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一章:1000年後の世界
千年の時を経て
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「千年!? そんな──嘘だろ?」
一口に千年という事は簡単だが、勇者が今まで生きてきた人生が20年にも達していないことを考えれば途方もない程の年月が経過している。
実感すらわかない年月というのが逆に勇者に恐ろしいという感情を抱かせていた。
千年もの間自分がどうなっていたのかすら定かではないが、どうしたって人間の体が千年もの年月に耐えられるはずがない。
「いいや、紛れもない事実さ。君は自爆魔法を使った代償で死にかけ、母様は私をお腹に宿したまま貴方に瀕死の重傷を負わされた。
自分の死を悟ったお母様は千年後に人類が少しは賢くなっている事を信じて貴方に私を託した」
「じゃあ君は魔王の娘ってことか? そんな魔王が俺に君を? なんの冗談だよ」
不意に零れ落ちた勇者の言葉に反応して、小さな涙の雫が頬を伝って勇者の顔を落ちていく。
もし本当に魔王が自分の子供とその敵である勇者を1000年後に人類の可能性に頼って転移させたのであれば、魔王は死ぬその時に自分の事を殺しに来た勇者を信頼していたという事である。
ただ自分が家族と共に居たいからという理由だけで魔族を滅ぼさんとしていた勇者からしてみればその期待はあまりにも重く、勇者は強く地面に拳を叩きつけた。
「ふざけんなよ……ふざけんなよっ!!」
怒りの感情をぶつける先などどこにもなく、それと同時に絶望感が勇者の心の中を支配していく。
ここが本当に1000年後の世界なのであれば、勇者が知る人間は誰一人として生きていないだろう。
文化や生活形態というのももちろん変化しているだろうし、言葉だって通じるかどうか怪しいもである。
まさにいまの勇者からしてみればこの世界は異世界のような物、自分が知っている世界とよく似てはいるが似ているだけで本質は全く異なっている世界がここだ。
「俺が何のためにあれだけの魔族達を手にかけたと──泣き叫ぶ子供もそれを庇う母親すら全て使命のもとに切り捨て、その結果得たものが──」
記憶が頭の中を流れていく。
泣き叫ぶ子供、殺さないでと子供を庇おうとする両親だろう魔族、それらに対して勇者は何の良心の呵責もなく切り捨てる。
これもすべては人類の、ひいては家族が無事に過ごすためだと言い聞かせ続けていたのに。
自分の役目をこなすためだけに勇者としての仕事をただ淡々となし続けていたあの日々が無駄になってしまった事を知った勇者の頭の中にあるのは自分一人では到底返すこともできない罪の意識だけ。
「誰も俺のことを知らない世界だけ?」
勇者の頭の中を絶望が支配していった。
それは黒く澱んだものではない、むしろ狂気を孕んだほどに真っ白な人にはどうにもならない絶望である。
「もう……いいか……」
気が付けばいつの間にか勇者は自分の腰から剣を引き抜いていた。
数多の魔族の血でその表面を錆びさせたその剣は、もはや物を切るのではなく叩きつぶすために使用していたものである。
そんなものを自分の首へと向ける勇者だったが、そんな勇者の手をなんとか止めようとする存在が居た。
それは母親と同じ赤い瞳を勇者の瞳へと向けると、まるで子供を叱咤するようにしてしかりつける。
「──ダメだっ!!」
「なんで止めるんだ? 俺は君の母親の敵だぞ」
「同時に僕の母親は貴方と両親の間を引き裂いた魔族。それに僕達魔族は強い人に従う、真っ向勝負で母に勝った貴方に僕は少したりとも憎悪の感情を抱いていないよ」
確かに魔族にはそんな文化があると勇者はどこかで聞いたことがあった気がする。
もはやそれがいつの事であったかも覚えてはいないが、自分の知っている知識といっていることが同じであれば確かに納得は出来るのかもしれない。
だがそれはおそらく貴族階級だけの事、少なくとも普通の暮らしを送っていた魔族が同じように考えていたとは到底思えない。
そうして無残にも殺されてしまった魔族たちは自分の事を恨んでいるだろうと勇者は考えていた。
だからこそ引き留めてくれた魔王の娘へ焦点の有っていない視線を向けると、ゆっくりと言葉を返す。
「そっか、ありがとう。でもダメなんだ、この世界がどうなってるか知らないけど、どうなっていたとしても俺はこの世界で生きていく気にはならない」
「なら勇者、私の為にお前は生きろ!」
――瞬間、勇者の瞳に微かではあるものの光が宿る。
ほんのわずかな光ではあるが、それは確かに勇者がこの世界で生きていく欲が表に出てきた証に他ならない。
襟首をつかみ、自分の方へと引き寄せながら娘は吠えるようにして勇者に問いかける。
「私は自慢じゃないが母の記憶を受け継いでいるだけで、食事の仕方も分からなければ物の飲み込み方すら分からない。魔法の使い方も分からなければ一人で生きていく方法もわからない。私が独り立ちできるまで助けてくれるんじゃなかったのか勇者!
もし魔族に今までやってきたことの罪の意識があるなら、勝手に死ぬな! 魔王の娘である私の命令だ、お前の命はいまこの時を持って私の為だけに使うんだ!! 分かったか!?」
どうなるかは正直言って賭けである。
ここまでして勇者に問いかけても彼が正常な状態に戻るかどうかは半々、いや正直戻ってこれない可能性の方が高いだろう。
だが魔王の娘は自分の親を殺した張本人に対して、自分の親を殺した罪まで死んで忘れようとした勇者に対してどこか自覚していないだけで思うところがあったのやもしれない。
どちらにせよ魔王の娘がそうして心の底から言葉を投げつけると、勇者は己のするべきことを少しずづではあるが認識したようである。
勇者はかすれた声で絞り出すようにして娘に問いかける。
「俺が……君のために?」
「そうだ勇者。お前は人に頼まれて母様を殺しに行くほどのお人好しだ、だから人生最後の叶える願いとして私の願いを叶えてくれ」
「分かった、いいよ。俺は君が死ぬまで君に尽くし続ける。それが俺の最後の仕事だ」
腰の剣に武器をしまい込んだ勇者を見てどうやら大丈夫そうであると認識した娘は、一旦胸をなでおろす。
(まさか勇者がここまでメンタルが弱いとは……いや、母様の記憶が正しければただの一人で数多ある魔界の警戒網を抜けて気が遠くなる距離を一人で移動したのだ、勇者のメンタルはとっくに壊れていたのだろう。
なんとか繋ぎ止める事は出来たが、もしあの事を知れば今度こそ確実に……なんとかしてそれまでに勇者に生きていたいと思わせねば)
いまとなっては遥か昔の事ではあるが、魔王が住んでいた領域から勇者が住んでいた国は世界地図で見ても反対の位置にあった。
そこで勇者としての命を受けた勇者は殆ど自殺といってもいい道中をなんとか一人で生き抜き、ありとあらゆる過酷な試練をたった一人で乗り越え続けて今に至るのだ。
24時間常に死が横にある生活を続けていれば、まともな人間であれば数日と持たずにその精神自体が崩壊してしまうだろう。
ただの一般人でしかなかった勇者がそんな過酷な環境に耐えられていたのは勇者という称号の重みを勇者自身が最も重たく感じていたことと、魔王を倒したらまた家族と幸せな生活が送れるという考えからだろう。
後者の家族はもはやこの世界に存在していないが、前者の勇者に対しての責任感であればいまでもまだ何とか生きているようだ。
「嬉しいよ。ありがとう勇者」
冷静に勇者の状況を理解しつつ、それでもエスペルは言葉を選びながら彼に愛して笑顔を向ける。
長い間一人で生きてきた勇者はおそらくエスペルの取り繕ったような笑みや言葉などいま作ったばかりのものだと気づかれているだろうが、それでも勇者からしてみればそんなエスペルの行動がなんとも言えないほどに嬉しいものであった。
そうして勇者がついてきてくれるのであれば、これからこの世界で生きて行くために何か生活の基盤を作るべきだろうと考えたエスペルが勇者へと提案する。
「出来れば街に向かいたいところなんだけれど、勇者はどう思う?」
「街はダメだ」
「理由を聞いてもいいかな?」
力強い勇者の否定の言葉に対して、エスペルは理由を問う。
もちろんエスペルもそのままの姿で行って許容されるとは思っていない。
赤い目といえば魔族の代名詞的なものであるし、それを抜きにしても人の多い場所に行けばエスペル達へと違和感を抱く人間も出てくるだろう。
だがそれでもエスペルが人の街を提案したのは、勇者がそちらの方が何かと楽だろうと考えたからだ。
だがそんな心配は避けない御世話であると言わんばかりに勇者はそれを拒否する。
そして指先を街の方へと向けながらその理由を話し始めた。
「ここから見える範囲で街の中に魔物が一匹もいない。それに街中にいくつか教会で使われていた魔法を感じる。俺はまだしも君が入るにはリスクが高い」
「こ、ここから見えるのか?」
町までの距離はキロ単位にして20キロほどだろうか。
街を街として認識するには少々遠い距離であり、この距離から街であると認識できている時点でスペルもそれなりに目は良いのだが数ある建物の中から教会とおぼしきものを見つけられるほど目はよくない。
もちろん人でない勇者は基本的な身体能力が大きくエスパルよりも低いはずなので、なんらかの魔法的な能力によって強化されているだろうとはいえそれでも脅威的な視力である。
「いろいろ方法はあるけど見えるよ。君のお母さんならこの距離くらいなら余裕で殺しにくるから本当はもっと遠くから観察するくらいだから」
「そうか……いや、そうだな」
規格外の戦闘について言葉を挟もうとするエスペルだったが、世界最強と呼ばれていた二者が戦っていたのだ、一般的な基準で話をするというのは難しい。
どちらにせよ教会という魔族が最も忌み嫌うものが作り出した魔法が街の中に点在するのであれば、エスペルが街の中に入ることは大きなリスクを生むことになるだろう。
「ならどうする?」
「食料と水が確保できる場所──」
代替案を考えるようにして視線を平行に移していった勇者の瞳は、ある程度まで行ったところでピタリと止まる。
この後の予定をある程度考え、そしてそれが満足のいく結果に終わったのだろう。
微笑を浮かべながら勇者はエスペルへと次の目的地を指差しながら言葉にする。
「次の目的地は森かな」
勇者が指差したのはかつて魔王の森と呼び恐れられた最悪の場所。
この世界で最も危険であるといわれた森を前にして、エスペルはごくりと唾を飲み込むのだった。
一口に千年という事は簡単だが、勇者が今まで生きてきた人生が20年にも達していないことを考えれば途方もない程の年月が経過している。
実感すらわかない年月というのが逆に勇者に恐ろしいという感情を抱かせていた。
千年もの間自分がどうなっていたのかすら定かではないが、どうしたって人間の体が千年もの年月に耐えられるはずがない。
「いいや、紛れもない事実さ。君は自爆魔法を使った代償で死にかけ、母様は私をお腹に宿したまま貴方に瀕死の重傷を負わされた。
自分の死を悟ったお母様は千年後に人類が少しは賢くなっている事を信じて貴方に私を託した」
「じゃあ君は魔王の娘ってことか? そんな魔王が俺に君を? なんの冗談だよ」
不意に零れ落ちた勇者の言葉に反応して、小さな涙の雫が頬を伝って勇者の顔を落ちていく。
もし本当に魔王が自分の子供とその敵である勇者を1000年後に人類の可能性に頼って転移させたのであれば、魔王は死ぬその時に自分の事を殺しに来た勇者を信頼していたという事である。
ただ自分が家族と共に居たいからという理由だけで魔族を滅ぼさんとしていた勇者からしてみればその期待はあまりにも重く、勇者は強く地面に拳を叩きつけた。
「ふざけんなよ……ふざけんなよっ!!」
怒りの感情をぶつける先などどこにもなく、それと同時に絶望感が勇者の心の中を支配していく。
ここが本当に1000年後の世界なのであれば、勇者が知る人間は誰一人として生きていないだろう。
文化や生活形態というのももちろん変化しているだろうし、言葉だって通じるかどうか怪しいもである。
まさにいまの勇者からしてみればこの世界は異世界のような物、自分が知っている世界とよく似てはいるが似ているだけで本質は全く異なっている世界がここだ。
「俺が何のためにあれだけの魔族達を手にかけたと──泣き叫ぶ子供もそれを庇う母親すら全て使命のもとに切り捨て、その結果得たものが──」
記憶が頭の中を流れていく。
泣き叫ぶ子供、殺さないでと子供を庇おうとする両親だろう魔族、それらに対して勇者は何の良心の呵責もなく切り捨てる。
これもすべては人類の、ひいては家族が無事に過ごすためだと言い聞かせ続けていたのに。
自分の役目をこなすためだけに勇者としての仕事をただ淡々となし続けていたあの日々が無駄になってしまった事を知った勇者の頭の中にあるのは自分一人では到底返すこともできない罪の意識だけ。
「誰も俺のことを知らない世界だけ?」
勇者の頭の中を絶望が支配していった。
それは黒く澱んだものではない、むしろ狂気を孕んだほどに真っ白な人にはどうにもならない絶望である。
「もう……いいか……」
気が付けばいつの間にか勇者は自分の腰から剣を引き抜いていた。
数多の魔族の血でその表面を錆びさせたその剣は、もはや物を切るのではなく叩きつぶすために使用していたものである。
そんなものを自分の首へと向ける勇者だったが、そんな勇者の手をなんとか止めようとする存在が居た。
それは母親と同じ赤い瞳を勇者の瞳へと向けると、まるで子供を叱咤するようにしてしかりつける。
「──ダメだっ!!」
「なんで止めるんだ? 俺は君の母親の敵だぞ」
「同時に僕の母親は貴方と両親の間を引き裂いた魔族。それに僕達魔族は強い人に従う、真っ向勝負で母に勝った貴方に僕は少したりとも憎悪の感情を抱いていないよ」
確かに魔族にはそんな文化があると勇者はどこかで聞いたことがあった気がする。
もはやそれがいつの事であったかも覚えてはいないが、自分の知っている知識といっていることが同じであれば確かに納得は出来るのかもしれない。
だがそれはおそらく貴族階級だけの事、少なくとも普通の暮らしを送っていた魔族が同じように考えていたとは到底思えない。
そうして無残にも殺されてしまった魔族たちは自分の事を恨んでいるだろうと勇者は考えていた。
だからこそ引き留めてくれた魔王の娘へ焦点の有っていない視線を向けると、ゆっくりと言葉を返す。
「そっか、ありがとう。でもダメなんだ、この世界がどうなってるか知らないけど、どうなっていたとしても俺はこの世界で生きていく気にはならない」
「なら勇者、私の為にお前は生きろ!」
――瞬間、勇者の瞳に微かではあるものの光が宿る。
ほんのわずかな光ではあるが、それは確かに勇者がこの世界で生きていく欲が表に出てきた証に他ならない。
襟首をつかみ、自分の方へと引き寄せながら娘は吠えるようにして勇者に問いかける。
「私は自慢じゃないが母の記憶を受け継いでいるだけで、食事の仕方も分からなければ物の飲み込み方すら分からない。魔法の使い方も分からなければ一人で生きていく方法もわからない。私が独り立ちできるまで助けてくれるんじゃなかったのか勇者!
もし魔族に今までやってきたことの罪の意識があるなら、勝手に死ぬな! 魔王の娘である私の命令だ、お前の命はいまこの時を持って私の為だけに使うんだ!! 分かったか!?」
どうなるかは正直言って賭けである。
ここまでして勇者に問いかけても彼が正常な状態に戻るかどうかは半々、いや正直戻ってこれない可能性の方が高いだろう。
だが魔王の娘は自分の親を殺した張本人に対して、自分の親を殺した罪まで死んで忘れようとした勇者に対してどこか自覚していないだけで思うところがあったのやもしれない。
どちらにせよ魔王の娘がそうして心の底から言葉を投げつけると、勇者は己のするべきことを少しずづではあるが認識したようである。
勇者はかすれた声で絞り出すようにして娘に問いかける。
「俺が……君のために?」
「そうだ勇者。お前は人に頼まれて母様を殺しに行くほどのお人好しだ、だから人生最後の叶える願いとして私の願いを叶えてくれ」
「分かった、いいよ。俺は君が死ぬまで君に尽くし続ける。それが俺の最後の仕事だ」
腰の剣に武器をしまい込んだ勇者を見てどうやら大丈夫そうであると認識した娘は、一旦胸をなでおろす。
(まさか勇者がここまでメンタルが弱いとは……いや、母様の記憶が正しければただの一人で数多ある魔界の警戒網を抜けて気が遠くなる距離を一人で移動したのだ、勇者のメンタルはとっくに壊れていたのだろう。
なんとか繋ぎ止める事は出来たが、もしあの事を知れば今度こそ確実に……なんとかしてそれまでに勇者に生きていたいと思わせねば)
いまとなっては遥か昔の事ではあるが、魔王が住んでいた領域から勇者が住んでいた国は世界地図で見ても反対の位置にあった。
そこで勇者としての命を受けた勇者は殆ど自殺といってもいい道中をなんとか一人で生き抜き、ありとあらゆる過酷な試練をたった一人で乗り越え続けて今に至るのだ。
24時間常に死が横にある生活を続けていれば、まともな人間であれば数日と持たずにその精神自体が崩壊してしまうだろう。
ただの一般人でしかなかった勇者がそんな過酷な環境に耐えられていたのは勇者という称号の重みを勇者自身が最も重たく感じていたことと、魔王を倒したらまた家族と幸せな生活が送れるという考えからだろう。
後者の家族はもはやこの世界に存在していないが、前者の勇者に対しての責任感であればいまでもまだ何とか生きているようだ。
「嬉しいよ。ありがとう勇者」
冷静に勇者の状況を理解しつつ、それでもエスペルは言葉を選びながら彼に愛して笑顔を向ける。
長い間一人で生きてきた勇者はおそらくエスペルの取り繕ったような笑みや言葉などいま作ったばかりのものだと気づかれているだろうが、それでも勇者からしてみればそんなエスペルの行動がなんとも言えないほどに嬉しいものであった。
そうして勇者がついてきてくれるのであれば、これからこの世界で生きて行くために何か生活の基盤を作るべきだろうと考えたエスペルが勇者へと提案する。
「出来れば街に向かいたいところなんだけれど、勇者はどう思う?」
「街はダメだ」
「理由を聞いてもいいかな?」
力強い勇者の否定の言葉に対して、エスペルは理由を問う。
もちろんエスペルもそのままの姿で行って許容されるとは思っていない。
赤い目といえば魔族の代名詞的なものであるし、それを抜きにしても人の多い場所に行けばエスペル達へと違和感を抱く人間も出てくるだろう。
だがそれでもエスペルが人の街を提案したのは、勇者がそちらの方が何かと楽だろうと考えたからだ。
だがそんな心配は避けない御世話であると言わんばかりに勇者はそれを拒否する。
そして指先を街の方へと向けながらその理由を話し始めた。
「ここから見える範囲で街の中に魔物が一匹もいない。それに街中にいくつか教会で使われていた魔法を感じる。俺はまだしも君が入るにはリスクが高い」
「こ、ここから見えるのか?」
町までの距離はキロ単位にして20キロほどだろうか。
街を街として認識するには少々遠い距離であり、この距離から街であると認識できている時点でスペルもそれなりに目は良いのだが数ある建物の中から教会とおぼしきものを見つけられるほど目はよくない。
もちろん人でない勇者は基本的な身体能力が大きくエスパルよりも低いはずなので、なんらかの魔法的な能力によって強化されているだろうとはいえそれでも脅威的な視力である。
「いろいろ方法はあるけど見えるよ。君のお母さんならこの距離くらいなら余裕で殺しにくるから本当はもっと遠くから観察するくらいだから」
「そうか……いや、そうだな」
規格外の戦闘について言葉を挟もうとするエスペルだったが、世界最強と呼ばれていた二者が戦っていたのだ、一般的な基準で話をするというのは難しい。
どちらにせよ教会という魔族が最も忌み嫌うものが作り出した魔法が街の中に点在するのであれば、エスペルが街の中に入ることは大きなリスクを生むことになるだろう。
「ならどうする?」
「食料と水が確保できる場所──」
代替案を考えるようにして視線を平行に移していった勇者の瞳は、ある程度まで行ったところでピタリと止まる。
この後の予定をある程度考え、そしてそれが満足のいく結果に終わったのだろう。
微笑を浮かべながら勇者はエスペルへと次の目的地を指差しながら言葉にする。
「次の目的地は森かな」
勇者が指差したのはかつて魔王の森と呼び恐れられた最悪の場所。
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