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嵐の前
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なぜ誰もそうしなかったんだろう、とレインは思う。
「三人もいたら、誰か一人は、少佐を殺してやろうと思ってもおかしくないじゃないですか」
レインの述懐にクジェルカは一瞬、呆れ果てたような目を向けたが、ややあって、なるほど、と言った。
「確かにな……。だが、自分にとって美しいものを失って自分が生きるよりは、美しいものを残したまま去る方を選んだのかもしれない」
レインは笑った。
「クジェルカさん、詩人なんですね」
「さてね……で?」
二人は視線の先にいるリーフェルトに目をやった。ロランスの海辺だ。リーフェルトは波打ち際で、クジェルカの妻と一緒に、その双子の子に貝殻を拾ってやったり、砂に文字や絵を描いてやったりして笑っている。
「で、って?」
「寝たのか、リーフェルトと」
どこか憮然としたようなクジェルカの言葉に、レインは飲みかけのレモンソーダを吹き出しそうになった。
「まだです」
「デカい口を利いた割にはまだなのか」
「深入りするなと言ったのは、あなたじゃないですか」
まあそうだけどな、とクジェルカは認めたが、デッキチェアに寝そべったまま顔をレインに向けて言った。
「男に抱かれる決心はつかないか」
「逆ですよ。これから少佐を口説いて、俺が抱きます」
「……なんと、まあ」
クジェルカは呆れたようにつぶやいた。そして「でも、やめるなら今だ」と囁いてから言った。
「正直、俺は冷や冷やしている。俺はあの弁護士にも忠告したんだ、リーフェルトには関わるなと。だがやつは言う事を聞かなかった。それであの結果だ」
「俺もそうなると思いますか?……結局、俺か少佐か、どちらかが死ぬ羽目になると」
「ならないように祈る……なあ、不思議でしょうがない。なぜ恋愛で生きるか死ぬかになるんだ。普通はもっと穏当に進んでいくものだろう」
「俺も少佐もたぶん普通じゃないんですよ」
「化け物どもめ」
クジェルカは鼻で笑った。
双子の子が波打ち際でひっくり返って、びしょぬれになった。クジェルカの妻とリーフェルトが一人ずつ抱えて、何か言い、笑いながらこっちへ戻ってくる。ああしてみると、リーフェルトはごくごく普通の男だ。
子供を連れて帰ってきてリーフェルトが笑ってみせた。
「撤収だ。風が出てきた、雨になるだろう。ホテルに戻ろう」
それからリーフェルトがレインに、手を出して、と言った。
「何です?」
言われた通り、レインが右手を出すと、リーフェルトのそのすらりとした指の先から、小さなウイスキー色の塊が魔法のように滑り落ちた。
「琥珀ですよ」
レインは親指の先ほどの塊をつまみ上げてかざしてみた。
「ウイスキーの塊みたいだ」
「このあたりは産地ですね。海岸通り沿いのお土産屋には色々ありますよ、模造品も多いですけどね」
海のほうからゴロゴロと低い雷鳴が聞こえてくた。昼までは青空が広がっていたのに、今はもう厚い雲に覆われはじめ、沖には真っ黒な雲が湧いている。
「この様子では屋外パーティは無理そうですね。せっかくのエヴァレット家の決起集会ですが」
リーフェルトは肩をすくめた。
マキシム・エヴァレットは高級リゾート地であるロランスの老舗有名ホテルを貸し切って、大統領選に向けて気勢を上げようとするところだった。レインとリーフェルトは招待されて来たが、のんびりはできず、土曜の今日来て一晩泊まり、明日の昼にはイズワルドに戻る列車にのらねばならない。
「屋内だけでも十分ではないですか」
レインは目の前にそびえたつ、白亜の荘厳な建物を見上げた。長年、海からの風雨に耐えた装飾が、曇り空の下幽玄に鎮座している。少尉の給料では望むべくもない高級ホテルだった。
悪くない、とレインはつぶやいた。「このホテルで“初夜”ってのは」
「なんです?」
先を行くリーフェルトが振り返って聞き返した。
「いえ、早く行って着替えないと。ああ、雨が降って来た」
そう言って、レインは小走りにリーフェルトを追い抜き、一足先にホテルの中へ飛び込んだ。
背後で雷鳴が聞こえた。嵐が来るな、とリーフェルトがつぶやいた。
そうだ、嵐が来る。リーフェルトの周りはいつも嵐なのだから。
レインはポケットの中の琥珀をまさぐった。
……来るなら来い。嵐だろうが地獄だろうが。
「望むところだ」
そうして彼の思い人を振り返った。
「三人もいたら、誰か一人は、少佐を殺してやろうと思ってもおかしくないじゃないですか」
レインの述懐にクジェルカは一瞬、呆れ果てたような目を向けたが、ややあって、なるほど、と言った。
「確かにな……。だが、自分にとって美しいものを失って自分が生きるよりは、美しいものを残したまま去る方を選んだのかもしれない」
レインは笑った。
「クジェルカさん、詩人なんですね」
「さてね……で?」
二人は視線の先にいるリーフェルトに目をやった。ロランスの海辺だ。リーフェルトは波打ち際で、クジェルカの妻と一緒に、その双子の子に貝殻を拾ってやったり、砂に文字や絵を描いてやったりして笑っている。
「で、って?」
「寝たのか、リーフェルトと」
どこか憮然としたようなクジェルカの言葉に、レインは飲みかけのレモンソーダを吹き出しそうになった。
「まだです」
「デカい口を利いた割にはまだなのか」
「深入りするなと言ったのは、あなたじゃないですか」
まあそうだけどな、とクジェルカは認めたが、デッキチェアに寝そべったまま顔をレインに向けて言った。
「男に抱かれる決心はつかないか」
「逆ですよ。これから少佐を口説いて、俺が抱きます」
「……なんと、まあ」
クジェルカは呆れたようにつぶやいた。そして「でも、やめるなら今だ」と囁いてから言った。
「正直、俺は冷や冷やしている。俺はあの弁護士にも忠告したんだ、リーフェルトには関わるなと。だがやつは言う事を聞かなかった。それであの結果だ」
「俺もそうなると思いますか?……結局、俺か少佐か、どちらかが死ぬ羽目になると」
「ならないように祈る……なあ、不思議でしょうがない。なぜ恋愛で生きるか死ぬかになるんだ。普通はもっと穏当に進んでいくものだろう」
「俺も少佐もたぶん普通じゃないんですよ」
「化け物どもめ」
クジェルカは鼻で笑った。
双子の子が波打ち際でひっくり返って、びしょぬれになった。クジェルカの妻とリーフェルトが一人ずつ抱えて、何か言い、笑いながらこっちへ戻ってくる。ああしてみると、リーフェルトはごくごく普通の男だ。
子供を連れて帰ってきてリーフェルトが笑ってみせた。
「撤収だ。風が出てきた、雨になるだろう。ホテルに戻ろう」
それからリーフェルトがレインに、手を出して、と言った。
「何です?」
言われた通り、レインが右手を出すと、リーフェルトのそのすらりとした指の先から、小さなウイスキー色の塊が魔法のように滑り落ちた。
「琥珀ですよ」
レインは親指の先ほどの塊をつまみ上げてかざしてみた。
「ウイスキーの塊みたいだ」
「このあたりは産地ですね。海岸通り沿いのお土産屋には色々ありますよ、模造品も多いですけどね」
海のほうからゴロゴロと低い雷鳴が聞こえてくた。昼までは青空が広がっていたのに、今はもう厚い雲に覆われはじめ、沖には真っ黒な雲が湧いている。
「この様子では屋外パーティは無理そうですね。せっかくのエヴァレット家の決起集会ですが」
リーフェルトは肩をすくめた。
マキシム・エヴァレットは高級リゾート地であるロランスの老舗有名ホテルを貸し切って、大統領選に向けて気勢を上げようとするところだった。レインとリーフェルトは招待されて来たが、のんびりはできず、土曜の今日来て一晩泊まり、明日の昼にはイズワルドに戻る列車にのらねばならない。
「屋内だけでも十分ではないですか」
レインは目の前にそびえたつ、白亜の荘厳な建物を見上げた。長年、海からの風雨に耐えた装飾が、曇り空の下幽玄に鎮座している。少尉の給料では望むべくもない高級ホテルだった。
悪くない、とレインはつぶやいた。「このホテルで“初夜”ってのは」
「なんです?」
先を行くリーフェルトが振り返って聞き返した。
「いえ、早く行って着替えないと。ああ、雨が降って来た」
そう言って、レインは小走りにリーフェルトを追い抜き、一足先にホテルの中へ飛び込んだ。
背後で雷鳴が聞こえた。嵐が来るな、とリーフェルトがつぶやいた。
そうだ、嵐が来る。リーフェルトの周りはいつも嵐なのだから。
レインはポケットの中の琥珀をまさぐった。
……来るなら来い。嵐だろうが地獄だろうが。
「望むところだ」
そうして彼の思い人を振り返った。
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