神さまの嫌われもの

marvin

文字の大きさ
30 / 65
8章 鉄の魔物

第30話 嗜好と悪癖

しおりを挟む
 赤と蒼が混じった空は、淡い霞に透けている。漸く日の明けた駅舎の中では、既に朝番が働いていた。どうやら街の物流事情で鉄道路線には夜が来ない。
 ただ、引込線の一部には昼も眠った場所がある。日常運行に含まれない商会専用の操車場だ。昨夜に入った倉庫と同じく、立ち入りも制限されていた。
 ザイナスたちが遠目に窺うのは、その区画だ。
「あの大きいの?」
 クリスタがラーズに確かめる。幾台もの車両が並ぶ先、ひときわ大きな黒い鉄の山がある。シムリスの街に着いた際、駅の歩廊で覗き見た列車だ。
「何なの、あの汽車」
 リズベットがクリスタを突ついて訊ねる。
 黒い車両は頭がひとつ――いや、ふたつみっつは突き出している。幌の綱が解き捨てられて、脱皮し損ねた海老のようだ。帆布がひらひらと煽られている。
「知らない」
「知らないって」
 リズベットは鼻根に小皺を寄せるが、見返すクリスタも同様に口許を顰めた。
「軍用列車よ、最初の発注は」
 クリスタは苦虫をかみ潰したような顔をする。
「ヴェスローテの貴族連中が都市防衛の砲台が欲しがってさ、それがやっぱり際物な訳。そこに王都が張り合って、あれよあれよと――」
「両方を煽って焚きつけた訳だ」
 アベルが半目で息を吐く。
「こちとら商売だもの、当然でしょう」
 御使い的には、どうだろう。ザイナスは深く考えない事にした。
「で、発注したのが例の工房。ルクスルーナの変人技師。王都で幾つか仕事をしたから、腕は買ってた訳なんだけど」
 クリスタが息を吐く。
「おかしいな、とは思ったのよね。そしたら、やっぱり暴走してさ。趣味に走ってこの有様。工房にはね、かなりの額を注ぎ込んだのよ。それが何、砲台百機の予算をこの一輌で食い潰したって。――で、頭にきて現物を差し押さえた訳」
「趣味?」
「だから、あれ」
 クリスタが顎先を振って巨大車両を指す。どうにも嫌な予感しかしない。
「その技師がフリスト?」
 リズベットが眉根を寄せる。
「多分ね。名前はビルギット・フォルシウス。最初は偏屈な爺かと思ったんだけど、聞いてみたらまだ十五の小娘だっていうじゃない。まあ、決まりだよね」
「あれだな」
 ラーズが汽車に目を眇めて呟く。
「いや、見えんし」
 クリスタが鼻を鳴らした。確かに、人を識別するにはまだ距離がある。
「此処からだと、見えるのはヒルドくらいかな」
 アベルが笑う。御使いにも得手、不得手がある。 群神レギオンは狩りを司る。御使いのラーズもそうした権能に秀でていた。遠見も隠形もその権能だ。
「そうだな――」
 ラーズはふと思いついたように身を乗り出し、ザイナスを引き寄せた。肩に手を回し、頬を擦り寄せる。慌てるリズベットを手で払い、汽車の方を指差した。
「どうだ、見えるか?」
 ラーズの香りに向いた意識は、真っ黒になった視界に引き戻された。瞼の色ではない。黒鉄の車両の表面だ。鋲さえ数えられるほど近くにあった。
「すごいなラーズ、君の術か」
「権能の付与だ。スクルドみたいに連結とはいかないが、触れられるなら恩寵もやれると思ってな。もっとも、こうしている間だけだが――」
 便利なものだ。御使いの高尚な奇跡としては、少々肉感的にも過ぎるが。
「見たいー」
 エステルがザイナスの首に齧りついた。仰け反った拍子にザイナスの目に周囲が映り込んだ。目を近づけたり遠目に見たり、かなりの広範囲で視野が変えられるようだ。とは気づいたものの、今はとにかく息ができない。
「だから、使いには写せんと言っている。取り敢えず放せ、ザイナスが死ぬぞ」
 ラーズがエステルを引き剥がした。
 その際、黒い車両の上を走り回る小柄な白い人影が見えた。上下がひとつながりの白い作業服を着た少女だ。無骨で大きな保護眼鏡を掛けている。リズベットと同じ歳頃に見える――見えるが、袖や裾が膨らむほど余るのに、胸元だけが張り詰めていた。覗き見るにも目のやり場に困るほどだ。
 エステルを抱えたラーズに礼を言い、ザイナスはクリスタにその容姿を伝えた。
「ビルギットだわね、例の変人技師」
「やはり、フリストで間違いない」
 クリスタが頷き、ラーズが結論づける。やはり、目的は差し押さえられた汽車の奪還なのだろう。ただ、この状況で堂々と、とは些か開き直りが過ぎる。
「あれを動かすつもりかな」
 夜も明けたのに忍ぶ訳でもない。形振り構わぬ行動だ。逃げ切る自信か、自暴自棄か。あるいは何も考えていないのか。いずれ、御使いならば在り得る。
 此処へは様子見のつもりで来たが、逃げるとあれば悠長に構えてもいられない。ルクスルーナに帰るなら良いが、身を隠されては面倒だ。
 少なくとも、所在を明らかにしておく必要がある。その先は、ビルギット次第だ。
 今まで出会った御使いも、使命を立てつつ嗜好は手放さない。恐らく、ビルギットもその類だ。問題は、それがどれほど想いが強く、交渉の材料になり得るか。
「あれを持ち逃げされたら困る。ザイナスくん、何とかして」
 縋りつくクリスタに、ザイナスは思索を保留した。
「何とかって」
「ガツンと一発やってやって。言うこと聞かせちゃってよ、あたしみたいに」
「いや、あれってクリスタが――」
「ザイナスくんだって舌入れたじゃん。あたし、初めてだったのに」
「兄さんの変態」
 反論の隙なく思い切りリズベットに詰られた。そんな覚えはないのだが。弁解しようと振り返るも、どうやら味方は誰もいない。何を言っても無駄だと気づいた。
「アベル、あれを引き留めよう」
 結局、アベルに泣きついた。
「そうだね、まずはフリストが逃げるのを阻止しなきゃだ」
 にやにやしながら意を汲んで、アベルは皆にそう提案した。走り回るビルギットを見るに、巨大な汽車は牽引なしに動く。汽車での逃走は間違いない。
 ともあれ、まずは汽車の状況を探る。できれば、起動を妨害する。いざとなればザイナスを囮にビルギットの段取りを変える。ザイナスは、そう方向を出した。
 兄を変態呼ばわりしたリズベットだが、行動は誰より積極的だった。皆に交信用の羽根を渡すや、汽車の路線を確認するため飛んで行く。
『先の引込線は閉じてる、分岐器を変えるまで逃げられない』
 間もなく、羽根に声が届いた。
「分岐器はどうやって操作を?」
 ザイナスがアベルに訊ねる。
「普通は駅の連動機を使うけど、制御室には人がいるから手動じゃないかな」
「さすが列車強盗」
 クリスタが茶化した。ザイナスの誘拐に横槍を入れたのは他ならぬアベルだ。クリスタはまだ根に持っており、ザイナスはその知識を頼っている。
『こっちで待ち伏せる?』
 羽根はリズベットにも会話を伝えている。
「分岐器って、ひとつだけかな」
「手動となると、幾つも切り替えなきゃだめだ。この駅だったら、特にそうだね」
「ビルギットはどうやって汽車を出すつもりだろう」
「制御室制圧、何らかの強制操作、手動、脱線覚悟――」
 アベルが可能性を並べる。息を吐いたザイナスは、唐突にクリスタに向き直る。
「汽車の運行は買収できる?」
 強要込みの費用は馬鹿にならない。クリスタは心の内でザイナスへの好感度に見合う金貨を注ぎ込み、むしろ前のめりに頷いた。無邪気なザイナスの無心もそうだが、それに応えるクリスタは、意外な自身の性癖にも驚いていた。
「クリスタは制御室へ、ラーズも一緒に。ビルギットが手を出したら制圧して汽車を出さないように。リズベットは分岐の固定を――物理的に」
「了解した」
 にっと笑ってラーズが頷く。
『ゲイラ、兄さんに悪いこと教えないで』
 羽根の先からリズベットが責める。
「ボクのせいにされたぞ、ザイナス」
 呆れたようにアベルがぼやいた。
「キミほど狡猾にはできないよ」
 備えるのは厄憑きの性分だ。手数はあればあるほど良い。とはいえ、どれほど手を尽くしても、御使いの力技には敵わない。それはザイナスも諦めている。
 思い通りに行かないのは、いつもの事だ。その都度に考える他はなかった。
「ねえ、ザイナス君って意外と悪い子?」
 クリスタは指先で朱色の目許を扇ぎながら、少し悔し気にアベルに囁いた。惹かれているのは人の身か御使い自身か。まだ、おねだりの余韻に熱っている。
「そりゃあ、ボクのお気に入りだからね」
 アベルは応えて悪戯な目を細めて見せた。
 ザイナスはエステルの手を取って、アベルに目を遣った。
「僕らはビルギットに会いに行こう」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』

放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。 「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」 身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。 冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。 「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」 得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。 これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。

女神の白刃

玉椿 沢
ファンタジー
 どこかの世界の、いつかの時代。  その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。  女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。  剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。  大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。  魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。  *表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...