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2巻
2-3
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「それなら僕が代わりに買ってきてあげようか」
そう提案するチェキに、グラッサとニッカは最初は断ろうと思ったそうだ。
だが結局、他に手はないという結論に達して、彼に買い物リストを手渡してお金も渡そうとした。
ずいぶんと不用心に感じるが、ニッカたちとしてはチェキがそんなことをする人間だとは思えなかったという。
ただ、彼はお金を受け取ろうとはせず、こう言ったそうだ。
「予算だけ教えてよ。その範囲内で探してくるから、お金は帰ってきてから貰えば良いからさ。君たちも、見ず知らずの人にお金を渡すのは心配でしょ?」
そうして彼はニッカたちから大まかな予算を聞くと、「夕方までには帰ってくるよ」と言い残し宿から出て行ったらしい。
俺は窓の外に目を向けた。
先ほどまで夕焼けに染まっていた空は、既に闇に侵食され始めている。約束の夕方はとうに過ぎていた。
「それで、まだチェキって子は帰ってきてないのか」
「はい。何かあったんでしょうか?」
「どうだろう。もしかしたら、市場が楽しすぎて時間を忘れて店を見て回っているのかもな」
ロッホの市場は、一般には出回らないような珍しい品々が数多く並ぶことで有名だ。
そんな品々を見て回っているうちに、思ったより時間が過ぎてしまった可能性もある。
「だといいんですけど」
「何か気にかかることでもあるのか?」
「いえ……ただ、約束を忘れて遊び回るような人には見えなかったものですから」
ふむ。
俺はそのチェキという旅人に会ってはいないのでわからないが、実際に話したニッカがそう言うのであればそうなのだろう。
「たぶん大丈夫だとは思うけど、心配なら探しに行こうか?」
「お願いしてもいいですか?」
「ああ。もし万が一、何かあったら寝覚めが悪いしな」
俺の飯のために、その旅人を巻き込んだとも言える。
この街はそれほど治安が悪いわけではないが、王国だけでなく国外からも沢山の人たちが集まってくる場所だ。そのチェキという旅人が、何かしら面倒に巻き込まれている可能性も捨てきれない。
俺はニッカと二人でロビーにいるグラッサの元へ向かった。
「探すとして、そのチェキって子の特徴とか服装とか教えてもらいたいんだが」
「んー、特徴ねぇ。背丈とかはあたしと同じくらいだったよ」
「髪の長さもグラッサと同じくらい短めで、こんな珍しい形の帽子を被ってました」
そう言うとニッカは、水筒の水を指先につけて、机の上に帽子の絵を描いた。
小さめのツバのある、少し丸みを帯びたそのフォルム。前世では鳥打帽の一種で、俗にキャスケット帽と呼ばれていたものに近いだろうか。
「服装は?」
「えっと……たしか――」
二人から聞き出したチェキの服装を纏めるとこうだ。
下は膝丈の青っぽい短パン、上は長袖の白っぽいシャツにカーキ色っぽい前開きのベストを羽織り、白と黒のチェック柄っぽいキャスケット帽。この世界を旅するには軽装すぎるが、たぶん宿について旅装束から着替えたのだろう。
顔の特徴としては、可愛らしい顔つきで少し目は大きめ。
ニッカよりも色白らしいが、外も暗くなりかけているのであまりそのあたりは探すのに関係はないかもしれない。
「大体わかった。それじゃあ探しに行こう」
話をしている間にチェキが帰ってきてくれたら探しに行く手間も省けたのだが、結局今になっても彼が宿に帰ってくることはなかった。
市場がどれくらいの時間まで開かれているかはわからないが、それほど夜遅くまでなんてことはないはずだ。
一応、照明の魔道具があるので、夜になっても町中が真っ暗になるわけではない。
だが市場が開かれている広場は、街灯こそあるものの全体を照らすほどではなく、ほとんどの商人は、暗くなる前に店じまいするはずだ。
更に、前世と違ってこの世界の治安は言わずもがな。
憲兵も見回りをしているだろうが、暗闇の奥までその目は行き届かない。暗くなった街を一人でうろつくのは自殺行為に近いと、旅人ならわかっているはずである。
なのに、この時間まで戻ってこないというのは、たしかに異常ではある。
「完全に日が落ちる前に見つけないと」
「そうですね」
「わかってる」
そうして俺たちは日が暮れかけの街へ、一人の少年を探すため繰り出した。
目的地は、チェキが向かったであろう市場だ。
とっくに彼が買い物を終えてその場を離れている可能性は高いが、それでも他に手がかりはない。
既に半数以上は店じまいを済ませ、空っぽのテントが並ぶ市場にたどり着いた俺たちは、それでもまだ客足の残るその中を、チェキの姿を求めて歩き回った。
「……どこにも見当たりませんね」
「そうだな」
ギリギリまで商品を売り切ろうと頑張る商人と、ギリギリまで値引きを狙う客とが商談をしている姿は見かけるが、その中にも道行く人の中にも、チェキらしき姿は見当たらない。
「もしかして入れ違いになった? あたしが一度宿に戻って見てこようか?」
「いや、それじゃあ三人で来た意味がないだろ」
俺たちが三人一緒に行動しているのは理由がある。
王都から離れ危険は減ったといっても、未だ彼女たちを守れるのは俺しかいない状況で二人から離れるわけにはいかない。
だからこそ誰か一人、宿に残ってチェキを待つのが正しい選択とはわかっていたが、その選択肢を俺は選ぶことが出来なかった。
「そっか。そうだったね」
「ったく。単独行動して攫われでもしたらどうする。また助けに行かなきゃならないだろ」
「……でもトーアなら絶対助けに来てくれるよね? 囚われのお姫様を助けに行く勇者様みたいにさ」
いたずらっぽく笑うグラッサに、俺は呆れてため息をつく。
「馬鹿なこと言ってないでお前もニッカくらいしっかり周りを探してだな――」
「うわぁ。この髪飾り可愛いっ」
そんな会話を交わしているとふいに、ニッカのそんな声が聞こえてきた。
「おっ、お嬢ちゃん。なかなかお目が高いね。その髪飾り、今なら半額で売っちゃうよ?」
「えっ、いいんですか?」
「可愛らしいお嬢ちゃんがもっと可愛くなるためならお安いものさ」
「じゃあ買います!」
「まいどあり」
声の方を振り向くと、ニッカはいつの間にか、近くで店じまいをしていた商人に話しかけていた。
しかもセールストークにまんまと騙され、どこにでもありそうな小さな髪飾りを買わされている。
「ニッカ、こんなときに何してるんだ?」
「あっ、トーアさん。見てくださいこの髪飾り!」
「いや見てくださいじゃなくてだな」
「似合ってますか?」
早速手に入れた髪飾りを付け、俺に見せつけるように顔を寄せてくるニッカに、俺は小さくため息をつく。
「似合ってないですか……」
とたんにしょんぼりとするニッカに、慌てて俺は「いや、すごく似合ってると思うよ」と答えた。
実際、その髪飾りはニッカにとても似合っていて、彼女が身に付けた途端に安物に見えなくなっていた。
「えへへ。買って良かったぁ」
「あー、ニッカだけずるいよ! あたしにも半額で売ってよ!」
「かまわないよ。お嬢ちゃんはどれがいいんだい?」
いいカモを見つけたと思ったのだろう。商人は人当たりの良さそうな笑みを浮かべると、売れ残りの商品を一つ一つ指さしては値段を口にしていく。
だがどれもこれも、グラッサが思っていたよりは値段が安くなかったらしく、彼女の眉間に皺が寄っていく。
そして最後の一個。
商人は「これはあまりおすすめの品物じゃないんだが」と口にしながら、机の一番端に雑に置かれていた腕輪を持ち上げた。
「この腕輪はドワーフの国で二個ほど仕入れたものでね。色は綺麗なんだが、見ての通り、それ以外の部分の出来があまり良くなくてずっと売れ残ってたんだが……」
商人が言うには、今日の朝から値段を下げたおかげでやっと一つ売れたものの、その後はこの時間まで誰も手に取ることすらしなかったのだという。
「見せてもらっていい?」
「ああ、かまわないよ」
グラッサが受け取ったその腕輪は、素人の俺が見ても出来が良いとは思えないものであった。
しかしその色合いはとても綺麗で、どうやらグラッサはその揺らめく赤に心惹かれてしまったらしい。
「これ、いくらにしてくれるの?」
「そうだな。じゃあこれくらいでどうだい?」
商人は両手の指を三本立てて値段を示す。
それを見たグラッサは、少しだけ考えるような仕草をしてから――
「うーん、これくらいにならない?」
そう言って手を伸ばし、商人の指を一つ折り曲げた。
「うーん、まぁいいか。お嬢ちゃん、商売上手だね」
「やった! はい、それじゃこれで」
苦笑いを浮かべる商人にお金を手渡したグラッサは、そのまま手にした腕輪を月明かりにかざして目を細める。
今はそんなことをしてる場合じゃないだろうに……と内心呆れつつ、俺は店を片付け出した商人に、チェキのことを尋ねてみることにした。
「おっちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい? 兄ちゃんも何か欲しいのかい?」
「いや、そうじゃなくて」
俺は小さく首を振ると、少し離れたところで腕輪を見ながらニヤけているグラッサを指さした。
「実は人を探してるんです。背丈はあの娘と同じくらいで――」
続けて二人から聞いたチェキの特徴や服装を告げる。
正直、女性向けのアクセサリー屋らしいこの場所に、男であるチェキが立ち寄ったとは思えなかったのだが――
「その子だよ」
俺のその予想は、意外にも裏切られることになった。
「えっ」
「さっき言った腕輪を買ってくれたもう一人の客が、その子なんだよ。あんなのを買ってくれる客がいるなんて思わなかったからよく覚えてるよ」
商人が言うには、チェキらしき人物は昼過ぎ頃にふらっとやってきたそうだ。そして商品を一つずつ手にしたあと、グラッサが買ったのと同じ腕輪を嬉しそうに買っていったらしい。
誰かにプレゼントするつもりだったとしたら、センスが悪すぎるとしか言えないが。
「それで、その子はどこへ行ったかわかりますか?」
「そのまま市場を出て行ったよ。今頃は宿にでも帰ってるんじゃないのかね」
「それがまだ帰ってきてなくて。それで俺たちが探しに来たんです」
「へぇ。そりゃあ心配だな」
どうやらチェキはこの店で買い物をしたあと、宿へ帰るつもりだったようだ。
だが、実際には今になっても彼は戻っていない。
「もしかしたら入れ違いになったかもしれないし一度宿に戻ってみます」
「おう、無事なことを祈るぜ」
俺は商人にお礼と別れを告げると、ニッカたちの元へ向かう。
そして彼から聞いたことを二人に伝えた。
「本当なら、もうチェキは帰ってきてないとおかしいよね」
「でも、宿に帰ってきたなら絶対に私たちの前を通らないと部屋に戻れないはずですし」
「窓からなら部屋に入れるかもしれないが、二人を避けて部屋に戻る理由なんてないだろうしな」
さて、どうするか。
先ほど商人に言ったように、一度宿に戻ってみるのもいいかもしれない。だが、それでやはりまだ帰っていない場合は、もう一度ここに戻ってきて聞き込みをすることになる。
日が暮れている以上、今僅かに残っている商人達も、じきにいなくなってしまうだろう。それを考えると、宿に戻るのは時間的に無駄かもしれない。
「兄ちゃんたち。ちょっといいか?」
すると、店の片付けが一段落したらしい先ほどの商人が声をかけてきた。
「なんでしょう?」
「いや、さっきの子の話で一つ思い出したんだけどよ……全く関係ないことかもしれんから話半分に聞いてほしいんだが」
商人はそう前置きしてから話を続けた。
「そのチェキって子が市場を出て行くときにな、その後を三人組のずんぐりむっくりな男どもが付いていってたように見えたんだ」
「三人組?」
「ああ。三人ともフードを被ってて顔は見えなかったんだけどよ。三人揃って同じ格好をして顔を隠してたから、変に悪目立ちしててな。それで覚えてたんだよ」
「それでそのあと、チェキとその三人はどっちへ?」
「たぶんあっちの方だと思うが――」
商人が指し示した方向は、たしかに俺たちが泊まっている宿がある方向だった。
ということは、チェキが宿に帰ろうとしていたのは間違いない。
やはり何か事件に巻き込まれているのだろうか。たとえば、その三人組に攫われたとか。
「貴重な情報感謝します」
「いいってことよ。あんたらもその子も大事なお客さんだからよ」
俺は商人に礼を告げると、不安そうな表情を浮かべたニッカとグラッサを連れ、市場を後にする。
そしてチェキが通ったであろう道へ向かった。
「トーアさん、あれ! あそこ!」
何かないかと、辺りを慎重に見回しながら歩いていると、ニッカが声を上げ俺の肩を叩く。
「これって……」
道の端。
市場から宿へ向かう路地の片隅に、何人もの人々に踏まれたようにボロボロになった、チェック柄のキャスケット帽が打ち捨てられていた。
「間違いない。これ、チェキが被ってた帽子だよ」
「本当か?」
「はい。私も同じような帽子が欲しいなって思ったので、どこで売ってるのか聞いたんですけど。ヴォルガで買ったらしくて、この辺りじゃ売ってないみたいなんです」
「たしかに、こんな形の帽子を被ってる奴は王国じゃ見たことないな」
しかしヴォルガか。
大陸を二分するように存在するティーニック山脈。その山を越えた先にある北方の国だ。もしかするとチェキはそこからやってきたのだろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
商人のおっちゃんの証言や、チェキが被っていたという帽子が打ち捨てられていた現状。
そして帽子が落ちていた辺りは、ちょうど人通りが少なくなっている場所だということ。
どうやらチェキは、何者かに誘拐されてしまったと考えてよさそうだ。
グラッサとニッカも同じ考えに至ったのだろう。慌てて声を上げる。
「ど、ど、ど、どうしようトーアっ!」
「私たちがお買い物を頼んだせいでチェキさんが」
狼狽え出した二人を「少し落ち着け」となだめつつ、俺はもう一度帽子が落ちていた地面に目を向ける。
商人のおっちゃんが言っていたことが正しければ、犯人はチェキの後を追っていった三人組の可能性が高い。
「たしか三人組は悪目立ちしてたとか言ってたな」
この場所で犯行が行われてずいぶん時間が経っているのは、チェキの帽子から見てわかる。
そのせいで道に残されていたかもしれない痕跡は既に消え去っていた。
「トーアさんの魔法で見つけられないでしょうか?」
ニッカが、祈るように両手のひらを組んでそう尋ねてくるが、魔法だって万能ではない。
「出来るならもうやってるさ」
そもそも探し人の行方がわかる魔法があったなら、あの日グラッサを探すのに使っている。
一応それに近い魔法はあるにはあるが、そのためには見つける対象にまずマーカーを付けないといけない。ニッカやグラッサには、マーカーになる道具を渡して、常に身に付けてもらっているが、当然チェキにはマーカーは付いていない。
「とにかく、この辺りの人に聞き込みをしてから、何も情報が得られなければ憲兵に助けを求めるしかないな」
といっても、たかだか旅人一人が昼から帰ってこないというだけで、どれだけ憲兵が動いてくれるかわかったもんじゃない。前世の警察ですらなかなかすぐには動いてくれなかったのに、この世界では尚更だ。
「わかりました。やりましょう」
「……チェキ、どこにいるのよ……」
力強く頷くニッカと不安そうなグラッサ。
日頃はグラッサの方が強気なのに、弱気なニッカの方が、いざというときになると心の強さを発揮するのだからわからないものだ。
「とりあえずどっちへ行きますか?」
「そうだな。市場から来てここで襲ったとすれば、攫ったチェキを連れたまま人通りが多い方に行くとは思えないな」
「……」
「じゃあこのまま市場と反対方向へ行きながら聞き込みしましょう」
「そうだな。たしかこの先にも何軒か店もあったはずだし、そこで店員にでも何か見てないか聞いてみようか」
方針が決まり、聞き込みを開始しようとしたそのとき――
「……あれ?」
ずっと無言だったグラッサが、突然あらぬ方向を向いて小さく声を上げた。
「どうした?」
「あっ、消えた」
「消えたって何が?」
「また見えた」
何を言っているのか、全く要領を得ない。
もしかしてチェキのことを心配しすぎて、幻でも見ているのだろうか。
「もしかしたらあたし……わかるかも」
「えっ?」
「どういうこと?」
一度宿に戻ってグラッサを落ち着かせるべきかと考えていると、突然彼女が走り出した。
「ちょ、待ってよ」
「どこ行くのグラッサ!」
慌てて後を追う俺とニッカに、グラッサは「感じるんだよ」と更に意味のわからない言葉を返す。
そのまま路地を抜け、人通りが多い大通りに出るが、それでも彼女は足を止めない。
「どこまで行くつもりだ」
「さっきグラッサは『わかるかも』って言ってましたよね」
「ああ、たしかに言ってたな……って、まさか」
「たぶんですけど、グラッサはチェキさんの居場所がわかったんじゃないでしょうか?」
走りながら二人で話をしている間に、グラッサは大通りから別の路地へ走り込んでいく。
既に辺りは暗くなり、これ以上離されるとグラッサの姿を見失いかねない。
その場合は魔法を使ってマーカーを追えばいいのだが、何かあったときに一手遅れることになる。
俺たちは慌てて、グラッサの後を追って路地に飛び込んだ。
「どこだ? って、あれか」
ニッカの速度に合わせて走っていた俺たちが路地に入ったとき、既にグラッサの姿はかなり遠くなっていた。
大通りと違って街灯もない裏路地を走るグラッサの腕輪が赤く光って見えなければ、その姿を見失っていたところだった。
「もしかしてあの腕輪……」
「どうしたんですか?」
俺はグラッサの後ろ姿に意識を集中しつつも、今さっき頭に浮かんだ疑問を整理するために口を開く。
「この路地は街灯もないし、月もまだ出ていない」
「そうですね。足下を注意して走らないと、こけちゃいそうで怖いです」
「だったらさ――どうして光源もないのに、グラッサの腕輪が光って見えるんだ?」
そうなのだ。
グラッサの姿はほとんど見えないのに、あの腕輪だけが赤く光って俺たちを導いてくれている。
つまりあの腕輪自体が光を発しているということだ。
「たしか商人のおっちゃんはあの腕輪をドワーフから仕入れたって言ってたよな?」
「そう聞きました」
「だとするともしかしてあれは――」
「きゃっ」
俺が予想を口にしかけたとき、後ろでニッカが何かに躓いたのか声を上げた。
俺は慌てて足を止め、彼女の体を抱き止める。
「あ、ありがとうございます」
「さすがにこのままじゃキツいかな」
暗闇の中を走る訓練を積んだ俺はともかく、ニッカには危険すぎる。
「私にかまわずグラッサを追ってください」
赤い光が角を曲がり視界から消えたのを確認して、ニッカが俺にそう言った。
だが俺は首を横に振ると、暗視魔法を自分自身とニッカにかけた。
とたんに視界に光が戻り、昼間と同じとまでは言えないが夜の街を全力で走っても大丈夫なくらいには周囲を確認出来るようになる。
「トーアさんの魔法ですか?」
ニッカが周囲をキョロキョロ見回しながら尋ねてくる。
「暗視魔法って魔法でな。効果時間はそれほど長くないんだが、グラッサに追いつくくらいまではもつだろう」
「でも見失っちゃいましたよ?」
さすがの俺でも、角の先を透視出来るわけではない。
だがここまで来ればグラッサに付けたマーカーを確認するまでもない。
「大丈夫。グラッサがどこへ向かっているか大体わかったから」
俺は理解出来ないといった表情を浮かべるニッカの手を引くと、先ほどまでよりはゆっくりとした足取りで、グラッサが向かったであろう方向へ走り出す。
そして二つほど角を曲がり大きな通りに出たあと、その道をまっすぐ進み……目的地が見えてきた。
「あそこは北門ですか……」
「やっぱりいたな」
ニッカと共にたどり着いたのは、ロッホの街の北門だった。
王国の北端方面の町や村へ向かうには、この門を通るのが一番早い。俺たちは、ロッホを出たら、辺境砦に行く前にニッカたちの村――ホナガ村へ向かう予定だが、その際もこの北門から出ることになる。
その門の前で、門兵と言い争っているグラッサの姿を見つけた。
そう提案するチェキに、グラッサとニッカは最初は断ろうと思ったそうだ。
だが結局、他に手はないという結論に達して、彼に買い物リストを手渡してお金も渡そうとした。
ずいぶんと不用心に感じるが、ニッカたちとしてはチェキがそんなことをする人間だとは思えなかったという。
ただ、彼はお金を受け取ろうとはせず、こう言ったそうだ。
「予算だけ教えてよ。その範囲内で探してくるから、お金は帰ってきてから貰えば良いからさ。君たちも、見ず知らずの人にお金を渡すのは心配でしょ?」
そうして彼はニッカたちから大まかな予算を聞くと、「夕方までには帰ってくるよ」と言い残し宿から出て行ったらしい。
俺は窓の外に目を向けた。
先ほどまで夕焼けに染まっていた空は、既に闇に侵食され始めている。約束の夕方はとうに過ぎていた。
「それで、まだチェキって子は帰ってきてないのか」
「はい。何かあったんでしょうか?」
「どうだろう。もしかしたら、市場が楽しすぎて時間を忘れて店を見て回っているのかもな」
ロッホの市場は、一般には出回らないような珍しい品々が数多く並ぶことで有名だ。
そんな品々を見て回っているうちに、思ったより時間が過ぎてしまった可能性もある。
「だといいんですけど」
「何か気にかかることでもあるのか?」
「いえ……ただ、約束を忘れて遊び回るような人には見えなかったものですから」
ふむ。
俺はそのチェキという旅人に会ってはいないのでわからないが、実際に話したニッカがそう言うのであればそうなのだろう。
「たぶん大丈夫だとは思うけど、心配なら探しに行こうか?」
「お願いしてもいいですか?」
「ああ。もし万が一、何かあったら寝覚めが悪いしな」
俺の飯のために、その旅人を巻き込んだとも言える。
この街はそれほど治安が悪いわけではないが、王国だけでなく国外からも沢山の人たちが集まってくる場所だ。そのチェキという旅人が、何かしら面倒に巻き込まれている可能性も捨てきれない。
俺はニッカと二人でロビーにいるグラッサの元へ向かった。
「探すとして、そのチェキって子の特徴とか服装とか教えてもらいたいんだが」
「んー、特徴ねぇ。背丈とかはあたしと同じくらいだったよ」
「髪の長さもグラッサと同じくらい短めで、こんな珍しい形の帽子を被ってました」
そう言うとニッカは、水筒の水を指先につけて、机の上に帽子の絵を描いた。
小さめのツバのある、少し丸みを帯びたそのフォルム。前世では鳥打帽の一種で、俗にキャスケット帽と呼ばれていたものに近いだろうか。
「服装は?」
「えっと……たしか――」
二人から聞き出したチェキの服装を纏めるとこうだ。
下は膝丈の青っぽい短パン、上は長袖の白っぽいシャツにカーキ色っぽい前開きのベストを羽織り、白と黒のチェック柄っぽいキャスケット帽。この世界を旅するには軽装すぎるが、たぶん宿について旅装束から着替えたのだろう。
顔の特徴としては、可愛らしい顔つきで少し目は大きめ。
ニッカよりも色白らしいが、外も暗くなりかけているのであまりそのあたりは探すのに関係はないかもしれない。
「大体わかった。それじゃあ探しに行こう」
話をしている間にチェキが帰ってきてくれたら探しに行く手間も省けたのだが、結局今になっても彼が宿に帰ってくることはなかった。
市場がどれくらいの時間まで開かれているかはわからないが、それほど夜遅くまでなんてことはないはずだ。
一応、照明の魔道具があるので、夜になっても町中が真っ暗になるわけではない。
だが市場が開かれている広場は、街灯こそあるものの全体を照らすほどではなく、ほとんどの商人は、暗くなる前に店じまいするはずだ。
更に、前世と違ってこの世界の治安は言わずもがな。
憲兵も見回りをしているだろうが、暗闇の奥までその目は行き届かない。暗くなった街を一人でうろつくのは自殺行為に近いと、旅人ならわかっているはずである。
なのに、この時間まで戻ってこないというのは、たしかに異常ではある。
「完全に日が落ちる前に見つけないと」
「そうですね」
「わかってる」
そうして俺たちは日が暮れかけの街へ、一人の少年を探すため繰り出した。
目的地は、チェキが向かったであろう市場だ。
とっくに彼が買い物を終えてその場を離れている可能性は高いが、それでも他に手がかりはない。
既に半数以上は店じまいを済ませ、空っぽのテントが並ぶ市場にたどり着いた俺たちは、それでもまだ客足の残るその中を、チェキの姿を求めて歩き回った。
「……どこにも見当たりませんね」
「そうだな」
ギリギリまで商品を売り切ろうと頑張る商人と、ギリギリまで値引きを狙う客とが商談をしている姿は見かけるが、その中にも道行く人の中にも、チェキらしき姿は見当たらない。
「もしかして入れ違いになった? あたしが一度宿に戻って見てこようか?」
「いや、それじゃあ三人で来た意味がないだろ」
俺たちが三人一緒に行動しているのは理由がある。
王都から離れ危険は減ったといっても、未だ彼女たちを守れるのは俺しかいない状況で二人から離れるわけにはいかない。
だからこそ誰か一人、宿に残ってチェキを待つのが正しい選択とはわかっていたが、その選択肢を俺は選ぶことが出来なかった。
「そっか。そうだったね」
「ったく。単独行動して攫われでもしたらどうする。また助けに行かなきゃならないだろ」
「……でもトーアなら絶対助けに来てくれるよね? 囚われのお姫様を助けに行く勇者様みたいにさ」
いたずらっぽく笑うグラッサに、俺は呆れてため息をつく。
「馬鹿なこと言ってないでお前もニッカくらいしっかり周りを探してだな――」
「うわぁ。この髪飾り可愛いっ」
そんな会話を交わしているとふいに、ニッカのそんな声が聞こえてきた。
「おっ、お嬢ちゃん。なかなかお目が高いね。その髪飾り、今なら半額で売っちゃうよ?」
「えっ、いいんですか?」
「可愛らしいお嬢ちゃんがもっと可愛くなるためならお安いものさ」
「じゃあ買います!」
「まいどあり」
声の方を振り向くと、ニッカはいつの間にか、近くで店じまいをしていた商人に話しかけていた。
しかもセールストークにまんまと騙され、どこにでもありそうな小さな髪飾りを買わされている。
「ニッカ、こんなときに何してるんだ?」
「あっ、トーアさん。見てくださいこの髪飾り!」
「いや見てくださいじゃなくてだな」
「似合ってますか?」
早速手に入れた髪飾りを付け、俺に見せつけるように顔を寄せてくるニッカに、俺は小さくため息をつく。
「似合ってないですか……」
とたんにしょんぼりとするニッカに、慌てて俺は「いや、すごく似合ってると思うよ」と答えた。
実際、その髪飾りはニッカにとても似合っていて、彼女が身に付けた途端に安物に見えなくなっていた。
「えへへ。買って良かったぁ」
「あー、ニッカだけずるいよ! あたしにも半額で売ってよ!」
「かまわないよ。お嬢ちゃんはどれがいいんだい?」
いいカモを見つけたと思ったのだろう。商人は人当たりの良さそうな笑みを浮かべると、売れ残りの商品を一つ一つ指さしては値段を口にしていく。
だがどれもこれも、グラッサが思っていたよりは値段が安くなかったらしく、彼女の眉間に皺が寄っていく。
そして最後の一個。
商人は「これはあまりおすすめの品物じゃないんだが」と口にしながら、机の一番端に雑に置かれていた腕輪を持ち上げた。
「この腕輪はドワーフの国で二個ほど仕入れたものでね。色は綺麗なんだが、見ての通り、それ以外の部分の出来があまり良くなくてずっと売れ残ってたんだが……」
商人が言うには、今日の朝から値段を下げたおかげでやっと一つ売れたものの、その後はこの時間まで誰も手に取ることすらしなかったのだという。
「見せてもらっていい?」
「ああ、かまわないよ」
グラッサが受け取ったその腕輪は、素人の俺が見ても出来が良いとは思えないものであった。
しかしその色合いはとても綺麗で、どうやらグラッサはその揺らめく赤に心惹かれてしまったらしい。
「これ、いくらにしてくれるの?」
「そうだな。じゃあこれくらいでどうだい?」
商人は両手の指を三本立てて値段を示す。
それを見たグラッサは、少しだけ考えるような仕草をしてから――
「うーん、これくらいにならない?」
そう言って手を伸ばし、商人の指を一つ折り曲げた。
「うーん、まぁいいか。お嬢ちゃん、商売上手だね」
「やった! はい、それじゃこれで」
苦笑いを浮かべる商人にお金を手渡したグラッサは、そのまま手にした腕輪を月明かりにかざして目を細める。
今はそんなことをしてる場合じゃないだろうに……と内心呆れつつ、俺は店を片付け出した商人に、チェキのことを尋ねてみることにした。
「おっちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい? 兄ちゃんも何か欲しいのかい?」
「いや、そうじゃなくて」
俺は小さく首を振ると、少し離れたところで腕輪を見ながらニヤけているグラッサを指さした。
「実は人を探してるんです。背丈はあの娘と同じくらいで――」
続けて二人から聞いたチェキの特徴や服装を告げる。
正直、女性向けのアクセサリー屋らしいこの場所に、男であるチェキが立ち寄ったとは思えなかったのだが――
「その子だよ」
俺のその予想は、意外にも裏切られることになった。
「えっ」
「さっき言った腕輪を買ってくれたもう一人の客が、その子なんだよ。あんなのを買ってくれる客がいるなんて思わなかったからよく覚えてるよ」
商人が言うには、チェキらしき人物は昼過ぎ頃にふらっとやってきたそうだ。そして商品を一つずつ手にしたあと、グラッサが買ったのと同じ腕輪を嬉しそうに買っていったらしい。
誰かにプレゼントするつもりだったとしたら、センスが悪すぎるとしか言えないが。
「それで、その子はどこへ行ったかわかりますか?」
「そのまま市場を出て行ったよ。今頃は宿にでも帰ってるんじゃないのかね」
「それがまだ帰ってきてなくて。それで俺たちが探しに来たんです」
「へぇ。そりゃあ心配だな」
どうやらチェキはこの店で買い物をしたあと、宿へ帰るつもりだったようだ。
だが、実際には今になっても彼は戻っていない。
「もしかしたら入れ違いになったかもしれないし一度宿に戻ってみます」
「おう、無事なことを祈るぜ」
俺は商人にお礼と別れを告げると、ニッカたちの元へ向かう。
そして彼から聞いたことを二人に伝えた。
「本当なら、もうチェキは帰ってきてないとおかしいよね」
「でも、宿に帰ってきたなら絶対に私たちの前を通らないと部屋に戻れないはずですし」
「窓からなら部屋に入れるかもしれないが、二人を避けて部屋に戻る理由なんてないだろうしな」
さて、どうするか。
先ほど商人に言ったように、一度宿に戻ってみるのもいいかもしれない。だが、それでやはりまだ帰っていない場合は、もう一度ここに戻ってきて聞き込みをすることになる。
日が暮れている以上、今僅かに残っている商人達も、じきにいなくなってしまうだろう。それを考えると、宿に戻るのは時間的に無駄かもしれない。
「兄ちゃんたち。ちょっといいか?」
すると、店の片付けが一段落したらしい先ほどの商人が声をかけてきた。
「なんでしょう?」
「いや、さっきの子の話で一つ思い出したんだけどよ……全く関係ないことかもしれんから話半分に聞いてほしいんだが」
商人はそう前置きしてから話を続けた。
「そのチェキって子が市場を出て行くときにな、その後を三人組のずんぐりむっくりな男どもが付いていってたように見えたんだ」
「三人組?」
「ああ。三人ともフードを被ってて顔は見えなかったんだけどよ。三人揃って同じ格好をして顔を隠してたから、変に悪目立ちしててな。それで覚えてたんだよ」
「それでそのあと、チェキとその三人はどっちへ?」
「たぶんあっちの方だと思うが――」
商人が指し示した方向は、たしかに俺たちが泊まっている宿がある方向だった。
ということは、チェキが宿に帰ろうとしていたのは間違いない。
やはり何か事件に巻き込まれているのだろうか。たとえば、その三人組に攫われたとか。
「貴重な情報感謝します」
「いいってことよ。あんたらもその子も大事なお客さんだからよ」
俺は商人に礼を告げると、不安そうな表情を浮かべたニッカとグラッサを連れ、市場を後にする。
そしてチェキが通ったであろう道へ向かった。
「トーアさん、あれ! あそこ!」
何かないかと、辺りを慎重に見回しながら歩いていると、ニッカが声を上げ俺の肩を叩く。
「これって……」
道の端。
市場から宿へ向かう路地の片隅に、何人もの人々に踏まれたようにボロボロになった、チェック柄のキャスケット帽が打ち捨てられていた。
「間違いない。これ、チェキが被ってた帽子だよ」
「本当か?」
「はい。私も同じような帽子が欲しいなって思ったので、どこで売ってるのか聞いたんですけど。ヴォルガで買ったらしくて、この辺りじゃ売ってないみたいなんです」
「たしかに、こんな形の帽子を被ってる奴は王国じゃ見たことないな」
しかしヴォルガか。
大陸を二分するように存在するティーニック山脈。その山を越えた先にある北方の国だ。もしかするとチェキはそこからやってきたのだろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
商人のおっちゃんの証言や、チェキが被っていたという帽子が打ち捨てられていた現状。
そして帽子が落ちていた辺りは、ちょうど人通りが少なくなっている場所だということ。
どうやらチェキは、何者かに誘拐されてしまったと考えてよさそうだ。
グラッサとニッカも同じ考えに至ったのだろう。慌てて声を上げる。
「ど、ど、ど、どうしようトーアっ!」
「私たちがお買い物を頼んだせいでチェキさんが」
狼狽え出した二人を「少し落ち着け」となだめつつ、俺はもう一度帽子が落ちていた地面に目を向ける。
商人のおっちゃんが言っていたことが正しければ、犯人はチェキの後を追っていった三人組の可能性が高い。
「たしか三人組は悪目立ちしてたとか言ってたな」
この場所で犯行が行われてずいぶん時間が経っているのは、チェキの帽子から見てわかる。
そのせいで道に残されていたかもしれない痕跡は既に消え去っていた。
「トーアさんの魔法で見つけられないでしょうか?」
ニッカが、祈るように両手のひらを組んでそう尋ねてくるが、魔法だって万能ではない。
「出来るならもうやってるさ」
そもそも探し人の行方がわかる魔法があったなら、あの日グラッサを探すのに使っている。
一応それに近い魔法はあるにはあるが、そのためには見つける対象にまずマーカーを付けないといけない。ニッカやグラッサには、マーカーになる道具を渡して、常に身に付けてもらっているが、当然チェキにはマーカーは付いていない。
「とにかく、この辺りの人に聞き込みをしてから、何も情報が得られなければ憲兵に助けを求めるしかないな」
といっても、たかだか旅人一人が昼から帰ってこないというだけで、どれだけ憲兵が動いてくれるかわかったもんじゃない。前世の警察ですらなかなかすぐには動いてくれなかったのに、この世界では尚更だ。
「わかりました。やりましょう」
「……チェキ、どこにいるのよ……」
力強く頷くニッカと不安そうなグラッサ。
日頃はグラッサの方が強気なのに、弱気なニッカの方が、いざというときになると心の強さを発揮するのだからわからないものだ。
「とりあえずどっちへ行きますか?」
「そうだな。市場から来てここで襲ったとすれば、攫ったチェキを連れたまま人通りが多い方に行くとは思えないな」
「……」
「じゃあこのまま市場と反対方向へ行きながら聞き込みしましょう」
「そうだな。たしかこの先にも何軒か店もあったはずだし、そこで店員にでも何か見てないか聞いてみようか」
方針が決まり、聞き込みを開始しようとしたそのとき――
「……あれ?」
ずっと無言だったグラッサが、突然あらぬ方向を向いて小さく声を上げた。
「どうした?」
「あっ、消えた」
「消えたって何が?」
「また見えた」
何を言っているのか、全く要領を得ない。
もしかしてチェキのことを心配しすぎて、幻でも見ているのだろうか。
「もしかしたらあたし……わかるかも」
「えっ?」
「どういうこと?」
一度宿に戻ってグラッサを落ち着かせるべきかと考えていると、突然彼女が走り出した。
「ちょ、待ってよ」
「どこ行くのグラッサ!」
慌てて後を追う俺とニッカに、グラッサは「感じるんだよ」と更に意味のわからない言葉を返す。
そのまま路地を抜け、人通りが多い大通りに出るが、それでも彼女は足を止めない。
「どこまで行くつもりだ」
「さっきグラッサは『わかるかも』って言ってましたよね」
「ああ、たしかに言ってたな……って、まさか」
「たぶんですけど、グラッサはチェキさんの居場所がわかったんじゃないでしょうか?」
走りながら二人で話をしている間に、グラッサは大通りから別の路地へ走り込んでいく。
既に辺りは暗くなり、これ以上離されるとグラッサの姿を見失いかねない。
その場合は魔法を使ってマーカーを追えばいいのだが、何かあったときに一手遅れることになる。
俺たちは慌てて、グラッサの後を追って路地に飛び込んだ。
「どこだ? って、あれか」
ニッカの速度に合わせて走っていた俺たちが路地に入ったとき、既にグラッサの姿はかなり遠くなっていた。
大通りと違って街灯もない裏路地を走るグラッサの腕輪が赤く光って見えなければ、その姿を見失っていたところだった。
「もしかしてあの腕輪……」
「どうしたんですか?」
俺はグラッサの後ろ姿に意識を集中しつつも、今さっき頭に浮かんだ疑問を整理するために口を開く。
「この路地は街灯もないし、月もまだ出ていない」
「そうですね。足下を注意して走らないと、こけちゃいそうで怖いです」
「だったらさ――どうして光源もないのに、グラッサの腕輪が光って見えるんだ?」
そうなのだ。
グラッサの姿はほとんど見えないのに、あの腕輪だけが赤く光って俺たちを導いてくれている。
つまりあの腕輪自体が光を発しているということだ。
「たしか商人のおっちゃんはあの腕輪をドワーフから仕入れたって言ってたよな?」
「そう聞きました」
「だとするともしかしてあれは――」
「きゃっ」
俺が予想を口にしかけたとき、後ろでニッカが何かに躓いたのか声を上げた。
俺は慌てて足を止め、彼女の体を抱き止める。
「あ、ありがとうございます」
「さすがにこのままじゃキツいかな」
暗闇の中を走る訓練を積んだ俺はともかく、ニッカには危険すぎる。
「私にかまわずグラッサを追ってください」
赤い光が角を曲がり視界から消えたのを確認して、ニッカが俺にそう言った。
だが俺は首を横に振ると、暗視魔法を自分自身とニッカにかけた。
とたんに視界に光が戻り、昼間と同じとまでは言えないが夜の街を全力で走っても大丈夫なくらいには周囲を確認出来るようになる。
「トーアさんの魔法ですか?」
ニッカが周囲をキョロキョロ見回しながら尋ねてくる。
「暗視魔法って魔法でな。効果時間はそれほど長くないんだが、グラッサに追いつくくらいまではもつだろう」
「でも見失っちゃいましたよ?」
さすがの俺でも、角の先を透視出来るわけではない。
だがここまで来ればグラッサに付けたマーカーを確認するまでもない。
「大丈夫。グラッサがどこへ向かっているか大体わかったから」
俺は理解出来ないといった表情を浮かべるニッカの手を引くと、先ほどまでよりはゆっくりとした足取りで、グラッサが向かったであろう方向へ走り出す。
そして二つほど角を曲がり大きな通りに出たあと、その道をまっすぐ進み……目的地が見えてきた。
「あそこは北門ですか……」
「やっぱりいたな」
ニッカと共にたどり着いたのは、ロッホの街の北門だった。
王国の北端方面の町や村へ向かうには、この門を通るのが一番早い。俺たちは、ロッホを出たら、辺境砦に行く前にニッカたちの村――ホナガ村へ向かう予定だが、その際もこの北門から出ることになる。
その門の前で、門兵と言い争っているグラッサの姿を見つけた。
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