寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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離れてみたら

【十七】欠ける月

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「おはようございます」

 朝、高梨が着替えて隊長室へと足を踏み入れたら、普段はそこに居ない人間が居た。
 津山は簡易的にある応接セットの二人掛けのソファーにゆったりと座り、手には食堂にある湯呑みを持っており、そこからは玉露の香りが漂って来ていた。

「…何の用だ」

 むすりとしながら、高梨は手にしていた風呂敷に包まれた弁当を持つ手に力を籠めて、自分の机に近付いて行く。

「用件を聞く前に挨拶ぐらいはして下さいよ」

「…おはよう…」

 椅子へと腰を下ろし、風呂敷包みを机の端へと置きながら高梨は、不満気に唇を曲げる津山へと挨拶を返し、机の上に両腕を乗せた。

「爽やかにだなんて贅沢は言いませんけどね。少しくらい、笑顔を見せてくれても罰は当たりませんよ?」

「用件は何だ」

 面白くも無いのに笑えるか、と云う理念を高梨は持っている。
 それを知って居る津山は、昨夜瑞樹みずきが言った『塩』と云う言葉を思い出して軽く肩を竦めた。

「うーん…これも塩なんでしょうかね?」

 肩を竦める津山の脳裏に浮かぶのは、昨夜の優士ゆうじの姿だ。
 津山を見る優士の目に温度は無く、そんな風に威嚇する姿が懐かない猫の様に見えて、何だか微笑ましいと思った。優士本人は喜ばないだろうが。

「は?」

「いいえ、何でもないです。昨日、こちらで橘君の歓迎会を開きましてね、少々、いえ、かなり呑ませてしまいまして…」

 僅かに間の抜けた声を出す高梨に、津山は申し訳無さそうに眉を下げて見せた。

「…おい…」

「ああ、責任持って私が橘君を送りましたよ? あんな千鳥足で重そうな目をしている彼を放ってはおけませんからね」

 剣呑な声を出す高梨に、津山がわざとらしく片手を振りながら言えば、高梨は『そうか…』と、小さく息を吐いた。

「それで橘君の部屋に行きましたら、楠君が迎えに出て来ましてね」

「…何だ、約束でもあったのか?」

 瑞樹と優士は幼馴染みだが、あの新月の日以来、高梨はその認識を改めていた。
 あの日、瑞樹を気遣わし気に見ていた優士。その眼差しには、幼馴染みを気遣うだけでは無い、それ以上の物があると高梨は感じていたのだ。別にそれに否やを唱えるつもりは無い。無いが、その感情が互いを駄目にする物ならば、否と言いざるを得ないだろう。

「そんな感じでも無かったですね。布団は二組敷いてありましたけど」

 瑞樹を優士に預けた時に、津山は部屋の中を見ていた。丁寧に敷かれていた布団の上には、本来ある筈の無い位置に枕があり、それが気になったが。

「ん?」

「若いって良いですね」

「は?」

「まあ、恋人達の事情は置いておきまして。今月の新月の日、出番でしたよね? あなたの隊に橘君を出します」

 津山の言葉通りに、高梨隊は今月の新月には遠征に行く。
 新月の遠征は一月ひとつき置きの交代制だ。七月に行ったから、八月は行っていない。そして、また今月行く。前回行った村とは違う処へと。

「…何?」

 二人の事情よりも、その本題が先だろうと、高梨は目付きを鋭くして津山を見た。
 さっさと言えと、泣く子が更に泣きそうな視線を受けても、津山は臆する事無く言葉を綴る。

「あなたが居て、熊さんが居て、杜川君が居る。あなたの隊以上に安全な隊は無いでしょう?」

「…何が目的だ? 橘の様子はどうなんだ?」

 その上で、天野の事を"熊"と呼ぶ事を津山は忘れない。
 それを高梨はさらりと流して続きを促す。天野がこの場に居たら泣いていたかも知れない。

「それの確認をしたいのです。昨日、一昨日と一般病棟の怪我人を診て貰いましたが、目に見えて怯えたりする様子は見られませんでした。彼の休み明けに手術があれば、そちらも見学させます。あ、当日は私も現場へ出ますから邪険にしないで下さいね」

「…………現場で怪我人が出るのを楽しみにしている様に聞こえるんだが?」

「そんな事はありませんよ」

 唇は笑みの形を作っているが、その厚いレンズの向こうはどうだか解らない。
 眼鏡に本当に碌な奴は居ないと、高梨は内心で舌打ちをした。

 ◇

「…なあ、ゆかりん」

 昼の食堂で野菜が目立つ弁当を食べる手を止めて、津山に熊と呼ばれた天野が隣に座る高梨に声を掛けた。

「高梨と呼べ」

「今は休憩中だから良いだろ。それより、楠が熱い視線をお前に送って来ているんだが」

 むすりと放つ高梨の言葉を天野は何時もの事と聞き流し、斜め後ろのテーブル席に座る優士を軽く見た。

「………ああ…。朝からな…射殺されそうだ…」

 それは、もう朝の挨拶からだ。
 朝礼で夜勤からの連絡事項を話している時も、じっと優士は高梨を睨んでいた。
 原因は恐らく、酔い潰された瑞樹だろう。
 俺を睨まれても、と高梨は思うが、津山がここに居ない以上、異動を勧めた自分にそのお鉢が回って来るのは致し方無いかと、高梨は諦めてその視線を受け続けている。
 高梨のその考えは当たってはいるが、足りない物もある。
 優士は第一段階として、高梨に正しい接吻の仕方を聞いたのだ。第一段階と云う事は、当然、その次もあると云う事だ。しかし、高梨はそんな優士の考え等知る筈も無く、次に津山に会った時には、無理矢理に吞ませるなと、文句を言う気満々でいた。

「おやおや。物騒だね。優士君に何かしたのかね?」

「ゆきおに言い付けるぞ」

「する筈が無いでしょう。それより、何時までこちらに居るのですか。あちらは大丈夫なのですか?」

 うんざりとしながら、高梨は落ちて来た前髪を掬い、己の対面に座る杜川を見る。その隣でジャンボメンチカツ定食の大盛りを食べているのはせいだ。

「うむ。いやね、星がね、瑞樹君や優士君が気になるって言うしね、月兎つきとも学校に通い始めて、担任の先生から家庭訪問をしたいって話があってね、まあ、向こうは柚子ゆず君に任せてあるから、問題は無いんだけどね。瑞樹君の心的障害がね、良い方へ向かうのを見てから帰ろうかな、とね、私は思っているのだよ」

 杜川の言葉に、高梨と天野はさり気なく食堂を見渡す。たんこぶをこさえて居るのが若干名、筋肉痛に悩むのが若干名、服の上からでは解らないが、青あざをこさえているのが複数名、箸を持つ手が震えているのが複数名…これら全部をしてのけたのが、ニコニコとした顔で食後の甘味にと、大福を口に運ぶ杜川なのだった。

「再来週には新月があるよね。楽しみだね」

 杜川の言葉に、高梨は長く重い息を吐くのだった。
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