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離れてみたら
【八】迷える仔羊たち
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静まり返る店内で一番早くに動いたのは、その顔から一切の表情を消した高梨だった。
「おわっ!?」
「は!?」
右手では星の襟首を掴み、そうすれば自ずと星の胸にしがみ付いている月兎も付いて来た。
「ふえっ!?」
左手は雪緒の右手を掴み、無言で大股で開きっぱなしだった出入口へと歩いて行く。
その後をみくがそそっと付いて行き、戸に手を掛けた処で店内を振り返り、若干引き攣った笑顔を浮かべて天野に言った。
「アンタ、後はヨロシクね」
と。
「え」
カラカラと戸が閉められ、その前には呆然と佇む天野が一人取り残された。
参ったと、天野がポリポリと首の後ろを掻きながら振り返れば、そこにはニヤニヤと笑う隊員達や他の常連客の姿があった。いや、瑠璃子は必死で亜矢の両耳を押さえているが、亜矢の顔は真っ赤だった。
ちらりと瑞樹や優士を見れば、瑞樹は目を見開きながら口の端から麦茶を垂れ流しているし、優士はひたすら無表情を貫いていた。
(…どーすんだ、これ…)
と、天野が遠い目をした時、静かに杜川が立ち上がった。
「おじさんちょっと甘い物が食べたくなっちゃったな。でも、おじさん一人で甘味処に入るのは恥ずかしいから、瑠璃子君と亜矢君が付き合ってくれるとおじさん助かるんだけど…」
「あ、ああああ、はい! お付き合いします! 行こう、亜矢ちゃん!」
「は、はいっ!」
申し訳無さそうに杜川がへにょりと眉を下げて、ついでに肩も落として見せれば、瑠璃子と亜矢は一も二もなく、コクコクと頷いた。
そして、瑠璃子と亜矢を先に店の外へと出した杜川は、ポンと天野の肩に手を置いて言ったのだ。
「頑張ってくれたまえよ、猛君」
と。それはそれは良い笑顔を浮かべて。
そして、静かに戸が閉められた後は、もう阿鼻叫喚の渦となった。
「…特別手当…出るかな…」
ぽつりと呟いた天野の言葉は、当然誰の耳にも届かなかった。
◇
「……凄かったな……」
「…ああ…」
そして、悩める仔羊達がここに居た。
あれから天野に『橘は明日から新しい場所だろ? もう帰った方が良い』と助け船が出されて、卑猥な言葉が飛び交う中を抜け出す事が出来て、今は瑞樹の部屋で二人で麦茶の乗った卓袱台を挟んで水羊羹を食べていた。
いや、もう疲れた。疲れには糖分だろうと、帰りの途中で水羊羹を購入したのだ。
「…菅原先輩や白樺が居なくて良かったな…」
「…ああ…」
それはそれはとても女性には聞かせられない内容だった。
普段、皆がどれだけ女性達に気を遣っているのか解った瞬間でもあった。
まあ、女性でなくとも、そんな経験の無い瑞樹や優士にもかなりの毒になったが。
「…大人って凄いんだな…」
「…ああ…」
何かもう、仕事の時とそうでない時の落差が凄かった。
休みの日には、むにゃむにゃがむにゃむにゃな店に行って、むにゃむにゃな事をしているとか、そんな話を聞かされてしまうとは、思いもしなかった。更には今度行くか? とのお誘いを受けてしまい、瑞樹は両手だけでなく首もぶんぶんと横に振った。そんな瑞樹の隣で優士は『結構です』と無表情で断りを入れていたが。
「…高梨隊長は…大人しい方だったんだな…」
「あ?」
瑞樹と優士が断りを入れた時に『お前らも星と同じかよー』とか『隊長と天野もだろー』とか『まあ、高梨は仕方が無いけど』とか、そんな声もあったのだ。ぽつりと思わず零してしまった瑞樹の言葉に、優士は即座に反応した。
『あっ』と、瑞樹は思ったが、もう遅い。放たれた言葉がその口の中に戻る事は無い。
「大人しいとはどう云う事だ?」
僅かに残った水羊羹の器を卓袱台の上に置いて、優士が瑞樹を見る。
顔合わせに行った後から、瑞樹の高梨を見る目が変わった。
その答えが、今、ここで得られるのかも知れないと優士は思った。
散々瑞樹を悩ませている物、それは何なのか。それを瑞樹本人の口から聞ける機会は今しかない。
そう思えば、自然と目付きも鋭くなってしまう。事と次第によっては、高梨に言葉の刃を浴びせようと優士は思った。
「あ…いや…」
そんな優士の視線に晒された瑞樹は水羊羹の入った器を落としそうになり、慌てて卓袱台の上に置いた。
「話せ」
言い淀む瑞樹に優士は卓袱台の上に両手を置き、身を乗り出して容赦無く詰め寄る。
それ程に口にし難い何かがあったのかと、優士は高梨を呪った。
高梨が瑞樹に何かを言ったのか、或いはその津山に何かを言われたのか。津山に何かを言われて、高梨が瑞樹の擁護をしなかったのか。確かにそれならば、納得が行く。大人しいと瑞樹が口にしたのは、他所の部署では、借りて来た猫の様に大人しかったと云う事だろうか? 普段の高梨からは想像も付かないが、組織と云う物に縛られている以上、何かしらの柵があるのだろう。
「…いや…その…お前が…嫌な思いするから…」
「嫌な思いならもうしてる。これ以上ないぐらいに。だから話せ」
だが、そんな物はクソ喰らえだと優士は鼻を鳴らす。
自分はまだ社会に出たばかりのひよっこで、一番の下っ端だ。失くして惜しい地位等無い。話の内容によっては、言葉の刃を浴びせた後で塩を塗り込む事も吝かではない。
「う…その…高梨隊長が…その…むにゃむにゃを…その…むにゃむにゃ…して…」
ただならぬ優士の気配に瑞樹は俯き、早さを増して脈打つ心臓を左手で押さえ、食べ掛けの水羊羹を見ながら口を開くが、要領を得ない瑞樹の言葉に優士は眉を上げ、更に身を乗り出す。
「むにゃむにゃでは解らない。詳しく話せ」
「あっの…っ…! その…っ…た、高梨隊長は、お、おとなで…っ…!」
下げた頭の上で優士の声が聞こえる。それが休み中の出来事を思い出させて、瑞樹の心臓は更に速度を上げた。
「はっきりと言え!」
それでもまだ言葉を誤魔化そうとする瑞樹に、優士が声を張り上げれば、瑞樹は俯いていた顔を上げてその目に涙を浮かべて叫ぶ様に言った。
「つ、やまさんと、ち、ちんこを弄り合う仲だったってっ!!」
再び時間が止まった。
「おわっ!?」
「は!?」
右手では星の襟首を掴み、そうすれば自ずと星の胸にしがみ付いている月兎も付いて来た。
「ふえっ!?」
左手は雪緒の右手を掴み、無言で大股で開きっぱなしだった出入口へと歩いて行く。
その後をみくがそそっと付いて行き、戸に手を掛けた処で店内を振り返り、若干引き攣った笑顔を浮かべて天野に言った。
「アンタ、後はヨロシクね」
と。
「え」
カラカラと戸が閉められ、その前には呆然と佇む天野が一人取り残された。
参ったと、天野がポリポリと首の後ろを掻きながら振り返れば、そこにはニヤニヤと笑う隊員達や他の常連客の姿があった。いや、瑠璃子は必死で亜矢の両耳を押さえているが、亜矢の顔は真っ赤だった。
ちらりと瑞樹や優士を見れば、瑞樹は目を見開きながら口の端から麦茶を垂れ流しているし、優士はひたすら無表情を貫いていた。
(…どーすんだ、これ…)
と、天野が遠い目をした時、静かに杜川が立ち上がった。
「おじさんちょっと甘い物が食べたくなっちゃったな。でも、おじさん一人で甘味処に入るのは恥ずかしいから、瑠璃子君と亜矢君が付き合ってくれるとおじさん助かるんだけど…」
「あ、ああああ、はい! お付き合いします! 行こう、亜矢ちゃん!」
「は、はいっ!」
申し訳無さそうに杜川がへにょりと眉を下げて、ついでに肩も落として見せれば、瑠璃子と亜矢は一も二もなく、コクコクと頷いた。
そして、瑠璃子と亜矢を先に店の外へと出した杜川は、ポンと天野の肩に手を置いて言ったのだ。
「頑張ってくれたまえよ、猛君」
と。それはそれは良い笑顔を浮かべて。
そして、静かに戸が閉められた後は、もう阿鼻叫喚の渦となった。
「…特別手当…出るかな…」
ぽつりと呟いた天野の言葉は、当然誰の耳にも届かなかった。
◇
「……凄かったな……」
「…ああ…」
そして、悩める仔羊達がここに居た。
あれから天野に『橘は明日から新しい場所だろ? もう帰った方が良い』と助け船が出されて、卑猥な言葉が飛び交う中を抜け出す事が出来て、今は瑞樹の部屋で二人で麦茶の乗った卓袱台を挟んで水羊羹を食べていた。
いや、もう疲れた。疲れには糖分だろうと、帰りの途中で水羊羹を購入したのだ。
「…菅原先輩や白樺が居なくて良かったな…」
「…ああ…」
それはそれはとても女性には聞かせられない内容だった。
普段、皆がどれだけ女性達に気を遣っているのか解った瞬間でもあった。
まあ、女性でなくとも、そんな経験の無い瑞樹や優士にもかなりの毒になったが。
「…大人って凄いんだな…」
「…ああ…」
何かもう、仕事の時とそうでない時の落差が凄かった。
休みの日には、むにゃむにゃがむにゃむにゃな店に行って、むにゃむにゃな事をしているとか、そんな話を聞かされてしまうとは、思いもしなかった。更には今度行くか? とのお誘いを受けてしまい、瑞樹は両手だけでなく首もぶんぶんと横に振った。そんな瑞樹の隣で優士は『結構です』と無表情で断りを入れていたが。
「…高梨隊長は…大人しい方だったんだな…」
「あ?」
瑞樹と優士が断りを入れた時に『お前らも星と同じかよー』とか『隊長と天野もだろー』とか『まあ、高梨は仕方が無いけど』とか、そんな声もあったのだ。ぽつりと思わず零してしまった瑞樹の言葉に、優士は即座に反応した。
『あっ』と、瑞樹は思ったが、もう遅い。放たれた言葉がその口の中に戻る事は無い。
「大人しいとはどう云う事だ?」
僅かに残った水羊羹の器を卓袱台の上に置いて、優士が瑞樹を見る。
顔合わせに行った後から、瑞樹の高梨を見る目が変わった。
その答えが、今、ここで得られるのかも知れないと優士は思った。
散々瑞樹を悩ませている物、それは何なのか。それを瑞樹本人の口から聞ける機会は今しかない。
そう思えば、自然と目付きも鋭くなってしまう。事と次第によっては、高梨に言葉の刃を浴びせようと優士は思った。
「あ…いや…」
そんな優士の視線に晒された瑞樹は水羊羹の入った器を落としそうになり、慌てて卓袱台の上に置いた。
「話せ」
言い淀む瑞樹に優士は卓袱台の上に両手を置き、身を乗り出して容赦無く詰め寄る。
それ程に口にし難い何かがあったのかと、優士は高梨を呪った。
高梨が瑞樹に何かを言ったのか、或いはその津山に何かを言われたのか。津山に何かを言われて、高梨が瑞樹の擁護をしなかったのか。確かにそれならば、納得が行く。大人しいと瑞樹が口にしたのは、他所の部署では、借りて来た猫の様に大人しかったと云う事だろうか? 普段の高梨からは想像も付かないが、組織と云う物に縛られている以上、何かしらの柵があるのだろう。
「…いや…その…お前が…嫌な思いするから…」
「嫌な思いならもうしてる。これ以上ないぐらいに。だから話せ」
だが、そんな物はクソ喰らえだと優士は鼻を鳴らす。
自分はまだ社会に出たばかりのひよっこで、一番の下っ端だ。失くして惜しい地位等無い。話の内容によっては、言葉の刃を浴びせた後で塩を塗り込む事も吝かではない。
「う…その…高梨隊長が…その…むにゃむにゃを…その…むにゃむにゃ…して…」
ただならぬ優士の気配に瑞樹は俯き、早さを増して脈打つ心臓を左手で押さえ、食べ掛けの水羊羹を見ながら口を開くが、要領を得ない瑞樹の言葉に優士は眉を上げ、更に身を乗り出す。
「むにゃむにゃでは解らない。詳しく話せ」
「あっの…っ…! その…っ…た、高梨隊長は、お、おとなで…っ…!」
下げた頭の上で優士の声が聞こえる。それが休み中の出来事を思い出させて、瑞樹の心臓は更に速度を上げた。
「はっきりと言え!」
それでもまだ言葉を誤魔化そうとする瑞樹に、優士が声を張り上げれば、瑞樹は俯いていた顔を上げてその目に涙を浮かべて叫ぶ様に言った。
「つ、やまさんと、ち、ちんこを弄り合う仲だったってっ!!」
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