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離れてみたら
【十五】宴にて
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「じゃ、行って来る。…その、出来るだけ早く帰って来れる様にするからな」
「それで場の雰囲気が悪くなる様なら、無理しなくて良い」
今日は瑞樹の歓迎会の日だ。
玄関で草履を履いて振り返って来る瑞樹に、優士は淡々と告げる。
今日を最後に怒涛の呑み会は終わる筈だ。最後だし、明日明後日と瑞樹は休みなのだから、ゆっくりとして来れば良い。それに、下手に早く切り上げて遺恨が残る様な真似は止めた方が良い。職場での瑞樹の居心地が悪くなる様な事は避けたい。
との思いを込めて優士は口にしたのだが、恐らくはその半分も瑞樹には伝わっていないだろう。
昨夜も優士は瑞樹の部屋に泊まった。と、云うか、もう布団を自分の部屋に戻すつもりもない。ベランダでは二組の布団が仲良く陽の光を浴びていた。九月に入ったからと云っても、直ぐに涼しくなる訳が無く。朝夕は過ごしやすくなったが、日中はまだ日陰が恋しい。
「瑞樹」
「お、う、ん」
短く優士がその名を呼べば、一段低くなった位置にいる瑞樹が目を閉じて顔を上げる。
これは、昨日から始めた事だ。
いってらっしゃい、と、無事の帰宅を願っての接吻を優士から瑞樹へと贈る。今日も、歯磨き粉の薄荷の味がした。誰かが檸檬の味と言っていた様な気がするが、それはきっと、その時に檸檬を食べたせいなのだろう。
重ねた唇を離せば、瑞樹は朝から熱中症かと、問いたくなるぐらいに顔も耳も首も真っ赤になっている。
二人で居る時間が減るのなら、これまで以上に二人で居る時間を増やせば良いだけだ。それが、もう優士の部屋に戻る事の無い布団の存在だったりする。
「じゃあな」
と、赤い顔のままだが、へにゃりと笑う瑞樹を見送ってから、優士は自分の部屋へと足を向けた。
空気の入れ替えはしなければならないし、実家から手紙なり何かしらの届け物があるかも知れないからだ。荷物が届いていれば、不在だった場合、不在票が置かれ、一階に居る管理人が預かる事になっている。
冷蔵庫には大した物は入ってはいないが、それらも瑞樹の部屋の冷蔵庫へと移動をさせよう。
後は着替えも何枚かは置く事にしよう。
下着は、共に洗った時にどちらの物か解らなくなるから、名前を書いて置こうか。
それから、新しい歯ブラシを買って、それも瑞樹の部屋に置こう。
そんな金平糖をザラザラと吐きそうな事を考えている優士だが、その顔は相変わらずの塩だ。きっと、瑞樹が感じている以上に、しょっぱ辛い塩だ。だが、それで構わないのだ。優士の金平糖は瑞樹だけが知っていれば良いのだから。
◇
「で、橘はコレとか居るのか?」
「ぶふっ!」
隣に座る三十代の先輩が右手の小指を立てて言った言葉に、瑞樹は最初の一杯だけで良いからと渡された麦酒を軽く噴き出した。
瑞樹が今居るのは、呑み会の会場となっている小さな居酒屋だ。討伐隊が利用している居酒屋とは違い、軽く絞られた照明が、何処か落ち着いた雰囲気を醸し出す、そんな印象の店だ。まず店に入った段階で草履を脱ぐ。そして、案内された席につくのだが、畳張りの床、長細い卓袱台が置かれたその下は、かなりの深さの空洞があり、まるでテーブル席の椅子に腰掛けている様な感覚になる。足を伸ばさずに、正座する事も出来る為、胡座を掻いている者も居る。瑞樹はだらりと脚を伸ばして座っていた。冬になれば、これは炬燵になるのだと、対面に座る津山が教えてくれた。
「その反応はどっちだ?」
「恋人は居ないが、惚れた奴は居るって事か?」
「いや、恋人は居たが別れた?」
「一人なら、俺に娘が居るんだが」
「おいおい、止めろよ。橘にも選ぶ権利があるだろ。で、俺の従姉妹が安産型でお薦めなんだが」
「こらこら。橘君を困らせないで下さい。若い有望株だからって、皆さん焦り過ぎですよ。まだ結婚は早いでしょう、ね?」
次から次へと湧いて来る言葉に、瑞樹が口を挟めないでいたら、津山が苦笑しながら、助け舟を出してくれた。
「それで、実際はどうなのですか? 好みは年上? 年下? 綺麗系、可愛い系、ぽっちゃりさん、痩せ型、どんな女の子が好みなのでしょうか? 私だけにこっそり教えて下さい」
ほっとしかけた瑞樹だったが、その舟は泥舟だった様だ。
「っや、俺、あの、こ、いびと居るんで…」
津山の口元は笑みの形に綻んでいるが、目は解らない。分厚いレンズの向こうの瞳が、どんな形をしているのかは解らないが、あれこれ言葉を濁すよりは、はっきりと言った方が良いだろうと思い、瑞樹は俯いてボソボソと恋人が居ると云う事を伝えた。
「っちゃーっ! やっぱ、居るのかあっ!」
「素直で真面目だから、娘の婿にしたかったんだが!」
「俺、隣の未亡人に、こんな若手が入って来たぜって、話したんだよな!」
「俺も俺も。未亡人じゃなく、行き遅れの従姉妹に!」
「来年生まれる予定の俺の娘にっ!」
途端に次から次へと出て来る言葉に、瑞樹は頬を引き攣らせた。
(こ、怖い…。これが、地元の朱雀が言ってた、噂の結婚斡旋か…っ…!)
そう。朱雀は結婚を目的とするのならば、大変に良い物件なのだ。特にその中でも、討伐部隊は。給金が良い。勤務中に万が一命を落としても、身内には目玉が飛び出る程の見舞金が支払われる。
しかし、と、瑞樹は軽く首を傾げた。
春を買いに行かないかと誘われはしたが、討伐部隊に居た頃はこんな話は出なかったな、と。
それもその筈だ。高梨が瑞樹達が入る前に、徹底的に『本人が望むまでその話はするな』と、扱いていたからだ。これは今回に限った事では無く、毎年恒例となっている。
「顔を赤くして可愛いですね? 相手はどんなお嬢さんなんですか?」
「えっ、あ、塩です」
恐怖に引き攣っていた瑞樹は、津山の問いについポロリと零してしまった。
この場に優士が居たら、粗塩が舞っていた事だろう。
「塩?」
瑞樹の言葉に、その場に居た皆の声が重なった。
「それで場の雰囲気が悪くなる様なら、無理しなくて良い」
今日は瑞樹の歓迎会の日だ。
玄関で草履を履いて振り返って来る瑞樹に、優士は淡々と告げる。
今日を最後に怒涛の呑み会は終わる筈だ。最後だし、明日明後日と瑞樹は休みなのだから、ゆっくりとして来れば良い。それに、下手に早く切り上げて遺恨が残る様な真似は止めた方が良い。職場での瑞樹の居心地が悪くなる様な事は避けたい。
との思いを込めて優士は口にしたのだが、恐らくはその半分も瑞樹には伝わっていないだろう。
昨夜も優士は瑞樹の部屋に泊まった。と、云うか、もう布団を自分の部屋に戻すつもりもない。ベランダでは二組の布団が仲良く陽の光を浴びていた。九月に入ったからと云っても、直ぐに涼しくなる訳が無く。朝夕は過ごしやすくなったが、日中はまだ日陰が恋しい。
「瑞樹」
「お、う、ん」
短く優士がその名を呼べば、一段低くなった位置にいる瑞樹が目を閉じて顔を上げる。
これは、昨日から始めた事だ。
いってらっしゃい、と、無事の帰宅を願っての接吻を優士から瑞樹へと贈る。今日も、歯磨き粉の薄荷の味がした。誰かが檸檬の味と言っていた様な気がするが、それはきっと、その時に檸檬を食べたせいなのだろう。
重ねた唇を離せば、瑞樹は朝から熱中症かと、問いたくなるぐらいに顔も耳も首も真っ赤になっている。
二人で居る時間が減るのなら、これまで以上に二人で居る時間を増やせば良いだけだ。それが、もう優士の部屋に戻る事の無い布団の存在だったりする。
「じゃあな」
と、赤い顔のままだが、へにゃりと笑う瑞樹を見送ってから、優士は自分の部屋へと足を向けた。
空気の入れ替えはしなければならないし、実家から手紙なり何かしらの届け物があるかも知れないからだ。荷物が届いていれば、不在だった場合、不在票が置かれ、一階に居る管理人が預かる事になっている。
冷蔵庫には大した物は入ってはいないが、それらも瑞樹の部屋の冷蔵庫へと移動をさせよう。
後は着替えも何枚かは置く事にしよう。
下着は、共に洗った時にどちらの物か解らなくなるから、名前を書いて置こうか。
それから、新しい歯ブラシを買って、それも瑞樹の部屋に置こう。
そんな金平糖をザラザラと吐きそうな事を考えている優士だが、その顔は相変わらずの塩だ。きっと、瑞樹が感じている以上に、しょっぱ辛い塩だ。だが、それで構わないのだ。優士の金平糖は瑞樹だけが知っていれば良いのだから。
◇
「で、橘はコレとか居るのか?」
「ぶふっ!」
隣に座る三十代の先輩が右手の小指を立てて言った言葉に、瑞樹は最初の一杯だけで良いからと渡された麦酒を軽く噴き出した。
瑞樹が今居るのは、呑み会の会場となっている小さな居酒屋だ。討伐隊が利用している居酒屋とは違い、軽く絞られた照明が、何処か落ち着いた雰囲気を醸し出す、そんな印象の店だ。まず店に入った段階で草履を脱ぐ。そして、案内された席につくのだが、畳張りの床、長細い卓袱台が置かれたその下は、かなりの深さの空洞があり、まるでテーブル席の椅子に腰掛けている様な感覚になる。足を伸ばさずに、正座する事も出来る為、胡座を掻いている者も居る。瑞樹はだらりと脚を伸ばして座っていた。冬になれば、これは炬燵になるのだと、対面に座る津山が教えてくれた。
「その反応はどっちだ?」
「恋人は居ないが、惚れた奴は居るって事か?」
「いや、恋人は居たが別れた?」
「一人なら、俺に娘が居るんだが」
「おいおい、止めろよ。橘にも選ぶ権利があるだろ。で、俺の従姉妹が安産型でお薦めなんだが」
「こらこら。橘君を困らせないで下さい。若い有望株だからって、皆さん焦り過ぎですよ。まだ結婚は早いでしょう、ね?」
次から次へと湧いて来る言葉に、瑞樹が口を挟めないでいたら、津山が苦笑しながら、助け舟を出してくれた。
「それで、実際はどうなのですか? 好みは年上? 年下? 綺麗系、可愛い系、ぽっちゃりさん、痩せ型、どんな女の子が好みなのでしょうか? 私だけにこっそり教えて下さい」
ほっとしかけた瑞樹だったが、その舟は泥舟だった様だ。
「っや、俺、あの、こ、いびと居るんで…」
津山の口元は笑みの形に綻んでいるが、目は解らない。分厚いレンズの向こうの瞳が、どんな形をしているのかは解らないが、あれこれ言葉を濁すよりは、はっきりと言った方が良いだろうと思い、瑞樹は俯いてボソボソと恋人が居ると云う事を伝えた。
「っちゃーっ! やっぱ、居るのかあっ!」
「素直で真面目だから、娘の婿にしたかったんだが!」
「俺、隣の未亡人に、こんな若手が入って来たぜって、話したんだよな!」
「俺も俺も。未亡人じゃなく、行き遅れの従姉妹に!」
「来年生まれる予定の俺の娘にっ!」
途端に次から次へと出て来る言葉に、瑞樹は頬を引き攣らせた。
(こ、怖い…。これが、地元の朱雀が言ってた、噂の結婚斡旋か…っ…!)
そう。朱雀は結婚を目的とするのならば、大変に良い物件なのだ。特にその中でも、討伐部隊は。給金が良い。勤務中に万が一命を落としても、身内には目玉が飛び出る程の見舞金が支払われる。
しかし、と、瑞樹は軽く首を傾げた。
春を買いに行かないかと誘われはしたが、討伐部隊に居た頃はこんな話は出なかったな、と。
それもその筈だ。高梨が瑞樹達が入る前に、徹底的に『本人が望むまでその話はするな』と、扱いていたからだ。これは今回に限った事では無く、毎年恒例となっている。
「顔を赤くして可愛いですね? 相手はどんなお嬢さんなんですか?」
「えっ、あ、塩です」
恐怖に引き攣っていた瑞樹は、津山の問いについポロリと零してしまった。
この場に優士が居たら、粗塩が舞っていた事だろう。
「塩?」
瑞樹の言葉に、その場に居た皆の声が重なった。
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