殺めてもいいでしょうか?

仲 奈華 (nakanaka)

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ユリ

1.信願

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ユリは、黒山別荘を訪れ保険証書を確認していた。

娘のボタンには時間がない。

彼女は末期癌に侵されている。化学療法を幾度となく繰り返してきたが、癌細胞は死滅しなかった。

先週のインフォームドコンセントで、医師からボタンの治療計画について説明を受けた。鬼柳第一病院の医師はこれ以上の治療継続は困難だと説明してきた。

娘が亡くなってしまう。このままだと。

ユリは、海外を含めて治療継続か可能な手段を必死に探した。A国に行けば希望がある。でも、高額な費用が必要で、どうやっても金額を用意できそうにない。

貯金なんて殆ど使いつくしてしまった。

宝石も、ドレスも売れる物は全て売り払った。

後は、保険を解約してでも、、、



病気がちなボタンの為に、加入した複数の保険証書の中に一枚の封筒を見つけた。



ユリがボタンを産んだ後、マサキはとても喜んでくれた。ボタンを認知して、ボタンを受取人にしたマサキの死亡保険に加入して、ユリに渡して来た。


彼は、私の事を気にかけてくれている。たった一人の娘を愛している。

だから、ずっと待っていたのだ。

信じていた。彼の言葉を。

妻と別れ、ユリと結婚すると言うマサキの事を信じていた。

ずっと。

何年も、何十年も。

でも彼は、いまだに妻と離婚していない。娘のボタンがこんな状態に追い込まれても彼は、、、







使うはずがないマサキの生命保険をユリは確認した。

マサキが死亡した時、5億円の保険金が下りると書かれている。

ああ、そうか。

彼が死ねば、助かるかもしれない。

娘のボタンの治療が続けられる。


愛する彼さえいなくなれば、、、







でも、彼の事をまだ愛している。

彼を失いたくない。

彼が鬼柳ウメと離婚してくれたなら、

彼が一緒にA国でボタンの治療に協力してくれるのなら、

彼が私たちの元に来てくれるのなら、、、








ユリは、マサキに電話をかけた。

プルルルプルルル。

マサキが電話を取った。ユリは、彼に言った。

「マサキさん。ボタンには会えましたか?」

「ああ、彼女は…顔色が悪かった。また病状が悪化したかもしれない。それに何か思い込んでいるような」

(もう彼女には時間がない。すぐにでも金を集めてA国に渡らなければいけない)

「そう。ありがとう。あなた。それで考えてくれましたか?ボタンと一緒にA国へ行きましょう。むこうならボタンが生き残る可能性が高い治療手段があるわ。貴方が一緒にきてくれるのならボタンも納得すると思うの。」

ユリは心の底から願った。彼が頷いてくれるのを。

でも彼は、、、

「ユリ。それは難しいと伝えただろう。A国に行っても、ボタンが助かる見込みは低い。それに最低数億の費用が必要だ。いままで彼女に何千万と治療費をかけてきた。だが、ボタンは自分の病名を知らず、治療に積極的でない。」

やっぱり駄目だった。信じていた。ずっと待っていた。でも裏切られ続ける。娘の命がかかっているのに、マサキは、鬼柳ウメと離婚しないだろう。もう猶予はないのに。

「貴方はそう思うのね。分かったわ。」

マサキとの電話は切られた。

やっぱりマサキを殺し、ボタンが受取人になっている生命保険金を手に入れるしかない。




愛している。


マサキの事を愛している。


彼が私を愛していない事は薄々気がついていた。でも信じたくなかった。彼の甘い言葉を、妻と離婚するという戯言を信じ続けてきた。


結婚し共に過ごし共に老いていく未来を信じていたのに。


だけど彼は、、、











ユリは、キッチンのガス栓に細工を施し、買ったばかりの自動調理器のタイマーを設定した。

シューーーーー


ガスがもらえる音がする。


もうすぐマサキがここに来る。


彼は、いつもリビングに設置されている冷蔵庫のミネラルウォーターを飲んでソファーに座る。

ユリはミネラルウォーターに極細の注射器で睡眠薬を混入し冷蔵庫へ入れた。





裏口から出て、彼の到着を待つ。




ブルル。


遠くで車が止まる音がした。



バタン。トコトコトコ。


トランクを閉めマサキが近づいてくる。


ギー、バタン。


マサキは、家の中に入っていった。





数分待って、ユリは窓からリビングを確認した。



いつも通り彼は、ユリが用意したミネラルウォーターを飲んだみたいだ。

ユリの事を全く疑うことなく。

ミネラルウォーターをローテーブルに置き、リビングのソファーでマサキが寝ている。




ユリは、震える手で、窓枠に強力粘着テープを張って、車に戻った。







車のエンジンをかけながらユリは思った。

まだ間に合う。

今ガス栓を止めれば、仕掛けた予約を消せば、マサキを起こせば、、、




でも、、、

ボタンの青白い顔をユリは思い浮かべた。

私もボタンも、もう彼を信じる事も、待つ事もできない。

ユリは車を発車させた。





山道を走り降りてから、反対側の山にある広場に向かう。

辺りは暗くなってきていた。

車のライトを別荘に向けて照らす。

深紅の車体と、群生するアヤメに当てられた強い光が乱反射して、ユリの青い服も、暗闇も、暗い紫色に包みこまれる。



この場所は、彼と娘と過ごした大事な場所だ。

本当の家族のように将来を誓い合った思い出がある。

でも、娘の命より大事な場所なんて、思い出なんてない。

全てを失っても娘だけは救いたい。

どうしても。






別荘の窓の奥に人影が見えた。


マサキが起きたのだろう。


遠くのガラス越しに、彼と目が合った瞬間、別荘は強い閃光と轟音とともに炎に包みこまれた。



生暖かい暴風が、ユリが佇んでいる場所まで届く。周囲の花が揺れ、花びらがひらひら落ちる。



別荘の駐車場のマサキのセダンが吹き飛ばされトランクとボンネットが開く。



熱い風が、吹き荒れユリを包み込む。


ビューアアアア、ビューウウウウ。


怨念のような風の音が聞こえる。






これで良かったはずだ。

彼が死ねば、死亡保険金が手に入る。

こうするしかなかった。

娘の命を救う為には仕方がなかった。

ユリの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。

「マサキ、ボタンを救う為なの。仕方がなかったの。」

轟轟と燃え上がる別荘を見ながら、ユリは、何故か頬から流れ落ちる涙を、どうしても止める事が出来なかった。
    
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