線香花火

流月るる

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 イルミネーションに暖かな光が灯りはじめた。夜になると「ああ、こんなところにも」と思えるほどいたるところにライトアップがなされている。ぼんやり通り過ぎていく日常の延長線上のものになってしまっていたものが、今年はほんの少しだけ目に入って記憶にとどまる。

 今朝、首元に入り込んでくる冷気を感じたことを思い出して、マフラーをしまっていた箱を探した。クローゼットの上段の枕棚から付箋布でつくられた白い箱を取り出す。冬小物を毎年買い替えるほどの贅沢はできない。着用しない冬があっても処分するほどくたびれもしていない。去年は襟の大きなダウンのコートで冬を越えたせいで、この箱に触りもしなかった。久しぶりに触れるそれらをそっと取り出していく。

 黒がベースのオーソドックスなタータンチェックのマフラー、もこもこした白いラビットファー、そしてフリンジのかわりにファーがあしらわれた薄い桃色のマフラー。どれもこれも……あの人との思い出が染みついている。もこもこのファーを見て「かわいいね」と言ってくれた声も、ほどけたマフラーを私の首に巻きなおして見下ろす優しい眼差しもこれらは私と一緒に感じてきた。だから去年は取り出そうとも思わなかった。

 蘇りそうになる思い出を頭を振ってやり過ごす。箱からすべてを取り出すと「お取替えください」の表示が浮かんだ防虫剤とガラスでつくられた小さな天使のオブジェが1つころんと残っていた。

「こんなところに紛れていたんだ……」

 3つセットの天使のオブジェはクリスマスのオーナメント。ツリーにつけることも、置いて飾ることもできて私はクリスマスシーズンがくるたびに、これらを部屋の棚に3つ並べて飾った。そのそばに小さなツリーを置くことも、サンタとトナカイの人形を置くこともあったけれど。
 マフラーたちにくるまれて無事だったそれを、私はそっと掌の上にのせた。

 ひとつは星を、ひとつはハートを持ち、残りのひとつは祈るように手を合わせている。

 クローゼットにあるカーキ色のスーツケースの奥に隠れたものが、透き通って見える気がした。
 あの人と別れてから、思い出があるものはすべて箱の中にしまって奥にいれこんだ。捨てられなかったそれらは私の未練。目につかないようにしていつか平気で箱ごと捨てることができればいいと思っていたのに大掃除のときも決して触ることはできなかった。

 その箱に入るのを、逃れた天使。

 そして、箱に一番にいれなければならないのにいまだに手元にある指輪。

 その存在を思い出して私はアクセサリーをいれた引き出しに近づいた。無造作に隅に置かれた紺色のケースを私は久しぶりに取り出す。
 ガラスの天使と、小さなダイヤが光る指輪。
 永遠の約束を誓ったときに私の左の薬指にはめられたそれを、彼に返すことも捨てることもできずにそのままにしてきた。
 テーブルの上に置いて私はしばらくそれらを眺める。

 クリスマスイブ……。
 それは恋人たちが一緒に過ごす幸せな夜。
 恋人のいない私にはただの日常の続き。
 幸せを祈る天使の輪が金色に輝いていた。



 ***



 急な残業を頼まれて、私は彼にメールで知らせていた時間にバーに行くことができなかった。当日の急な予定変更に、今夜会うのはキャンセルされるかもしれないと思っていたのに、彼は私の仕事が終わるまで待っていてくれた。

 駅で待ち合わせた私たちは、そのままいつものホテルに向かう。
 冬の空気で冷えた体を互いの体温で暖めあう。どのマフラーも首に巻けない私は、冷えた首筋を彼の唇で暖めてもらう。
 棚には小さなクリスマスツリーが飾られ、壁にもクリスマスリースがあった。ホテルの部屋の中にまで浸透しているクリスマスの波。それらをうざったく思う自分が卑屈に思えて、彼にしがみついた。

 マフラーは箱に戻し、一緒にガラスの天使もしまいこんだ。指輪も元の場所に置いた。

 思い出したこともなかったものたちが鮮やかに脳裏に浮かんでくる。息苦しく感じるのは彼からのキスのせいじゃない。
 何かに追い立てられるように、私は彼を押し倒しその上に重なった。彼の顔の横に肘をついて自分の体を支える。私がキスをすると彼はすんなりと受け入れてくれる。舌をのばせば口の中にいれてくれ、からめようとすれば応えてくれる。

 彼がいつも私にしてくれるように、私は彼の首筋に唇を寄せた。痕をどうやってつけるかわからないけれど、こんなふうに無防備な場所をさらされると吸い付きたくなる気持ちがわかる。鎖骨の部分をぺろりと舐めて、ふくらみなどない胸を掌で覆った。固いのか柔らかいのかわからない曖昧な弾力。男性にしては滑らかな肌は心地よく、私の手に感触が伝わってくる。まだ眠ったままの胸の先を舌で嬲ると彼がわずかに私の肩を押した。

「嫌?」
「……嫌じゃないよ」

 許可を得られた気がして、私はいつもされるように彼にしてかえす。舌先で転がしては舐め、唾液をぬりつけては唇ではさむ。もう片方は指先で小さくこすりあげ、彼が眉をしかめるのを時折ながめた。

「くっ」

 彼の喘ぎ声に色気を感じる。舌で転がすうちに目覚めて固くなっていく感触を味わいながら、私は手を下半身に伸ばした。戸惑いながらも、固く熱い場所を掌でつつむと、それは生きているみたいにぴくりと震えた。滑らかなその感触にいつまでも触っていたい気がする。筋がはいったような裏側も、こころぼそげでやわらかな袋も、つるりとした先端も。彼の弱い部分を知りたくて私はゆっくりと指先をすべらせる。そのたびにぴくりと反応する彼がかわいい。

 私は腰を少しずらすと、左手でそれをつつみこみ、右手で袋をささえた。そうして触れながらちゅっと先端にキスをする。小さな唇のようにも見えるそこに舌をそっと這わせて左手をゆるやかに上下に動かした。

「……うっ」

 窘める声じゃない。だから私は口の中にそれを含んだ。瞬間さらに大きさを増すそれを歯をたてないように舐めまわす。口の中にためた唾液をぬりたくり、いやらしい音をわざと響かせて、ふくめない部分は指先で力をこめて小刻みに動かす。落ちてきた私の髪を、彼が手を伸ばして耳にかける。彼のモノを口にしてしごく私の顔を見たいのだと気づいた。

「いやらしいな……すごくいいよ」

 そうして私は、わざと私を見下ろす彼を見上げた。彼のモノを口に含んでおいしそうに舐めている私。いやらしく見えるように時折、舌をだしてなめまわす。決して彼から視線をそらすことも、目を閉じることもせずに。私の痴態を見て、彼がますます感じていることは大きくなってびくびく震えるそれも教えてくる。ああ、こうして互いの弱い部分を責め合うって、気持ちよさを教えあう行為でもあるのだと知った。
 過去あまりさせてもらえなかったこともあって私の動きは拙い。彼はなかなかイけなくて、単調な刺激が逆につらそうに見える。

「無理しなくていいから。きつかったらやめていいよ」

 私はいつも気持ちよくさせてもらっているのに、すまなく思ってしまって手放せない。ずっと舐め続けることならできるけれど、彼にはきっとつまらないだろう。

「ここでそういう、泣きそうにならなくていいから。口じゃなくてあなたの中でイかせて?」

 彼の言葉に、名残惜しげに口から離した。差し出された避妊具を受け取って教えられたとおりに彼につけていく。
 しっかりと芯の入ったそれを手で支えて、私は自ら宛がった。自分の中に触れた瞬間、濡れている感触が指をからめとり、彼のモノをスムーズにのみこんでいく。自分で入れていくせいか中に入っているというのがよくわかって、それだけできゅっと縮こまる。
 彼は私の仕草を見守って、最後まで入ってほっとした私と目を合わせるとやわらかく見返してくれた。そうして私が上で動くより早く下から腰を動かしてくる。

「やっ、待って」
「ごめんね、待てない。あなたの口も気持ちよかったけど、ここはもっと気持ちいい」

 お腹を内側から破りそうな勢いがありながらもスピードはゆっくりで、蠢いていくそれを強く感じてしまう。前かがみになってベッドの上に手をついていると彼の手は私の胸をつつみこんだ。彼が動くたびに胸も揺れて、掌にとがった部分をこすりつけてしまう。

「やっ、胸はいやっ」
「そう?ここを触ると中はきゅって喜ぶよ」

 だから嫌なのに。中も胸の先も気持ちよくて、快感が背筋を這い登っていく。彼の掌に気持ちのいい場所を押し付けて、敏感な芽があたるように腰を動かして、彼の動きと中のいい場所がかみ合うように探る。彼の体を道具のように扱っているような気がしながらも止められない。

「はっ……あっ……あんっ」
「手、後ろについてごらん」

 彼に言われてほんの少し後ろ側にずらした。その位置ではなかったらしく彼の手が胸から離れてもっと後ろ側に移動させる。腰と胸を前につきだす形になって、抉られる場所も変化する。指でこすられると感じる場所にちょうどあたって、そこからぴんと快感の糸がひっぱりあげられた。

「あっ、やだっ……はあっ、あんん……あんっ」

 声がますますあがって私は自ら腰をふりはじめた。彼は力をゆるめて時折強くつきだしてくる。
 気持ちよくてたまらない。場所も強さも自分でコントロールできて、下から見上げてくる彼の視線さえも私を高めてくる。
 胸が激しく上下に揺れる。いやらしい喘ぎ声をあげてよろこんで、彼のモノを飲み込んで浅ましく腰を振る様を見せつけている。

「ああ……ああっ……んんんっ、やだ見ないで」
「気持ちよさそうだね。そのままいってごらん。手伝ってあげるから」
「はあっ……あんっ、あんっあ、ああっ」

 下からつきあげてくる速度を速められて、私は快感の渦にまきこまれる。全身が敏感になって首筋に跳ねる髪さえも刺激になる。揺れる胸の先は赤くとがり、水音はますます卑猥な音をたてぬちゃぬちゃとあふれだす。
 彼が手を伸ばして膨張しつくしたそこを小刻みに指で揺らした。私はあられもない声をあげてぎゅうと中をしぼりとると、彼も同時に放出する。私の中からも蜜が溢れ出たのがわかった。



 ***



 部屋の中は一定の温度を保ち、汗ばんだ肌さえ不快さを感じない。セックスでしか感じることのできない倦怠感に支配されたまま、私はシーツをかぶる余裕もなくベッドに横たわった。避妊具を処理し終えた彼が戻ってきて私の隣にくると、そっと頬にかかった髪をはらってくれた。

「いい顔している……よかったみたいだね」

 どんな顔かは自分ではわからない。でも彼の言う通り満たされた実感がある。同時に羞恥心も舞い戻ってきて私は視線をふせた。腕をわずかに動かして胸を隠すようにして、足もそろえて曲げる。シーツで隠す余裕はなくても無防備に裸をさらすのも憚られた。
 それに気が付いたのか彼がかわりにシーツを上にひきあげてそっと抱き寄せてくれる。この瞬間が好きだと思う。行為が終わってすぐにシャワーを浴びるのではなく、余韻をまとったまま戯れる時間。いまだ熱をこもらせた肌を身近にして、重なり合う部分がしっとりと触れ合う。

「僕も気持ちよかった」

 耳元で低くささやいて唇が耳たぶをはさむ。たったそれだけでぴくりと震えて、落ち着いた熱情はあっけなく戻されそうだった。
 彼の腕にひきよせられるまま密着する。この腕の中が一番安全で私を守ろうとするものだと思えるような強さ。私も甘えるように彼に身を委ねた。
 部屋の隅から射すライトの明かりが私たちの影を仲良くうつしてくれるといい。

「……クリスマスイブ、なにか予定がある?」

 絡んだ髪をほぐしながら彼が突然切り出した。私は瞬きをくりかえして彼を見上げる。目が合っても意図は見抜けない。クリスマスムード溢れた日常に感じていた苛立ちを思い出して、唇を噛んだ。
「クリスマスイブ」をただの平日にするのも特別にするのも自分の心次第だとあの人と別れてから思い知った。あの人との思い出がいくつもあるがゆえに、私にとってクリスマスイブは24時間が淡々と過ぎればいいと思うだけのものでしかない。
 過去をいまだに捨てられな事実を思い知らされた今はなおさら。

「平日だし、とくには何も……」
「だったら僕と一緒に過ごしてもらえないかな?」

 私はびっくりして大きく目を開いた。バーに行くときだけ連絡する、それだけを交わして私たちは逢瀬を重ねているにすぎない関係。まさか特別感のある日に誘われるとは思わなくてどう返答していいか迷う。
 恋人同士でもない私たちが、そんな日に会うことの意味。
 あの人以外との思い出のないその日に……彼に会う?

「僕はクリスマスイブに特別な思い出が特にはないんだ。たいして思い入れもなかったけど、今年はせっかくならあなたと一緒に過ごしてみたい。クリスマスイブの特別感みたいなものを僕に体験させてもらえないかな?」

 彼は両手を頭の後ろにまわして、無邪気に遊びの計画をたてる子どものように希望をならべる。待ち合わせをして、レストランで一緒に食事をして、ホテルに泊まる。そんなベタなクリスマスイブの過ごし方。

「クリスマスイブを楽しみにしている女の子が、すごく喜ぶようにしてみたい。思いっきりその日だけは甘やかしてあげたい。そういう僕の希望、叶えてもらえないかな?」
「甘やかす?」
「そうべたべたに甘やかしたい」

 メガネもなく前髪も無造作にちらばる彼は幼さを滲ませる。年上の男性をそんなふうに感じたことが不思議で、かわいいなと思った。母性ってこういう感覚なのだろうか。いい返事を待つ素振りを隠さず私を見る目は甘い。
 だから内心の動揺は押し隠した。

「私で……いいんですか?」
「あなたを思いっきり甘やかしたい」

 私はきっと十分に甘やかされている。あの人と一緒にいたときだってそうだったし、彼と出会ってからはずっと。私は別れていた一人きりだった時間でそのことを深く認識していた。どれだけ甘やかされてきたか、守られてきたか、慈しんでこられたか。
 だから拒否の言葉は告げられなかった。彼に会いたい気持ちはあるのに「会えない」と思ってしまう感情自体が……受け入れ難くて。私の戸惑いなど彼の気持ちの前では大したものではない。たぶん。

「……私でよければ」
「ありがとう」

 にっこり笑う眉根にはいつものしわはない。彼は顔を寄せて私の唇をついばむ。上唇と下唇を交互にかさねあわせて、ちゅっちゅっと小さなキスを繰り返す。

「約束していた下着、プレゼントするからつけてくれる?」
「…………」
「準備しておくから」

 私の返事など構わずに彼は決めた。下着の話を出されて自分で身に着けたあの夜を思い出す。思い出してしまうためにあれらは、あの夜から引き出しの奥に眠ったままだ。

「いっそ服とか靴とかも準備しようか?僕のために着飾ってくれる?」
「そこまでは結構です。そんなふうにされるなら……お会いできません」
「やっぱりだめか……でも下着は約束だからプレゼントさせて。それから、レストランもホテルも僕が選ぶし、僕がお願いしたことだから支払いも僕がする」
「それは!でも……」
「だめだよ。それも僕の希望なんだから。言っただろう?甘やかしたいんだって。ドロドロに僕に甘えてほしい……クリスマスイブは。洋服をプレゼントさせてもらえないかわりに着飾ってくれると嬉しい。いつもかわいいとは思っているけどその日はもっと。それでおあいこにしよう?」

 イブを過ごす前から甘いものがはじまっている気がして言葉が出てこない。きっと何を言っても彼は聞き入れはしないのだろう。だから思いっきりおしゃれすることで彼が喜んでくれるなら、頑張って着飾ろう。
 私が頷くと彼は「楽しみだな、これで仕事頑張れるよ」と続けた。

 クリスマスイブを一緒に過ごしてくれる相手がいる。ただのイベントだとわかっていてもほっと肩の力が抜けるのは、惨めな思いで過去を振り返らずにすむかもしれないという期待があるせいだろうか。
 幸せだった夜を思い出して泣くなんてそんな時間を過ごさずに済むのなら。

 彼とクリスマスイブを過ごすことで……私は変わる何かに縋りたかった。
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