18 / 65
5章 狼と狐のゲーム
第18話 獲物(狩人)の疾走
しおりを挟む
切り込み加減に嫌味があって、縄を解くのに間を要した。外の様子を窺うも、もちろんアベルの姿はない。彼の企みが本当ならば、近くに御使いがいる筈だ。
どこまでアベルは本気なのか。
彼が御使いである以上、御柱の使命には縛られている。ただし、解釈に幅がある。反抗の範囲はいかほどか。自由神だけに予想ができない。
これが茶番であることも、心が歪であることも、どうやらアベルには自覚があった。なければザイナスを刺したりしない。確かめる必要があったのだろう。
敵の敵だが、味方ではない。何とも、面倒な相手だ。
ザイナスは小屋の周りを見て回った。辺りは森の高みにあって、少しばかりは見通しも利く。眼下には荒れた馬車道も窺えた。
此処に留まるのは悪手だが、移動するなら標が欲しい。例えば、追手と異なる単神教会。他の御柱の権域であれば多少の制限もあるのではないか。
ならば、人里を目指すのが理に適う。
アベルは十分に手掛かりをくれた。『生粋の狩人』が正しければ、相手は恐らく群神のヒルドだ。逃げ延びようにも、森では最悪の相手だった。
狩人の御使いを相手に、どうしろと? 口づけ以前の問題だ。
旧聖座での群神は巨神が対になっている。相克は人の後付けで、凡そあてにはできないが、いずれトロルヨーテを目指す他ない。見通しのよい場所を通るのは愚策だが、方角は道に沿わざるを得ないだろう。
歩き出し、ザイナスは周囲を警戒する。ヒルドの神器は白銀の弓矢だ。
走って逃げたいのを堪えながら、樹や下生えの裏を潜って歩く。御使いの出方を窺った。何処にいるのか、もう始まっているのかさえわからない。
白銀の矢なら心臓を狙う。それ以外なら致命傷を避ける。相手の狙いが絞られる事、一度きりだが的を誤解させる事だけがザイナスの優位点だ。
一瞬、空気が張り詰めた。ザイナスの右手を矢が掠め過ぎる。
初手を外すほど甘くはない。むしろ、慎重に過ぎるのかもだ。いずれ誘導には違いない。罠か、あるいは確実に射られる好位置がこの先にある筈だ。
さり気に射手の煩わしい位置取りで、ザイナスは慌てた風に駆け出した。見定めた幹の裏に滑り込み、射線の影に入ってひと息吐く。
ふと悪寒が走って根に伏せた。太い樹の幹などなかったように、白銀の矢が頭上を飛んで行った。なるほど、これは面倒だ。白銀の矢は遮蔽が効かない。
しかも、見えているように動きが読まれた。むしろ、本当に見えているのか。
ザイナスの動きを誘う限りは一矢で終わらせるつもりもないと踏んでいたのだが、どうやら機会があれば逃す気はないようだ。
今は運よく躱せたが、神器があれでは隠れようがない。
とはいえ、神器と弓を交換するのに一拍とすれば、その間は樹の裏に逃げても矢は来ない。だが、こうしている内にも確実に好位置に追い込まれている。
地面を這って姿勢を変える。茂みを縫って顔を上げ、辺りの位置を確かめた。
下生えの繁茂する半端な植樹林で助かった。迂闊に頭を晒しても致命傷は来ない。賞牌を射る前に殺してしまっては元も子もない筈だ。
倒れつ転びつを成り行きに任せながら、ザイナスは石や蔦を拾い集めた。
頬を割いて矢が跳ねる。隠れて駆けながら射られた矢を探した。
鏃を確かめて安堵する。幸い毒の類は塗られていない。ヒルドがこの矢を射る限りは、誘導か足止めだ。最悪でもザイナスの四肢や腹を狙うだろう。その間に射線から遠ざかり、トロルヨーテへの道筋を辿る。気が遠くなるほど面倒だ。
しかも、課題はあと二つある。
アベルがザイナスを買っているとしても、御使いを出し抜けるとまでは考えていない。いずれヒルドの神器で射られるのは確信している筈だ。ならば、アベルの狙いは賞牌の簒奪だ。自分で刈れないなら他から奪う他ない。
アベルは姿を隠せる。狩人よりもザイナスの近くで息を潜め、射抜かれた魂を回収する算段だ。ならば、気取られないための演技がもう一段必要になる。
あとのひとつは、資格の剥奪だ。
アベルに拒んで見せたのは嘘だ。もとより御柱の茶番であるなら、巻き込まれたザイナスに負い目はない。彼の言う通り、背に腹は代えられなかった。
ただ、御使いが相手では物理的に困難だ。平手のひとつで首が捩じ切れる。
逃げながらザイナスは思案した。
凡そ恥も外聞もなく、獣のように四つ脚で下生えを潜る。まさに這々の体だ。
ふと、矢を射る気配が途切れた。
間を外した罠か、あるいは位置取りに動いたか。どうにも嫌な感じがする。ふと、思い至ってザイナスは呻いた。群神の狩人は独りではない。
息遣いに気づいて思い切り走った。今は賞牌を隠すことも諦めた。相手は矢よりも臨機応変だ。その追い込みからは、逃がれようがない。
取りも直さずザイナスは逃げた。全身を晒しても射られる気配はなかったが、今は鏃より牙の方が問題だ。それは、確実にザイナスに迫っている。
願わくば、相手は狩人だけに絞りたい。油断がなければザイナスに勝機はない。描いた方向を読み違えていなければ良いのだが。
そう考えたのも束の間、茂みを割る音と息遣いが急速に近づいた。ザイナスが振り向いた瞬間、巨大な狼が牙をむいていて飛び掛かって来た。
どこまでアベルは本気なのか。
彼が御使いである以上、御柱の使命には縛られている。ただし、解釈に幅がある。反抗の範囲はいかほどか。自由神だけに予想ができない。
これが茶番であることも、心が歪であることも、どうやらアベルには自覚があった。なければザイナスを刺したりしない。確かめる必要があったのだろう。
敵の敵だが、味方ではない。何とも、面倒な相手だ。
ザイナスは小屋の周りを見て回った。辺りは森の高みにあって、少しばかりは見通しも利く。眼下には荒れた馬車道も窺えた。
此処に留まるのは悪手だが、移動するなら標が欲しい。例えば、追手と異なる単神教会。他の御柱の権域であれば多少の制限もあるのではないか。
ならば、人里を目指すのが理に適う。
アベルは十分に手掛かりをくれた。『生粋の狩人』が正しければ、相手は恐らく群神のヒルドだ。逃げ延びようにも、森では最悪の相手だった。
狩人の御使いを相手に、どうしろと? 口づけ以前の問題だ。
旧聖座での群神は巨神が対になっている。相克は人の後付けで、凡そあてにはできないが、いずれトロルヨーテを目指す他ない。見通しのよい場所を通るのは愚策だが、方角は道に沿わざるを得ないだろう。
歩き出し、ザイナスは周囲を警戒する。ヒルドの神器は白銀の弓矢だ。
走って逃げたいのを堪えながら、樹や下生えの裏を潜って歩く。御使いの出方を窺った。何処にいるのか、もう始まっているのかさえわからない。
白銀の矢なら心臓を狙う。それ以外なら致命傷を避ける。相手の狙いが絞られる事、一度きりだが的を誤解させる事だけがザイナスの優位点だ。
一瞬、空気が張り詰めた。ザイナスの右手を矢が掠め過ぎる。
初手を外すほど甘くはない。むしろ、慎重に過ぎるのかもだ。いずれ誘導には違いない。罠か、あるいは確実に射られる好位置がこの先にある筈だ。
さり気に射手の煩わしい位置取りで、ザイナスは慌てた風に駆け出した。見定めた幹の裏に滑り込み、射線の影に入ってひと息吐く。
ふと悪寒が走って根に伏せた。太い樹の幹などなかったように、白銀の矢が頭上を飛んで行った。なるほど、これは面倒だ。白銀の矢は遮蔽が効かない。
しかも、見えているように動きが読まれた。むしろ、本当に見えているのか。
ザイナスの動きを誘う限りは一矢で終わらせるつもりもないと踏んでいたのだが、どうやら機会があれば逃す気はないようだ。
今は運よく躱せたが、神器があれでは隠れようがない。
とはいえ、神器と弓を交換するのに一拍とすれば、その間は樹の裏に逃げても矢は来ない。だが、こうしている内にも確実に好位置に追い込まれている。
地面を這って姿勢を変える。茂みを縫って顔を上げ、辺りの位置を確かめた。
下生えの繁茂する半端な植樹林で助かった。迂闊に頭を晒しても致命傷は来ない。賞牌を射る前に殺してしまっては元も子もない筈だ。
倒れつ転びつを成り行きに任せながら、ザイナスは石や蔦を拾い集めた。
頬を割いて矢が跳ねる。隠れて駆けながら射られた矢を探した。
鏃を確かめて安堵する。幸い毒の類は塗られていない。ヒルドがこの矢を射る限りは、誘導か足止めだ。最悪でもザイナスの四肢や腹を狙うだろう。その間に射線から遠ざかり、トロルヨーテへの道筋を辿る。気が遠くなるほど面倒だ。
しかも、課題はあと二つある。
アベルがザイナスを買っているとしても、御使いを出し抜けるとまでは考えていない。いずれヒルドの神器で射られるのは確信している筈だ。ならば、アベルの狙いは賞牌の簒奪だ。自分で刈れないなら他から奪う他ない。
アベルは姿を隠せる。狩人よりもザイナスの近くで息を潜め、射抜かれた魂を回収する算段だ。ならば、気取られないための演技がもう一段必要になる。
あとのひとつは、資格の剥奪だ。
アベルに拒んで見せたのは嘘だ。もとより御柱の茶番であるなら、巻き込まれたザイナスに負い目はない。彼の言う通り、背に腹は代えられなかった。
ただ、御使いが相手では物理的に困難だ。平手のひとつで首が捩じ切れる。
逃げながらザイナスは思案した。
凡そ恥も外聞もなく、獣のように四つ脚で下生えを潜る。まさに這々の体だ。
ふと、矢を射る気配が途切れた。
間を外した罠か、あるいは位置取りに動いたか。どうにも嫌な感じがする。ふと、思い至ってザイナスは呻いた。群神の狩人は独りではない。
息遣いに気づいて思い切り走った。今は賞牌を隠すことも諦めた。相手は矢よりも臨機応変だ。その追い込みからは、逃がれようがない。
取りも直さずザイナスは逃げた。全身を晒しても射られる気配はなかったが、今は鏃より牙の方が問題だ。それは、確実にザイナスに迫っている。
願わくば、相手は狩人だけに絞りたい。油断がなければザイナスに勝機はない。描いた方向を読み違えていなければ良いのだが。
そう考えたのも束の間、茂みを割る音と息遣いが急速に近づいた。ザイナスが振り向いた瞬間、巨大な狼が牙をむいていて飛び掛かって来た。
0
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』
放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。
「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」
身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。
冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。
「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」
得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。
これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。
女神の白刃
玉椿 沢
ファンタジー
どこかの世界の、いつかの時代。
その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。
女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。
剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。
大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。
魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。
*表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる