なき王女に捧ぐエレジー

東屋 志季

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pietoso

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 コツ

 コツ

 はやる気持ちをなんとか落ち着かせようと、規則正しく階段を一段一段踏みしめて登る。


 ここにくるのは何年振りだろうか。
 何年か前に彼女に連れられてこの塔の最上階で花火を見た。つい昨日のことのように思い出せるというのに、時の流れはなんと速いのだろうか。


 コツ…


 最後の一段を登りきった。目の前の扉の向こうには彼女がいるのだろう。
 最後に言葉を交わしたのは1年ほど前だろうか。何度かお見かけしたこともあったが、声をかけることは出来なかった。彼女を、王族を追い詰める立場にあった私には彼女に声をかける資格などないと考えていたからだ。


カチャリ


 彼女がいた。
 ピンクブロンドの巻き毛に血のように赤い瞳。光の女神かのような美貌を持つ彼女同じ人間であることが今でもどこか信じられない。
 一目見た時から私は彼女の静かで揺るぎない意志を持った赤い炎を宿した宝石の虜だ。

 「精霊姫」の二つ名を持つと共に城外にも噂が流れる姫。父に連れて行かれた王宮で出会った彼女はまさしく妖精のようだった。
 宰相家との繋がりを強めるためにという政略的な理由であっても、彼女と婚約するに至ることが出来た事は私の人生における最も大きな出来事であったと思う。

 しかし美しすぎる彼女を前にすると、うまい言葉の一つも言えなかった。なんとか「本日もとてもお美しいです」などといったありきたりな言葉しか絞り出すことができなかった。彼女の紅い瞳が私を映しているという事実だけで頭が沸騰してしまいそうだった。


 「こんな所までお越しいただきまことにありがとうございます」

 静かな室内に鈴のように美しく、小川のせせらぎのように澄み切った彼女の声が響く。


「貴女がお呼びだと伺いましたので馳せ参じました」

 勤めて丁寧に礼をする。彼女の隣にいても恥ずかしくないようにと、マナーレッスンに熱心に取り組んだ過去が頭をよぎる。
 頭をあげ、改めて彼女を見つめる。クーデターにより城の機能が事実上崩壊し、混沌に陥っているにも関わらず彼女はいつも通り、いやいつも以上に美しい。私の記憶にある彼女は豪華で煌びやかなドレスを身に纏っていたが、今目の前にいる彼女は生地そのものは最高級品であるもののどちらかというと機能を重視した動きやすいドレスである。
 何を着ていても彼女は王女だ。滲み出る気品は隠すことができない。
 そんなことを考えていると、彼女がおもむろに口を開いた。


「ここに貴方をお呼びしたのは、私を殺して欲しいからよ」

 …
 ……!
 理解するのに数秒はかかった。
 それと同時にやはり、とどこかで納得してしまった自分がいた。現状、彼女に残された道は死か逃亡かのどちらかだ。彼女から呼び出されたとき、こう言われるのではないかと予想して居なかったわけではない。ただ、そんな事を考えたくなかったから心に浮かんだその考えを見て見ぬふりしていただけだ。
 彼女に生きて欲しい。こんなことを願うなんて私には許されない事なのだろう。
 現王家を討つと決めた時、こうなることを予想していなかったわけではなかった。でも、それでも私は国民たちの嘆きの声を無視することができなかった。この国はもう後戻りができない程に腐りきってしまっていたのだ。
 仲間たちも口にこそしなかったが、彼女を殺すべきだと考えている者も多くいる。
 だから彼女を国外に逃す計画を立てた。王女の時と同じような優雅な生活は送れないかもしれない。それでも彼女には生きて欲しいと、そう浅ましくも願ってしまっていた。
 しかし、彼女は私に殺せという。これが私が選んだ道のたどり着いた先だとしても、あまりにも残酷ではないか。


「ふふ、意外だったかしら?
まさかこの私が命乞いでもするとでもお思いになったのかしら」

「いえ…」

 彼女の瞳は強い意志を宿している。この事は決定事項であって、どんな事があったとしても彼女が意見を変える事はないだろうと一目でわかった。この世のものとは思えない脆く儚げな美貌の女神の瞳には強い意志の光が灯っているからだ。
 あの瞳に見つめられると心を裸にされたような心地がしてそわそわしてしまう。だから、私は彼女の目に映る価値のある人間になるために、血を吐きながら、汗土にまみれて必死に剣の稽古に勤しんだのだ。
 そうして身につけた剣を彼女を守るためではなく、民衆を守り彼女を追い詰めるために使うことになってしまうとは。なんという皮肉なのだろう。
私という人間は彼女無しではここに居なかった。彼女が今の私を作ったのだから。
 彼女を殺す、きっとこれが天が下した私への罰なのだろう。


「ここに毒薬を用意してあるわ。もし貴方が宜しければこれを飲もうと思っているのだけど…
何か要望があるなら聞くわよ」

 先程とは打って変わって彼女の瞳が不安げに揺れ、チラリと私の腰に引っかかっている剣に向けられる。まさか、彼女は私に斬られると考えていたのだろうか。ああ、私に貴女を傷つける、そのような事出来るわけがないのに。
 傷つけるわけがない?何を言ってるんだ。もう十分、彼女の王女としての立場を、尊厳を傷つけてきたではないか。この期に及んで自分に都合のいい綺麗事をぬかす自分自身に呆れ、腹が立つ。


「…いいえ」

 そう告げると、

「そう」

 彼女は安堵したかのようにその緊張した頬を少しだけ緩ませた。

「お願いがあるのだけど、聞いてもらえるかしら?」

 彼女の口から『お願い』なんて単語を聞いたのは初めてだった。婚約者の願いすら聞いたことがないなんて私はなんて不甲斐ない男なのだろう。
 彼女は王女だ、王は彼女に甘かったこともあり大抵のものがすでに用意されていた。それに王族としてのプライドだって持っていらっしゃる。

「可能なことであればなんでもおっしゃってください」

 彼女の初めての、そして恐らくは最後の願いとは一体何だろうか?

「…手を握っていてもらえないかしら」

 …。
 ああ、私はなんてダメな男なんだろう。手を握って欲しいと握りしめた拳を微かに震わせながら口にした彼女。幼い頃から愛して止まないたった1人の女性を守る事はおろか、自らが蒔いた種で失うことになるなんて…


「貴女がそう望むのならば」

 既に今起こっていることが現実なのか、それとも悪い夢なのかが曖昧になっている。これは私の頭が現実を受け入れるのを拒否しているせいなのか…
 手に嵌めていた黒革の手袋を抜き去る。


「ありがとう」


 彼女のほっそりとした白い指が私の肌に触れる。
 彼女の冷たい指先をそっと握って温めながらソファに移動する。

 彼女はテーブルの上に置いてあった銀の杯を手に取ると、その淵を唇にあてがい傾けた。

 ゴクッと喉がなる音が不気味なくらい静かなこの部屋に響き渡る。
 彼女が毒を飲んだ。この事実を受け止めきれず、頭の中が真っ白に埋め尽くされていく。

 何かしなくては。何を?何をするというのだ?

「あら、嫌だわ。こんなみっともない姿を見せるなんて…」

 あぁ、彼女が泣いている。なんで、なんで彼女を泣かせてしまうのだろう。こんなにも愛しているのに。
 愛している?愛しているなんて都合のいい言葉を並べて、私の自己満足に過ぎないというのに。

 ハンカチで彼女の涙を丁寧に拭う。ああ、こんな風に彼女の悩みや悲しみ全てを拭い去って、彼女の笑顔を守りたかった。それなのに…
 それなのに今、他でもない私の腕の中で彼女は泣いている。
 握っている彼女の指先がまた、冷たくなっていく。その命の灯火が着実に小さくなっていくのを感じる。


 どれくらい経っただろう。額にじんわり汗をにじませ、目を開けていることさえも辛そうにしている彼女。キュッとひき結ばれた唇が僅かに開いた。

「あのね、私ね、貴方のことが、ずっと、好きだったわ…」


 心臓が止まるかと、本気でそう感じた。
 小さな、掠れた声で確かに彼女はそう口にした。彼女に好かれてるなんてそんな都合のいいことがあるのだろうか?
私は貴女を死に追いやっているというのに…
 今すぐ時を巻き戻して、最初から、全て初めからやり直したい。そんなことできるはずもないのに…


「私もあなたを愛しています」


 完全に思考を停止した私の口から、初めて彼女への愛が音となりこぼれ落ちた。


「…幸せよ」


 先程まで辛そうにしていた彼女がそれはそれは美しく微笑んで、そして呼吸を止める。


「……。
っ……」

 声を押し殺し、彼女の体の温もりが少しでも逃げないようにきつく抱きしめ音も無く泣き叫ぶ。

 あぁ、逝ってしまった。
 私のせいで、私が彼女を、愛しい人をこの手で殺したのだ。
 手の届かない、不可触の「精霊姫」は本当にもう二度と戻ってこない。戻ってこないのだ!
 なぜ止めなかった?なぜこの運命に抗おうとしなかった?
 彼女の代わりなど誰もいないのに、どうして彼女を弑してしまったのだ。

 いつからか、私の涙が彼女の頬に落ちていた。柔らかく微笑んで眠る彼女の頬に伝わる涙。まるで歓喜の涙のようにすら見える。
 それは私の一生背負う罪と悲しみの涙。

 ああ、神よ。願わくばもう一度、もう一度だけ私じゃない誰かとでもいい、彼女が悲しまず幸せになるチャンスをお与えください…


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