神さまの嫌われもの

marvin

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13章 聖堂崩落

第50話 聖女の計略

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 教会が怪異に揺れている。その動揺と混乱は、聖堂の深部にも伝わっていた。
 それにつけても。
 衆目の中で割れる聖櫃。白昼堂々に暴かれた宝物庫。礼拝に舞う雪のような紙片には司祭の私事が事細かに暴露されていたとか。
 馬鹿々々しい。だがいずれ、教会の権威は失墜を免れない。
 大司教付きの聖務官、ティルダ・フリーデンは山と積まれた陳情書を乱暴に机から払い落とした。豪奢な椅子を端から無視して、遠慮なく机上に腰掛ける。
 こんなものは聖務省の仕事ではない。ましてや、自分の使命でもない。
 齢十七の女は聖務省でも珍しい。大司教付きとなれば尚更だ。その地位に下卑た噂もないではないが、面と向かって口にする者はいなかった。だが、もとより高位の神職ならば、彼女をまともには見られはしまい。その正体は知らずとも、霊威に圧倒されるはずだ。故に、ティルダは大聖堂に秘匿されていた。
 勿論、彼女を現神アライブのエイラと知るのは、大司教のメルケルだけだ。
 とはいえ。
 ティルダは思案した。教会の威信が揺らぎ、矛先がぶれるのは望ましくない。本命はあくまで魂なきものノスフェラトゥだ。忘れられかけた魔物だが、あれこそ御柱の天啓だった。その点だけは、メルケルも評価できようというものだ。
 ティルダの家は中枢に近く、血筋のおかげで清濁にも詳しかった。十年前のあの騒動も、幼いながらに知っていた。だからこその、この手立てだ。
 間仕切り幕の向こうから、扉の開く音がした。大司教猊下のご帰還だ。複数の秘書官、警護士たちは、控えの間と消えて行く。此処には決して立ち入らない。
 本来なら迎えに出るべきだが、気を遣わせるのも悪かろう。ましてや戸口に人がいるなら、ティルダへの態度に困って脂汗を垂れ流す羽目になる。
 それは、見るのも気持ちが悪い。
 畏まった短い遣り取りの後、メルケルは最高位の威厳を保った早足で幕を潜った。机に腰掛けるティルダに目に留めるや、一礼したまま跪いた。
「ペトロネラ殿下が呑みました。次の祭礼で告示する運びです」
 大司教メルケル・ユーホルトは、冷えた視線を投げるティルダに告げた。
 メルケルの出自は 現神アライブの司教だ。国家最大の治癒院の総領で、現国王とは旧知の仲。戴冠前からの相談役として、宮廷との縁も深い。大司教の地位を得たのは三年前だが、それもティルダに依るところが大きかった。
 十年だ。ティルダは小さく鼻を鳴らした。
 この大勢の人の中から虫一匹を選り分ける、そんな作業は任せれば良い。だが、そう仕込んでから十年も経った。その大半がメルケルに威光を纏わせる退屈な作業だ。あつらえ向きの人材ではあったが、思いのほかに面倒だった。
 何より、臭い。人とはこうも臭いのだ。汗と脂に怖気が走る。
 この身の不可侵はティルダの救いだった。でなければ、世界を焼いていた。
 人の身でありながら、人に触れることも穢れることもない安心感――その一方、世界に隔絶された奇妙な孤独は、他の使いも体験しているのだろうか。
「権域に不足はありませんね?」
 薄い頭頂部を嫌々見おろし、ティルダが大司教に問う。目線を合わせるのは勿論のこと、司教冠など被っていたなら、そのまま蹴飛ばしていたところだ。
「問題ございません」
 教会は宮廷に権限を集め、政教の垣根を崩した。得たのは聖罰の特権だ。これにより、教会が罪人と認めれば市政の手続きなく収監もできる。魂なきものノスフェラトゥを神敵とすれば、その断罪は教会の威光を高めるだろう。
「御心に反する者は、何者であれ手が及びましょう」
 全国各地の教会組織が、魂なきものノスフェラトゥを捜索し、見つけ次第に拘束できる。十年を経た手配網には齟齬もあったが、知らせと身柄は今度こそ、すぐさま大聖堂の大司教に、即ちティルダに届く手筈だ。
 メルケルは敬愛の笑みを返すが、ティルダはそれを信じていない。彼女が地位を与えるうち、この男の強欲も手がつけられないほど肥大した。過度の庇護は魂を歪める。もはや、この男は全人観測儀エリュシオンに適さない。
 だが、今生の余禄はもう十分に与えたつもりだ。家も血筋も記録にないが、この身の親には違いない。例え来世が失せようとも、孝行としてはこれ以上ない。
 メルケルは這って書簡を集め、椅子に移って目を通し始めた。
 ティルダはその椅子が嫌いだった。形ばかりは豪奢だが、脂と臭いが染みついているようで我慢ならない。彼の触れたものさえ触れたくなかった。
「その祭礼に殿下はお見えに?」
 都合などお構いなくティルダが訊ねる。書簡を置いてメルケルは頷いた。
「王室総出で参礼いただけるとのこと。殿下自らに剣を賜る予定です」
「そう」
 ならば、いよいよ対面だ。宮廷の第三王女はずっと教会の障害だった。
 凡て神の子で成る国に於いて、教会は最大の管理者だ。統治に王家は必要ない。家名などにも意味はない。聖王家の血統など小屋の中で飼えば良い話だ。
 だが、そのペトロネラの正体こそが、実は血族神ブラッドのレイヴだ。ティルダはそれに気づいたが、向こうはこちらを特定できない。ティルダが大聖堂の中にいる限り、どの御使いであれこの身を嗅ぎ分けるのは難しいだろう。
 これだけの時間と手間を掛け、ようやく民を自由にできる誓約を得たのだ。ここに来て、レイヴや他の御使いに賞牌マユスを奪われるなど我慢がならない。
 だが、ふと思う。ペトロネラもまた、何らかの策を弄していたら。
 よもや王都の馬鹿げた怪異も、その策のひとつだったとしたら。
 いずれ、教会の権限拡大に対して何らかの謀計はあるだろう。次の祭礼は大舞台だ。裏を返せば、教会の失墜を謀る絶好の機会ともいえる。気は抜けない。例え国家の要人であろうと、疑わしくは排除を辞せない。
 いっそ自身が選別を担えば、判断も権限も不足はないが――過分ではあるか、とティルダは思案する。だが、魂なきものノスフェラトゥを人に委ねるのであれば、せめてこれくらいは働くべきなのかも知れなかった。
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