作って答えた。
「……仕事のことだよ。」
「そうですか。でも、春菜さんのこと心配してる感じでした」
成瀬の何気ない言葉に、春菜の胸が小さく跳ねる。
「……そう」
春菜は曖昧に頷きながら、心の奥に小さなざわめきを抱えたまま、その場を離れた。
---
そのころ――
会社から少し離れた静かなレストラン。
人の少ない奥の席に、蒼真は一足先に腰を下ろしていた。
やがて足音が近づき、香澄が現れる。
「……急に呼び出して、どうしたの?」
香澄は微笑みを浮かべて、正面に座る。だが、その目は普段よりも注意深く蒼真を見つめていた。
蒼真は一瞬だけ香澄の目を見て、それから視線をテーブルに落とす。
「香澄さん、話があるんだ。僕たちの関係について」
「……私たちの関係?」
蒼真は頷いた。
「この結婚について、お互いの本当の気持ちを確認したいんだ」
香澄の表情が、わずかに変わる。
「……本当の気持ち」
「君は以前、『私たち、このままでいいのかしら?』と言った。あの言葉が、ずっと頭から離れなかった」
香澄は静かに息を吐いた。
「……そう。覚えていたのね」
「君も、何か疑問を感じているんじゃないか?」
香澄はしばらく沈黙していたが、やがて小さく笑った。
「……正直に言うと、そうかもしれない」
蒼真は安堵したような表情を見せた。
「僕も、同じなんだ。君は素晴らしい人だし、尊敬している。でも……」
「でも、恋愛感情とは違う」
香澄が先に言葉にすると、蒼真は頷いた。
「……そうなんだ」
香澄はテーブルに手を置き、考え込むような表情を見せた。
「私たち、最初から『条件の良い結婚』として始まった関係だものね。お互いに、それ以上の感情が生まれることを期待していたのかしら」
「期待していたかもしれない。でも……」
「でも、違う人に心が向いてしまった」
香澄の静かな声に、蒼真は驚いて顔を上げた。
「君も?」
香澄は苦笑した。
「私も、よ。お互い様ね」
二人の間に、穏やかな静寂が流れた。
「……どうしましょうか」
香澄が先に口を開いた。
「このまま結婚して、お互いに違う人を想いながら夫婦になるのは……」
「不誠実だと思う」
蒼真の言葉に、香澄は頷いた。
「そうね。私たちは、もっと誠実に生きるべきよ」
香澄はバッグからハンカチを取り出し、目元を軽く押さえた。涙ではなく、長い緊張から解放されたような表情だった。
「婚約を解消しましょう」
蒼真は静かに頷いた。
「……ありがとう、香澄さん。君がそう言ってくれて、救われた」
「私の方こそ。これで、お互いに本当の幸せを探せるわね」
香澄は穏やかに微笑んだ。その笑顔に、初めて本物の安らぎが宿っていた。
「父には、私から話すわ。蒼真さんは自分の気持ちに正直になって」
「……本当にありがとう」
二人は静かに立ち上がった。長い間背負っていた重荷を、ついに下ろすことができた夜だった。
ふわりと照らされる部屋の中に、自分だけの気配が広がっていく。
手には、あの小さな紙袋。
お見合い相手からの手土産。
テーブルに置こうとして、やっぱり抱え直した。
あの車の中で、ずっと握っていた感触がまだ残っている。
---
ソファに腰を下ろすと、心の奥に温かなものがじんわりと広がった。
(……救い、か。)
蒼真が言った言葉。
「僕には救いだったんです」
(わたしの"弱さ"が、誰かの救いになるなんて……。)
目を閉じると、車内の空気がまだ胸に残っている気がした。
蒼真の言葉、あの声の震え。
「向き合ってください」と言われたときの自分の胸の奥の、小さな熱。
(……誰かとちゃんと向き合いたい。でも、また怖くなるかもしれない。)
「……ちゃんと怖いって言えるのが、強さ……?」
声に出してみると、なんだか不思議だった。
---
テーブルの上には、母からのメッセージの通知が光っている。
『今日のお見合い、どうだった?』
スマホを伏せて、息を吐く。
(怖いのに、向き合いたいなんて……欲張り、かな……)
でも――
「……少しずつでいいから。ちゃんと、向き合える私に。」
その独り言だけが、部屋の中に小さく落ちた。
---
翌日、会社。
春菜は昼休みのタイミングで、そっと成瀬のデスクを訪れた。
「成瀬くん、これ……お礼。仕事のカバー、ありがとう」
「えっ!お礼!ありがとうございます!」
成瀬は目を輝かせながら、紙袋を受け取って中身を覗き込む。
「わ~美味しそう……!」
無邪気に笑う成瀬を見て、春菜の心がほんの少しだけ軽くなる。
「良かった。喜んでもらえて」
「お見合い、お疲れさまでした。どうでしたか?」
春菜はちょっと困ったように笑って、小さく肩をすくめた。
「……まぁ、普通でした。相手の方も良い人だったけど」
「そうなんですね。あ、そうだ……」
成瀬は少し声を落として続けた。
「あの日、高瀬社長が俺のところに来られたんです。春菜さんの居場所を聞かれて……何か緊急の用事だったんですか?」
春菜の手が一瞬止まった。
「……え?」
「なんかすごく真剣な表情で……俺、ちょっと驚いちゃって」
春菜は一瞬言葉に詰まったが、笑みを作って答えた。
「……仕事のことだよ。」
「そうですか。でも、春菜さんのこと心配してる感じでした」
成瀬の何気ない言葉に、春菜の胸が小さく跳ねる。
「……そう」
春菜は曖昧に頷きながら、心の奥に小さなざわめきを抱えたまま、その場を離れた。
---
そのころ――
会社から少し離れた静かなレストラン。
人の少ない奥の席に、蒼真は一足先に腰を下ろしていた。
やがて足音が近づき、香澄が現れる。
「……急に呼び出して、どうしたの?」
香澄は微笑みを浮かべて、正面に座る。だが、その目は普段よりも注意深く蒼真を見つめていた。
蒼真は一瞬だけ香澄の目を見て、それから視線をテーブルに落とす。
「香澄さん、話があるんだ。僕たちの関係について」
「……私たちの関係?」
蒼真は頷いた。
「この結婚について、お互いの本当の気持ちを確認したいんだ」
香澄の表情が、わずかに変わる。
「……本当の気持ち」
「君は以前、『私たち、このままでいいのかしら?』と言った。あの言葉が、ずっと頭から離れなかった」
香澄は静かに息を吐いた。
「……そう。覚えていたのね」
「君も、何か疑問を感じているんじゃないか?」
香澄はしばらく沈黙していたが、やがて小さく笑った。
「……正直に言うと、そうかもしれない」
蒼真は安堵したような表情を見せた。
「僕も、同じなんだ。君は素晴らしい人だし、尊敬している。でも……」
「でも、恋愛感情とは違う」
香澄が先に言葉にすると、蒼真は頷いた。
「……そうなんだ」
香澄はテーブルに手を置き、考え込むような表情を見せた。
「私たち、最初から『条件の良い結婚』として始まった関係だものね。お互いに、それ以上の感情が生まれることを期待していたのかしら」
「期待していたかもしれない。でも……」
「でも、違う人に心が向いてしまった」
香澄の静かな声に、蒼真は驚いて顔を上げた。
「君も?」
香澄は苦笑した。
「私も、よ。お互い様ね」
二人の間に、穏やかな静寂が流れた。
「……どうしましょうか」
香澄が先に口を開いた。
「このまま結婚して、お互いに違う人を想いながら夫婦になるのは……」
「不誠実だと思う」
蒼真の言葉に、香澄は頷いた。
「そうね。私たちは、もっと誠実に生きるべきよ」
香澄はバッグからハンカチを取り出し、目元を軽く押さえた。涙ではなく、長い緊張から解放されたような表情だった。
「婚約を解消しましょう」
蒼真は静かに頷いた。
「……ありがとう、香澄さん。君がそう言ってくれて、救われた」
「私の方こそ。これで、お互いに本当の幸せを探せるわね」
香澄は穏やかに微笑んだ。その笑顔に、初めて本物の安らぎが宿っていた。
「父には、私から話すわ。蒼真さんは自分の気持ちに正直になって」
「……本当にありがとう」
二人は静かに立ち上がった。長い間背負っていた重荷を、ついに下ろすことができた夜だった。
0
あなたにおすすめの小説
皇宮女官小蘭(シャオラン)は溺愛され過ぎて頭を抱えているようです!?
akechi
恋愛
建国して三百年の歴史がある陽蘭(ヤンラン)国。
今年16歳になる小蘭(シャオラン)はとある目的の為、皇宮の女官になる事を決めた。
家族に置き手紙を残して、いざ魑魅魍魎の世界へ足を踏み入れた。
だが、この小蘭という少女には信じられない秘密が隠されていた!?
氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁
瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。
彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。
皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる
若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ!
数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。
跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。
両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。
――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう!
エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。
彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。
――結婚の約束、しただろう?
昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。
(わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?)
記憶がない。記憶にない。
姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない!
都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。
若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。
後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。
(そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?)
ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。
エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。
だから。
この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し?
弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに?
ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。
お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚
ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。
五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。
ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。
年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。
慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。
二人の恋の行方は……
【完結】孤高の皇帝は冷酷なはずなのに、王妃には甘過ぎです。
朝日みらい
恋愛
異国からやってきた第3王女のアリシアは、帝国の冷徹な皇帝カイゼルの元に王妃として迎えられた。しかし、冷酷な皇帝と呼ばれるカイゼルは周囲に心を許さず、心を閉ざしていた。しかし、アリシアのひたむきさと笑顔が、次第にカイゼルの心を溶かしていき――。
【完結】ルースの祈り ~笑顔も涙もすべて~
ねるねわかば
恋愛
悪路に閉ざされた貧しい辺境ルースライン領。
兄を支えたい子爵令嬢リゼは、視察に来た調査官のずさんな仕事に思わず異議を唱える。
異議を唱えた相手は、侯爵家の子息で冷静沈着な官吏ギルベルト。
最悪の出会いだった二人だが、領の問題に向き合う中で互いの誠実さを知り、次第に理解し合っていく。
やがてリゼが王都で働き始めたことを機に距離を縮める二人。しかし立ちはだかるのは身分差と政略結婚という現実。自分では彼の未来を縛れないと、リゼは想いを押し込めようとする。
そんな中、故郷の川で拾われる“名もなき石”が思わぬ縁を呼び、リゼの選択と領の未来を動かしていく――。
想いと責務の狭間で揺れる青年と、自分を後回しにしがちな少女。
すれ違いと葛藤の先で、二人は互いを選び取れるのか。
辺境令嬢の小さな勇気が恋と運命を変えていく。
※作中の仕事や災害、病、小物の知識などは全てフィクションです。史実や事実に基づいていないことをご理解ください。
※8万字前後になる予定です。
助けた騎士団になつかれました。
藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。
しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。
一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。
☆本編完結しました。ありがとうございました!☆
番外編①~2020.03.11 終了
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる