ラジオの中の届かなかった想い

にまる いお

文字の大きさ
12 / 33

⑫ やさしさの居場所

しおりを挟む
家の前に着くと、すずりの母親が玄関先に立っていた。
メイクばっちり、胸元の開いたラフな服。その隣には若い男が立っている。

「あら、すずり、おかえり。部活?」 「……ただいま」

母の彼氏らしき男が、何のためらいもなく頭に手を伸ばしてきた。

「がんばってるな」

ぽん、と軽く撫でられた瞬間、背筋にひやりとしたものが走る。
重たい手のひらが、自分の存在を雑に扱ってくるようで、首をすくめたくなる。

(……やめて、お父さんでもないくせに)

言葉にはせず、すずりは足早に家の奥へ向かった。

「もーお、ちゃんと挨拶しなきゃだめよ~。ごめんね」 

「いいって」

振り返ると、玄関先で母は男と楽しそうにじゃれている。

その声を背中で聞きながら、すずりはしばらく立ち尽くしていた。
(どうしてあんなに笑えるんだろう)

胸の奥で、小さな波がひとつ広がる。



部屋のカーテンの隙間から、夕焼けの残りが薄く染みている。
ベッドに横になったまま、スマホも触らず天井だけを見つめる。

(母の軽さ。彼氏の距離感。全部、自分の輪郭だけを際立たせてくるみたいで、苦しい)

その夜、制服のままパーカーを羽織り、玄関をそっと抜け出した。

向かったのは、悠がかつて通っていた、廃校の放送室。

机の上にポータブルラジオを置き、ランタンをつけて放送が始まるのを待つ。

――午後7時。

「こんばんは。“月島悠の夜のよりみちラジオ”の時間です」

穏やかであたたかい声が、静かな部屋に染みてくる。

『妻が妊娠したら変わってしまいました。急に家の中のことに敏感になったり、考え方が変わったりして、どう接していいのかわからないんです』

悠は柔らかな声で続ける。

「戸惑うのは当たり前だよね。でもね、変わったのは妻じゃない。君に家族が増えただけ。安心して、その手で守ってやれ。泣いていい、全部抱きしめろ。それが父親になる一歩だから。その命は、君がいるから安心して生まれてくるんだよ」

声だけが、すずりの中のざらついた部分を、少しずつ溶かしていった。

その頃、スタジオでは――机の向こうから井上が小さく声をかける。
「悠さん、お子さんいたっけ?」

「いないです。でも、こういう相談は今までたくさん聞いてきましたから」
悠はマイクの前で、少し照れたように微笑む。

「井上さんも聞きますよ?」
井上が肩をすくめて、軽く笑った。

「えーじゃあ……」
「どうぞ」と悠が、優しく微笑みながら返す。

そのやりとりは小さく、静かに交わされる。
ラジオ越しに届けられる優しさは、音になって、確かに誰かの心に届いていく。
  
だけど、その声は、
あの人の優しさは、
全部“誰か”に向けられている気がして、
どうしようもなく、モヤモヤがこみ上げた。

すずりは、スマホを取り出し、メッセージフォームを開く。



あめのひの水たまり

「月島さん、カエルって知ってますか?」

「雨が降ると嬉しそうにゲコゲコ鳴くけど、
じつは、水たまりの中でしか生きられないって知ってますか?」

「ぴょんって跳ねるたび、泥がはねて、誰にも見つからない場所に隠れて、それでも、小さな声で、『ここにいるよ』って鳴いてるんです」

「月島さんの声はやさしくて、雨の中で迷子になった子どもを“全部、受け止めるよ”って言ってるみたいで、……だからこそ、怖くなるんです」

「そのやさしさ、ほんとは誰のためのものですか?」

「誰にでも、向けられるやさしさなら、わたしにはもう、いらないかもしれないです」



送信ボタンを押したあと、すずりは、
ラジオの声に背を向けた。

窓の外で、またひとつ、カエルが鳴いた。
まるで、“聞こえたよ”と返事をするみたいに。

「……今日も、たくさんのメッセージ、ありがとうございます。
じゃあ、次は――ラジオネーム、“あめのひの水たまり”さんから」

悠の声が少しだけ静かになる。
投稿を読み始めたそのとき、いつもよりほんの少しだけ、間があいた。

「……“月島さん、カエルって知ってますか?”」

メッセージが静かに読まれていく。
そして、最後の一文――

『誰にでも、向けられるやさしさなら、
わたしにはもう、いらないかもしれないです』

悠は、読み終えてから数秒、黙った。
ほんの一瞬、ラジオの向こうに沈黙が流れる。

「……」

マイクの前で息を整えるようにしてから、彼はふっと笑った。

「“あめのひの水たまり”さん、ありがとう。
あなたのメッセージ……すごく、胸に残りました。」

「カエルって、不思議ですよね。子どものころはよく捕まえたけど、雨の日に鳴くのは、“うれしい”からじゃなくて、きっと、“ここにいるよ”って、誰かに伝えたいからなんだろうなって。あなたの言葉で、改めてそう思いました。」

少しだけ、悠の声が低くなる。

「……やさしさって、むずかしいです。
誰にでも向けられることが“強さ”だと思ってたけど、誰かにとっては、それが“届かない”こともあるんだなって……気づかされました。」

彼はほんのわずかに苦笑してから、静かに言葉を継いだ。

「“水たまり”にぴょんって飛びこんできたカエル、泥が跳ねても、ちゃんと気づいてくれる誰かが、いつかそばにいてくれると、いいなって思います。」

「たとえば、夜のラジオで、こんな風に――
あなたの声が、ちゃんと聞こえたよ、って。」

少しの間をおいて、彼は再び穏やかに言った。

「メッセージ、ありがとうございました。また、いつでも、待ってます。」



すずりは、その声を聴いていた。

ラジオの小さなスピーカーから流れる声は、
変わらず優しくて、静かで、だけど、今夜だけは――
まるで“自分に返ってきた声”のように感じた。

すずりは目を閉じた。

たしかに、
“聞こえたよ”と、言われた気がした。

外では、まだ、カエルが鳴いている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

離縁の雨が降りやめば

碧月あめり
キャラ文芸
龍の眷属である竜堂家に生まれた葵は、三つのときに美雲神社の一つ目の龍神様の契約花嫁になった。 これは、龍の眷属である竜堂家が行わなければいけない古くからの習わしで、花嫁が十六になるときに龍神との離縁が約束されている。 花嫁が十六歳の誕生日を迎えると、不思議なことに大量の雨が降る。それは龍神が花嫁を現世に戻すために降らせる離縁の雨だと言われていて、雨は三日三晩降り続いたのちに止む。 雨がやめば、離縁された花嫁は次の龍神の花嫁を産むために美雲神社を去らなければいけない。 だが、葵には龍神との離縁後も美雲神社に留まりたい理由があった。 幼い頃から兄のように慕ってきた御蔭という人の存在があるからだ。 白銀の髪に隻眼の御蔭は美しく、どこか不思議な雰囲気を纏っているが美雲神社の人間からは《見えない存在》として扱われている。 御蔭とともにいることを願っている葵だが、彼のほうは葵に無頓着のようだった。 葵が十六の誕生日を迎えた日。不思議な雨が降り始める。習わし通りであれば三日降り続いたあとやむ雨が、なぜか十日以上も降りやまず……。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

処理中です...