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狐と熊とみく
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『…ミ、ク…?』
ただ、その名を呼んであーちゃんは、薄く目を開き、口元を綻ばせたまま動かないみくを見詰めた。
暫くして、何も映さないその瞳を開けたままにしておくのが悲しくて、閉じてやろうと手を伸ばした時。
「…はああああああっ!!」
裂帛の気合が聞こえ、そして、一陣の風が吹いた。
慌ててあーちゃんは飛び退ったものの、手の甲からは血が流れていた。
みくに気を取られていたとは云え、ここまでの接近を許していたとは、と、あーちゃんは震えた。
逃げられる筈が無い、そう思った。
これまでにも、この黒いおかしな着物を着た男達を見た事があった。
だけど、これまではその度に姿を消して遣り過ごしていた。
いたのだが、今日は間が悪かった。
とにかく、今、目の前に居る、狐の様に細い目をした男は質が悪い。
心底自分を、いや、妖を憎んでいる目だ。
姿を消した処で、この男は血の匂いを頼りに追って来るだろう。
「天野、どうだっ!?」
あーちゃんを睨み付け、刀の切っ先を向けながら、黒い男が声を張り上げる。
横たわるみくの傍らに、あーちゃんと同じぐらいか、或いは大きいかも知れない、熊の様な男が跪いていた。
「…駄目だ…。…だが…これは…っ…、待て、高梨…っ!」
「それだけ解れば良いっ!」
『…ア…ッ…!?』
何かに気付いたらしい、熊の言葉を無視して、狐目の男があーちゃんへと斬り掛かる。
動きは見えていたと、避けられたと、あーちゃんは思った。
だが、実際は間一髪。
胸に生えている毛を散らされ、僅かに付けられた線から、血が滲んだ。
駄目だ、この男は駄目だ。
あーちゃんの本能が告げる。
自分はこの男に屠られると。
「ちっ、逃げられると思うなよっ!」
『ア、ア…』
狐目の男が怒気を孕んだ声で叫ぶ。
刀が振り上げられ、沈み往く陽の光に照らされた刃がやけに眩しく禍々しく輝いて見える。その光が伸びて、あーちゃんの頭へと振り下ろされる刹那。
「待て、ゆかりんっ!!」
「あああああああ、アタイを斬っても美味しくないよッ!!」
熊とあーちゃんが同時に叫び、狐目の男はピタリとその動きを止めた。
「…お…んな…?」
「…ゆ…かりん…?」
その呆然とした呟きは、狐目の男とあーちゃん二人同時に発せられた物だった。
「…あ…え…? …は…?」
狐目を止めようとして立ち上がった熊が、自分の足下にいるみくと、あーちゃんを見比べている。
今のあーちゃんの姿は、妖のそれでは無く。
薄く淡い桃色の着物を纏った女の姿だった。
そう、熊があーちゃんと見比べているみくの姿だった。
死にたくないと、生きていたいと、そう、あーちゃんは願った。
妖だから、屠られるのならば、そんな姿等要らないと。
生きるのなら、みくの姿が良いと思った。
あーちゃんを好きだと言ってくれた、みくになりたいと思った。
そう願った瞬間、身体中の血が沸騰した感じになって、気が付いたら、みくの声で、話し方で叫んでいた。
「…天野、お前にはこいつがどう見える?」
狐目が熊に訊く。
ただし、視線も刃も、あーちゃんの喉元に向けたままで、だが。
「あ、と、こ、ここに倒れて居る婦人が無傷なら、多分、いや、恐らく、間違いなく、その姿なのだろうと…」
もごもごと、熊が片手で口を隠してあーちゃんをチラチラ見ながら答えたが、そんな答えを狐目は望んでいた訳では無い。
「…人間に見えるのかと聞いている。…何だこれは? こんなの俺は知らないぞ。妖が人に化けられるなぞと」
「あ、ああ…俺も知らん」
僅かながらに殺気が薄れたのを感じて、あーちゃんが叫ぶ。
「あ、ああああの、アタイ、生きたいんだ、殺さないでおくれよッ!」
「散々、人の命を喰らって来て何をほざく。死ね。貴様等妖に命乞いをする権利は無い」
だがそれは無情にも、狐目に却下された。
「ひいッ!!」
喉元にひやりとした刃の冷たさを感じて、あーちゃんは声を引き攣らせた。
こいつは危ない奴だと。
何をどう言っても聞き入れてくれないと、あーちゃんは思った。
「待て、ゆかりん!! 倒れた婦人には刺し傷があった! 村人の話と違うっ!!」
狐目と熊の二人は村の周囲にどう隊員を割り振るかと、村の外を見て回って居た時に、森の方から走って逃げて来る二人の男に遭遇した。
話を聞けば、妖に襲われた処を命からがら逃げて来たと云う。
その際に、一緒に山菜を取りに来た女が妖に捕まったと。
大の男が二人も居て、女を餌に逃げて来たのかと狐目が怒鳴れば、熊がどうどうと狐目を宥めすかせて、この森まで走って来たのだった。
「そんなのはどうでも良い。目の前に妖が居れば斬るだけだ」
本当に、それは些細な事だと云う様に、狐目はあーちゃんを睨み付ける。
「っだああああああっ!! この妖は特別だ! 殺さず様子を見るべきだっ!! 大体、そこの婦人は喰われてはいない!!」
そんな狐目の正面に回り込み、両腕を広げて熊はあーちゃんを庇う様に立ち塞がった。
「ああああああアンタ、良い男だねえ! 話が解るじゃないか! そうさ、アタイは人を食べない! だから、見逃しておくれよ!!」
するすると言葉が出て来る事に、あーちゃんは内心驚いていた。
人間の姿になったからだろうか?
みくならば、きっとこう言っていたであろう言葉が、勝手に湧いて出て来る。
「…いい男…」
熊がポツリと呟いて、頭をガリガリと掻き出した。
「…おい…。…こうなる前の姿はゴリラだぞ…熊がゴリラに褒められてどうする…」
そんな熊の様子を見て、狐目が細い目を更に細め、眉間に皺を寄せた。ただでさえ低い声が、より一層低くなっている。
「ア、アタイはもう、あの姿にはならないよ! 人間を襲ったりもしない! だから、殺さないで見逃しておくれよ!」
「妖の言葉なぞ信じられるか! 今直ぐ死ね!」
あーちゃんの必死の訴えも、狐目の胸には響かない。
「ひいいいッ!? 何でそんなに頭が固いんだいッ!? そんなんじゃモテないよッ!!」
「要らん世話だ!! 生憎と相手には不自由していないんでな!」
「鞠子様、寛大だよなあ~」
「天野! 先刻からお前はっ! 気勢を殺ぐなっ!!」
「殺がなければ、お前、これをそのご婦人の喉元に刺し込むだろ!? 殺人は駄目だ!」
顔の脇にある刃を、天野が指でちょんちょんと突く。
「妖だっ!」
「あああああああの、さ、アタイの事は好きにして良いからさ! とにかく、殺すのだけは勘弁しておくれよ!!」
「色仕掛けか? 生憎だがそんな物に流される俺た…」
前髪を掻き上げながら狐目が言うが。
「お嬢さんみたいな綺麗な人が、好きにとか言うもんじゃない! 自分をもっと大切にするんだ!」
流された熊が、ここに居た。
「は?」
狐目が何かを言おうとしたのを遮って、熊ががっしりと両手であーちゃんの肩を掴んだ。
思わず、あーちゃんの目も、狐目の目も点になった。
「…おい、天野…?」
「安心してくれ、お嬢さん。俺がずっと傍に居て、お嬢さんを監視する。それなら良いだろ? ゆかりん?」
「…は…? かんし…?」
「ああ、一生傍に居る」
それは求婚と呼ばれる物だが、熊もあーちゃんも、勿論狐目も気が付いては居ない。
「…は、あ…。生きていられるんなら、何でも良いけど…」
何だか良く解らないけど、死ぬ事は無くなったらしいと、あーちゃんの身体から力が抜けた。
いや、思い切り脱力したと言っても良い。
「勝手に決めるな、天野! そいつは妖だぞ! 目を覚ませっ!!」
「俺の目は、ゆかりんと違って、常に開いている!」
「どう云う意味だっ!!」
「お嬢さん、是非名前を教えて下さい。俺、いや、僕は天野猛です」
「おい、天野! そんな図体で僕とかほざくなっ!!」
「え、へ、あ、あ…と…みく…だよ…」
そんな遣り取りがされてる中、隊長と副隊長に『村を守れ』と言われた隊員達は、死に物狂いで狐目の威圧から逃げ出して来た妖達と戦っていた。
村を守らなければ、扱き殺されるからだ。
隊員達は妖よりも、自分達の部隊長が何よりも怖かった。
その頑張りのお蔭で村は無事に守られたのだった。
◇
「と、まあ、気が付いたら何か漫才になっちゃってたのよね、これが」
ふふっと笑いながら、みくが青い空を仰ぐ。
すっかりと猫を被るのを忘れているが、でも、それで良いじゃないかとみくは思った。
自分が好きになったみくを好いて欲しいと、話している内にそう思ったからだ。
あの時の二人の男を、紫と天野が再び問い詰めて、"みく"を刺した男共々捕えて然るべき処へと送った。その後の事は知らないし、知りたいとも思わなかった。何より、きっと"みく"自身もそれを望まないだろう。
"みく"の亡骸は、あの森の中に。二人でおにぎりを食べた場所へと埋めた。
あんな村に帰しても、"みく"は喜ばない。そう思ったからだ。
「ふぇっ、ふえ~、みぐじゃんじゃみゃあ…だ、だんなしゃまが…きかん坊でしゅぅ~」
みくの右隣に座る雪緒が涙を流しながら、とうもろこしに齧り付いている。
「うっ、うっ、泣いていいのか、笑っていいのか、わかん…うっ、うっ…」
同じく、みくの左隣に座る星も、三本目のとうもろこしに齧り付きながら、涙を流していた。
「泣いても良いし、笑っても良いよ。みくはどっちでも喜んでくれるだろうけど、笑ってくれた方が何倍も喜ぶだろうね」
そんな二人のそれぞれの頭に、みくが右手と左手を乗せた時、のんびりとした声が届いた。
「そうですかあ~。じゃ、笑おうね~。ね、紫君~」
「うん、そうしておくれ…………………………………って、相楽のダンナ!? 雪緒君のダンナも!? 何時の間にっ!?」
「え~。みくちゃん、西瓜持って雪緒君の家に行くから、紫君の診察が終わったら食べにおいでって、電話くれたじゃない~。忘れたの~? 酷いなあ~」
目を見開くみくに、相楽がわざとらしく頬を膨らませた。
そして、その隣に立つ紫からは、氷の様に冷たい視線が向けられていた。
「…みく…後で話がある。解るな? 逃げたら殺す」
「ひいいいッ!?」
地の底を這う様な声に、みくの背筋がピンと伸びた。
そして、嫌な汗がだらだらと流れ始める。
「だ、だんなしゃ…、あ、あいてに不自由してにゃ…って、どう云う意味でしゅか…」
どうやって切り抜けようかと、みくが思った時、雪緒が爆弾を投げ付けた。
その瞬間、みくには視えた。紫の背後に穏やかに微笑む鞠子の姿が。
「今直ぐ殺すっ!! 星、そこの包丁を寄越せっ!!」
紫が星の名を呼んで、切られた西瓜の側にある包丁を指差した。
「えー…」
片手しか使えないのにー?
と、星は思った。
「わあ、ハードだなあ~」
相楽は、のほほんと笑いながら縁側へと歩いて行き、どれにしようかな、と、皿にある西瓜を選んでいる。
「ひいいい――――――――ッ!!」
誰もみくを助ける人は居ない。
それを悟ったみくは、叫び声を上げながら立ち上がり、一目散に走り出した。
「待てっ!!」
「ふえぇ…だんにゃしゃみゃあ~…」
逃げるみくを、紫が追う。その後を、雪緒が泣きながら追いかけていた。
空は何処までも青く、まだまだ色濃かった。
◇
―――――――――…ねえ"みく"聞こえるかい?
アンタの生き方が間違ってたとか、アタイには言えないけどさ。
けどさ、他の生き方もあったんだと思うよ。
アタイは今、幸せだよ。
アンタが居てくれたから。
アンタに逢えたから。
アンタが笑ってくれたから。
アンタが好きだって、言ってくれたから。
だから、アタイは今ここに居ると思うんだ。
アンタが生きられ無かった分も。
アンタが幸せになる筈だった未来を、今を。
アタイはここで生きて行くよ。
『…だから、アタイはそんなアンタが好きなんだよ…』
風に乗って、そう笑う"みく"の声が聞こえた気がした。
頭に浮かんだのは、涙を浮かべてお腹を抱えて笑う"みく"の姿だった。
ただ、その名を呼んであーちゃんは、薄く目を開き、口元を綻ばせたまま動かないみくを見詰めた。
暫くして、何も映さないその瞳を開けたままにしておくのが悲しくて、閉じてやろうと手を伸ばした時。
「…はああああああっ!!」
裂帛の気合が聞こえ、そして、一陣の風が吹いた。
慌ててあーちゃんは飛び退ったものの、手の甲からは血が流れていた。
みくに気を取られていたとは云え、ここまでの接近を許していたとは、と、あーちゃんは震えた。
逃げられる筈が無い、そう思った。
これまでにも、この黒いおかしな着物を着た男達を見た事があった。
だけど、これまではその度に姿を消して遣り過ごしていた。
いたのだが、今日は間が悪かった。
とにかく、今、目の前に居る、狐の様に細い目をした男は質が悪い。
心底自分を、いや、妖を憎んでいる目だ。
姿を消した処で、この男は血の匂いを頼りに追って来るだろう。
「天野、どうだっ!?」
あーちゃんを睨み付け、刀の切っ先を向けながら、黒い男が声を張り上げる。
横たわるみくの傍らに、あーちゃんと同じぐらいか、或いは大きいかも知れない、熊の様な男が跪いていた。
「…駄目だ…。…だが…これは…っ…、待て、高梨…っ!」
「それだけ解れば良いっ!」
『…ア…ッ…!?』
何かに気付いたらしい、熊の言葉を無視して、狐目の男があーちゃんへと斬り掛かる。
動きは見えていたと、避けられたと、あーちゃんは思った。
だが、実際は間一髪。
胸に生えている毛を散らされ、僅かに付けられた線から、血が滲んだ。
駄目だ、この男は駄目だ。
あーちゃんの本能が告げる。
自分はこの男に屠られると。
「ちっ、逃げられると思うなよっ!」
『ア、ア…』
狐目の男が怒気を孕んだ声で叫ぶ。
刀が振り上げられ、沈み往く陽の光に照らされた刃がやけに眩しく禍々しく輝いて見える。その光が伸びて、あーちゃんの頭へと振り下ろされる刹那。
「待て、ゆかりんっ!!」
「あああああああ、アタイを斬っても美味しくないよッ!!」
熊とあーちゃんが同時に叫び、狐目の男はピタリとその動きを止めた。
「…お…んな…?」
「…ゆ…かりん…?」
その呆然とした呟きは、狐目の男とあーちゃん二人同時に発せられた物だった。
「…あ…え…? …は…?」
狐目を止めようとして立ち上がった熊が、自分の足下にいるみくと、あーちゃんを見比べている。
今のあーちゃんの姿は、妖のそれでは無く。
薄く淡い桃色の着物を纏った女の姿だった。
そう、熊があーちゃんと見比べているみくの姿だった。
死にたくないと、生きていたいと、そう、あーちゃんは願った。
妖だから、屠られるのならば、そんな姿等要らないと。
生きるのなら、みくの姿が良いと思った。
あーちゃんを好きだと言ってくれた、みくになりたいと思った。
そう願った瞬間、身体中の血が沸騰した感じになって、気が付いたら、みくの声で、話し方で叫んでいた。
「…天野、お前にはこいつがどう見える?」
狐目が熊に訊く。
ただし、視線も刃も、あーちゃんの喉元に向けたままで、だが。
「あ、と、こ、ここに倒れて居る婦人が無傷なら、多分、いや、恐らく、間違いなく、その姿なのだろうと…」
もごもごと、熊が片手で口を隠してあーちゃんをチラチラ見ながら答えたが、そんな答えを狐目は望んでいた訳では無い。
「…人間に見えるのかと聞いている。…何だこれは? こんなの俺は知らないぞ。妖が人に化けられるなぞと」
「あ、ああ…俺も知らん」
僅かながらに殺気が薄れたのを感じて、あーちゃんが叫ぶ。
「あ、ああああの、アタイ、生きたいんだ、殺さないでおくれよッ!」
「散々、人の命を喰らって来て何をほざく。死ね。貴様等妖に命乞いをする権利は無い」
だがそれは無情にも、狐目に却下された。
「ひいッ!!」
喉元にひやりとした刃の冷たさを感じて、あーちゃんは声を引き攣らせた。
こいつは危ない奴だと。
何をどう言っても聞き入れてくれないと、あーちゃんは思った。
「待て、ゆかりん!! 倒れた婦人には刺し傷があった! 村人の話と違うっ!!」
狐目と熊の二人は村の周囲にどう隊員を割り振るかと、村の外を見て回って居た時に、森の方から走って逃げて来る二人の男に遭遇した。
話を聞けば、妖に襲われた処を命からがら逃げて来たと云う。
その際に、一緒に山菜を取りに来た女が妖に捕まったと。
大の男が二人も居て、女を餌に逃げて来たのかと狐目が怒鳴れば、熊がどうどうと狐目を宥めすかせて、この森まで走って来たのだった。
「そんなのはどうでも良い。目の前に妖が居れば斬るだけだ」
本当に、それは些細な事だと云う様に、狐目はあーちゃんを睨み付ける。
「っだああああああっ!! この妖は特別だ! 殺さず様子を見るべきだっ!! 大体、そこの婦人は喰われてはいない!!」
そんな狐目の正面に回り込み、両腕を広げて熊はあーちゃんを庇う様に立ち塞がった。
「ああああああアンタ、良い男だねえ! 話が解るじゃないか! そうさ、アタイは人を食べない! だから、見逃しておくれよ!!」
するすると言葉が出て来る事に、あーちゃんは内心驚いていた。
人間の姿になったからだろうか?
みくならば、きっとこう言っていたであろう言葉が、勝手に湧いて出て来る。
「…いい男…」
熊がポツリと呟いて、頭をガリガリと掻き出した。
「…おい…。…こうなる前の姿はゴリラだぞ…熊がゴリラに褒められてどうする…」
そんな熊の様子を見て、狐目が細い目を更に細め、眉間に皺を寄せた。ただでさえ低い声が、より一層低くなっている。
「ア、アタイはもう、あの姿にはならないよ! 人間を襲ったりもしない! だから、殺さないで見逃しておくれよ!」
「妖の言葉なぞ信じられるか! 今直ぐ死ね!」
あーちゃんの必死の訴えも、狐目の胸には響かない。
「ひいいいッ!? 何でそんなに頭が固いんだいッ!? そんなんじゃモテないよッ!!」
「要らん世話だ!! 生憎と相手には不自由していないんでな!」
「鞠子様、寛大だよなあ~」
「天野! 先刻からお前はっ! 気勢を殺ぐなっ!!」
「殺がなければ、お前、これをそのご婦人の喉元に刺し込むだろ!? 殺人は駄目だ!」
顔の脇にある刃を、天野が指でちょんちょんと突く。
「妖だっ!」
「あああああああの、さ、アタイの事は好きにして良いからさ! とにかく、殺すのだけは勘弁しておくれよ!!」
「色仕掛けか? 生憎だがそんな物に流される俺た…」
前髪を掻き上げながら狐目が言うが。
「お嬢さんみたいな綺麗な人が、好きにとか言うもんじゃない! 自分をもっと大切にするんだ!」
流された熊が、ここに居た。
「は?」
狐目が何かを言おうとしたのを遮って、熊ががっしりと両手であーちゃんの肩を掴んだ。
思わず、あーちゃんの目も、狐目の目も点になった。
「…おい、天野…?」
「安心してくれ、お嬢さん。俺がずっと傍に居て、お嬢さんを監視する。それなら良いだろ? ゆかりん?」
「…は…? かんし…?」
「ああ、一生傍に居る」
それは求婚と呼ばれる物だが、熊もあーちゃんも、勿論狐目も気が付いては居ない。
「…は、あ…。生きていられるんなら、何でも良いけど…」
何だか良く解らないけど、死ぬ事は無くなったらしいと、あーちゃんの身体から力が抜けた。
いや、思い切り脱力したと言っても良い。
「勝手に決めるな、天野! そいつは妖だぞ! 目を覚ませっ!!」
「俺の目は、ゆかりんと違って、常に開いている!」
「どう云う意味だっ!!」
「お嬢さん、是非名前を教えて下さい。俺、いや、僕は天野猛です」
「おい、天野! そんな図体で僕とかほざくなっ!!」
「え、へ、あ、あ…と…みく…だよ…」
そんな遣り取りがされてる中、隊長と副隊長に『村を守れ』と言われた隊員達は、死に物狂いで狐目の威圧から逃げ出して来た妖達と戦っていた。
村を守らなければ、扱き殺されるからだ。
隊員達は妖よりも、自分達の部隊長が何よりも怖かった。
その頑張りのお蔭で村は無事に守られたのだった。
◇
「と、まあ、気が付いたら何か漫才になっちゃってたのよね、これが」
ふふっと笑いながら、みくが青い空を仰ぐ。
すっかりと猫を被るのを忘れているが、でも、それで良いじゃないかとみくは思った。
自分が好きになったみくを好いて欲しいと、話している内にそう思ったからだ。
あの時の二人の男を、紫と天野が再び問い詰めて、"みく"を刺した男共々捕えて然るべき処へと送った。その後の事は知らないし、知りたいとも思わなかった。何より、きっと"みく"自身もそれを望まないだろう。
"みく"の亡骸は、あの森の中に。二人でおにぎりを食べた場所へと埋めた。
あんな村に帰しても、"みく"は喜ばない。そう思ったからだ。
「ふぇっ、ふえ~、みぐじゃんじゃみゃあ…だ、だんなしゃまが…きかん坊でしゅぅ~」
みくの右隣に座る雪緒が涙を流しながら、とうもろこしに齧り付いている。
「うっ、うっ、泣いていいのか、笑っていいのか、わかん…うっ、うっ…」
同じく、みくの左隣に座る星も、三本目のとうもろこしに齧り付きながら、涙を流していた。
「泣いても良いし、笑っても良いよ。みくはどっちでも喜んでくれるだろうけど、笑ってくれた方が何倍も喜ぶだろうね」
そんな二人のそれぞれの頭に、みくが右手と左手を乗せた時、のんびりとした声が届いた。
「そうですかあ~。じゃ、笑おうね~。ね、紫君~」
「うん、そうしておくれ…………………………………って、相楽のダンナ!? 雪緒君のダンナも!? 何時の間にっ!?」
「え~。みくちゃん、西瓜持って雪緒君の家に行くから、紫君の診察が終わったら食べにおいでって、電話くれたじゃない~。忘れたの~? 酷いなあ~」
目を見開くみくに、相楽がわざとらしく頬を膨らませた。
そして、その隣に立つ紫からは、氷の様に冷たい視線が向けられていた。
「…みく…後で話がある。解るな? 逃げたら殺す」
「ひいいいッ!?」
地の底を這う様な声に、みくの背筋がピンと伸びた。
そして、嫌な汗がだらだらと流れ始める。
「だ、だんなしゃ…、あ、あいてに不自由してにゃ…って、どう云う意味でしゅか…」
どうやって切り抜けようかと、みくが思った時、雪緒が爆弾を投げ付けた。
その瞬間、みくには視えた。紫の背後に穏やかに微笑む鞠子の姿が。
「今直ぐ殺すっ!! 星、そこの包丁を寄越せっ!!」
紫が星の名を呼んで、切られた西瓜の側にある包丁を指差した。
「えー…」
片手しか使えないのにー?
と、星は思った。
「わあ、ハードだなあ~」
相楽は、のほほんと笑いながら縁側へと歩いて行き、どれにしようかな、と、皿にある西瓜を選んでいる。
「ひいいい――――――――ッ!!」
誰もみくを助ける人は居ない。
それを悟ったみくは、叫び声を上げながら立ち上がり、一目散に走り出した。
「待てっ!!」
「ふえぇ…だんにゃしゃみゃあ~…」
逃げるみくを、紫が追う。その後を、雪緒が泣きながら追いかけていた。
空は何処までも青く、まだまだ色濃かった。
◇
―――――――――…ねえ"みく"聞こえるかい?
アンタの生き方が間違ってたとか、アタイには言えないけどさ。
けどさ、他の生き方もあったんだと思うよ。
アタイは今、幸せだよ。
アンタが居てくれたから。
アンタに逢えたから。
アンタが笑ってくれたから。
アンタが好きだって、言ってくれたから。
だから、アタイは今ここに居ると思うんだ。
アンタが生きられ無かった分も。
アンタが幸せになる筈だった未来を、今を。
アタイはここで生きて行くよ。
『…だから、アタイはそんなアンタが好きなんだよ…』
風に乗って、そう笑う"みく"の声が聞こえた気がした。
頭に浮かんだのは、涙を浮かべてお腹を抱えて笑う"みく"の姿だった。
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孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。
ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。
異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。
二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。
しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。
再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。
異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる
七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。
だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。
そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。
唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。
優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。
穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。
――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。
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