最果ての地を知る人よ

空見 大

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一章:1000年後の世界

封印される勇者

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 世界の果ての果て。
 極寒と極暑が交互に訪れ重力すら不安定で大気中に存在する空気の成分すらも安定していない。
 人類では到底生存すらままならないようなそんな極限の環境下で、二人の戦士が見合っていた。
 片方は白い鎧に全身を包んだ勇者、そのまなざしは冷たいものであり、ただ任された仕事をこなすためだけに彼の視線は目の前の敵にそそがれている。
 敵の名は魔王、白銀の長髪と赤い瞳に男を惑わす魔性の美貌を持ち合わせた魔王は、己へと向かって武器を向ける勇者にまるで旧友のようにして言葉を投げかけた。

「勇者よ、なぜ人のために生きる? 自分のために生きれば貴様ほどの力があればこの世を楽しく暮らせるだろう?」

 この場に居る二人はとびぬけた強者であり、実際自分を止めることができる人物がいるとすれば目の前の相手だけだと両者共に理解していた。
 究極的な自由を手に入れることを世界によって許されているのだから、その自由を行使しない理由などどこにもありはしないだろう。
 世界中の誰もが望み、それでも手に入れることのできない力を持つ勇者はそんな魔王の問いかけに対して表情を少しも変えることなく言葉を返す。

「……無理なんだ、俺は自分の為じゃなくて他人のためにしか戦えない」
「そうか残念だよ、お前ほどの力を持っていながら縛られてしまうなど」

 誰かに望まれて戦う事こそが勇者にとって己を己たら占める要素であり、所詮どうやったところで自分たちは相いれない存在なのだという事を痛感させられる。
 たとえ魔王と勇者というレッテルを張られていなくても、きっと目の前に立つ勇者は同じようにして自分の前に立つのだろうと頭で理解した魔王はゆっくりと手を前に出す。

 交渉が決裂した以上は彼女に残された交渉の方法はただ一つしかない。
 この世界において絶対にして最終の交渉方法。
 それは武力である。

「さあ勇者よ、せめてもの慈悲に我が腕の中でゆっくりと眠りにつくがいい」

 ゆっくりと諭すような声音でそう口にした魔王の手の中に漆黒の力が徐々に蓄積されていく。
 そうして放たれる魔法よりもほんの一瞬駆け出した勇者は、その手に握りしめられた剣を振りかぶるのだった――

 それが伝説に語られる勇者と呼ばれる男の話、結局魔王が倒されたのどうかすら、この世界の誰も既に興味すら失ってしまっている。
 だだ確かにこの英雄伝説は実在した話であり、この物語はいまだ終わることのない物語なのだ。

 ・

 時間は変わっていつかのどこか。
 眠っていた男が目を覚ますと、その視界には青空が広がっていた。
 視界を少し下におろしてみればそこにあるのは草原であり、魔王の城というのはどこにもない。
 男は自分が横になっていることに気が付くと四肢にゆっくりと力を入れていき、問題なく感覚が返ってきたことを確認するとゆっくりと上体を起こした。

「ここは……」

 黒い髪に黒い目、顔立ちは優しさを感じさせる。
 しなやかに鍛えられた体は頼りになると感じさせるには十分だ。
 背の丈は170後半といったところだろう。
 何処にでもいる青年と断じてしまえばそれまでの存在だが、彼にはそれだけで済ませないだけの付加価値が存在している。
 何を隠そう己の手を握りしめその感覚を味わっている青年こそ勇者と呼ばれる男である。

「俺は魔王と最後の戦闘をしていて……それで」

 勇者の頭の中にあるのは自分が魔王へと向かって剣を向けたところまで。
 そこからの戦闘は何一つ頭の中に浮かんでくることがなく、思い出そうとすると頭の中を鈍い痛みが駆け巡る。

「頭が痛いっ。何も思い出せない」

 自分が誰であるか、何をするべき人間なのかは覚えているが、どうして自分が草原に居るのか見当もつかない勇者はこの場にいることが最も危険であるという判断を下す。
 ここがどこにしろ、周りからよく見える場所でのんきに横になる程勇者の旅というのは楽なものではなかったのだ。

「とりあえず街道に出よう、そこまでいけば人がいるはずだ」

 だからこそ勇者は鉛のように重たい体を無理やりに動かす。
 体はまるで生まれてから一度も動かしたことがなかったかのように重たく、吸い込んでも全く息が入ってきているようには感じられないが、それでも死ぬよりはましだと自分に言い聞かせながら勇者はゆっくりと一歩ずつ足を進めるのだ。

「食料は……生きて帰ってこれると思ってなかったからもってきてなかったか」

 腰に括りつけられた袋の中身を見てみれば、いくつか戦闘に使える道具は残っているが食べ物どころか水すらも満足にない状態である。
 腰の袋を確認してから反射的に他の道具がどうかと目を移してみれば剣は変わらず腰に括りつけられたままであり、どうやら盗賊などには出会って居なさそうだと安堵した。
 次に勇者が腕を前に突き出して何か小さく言葉を口にすると小さな光が手のひらの中で輝き始めるが、その効果が世界に現れるよりも早く勇者はそれを握りつぶして発動を強制的に停止させる。

「武器はある。魔法も使える、精霊は……なんだか変だけど答えてくれるし戦っても大丈夫そうかな」

 戦闘能力には問題ない。
 体こそ重たいがこういった状況に陥った回数も一度や二度の事でなく、状況さえ理解できてしまえば全開時の8割程度の力なら出すことができるだろう。

「よし、頑張って歩くか」

 そうして勇者は付近の状況を確認するために街道を歩き始める。
 本来ならば自分がどこにいるかも分からない状況ではあまり動くべきではないのだが、勇者には近隣の町の位置がわかるという特殊能力が存在しており、その方向に向かって歩くだけなのでなんら問題はない。

「人の国まで大体三日か。ちょっと時間はかかるけど歩けば何とか……」
「君……勇者かい?」

 ふと自分の耳に聞きなれない声の言葉が聞こえて、勇者は咄嗟に武器を抜き取る。
 周りは草原だ、隠れるような場所というのはどこにもないはず。
 だというのに声の主がどこに居るのかも見当が付かず、勇者は一層警戒心を強くする。

「誰だ!」

 一人で魔王城までたどり着いた勇者の索敵能力は常人のそれをはるかに凌駕している。
 そんな感知能力をもってしても居場所のわからない声の主に少しでも情報を出させるために問いかけた勇者だったが、そんな勇者の目の前に一人の少女が現れた。
 透き通るような白い肌に艶やかで綺麗な黒い髪を持ち、どこかで見た赤いその眼に吸い込まれるような感覚を覚えていると、少女はゆっくりと言葉発した。

「私は……エスペルという」

 少女のソレにしては少し低い声で、その姿を見ていなければ少年かもしれないと思っていただろう。
 今自分がどこにいるのか定かではないが、目の前の少女の年齢から考えておおよそ戦闘能力というものを期待するのは無理難題というものだ。
 ここがもし魔物やひいては魔王軍の統治領域であるならば、この小さな子供を置いてこの場所においてお行くわけにはいかない。

「こんなところでいったい何を――いや、細かいことはいい。まずここから離れるけど、ついてこれる?」

 ちらりと視線を向けた勇者だったが、エスペルはそんな勇者に対してこくりと頷くと勇者に抱きかかえられる。
 子供に自分と同じ移動速度を期待できなかったために合理的な考えからまるで米俵のようにしてエスペルを抱えた勇者がその足に力を籠めると、鈍い音とともに勇者の体は人の限界を超えた速度で加速し始めた。
 弱い生物などであればその速度に追いつくどころか通ったことすら気が付かないだろう。
 安全な場所を探すために走り回る勇者は、ある程度元居た場所から距離をとって見晴らしのいい丘の上に立つと背負っていた少女を下す。

「さすが勇者」
「お褒めの言葉ありがとう。君はなんであんなところに居たの?」
「私の家はあそこ」

 少女が指さしたのははるか彼方に見える瓦礫の山。
 もしそれが勇者の知るものであるならば、それはもともと魔王城と呼ばれていたものでる。

「魔族の貴族階級の子供だったのかな」

 勇者が魔王城に攻め込んだ際はまだしっかりと城としての体裁を保っていたので、自分と魔王の戦闘によって破損してしまったのだろうという予測を立てる勇者だったが、そんな勇者の袖をつかみエスペルは不安そうに言葉を漏らした。

「勇者、私を殺す?」
「殺さないよ! 僕はもう殺さない、仕事はもうやったんだ。このまま家に帰って母さんと父さんから褒めてもらって、また畑でも耕すんだよ。だから僕はもう君たちに手は出さない」

 魔王が世界を混沌の底に陥れる怪物であると世界に認識されているように、勇者もまた魔族からすれば自分たちを殺そうとしてくる生物に他ならない。
 魔王が倒されたことを知っているかどうかは別として、自分の住んでいた城を破壊し、魔物や魔族の天敵であるといえる勇者を前にして殺されるという選択肢が出るのは当然ともいえる。

 だが勇者は手を大きく振るいながら、自分が安全な存在であることをアピールした。
 勇者が覚えている限りであってもその手にかけた魔族の数は軽く三桁を超えており、いまさら常識人の顔をしたところでどうにもならないということは勇者自身もわかっている。
 だがそれでも勇者は自分の身勝手であると理解しながら今まで必要だからと殺してきた生き物との友好手段を模索していた。

 同族を殺したことに対して怒りを見せてくるだろうか、だとすれば自分はどうするべきだろうかと考えていた勇者の耳に現実かどうかも疑ってしまうような言葉が飛び込んでくる。

「なら、私もつれていって?」
「君を!? でもそれは……」

 勇者は改めて少女をしたから上まで見つめなおす。
 どう見たって人間の少女と変わらない姿であり、確かに魔族の子供であることを知らなければ勇者も彼女を連れて帰っただろう。
 だがいま目の前にいる少女は魔族であり、それも相当上位の存在だろうということまでわかっている。

 勇者はいままでの人生でまるで赤子のような魔族が大の大人をおもちゃのようにして投げ飛ばしながら街一つという信じられない単位の犠牲を生み出してきたところを見てきているのだ。
 目の前の少女からは戦闘能力というものを感じられないが、もしこれが大きくなったらと考えると末恐ろしさもある。

「私一人じゃ生きられないんだ。狩の仕方も分からないからね」

 ただそうはいっても目の前に居るのは力を持たず、自分の種族を根絶やしにしようとした者に対して生きるために懇願しなければいけない可哀想な少女である。
 だがその恐怖心が無用な戦争を生み出し、それを終わらせるために自分は、魔王を手にかけたことを思い返した勇者は自分を許すためにも目の前の少女を救うべきであると考える。

「そういうことならまあ……いいよ。たまには人助けもしないといけないだろうしね」
「助かる」
「……思ったんだけどさ、僕についてくるより魔族を誰か見つけてその人の元に行った方がいいんじゃない?」
「魔族は強い者の話を聞く。勇者はどんな魔族よりも強いから、酷い魔族と会っても大丈夫」
「納得できるようなできないような。思えば魔族について何も知らないまま育ったな俺」

 戦うための情報として性質や何を食べるか、どのようなものを大切だと考えるかなどは知っているが、文化形態から始まりその他さまざまなものを勇者はあえて知ろうとしなかった。

 これは相手に情をかけないために教え込まれた事であり、今までそれにのっとって生きてきた勇者だったが、これからエスペルと生活を共にするのであれば知っておいた方がいいことも多くあるだろう。
 勇者から出た問いに対して可愛らしく首を横に倒して少女は勇者に対して言葉をかけた。

「知りたい?」
「興味はあるけど知りたいかって言われると悩むかな。今まで殺してきた相手だし」
「そう。また知りたくなったら言って」

 聞けば教えてくれるのだろうが、プライバシー的な問題からどこまで踏み込んで話していいのかも分からず勇者は一旦会話を止めてしまった。
 そうして話さないままにどれくらいの時間が経ったろうか、小さな丘を二つほど超えて三つ目の丘を登り切らんとする手前で勇者は勇気を出して魔族について聞こうと決断する。

「あのさ。やっぱり――」

 そこまで口に出した勇者が目の前の光景に息をの飲む。
 彼の視界に映っていたのは彼がいままで見たどの国の首都よりも大きい街だ。
 様々な文化が入り乱れている結果なのか街並みからは統一感というものは感じられないが、勇者の超人的な視力はそこに住んでいる人間たちの顔すらも捉えている。

 ここはまだ魔族たちの領域のはず、勇者が知らないだけでこんなにも大きな都市を魔族たちは作り上げていたのかとも考えたが、街の中を歩いているのは人間から始まり勇者が守るべきものとして教えられてきた存在達だ。
 いくら魔王城から全力で逃げ、そこから大きな丘を三つ超えた先にあるとはいえそれでも人がこれほどの街を作れるような場所ではない。
 しかもこの街、外壁の損傷具合や付近の地形とのなじみ方から見ても、最近建てられたばかりの街という風にはどうにも思えなかった。

 まるで数百年単位の歴史がある様な街を前にして、勇者の頭の中は混乱で満たされている。

「な、なんだよこれ」
「これは人の街。かつて悪逆といわれた魔王の城を観察するために作られただけの、ただの人の街」
「人の街? こんなデカい街が? そんなの……ありえない」

 自分の知識にないものを前にして勇者の思考は止まってしまっていた。
 魔族から身を守りながらこれほど巨大な街を作り上げる? 無理だ、そんなことができる戦力があるのなら勇者などという存在はそもそも必要ないではないか。
 思考停止してしまった勇者が時々何かをつぶやくものの答えなど見つかるはずもなく、そんな勇者に対してエスペルは自分の知りえる事実だけを淡々と口にする。

「あり得る。ここは貴方が生きていた世界から千年後の世界なのだから」

 視界はもはや映像を脳に届けることもなく、勇者は頭を抱えこむ。
 先程まで止まってしまっていた頭の中に、考えたくないとごみのように投げ捨てた可能性が事実としてのしかかってきたのである。
 確かに魔王は倒されたのだろう、確かに魔族はいなくなったのだろう。

 人々が望んだ平和な世界というのは魔族の犠牲によって成り立ち、そうして人の世界が発展していくのを勇者も心のどこかで望んでいた。
 だがその結果、勇者は自分の戦う理由として心の底に持ち続けていた家族を、友を、そして今まで生きてきた思い出を失ってしまったのだ。
 記憶がなければどれほどよかっただろうか、だが魔王戦の記憶こそおぼろげながら旅の中で何度も思い返してきた自分を見送る両親の言葉は頭の中をこびりついて離れない。

 どうか、どうか無事に帰ってきてほしいと願ってくれたあの両親は、もはやこの世界には存在しないのだ。
 心の支えにしていた家族たちの姿が時間のかなたに消えていくのを感じながら、勇者は千年の重みをその両肩に味わうのだった。
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