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プロローグ1

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空気が乾燥している。
空気中の魔素もほとんどが消費され、還元はその圧倒的な需要のスピードに完全に追いついていない。
消費魔素は空に向かい、焼けた魔物と人間の肉から発生する黒煙に交じり、頭上にこれでもかと広がる黒々とした厚い雲に姿を変える。
辺りは焼け野原、地面もその表面もいたるところに火がついている。
炎系の魔法によって生み出された火はそれ以外の方法によって発生させられた火よりも幾分か消えにくく今も辺りを照らし続けている。
そんな空間が発する圧迫感は何とも言えず、気持ちの悪いものだ。

「やっかいだな。今日残った炎の始末もまた俺らに回されるんだろうな。」

横を歩く男は手を組み後ろに持っていきながらそう言ってため息をつく。
そんな男の愚痴を聞くのもこれで何度目かと思いながら辺りを見渡す。
周囲の木々からは完全に生気が抜けて、もぬけの殻とはこのような状態なのだと改めて言葉の意味を現実的に受け止める。
触ればもう少し詳しく含有魔素量、栄養量などの生体に関する情報がわかるものなのだが今はそんな気分じゃない。
その黒々とした木々を見ていると気持ちがさらに暗くなる。

「処理の問題は仕方ない。やつら魔法師の意見もごもっともだ。」

「何がごもっともだよ。」

「ごもっともだろう。刻印師の戦闘面での影響なんてほとんどない。あっても戦況を動かさないように拮抗させることぐらいだ。それでも相当上出来だ。しかもこっちの陣営近くに火をつけてるのは魔物どもだ。味方の魔法師じゃない。」

「優しいこって。お前はいつの間にそんな丸くなっちまたんだ。最強が聞いて呆れるぜ。」

言って男はこっちを向いて、組んでいた手を開き、両掌を上に向け「なんなんだ」と言いたげに体を動かし、その輪郭を大きく変える。
その身振りの大きさはあたりの空気にも影響を与えて、こっちの皮膚にも感覚が伝わる。
そのためにこちらも体の上半身を90度とまではいかないが45度ほど彼に向きを切り替え、視線を向けて会話を返す。

「最強と言ってるのはお前だけだ。別に最強なんかじゃない。」

「謙遜すんなよ。こっちが悲しくなるだろう。お前ほどの人間で強くないんだったら昔からバカやってきた俺はもう何も残らなくなるぜ。」

はぁーとため息をつく彼を体を前に向きなおしてから横目で見る。
確かにこいつは昔からバカばっかやっていた、この話はこいつがよくする昔語りの一つだ。その話は一つ一つを詳しく話すときりがないほどの密度の武勇伝で構成されており、全部聞くとなると長くなって仕方ない。
それでも彼の話のうまさと相まってそれは調理され、訓練時代から今までしのぎを削りあった大量の戦友たちも彼の話を聞くためだけに部屋を訪れたりするほどで同じ時間をそれなりに共有しあっている俺はいやでも聞かされまくった。

「ところで相棒、この戦いから帰れたらどうするか。何か将来の展望でも持ってるか?」

「いや、特にはない。」

「大丈夫か?この戦いもいつ終わるか分かんねぇ。俺らも結婚適齢期はもう過ぎてるんだ、ゆっくり生きてると気づいたら爺になってんぞ。老後に一人なんて悲しくないか?」

「なんだ、黙って聞いてりゃ言ってくれるじゃないか。だったらお前には結婚の考えがあるってのか?」

「ない。」

「はっ?」

今の切り返しは許せない。会話の流れを無視しすぎだ。
そのおかげで答えがひねりもなく恥ずかしい単調な返し言葉になってしまった。というか音が出てしまった。それを見かねて彼は雄弁に語り始める。

「なぜなら今は甥っ子が本当に可愛くてな。」

彼には一人の姉がいる。
年齢差は3歳ほどで、彼女はこの出来の悪い弟とは違ってきれいな立ち振る舞いが出来る人だった。彼女は嫁に行くために数年前にこの国から嫁いで、今は遠くの国に移住している。
きれいな海とカラフルな街並みが見事に合ったその国を以前に魔物の襲撃時に傭兵として出向いたときに顔を合わせた。
魔物襲撃は小さなものだったし、その国には中継地としての用事しかなかったからものの数時間しか実際にはいなかった。
その時間の間で彼は自分の甥っ子を見たのだそうだ。
可愛いかったなどの詳しい話をするのは初めてだ。
彼の話に耳を傾ける。

「1年くらい前だったか、甥っ子は四歳くらいで。あれを見たときは俺は子供は持てないと思ったんだ。」

質問が噛み合ってるようで噛み合ってない気がする。
答える彼にさらに質問を投げかける。

「可愛いと思ったのにか?」

「可愛いと思ったからだよ。俺には荷が重い。女も子供もな。」

急に入れられた女という言葉に「お前は元々女にはモテないだろう。」とツッコミを入れてやろうと思ったが、甥っ子の話をする彼の本当にうれしそうな眼の輝きにやる気をそがれる。

「それじゃあなんだ?この質問をしたってことは別に展望が何かあるんだろう、話してみろよ。」

このような突飛な話し方をするときはこいつは自分の話をしたいという気持ちの表れからだと知っている。促し、会話を持っていきやすいようにアシストする。

「俺はな、この戦い生きて帰れたら地元に店を構えるつもりなんだ。ちっさな酒場、もう内装だって想像がついてる。大量の種類の酒を並べてそろえて、どこの国、地域の酒でも飲めるような場所を作るんだ。」

「それなら尚更守りきらないとだな。」

「あぁ」
少し上を向いて彼は小さく返した。

今、戦禍を被っている国。
新興国 ロンドキニア
創生後、神の力によって生まれたいくつかの国。
その多くは高い城壁に包まれており侵入者を拒むように設計され作られている。
ロンドキニアはそれを完全に刻印師の力だけで模倣し作った初めての国だ。
そんな経歴を持つためかそれは神に作られた国々から初めはあまりいい待遇を受けていなかった。
しかしそれが最近、解消し始めた。
ロンドキニア王は相手が何を求めるかを判断できる才を持っていた。
その才によって交易を有利に動かし、町には刻印師の職人を増やすことによって質の良い武器を揃えることに力を入れたり、衣服、装飾品などをいろいろな国に売り込むことで相乗的に利益を上げていた。また傭兵業も優秀で戦い方を知る刻印師を派遣することでも国に回るお金を増やすことに成功している。それに伴い観光客、定住者も増えていき戦闘のプロである魔法師の流入も増えて大国家の仲間入り寸前というところまで来ていた。
安寧という言葉が似あう国になりかけていた。

…そんな時だった安寧は一晩で見事に覆された。

始まりは数か月前
魔物の進行は少なからずあった。
国の建設の事情も含めて、他の近隣諸国よりも攻めやすくそして資源もある。
ロンドキニアは魔物にとって格好の獲物だったのは間違いはなかった。
人間側ももちろんそれには十分に理解してたし、対応もしていた。
刻印師傭兵を他の国に派遣できるこの国はもちろん自国に対する魔物の進行を抑えるときに自国の傭兵団も派遣される。何か機微を感じたのかそれでもロンドキニア国王は安心することはなく魔法師も十分に備えもした。戦闘力は万全をきっしていた。
それが数か月前の夜。
周辺に存在する村の一つ。
ロンドキニアの領内であったためにその村には魔法師も刻印師も配備されていた。
そんな備えを完璧にした村で火の手は上がった。
国王もそれに気づくのは早く軍をそろえるのも無駄なく準備はもののひと時ほどだった。
行軍の早さも精鋭をそろえて戦闘力と準備時間の二つの曲線の一番いい点を取っていた。
早馬に乗って目的地へ…
しかし、その精鋭の軍隊長の魔法使いがその地で見たものはあまりにも悲惨なものだった。
完全に火が回りきった村の家々…
その内側を堂々と歩く魔物の集団を…
手にはもともとは魔法使いの物だったと思われる肉塊を突き刺した旗のような何かを誇らしげに高々と掲げ、勝利を謳っている。暗い空に向かって笛をかき鳴らし、鈍重な声をこれでもかと上へ上へと解き放つ。
ゴブリン、オーク数種類の魔物が軍を組んでいる。
そのほとんどが魔獣をそばに従えて油断さえない。
これも珍しい光景だった。
亜人種が戦闘用の魔獣を飼いならすことはよくある話で、逆にそれをしない亜人種はオーガなどの巨躯を持った魔物くらいのものでそこではなかった。珍しさは別種族で手を組むことだ。そんなことはあり得ない、それは創世からいままでの歴史の中で常識の話のはずだった。
実際、いままで何度も別種間の魔物の抗争も絶え間なくいろいろな地方で行われていた。
魔物に仲という言葉を使うのは不自然かもしれないが彼らの間に悪い仲は感じられない。わだかまりなど一切ない、信用に値する者に対したような距離感。
低く、言葉にもならないそれが出す不協和音、敵軍隊の持つ圧倒的な違和感が恐怖心をさらに煽り立てて味方軍勢に心にない硬直をもたらす。
それでも精鋭の集団だった。
隊長は皆の意見を手早く集め、相談した完璧に近い答えを導き出し、今できる最善の攻め方で行軍を再開しようとした。
武器を持つ手を強く握りしめる。
じんわりと滲む汗がその緊張を忘れさせまいと体が反応を起こす。

しかしそんな必死に掻き立てた自信と強い意志によってなりたったような軍隊の心がおられるのはものの数秒だった。
村の奥から現れたのは二匹のゴブリンだった。
全体数、目視できる数で50程度と比べるとその2という数は問題ではなかった。
その軍隊をひるませたものはそれらが纏うものだった。

〈魔法障壁〉魔素を一枚の壁にして包むことでその術者を守るもののことだ。
魔法を使うことが出来る魔物自体は少なくはない。しかし〈魔法障壁〉は話が違う、使うことのできる人間の魔法使いは全体の半数もいない。
それを扱うために必要な知識量、経験、才能。それらすべてを兼ね備えた魔法師が使えるような強力な魔素操作の一つだ。
それが魔物に扱われている。
その光景は魔法師として長い間研鑽を積んだ人間の集合である彼らだからこそ信じがたい光景だった。
今まで幾度となく自分たちの目の前に現れ、焼けつくし、氷結し、切り刻み、その命を弄ぶことができるほどの大きな力の差があった小さな存在のはずだ。そのような少しの力だけを持った害虫に例えられる弱い存在は今、彼らの目に強大な敵として再認識されていく。
彼らはそれを確認した時、足を反対方向に向けた。
ゆっくりではない。
速く、速く、今は命をなげうつ時ではない。
報告が先だ。
軍隊長の意志は後方に続く魔法師にも伝わり、旗を翻す。
彼の取った行動は一つの側面から見れば英断だったが、結果的に言えば愚行だった。
彼らの発展は魔素の操作技術だけではなかった。
次の日の朝
伝令が確認した村の光景は思いもよらぬものだった。
巨木がどこからか運ばれ、それはその村の柵として再利用されている。
焼け残った家も簡単に修理されその村は完全に魔物の拠点と化していた。
その日からというものそこに住み着き、繁殖し、拠点を徐々に大きく広げていく魔物たちの軍勢はその勢力を着実に伸ばしていった。
王は一日目から行軍を促し、軍の指揮を挙げるために王みずから先頭に立ち攻撃を続けている。
ロンドキニアの戦力も惜しむことなく使った。
その拠点が出来る限り大きくなる前に魔物を全滅させたかった。
もちろんこの国の戦闘力の中心である刻印師も総動員されこの国に生まれ育ち刻印師の傭兵として仕事している隣の男とこの国に傭兵として仕事しに来ている俺もはぐれることはなく、今日この日まで魔法師と一日交替で戦闘を行っている。
今日は魔法師の日だった。
国と魔物の拠点の間に作られた簡素な刻印師用のベースキャンプに向かって俺とこの喧嘩バカは戦場から歩いている。
今日は魔法師の日だというのにだ。
横にいるこいつは本当に馬鹿なのだ。
彼が持つ刻印は戦闘向きなものは少なく、生産を主とする者の刻印ばかりだ。
二つの事柄が意味するところ、その馬鹿に隠れた心境を理解できないほど俺は薄情者じゃないつもりだ。
だからこそ今日も俺はこいつについてきて戦場に赴いて戦う。
そしてともに帰路についているわけだが。

「ケガはないか?」

「もちろんだ。」

「本当にお前は恐ろしいやつだな。お前がケガするところなんて一番付き合いの長い俺でも見たことないぞ。」

「たまたまだ。それにお前だってケガなんてしてないだろう。」

彼の体を見ないで、そう決めつけて言った。
彼は俺に関してのうのうと述べ垂れているが、それを言ったら俺だってそうだ。こいつが大きなケガを負うところなんて見たことはない。

「かすり傷がいっぱいあるだろ。ほら。よく見ろ。」

そう言って彼は新しい浅い切り傷がついた左腕を目の前の視界に堂々と見せてきた。
しかし視線はその周りから体の方にかけておびただしく存在する切り傷の跡の方に移る。
切り傷の数は多くの戦場に赴いた証だ。その体に命が宿っていればそれは強さの証だ。
彼の強さは賞賛に値する。

「分かった、分かった。すまない。俺の方がおかしいみたいだ。」

そう言って目の前の堂々たるそれを右手で押すようにしてゆっくり下ろす。

「理解してくれて助かるよ、最強さん。」

誇らしげに彼は言い放った。



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