神さまの嫌われもの

marvin

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9章 アルビオン攻防戦

第34話 列車襲撃

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 宵闇に樹々が破裂した。飛び立つ鳥を追い上げて、黒い汽車の背が森を割る。まるで巨大な鉄の鯨だ。潮を吹くのを真似るように、余蒸気を噴き上げる。
 ビルギットの汽車が森を踏む。地形など、気にも留めていなかった。
 一直線に進む先、その樹々の中にザイナスは息を潜めている。ビルギットが気まぐれを起こさなければ、あの汽車はじきザイナスの目の前を通る筈だ。倒木の轟音に掻き消されていても、無意識に呼吸を詰めてしまう。
 あの大きさに対抗できるのはエステルだけだが、肝心の彼女が捕えられている。そも、それが原因でザイナスは攻略を早めた。計画は汽車への潜入だ。
 御使いと巨大な半機半魔に、人の身のザイナスは分が悪い。とはいえ、追い詰められた焦りはなかった。気負いや使命感も端からない。打てる手は打つ。最善は尽くす。死ねばそこまで。命があればまた挑む。ただ、それだけのことだ。
 来世の保証が絶望的と知った今でも、ザイナスは変わらない。
 ふと、アベルの興味深げな視線に気づいて振り向いた。
「キミは面白いね」
 ザイナスに囁いて笑う。
「どこまで真剣なのか、わからない」
 ザイナスは呆れ、前髪の下で眉根を寄せた。
「それ、君の事だろう」
「いいや、キミさ。何だかずっと他人事みたいに自分を見てる」
 それは、僕が僕の面倒を見ているからだ。アベルの言い様にザイナスは口を尖らせた。ザイナスは自分を細かく切り分けて、その全てを俯瞰して考える。
「全部、自分事だ。御柱は不信心者の面倒なんて見てくれないからな」
魂なきものノスフェラトゥは不敬だねえ」
 信心の薄い者はいる。神を見失う者もいる。神に背くもの、破門されるもの、罰を受ける者もいる。だがそれは、生まれながらに神を受け入れ、堕ちる罪だ。
 だが、ザイナスにはその前提もない。
「前世でよほど酷いことをしたんだろうな」
 御使いに嫌味を言われるような、勝手に御柱の賭け事に召し出されるような酷いことを。だが、魂の選別場ニヴルヘイムを潜れば記憶は消えてしまう。
賞牌マユスに前世なんてあるもんか」
 あっさり、アベルに断言された。
 どうやら、前世に罪を擦りつけることもできないらしい。ザイナスは不貞腐れた。前世に灌漑も憧れもないが、魂に履歴がないのも、妙に肩身が狭い気がした。
「ほら、拗ねてないで。汽車はもう目の前だ」
 アベルが笑って指さした。ぼんやりしていたら押し潰されるぞ。そう言うアベルは、自身も含めた皆の窮地を愉しんでいる。
 思案するのは止めにして、ザイナスは薙ぎ倒される樹々の音に意識を向けた。

 ◇

 ザイナスがリズベットに拾われ、皆と合流を果たしたのは少し前だ。
 まだ辛うじて陽はあった。ザイナスにも皆の無事な顔が見分けられる明るさだ。
 クリスタが首に齧りつき、リズベットにまた引き剥がされた。おまえが掴まえていないからだと責められたらしく、帰還を喜ぶ反面、恨みがましくそうこぼした。
 ザイナスの想像した通り、汽車は三つ巴の追突で脱線した。こと、前方の列車は逃げ切りを足掻いたのが仇となり、脱線後も森を暴走した。ザイナスが遭遇した車両の一部は、そうして迷走したらしい。よく原形を留めていたものだ。
 そんな災厄を御使いたちは難なく逃れた。暴走する鉄塊は放置して、ザイナスの捜索を優先した。巻き込まれた列車の阿鼻叫喚も無視だ。とうせ、彼らはみな魂の選別場ニヴルヘイムで審判を受ける事になる。
 御使いにとって、災害は救済の対象ではない。端から無辜の民を助ける気もない。人は自らを救う事が重要だ。それは魂を磨き上げ、より良い来世、延いては 約束の地カナンに至る導きを得る重要な試練だからだ。
 つまり、個々人には有益であっても、御柱には大海の一滴に過ぎない。
「さて、どうする?」
 ラーズはザイナスに意見を促した。皆に何か思惑があろうと、行動はザイナスに委ねられていた。彼、彼女たちは使命の遂行を逸した御使いだ。自由の筈だが、みなザイナスの意を仰ぐ。地上と人と、その行為を楽しんでいた。
「奪還を続行する」
 ザイナスは宣言した。ビルギットが森を踏み越える先は、ルクスルーナに続く路線だろう。今は追跡も容易だが、再び線路に乗れば徒歩の追跡は難しくなる。
 ただし、手法は再検討だ。此処から他の列車を徴用するのは難しい。
「いっそ、逃げ切って油断したところを襲うのは?」
 リズベットは、そう提案した。
「そうしたいところなんだけど――」
 ビルギットは御使いが手を組んでいることを知った。ザイナスの存在も知られた。こちらの御使いに魂刈りの資格がない事にも気づいただろう。
 それは、嗜好に傾倒するビルギットへの強力な交渉材料であると同時に、彼女を説得の座に着かせるまで、脅威を与え続ける事にもなる。ザイナスの懸念は、焦ったビルギットがこちらと同じ手段で対抗する可能性だ。
「御使いが手を組むって?」
 ラーズは疑わしげだ。今は互いに敵だ。可能性は低い。だが、ビルギットはクリスタと同様に地上の生活に固執している。つまり、使命に対する執着が薄い。身の安全を保証するため、他の御使いを盾にする可能性も捨てられない。
「他の連中を捨て石にする方法もあるからね」
 アベルは自分を棚に上げ、意地悪く口を挟んだ。まさに、その実例だ。ザイナスは、ビルギットが単独でいるうちに魂刈りの戦列から除外したかった。
「さて、あれに取り付く島はあるかな」
 ラーズはあっさり同意して、さも当然のように議論を進めた。彼女にとってザイナスの意見は絶対らしい。アベルとは逆の理由でザイナスを尊重している。
 ラーズとスクルドは車両に取り付いており、車体のあちこちに扉らしきものを確認していた。ただ、半機械式の警報はあるだろう。件の鉄の蜘蛛もいる。
 こちらの優位点は、ビルギットが独りだということだ。機械に頼っても手が足りない。状況の取り回しや対応が遅い。生身のように動揺が行動に現れている。
「潜り込むのはわけないな。でも、機械仕掛けは厄介だ。皆では無理だね」
 アベルが肩を竦めて見せる。
「じゃあ、潜入は僕と二人だ」
「私たちがフリストを引き摺り出せばいいじゃない」
 リズベットが口を挟み、クリスタが頷く。それだとビルギットの生死を問わず、となるのが問題だ――とは、ザイナスも口にしなかった。
「汽車の注意を逸らす役が必要だ。僕にはそんなの無理だからね」
「兄さんが見つかったらどうするの」
「僕を捕まえようとしたら隙ができる。アベルが何とかしてくれる」
 ラーズが笑い出した。
「よし、オレたちは陽動だ。上手くやれば、あのでかいのだって何とかなる」
 そのままの笑顔でアベルに目を遣る。
「ゲイラ、ザイナスを護れなかったら御柱に関係なくおまえを殺すぞ」
 皮肉を返そうとしたアベルはラーズの目を見て思い留まり、肩を竦めた。
「せいぜい、最善を尽くすとしよう」
 リズベットは空から、ラーズは可動部を狙って、反撃の盾はクリスタだ――ザイナスはそう話を纏めて手を叩いた。

 ◇

 アベルの投げた細い糸が鉄の甲羅に貼りついた。ザイナスを抱えて飛び移り、矢継ぎ早に糸を打つ。遥かに見えた甲板まで、ひと息の間に駆け上がった。
 耳を澄ますが、反応はない。ビルギットは気づいいていないようだ。
 昇降口を見つけた頃に、眼下で白銀の矢が撥ねる。陽動が始まった。
 リズベットが汽車の行く手を惑わせる。ビルギットの反応で汽車の可視域を確かめ、ラーズは汽車の眼を探し出す。できるだけ射潰す算段だ。
 アベルがザイナスの手を引いて汽車の屋根を駆ける。足下の揺れと暴風にも拘らず、散歩するように軽やかだ。ザイナスはついて行くのが精一杯だった。
「さあ、しっかり。一緒に来ると言い出したのはキミの方だろ」
「世話になってる自覚はあるよ」
 とはいえ、御使いほどには動けない。勝手にどうぞ、と告げられてもザイナスには皆を引き留める術がない。そう言うと、アベルは鼻根に小皺を寄せた。
「キミはもう少し――まあ、いいや」
 言葉の途中で肩を竦め、アベルは作業用に設けられた昇降口に取りついた。
 足下が大きく揺れる。横にも振れて風向きが変わる。ビルギットは苛立っているようだ。どれほど汽車が頑丈でも、御使いの攻撃は無視できない。
 側面が瞬き、砲音の尾が重なる。樹々のあちこちに火柱が立った。気のせいか、遠くにクリスタのやけくそな悲鳴と、煩いと叱るラーズの声がする。
 汽車の大砲では足許に俯角が合わない。撃っているのは小口径だ。件の蜘蛛も出ているようだが、リズベットはもちろん、ラーズもクリスタも捉えられない。
 アベルが把手の錠を解いた。扉を引き開け、滑り込む。頭を出してザイナスを招いた。ザイナスが昇降口を潜ろうとした刹那、赤色の灯が点る。
 警報が響いた。見つかったか、と思いきや、燈はあちこちに点滅している。
『いい加減にして、ぼくとアルビオンは放って置いて』
 割れた声が全方位に鳴る。ビルギットだ。伝声管に引かれるように機関の唸りが高まって行く。汽車が震えた。金属を打つ音、嵌る音、回り捻れて行く音が、そこかしこに響いている。管が接続を変えるたび、蒸気の音が重なった。
「アルビオン?」
 ザイナスがアベルを振り返って訊ねる。
「この汽車のことじゃないかな」
 アベルは応えて肩を竦めた。
「確かに、巨人アルビオンのような汽車ではあるけれど――」
 不意に屋根が立ち上がった。二人が慌てて扉にしがみつく。外の様子を覗き見れば、砲撃の火が遠退いていた。汽車が空に向かって伸びて行く。
 車両が折れて延び上がり、多脚が二股に寄って行く。鉄の軋みと開閉音。視界を埋めて突き出した黒々とした影に目を凝らせば、それは巨大な腕だった。
「なるほど、フリスト。冗談が過ぎる」
 アベルが笑い転げた。
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