神様お願い

三冬月マヨ

文字の大きさ
上 下
5 / 7
番外編

とある魔王様の苦悩

しおりを挟む
 その赤子は産声を上げなかった。
 目は開く筈も無いが、小さな口も閉ざされたままだった。
 誰もが死産かと思った時、一筋の風が吹いた。
 それは、赤子の臀部を叩く様にして過ぎて行った。
 その風に叱咤されたのかは知らない。
 だが、その瞬間、赤子は生命の息吹を上げたのだった。

「…手間を掛けさせおる…」

 遠く離れた場所で、小さく呟いた男が居た事を知る者は居ない。

 ◇

 男の目の前で、一人の人間が倒れた。
 人間達の間で勇者と呼ばれる者。
 希望だと、光だと呼ばれている存在だ。
 倒れた傍らには一振りの剣があった。
 人々の間から聖剣と呼ばれている物だ。
 が、男が持っている剣となんら変わる事は無い。
 光が持つから聖剣。
 闇が持つから魔剣。
 ただ、それだけの事。

「…下らぬ…」

 斃れた勇者を、面白くもなさそうに金色の瞳を細めて、ただ一度映しただけで、男は玉座から立ち上がる。
 男が手にした魔剣を揮う事無く、傍らに控えていた魔族の手によって勇者は息絶えた。

「魔王様、これで、また暫しの平穏が訪れますね」

「次の勇者が現れるまでに、戦力を整えて置かないと」

「本当に次から次へとウザい」

「あ。また聖剣が消えた」

「光の精霊の仕業だ。素早い」

「掃除掃除」

死体これ、人間の城に送り返して来ますね」

 そんな言葉を耳にしながら、魔王と呼ばれた男は、床に血を流して倒れる勇者に目を向ける事無く、その場を後にする。

 長い戦いが続いて居た。
 魔族と人間。
 魔王と勇者の戦いが。
 人間は勝手に魔族を脅威だと、脅かす者だと、敵だと認定して、争いを仕掛けて来る。
 魔族の方から人間に手を出した事は、唯の一度も無い。
 人間から仕掛けて来るから、仕方が無く相手をしているだけだ。
 自らの命を守る為に。
 光の精霊から力を貰った勇者が倒れた今、また人間達は大人しくなるだろう。
 そして、新たな勇者が誕生したら、また魔族に戦いを仕掛けて来るのだろう。
 それの繰り返しだ。
 自分が魔王と呼ばれる様になってから、どれだけの勇者を倒して来たのか。
 両の手の指では足りなくなった頃、魔王は数を数えるのを止めた。
 ともかくは、暫しの休息を求めて魔王は自室へと向かった。

『…っ…う…っ…う…』

 ふと泣き声が聞こえて来て、魔王は目を覚ました。
 枕元には窓から差し込む月の光があった。
 この夜は満月だった。

『…ふ、…う…っ…』

 泣き声は止まない。
 頭に直接響く声だった。
 僅かな苛立ちを覚えながら魔王はベッドから下り、愛用の黒いローブを身に着け外へと出た。
 泣き声のする方へ。
 泣き声の聞こえる方へ。
 導かれる様に。
 誘われる様に。

 一時間程掛けて魔王が辿り着いたそこは、広大な森の中にある湖だった。
 ただし、歪な。
 常なら風に凪いだ湖面に、今宵の満月の夜空が映し出されているのであろうが。
 湖の上には、水の塊が浮いていた。
 細長い、まるで鏡の様な形をした水の塊が、幾つも幾つも。
 それらには、様々な人の様子が映し出されていた。
 男女問わず、赤子から成人とされる年代の者達が。
 月の光に照らされたそれは、何処か神秘的ですらあった。
 そして、その水鏡を覗いている物が。
 眩い光に包まれていて、獣なのか人なのか、男なのか女なのか、子供なのか大人なのかは判別がつかない。

「…また、選別しておるのか…」

 特に感情を乗せた訳では無いが、魔王のその声音には何処か疲れた響きがあった。

「うん。君に、また殺されてしまったからね」

 魔王に声を掛けられたそれは、背後から掛けられた声に驚くでなく、ただ淡々と答えた。
 その声は少年の様であり、少女の様であった。

「…こんな事に、何の意味があると云うのだ。光の精霊よ。ただ無駄に命を散らすだけではないか」

「解ってないなあ。光があるから闇がある。闇があるから光が輝く。闇に立ち向かう光ほど綺麗な物は無いんだよ?」

 解らぬ。
 解りたくないと、魔王は思った。
 こいつが余計な事をしなければ、自分達は静かに過ごせるのに。
 勇者さえ居なければ、人間達は怯えながらも、魔族に手を出す事無く日々を過ごして行くのに。
 疲れた。
 休みたい。
 それが、魔王の本音だ。
 ただ、安寧の時を過ごしたい。
 戦う事無く、ただ安らかに過ごしたい。
 勇者が倒れた今、暫しの安息の時は訪れる。
 訪れるが、期限付きの安息の時だ。

「ねえ、そんな事よりも。見てよ、この子。面白いんだよ。これだけの闇の中に居ても、心はまっさらなんだ」

 何時の事だったかは忘れたが。
 魔王と光の精霊が、初めてここで出逢った時。
 魔王は眩暈を覚えながら、光の精霊に問うた。
 何故、ここに居るのかと。
 それに光の精霊は、こう答えた。
 魔王の魔力が満ちている場所だから。
 光がより輝く場所だから。
 と。
 このナルシストが。と、魔王は思ったが口には出さなかった。
 何を言った処で、こいつには通じないのだから。
 むしろ、何かを言えば言うだけ喜ばせてしまう。
 だから、魔王は光の精霊に話し掛ける事も、こうして出会う事も止めた。
 止めた筈だった。
 その筈だったのに。
 ここへ来てしまったのは。

『…っ…う…っ…』

 この泣き声のせいだ。
 止んでいた筈の泣き声が、また聞こえて来た。
 今、光の精霊が見ている水鏡からだ。

「これだけの絶望の中に居るのに、凄いよ。どうして死なないんだろう? どうして生きているんだろう? 希望なんて無いのに?」

 淡々とした声の中に、何処か歓喜の様な物を滲ませて光の精霊が言った。
 魔王も、泣き声に誘われる様にしてその水鏡を見る。
 そこには一人の少年、いや、まだ幼児と言っても良いのかも知れない。
 その男の子が、暗い部屋の中でベッドの上で頭から布団を被り、膝を抱えて声を押し殺して泣いていた。
 この年代の頃ならば、情けなくとも、みっともなくとも、慰めて欲しくて、宥めて欲しくて、声を上げて泣くのだろうに。
 少年は抱えた膝に顔を埋めて泣いていた。
 何故、こうして隠れる様にして泣いているのだろうか。
 その魔王の疑問が伝わったのか、光の精霊が言葉を紡いで行く。

「この子はね、ずっと親から虐待を受けているんだ。殴られるのは当たり前。食事だって作って貰えない。親の決まり文句は何時も同じ"気持ち悪い"、"何でお前が居るんだ"、"死ねばいいのに"って、そう言いながら殴る。蹴る。泣けば止めると思うのか。泣けば構って貰えると思うのか。そう言われて、この子は人前で泣くのを止めた。友人だって居ない。同じ年頃の子と遊んだ事も無い。まあ、こんな不愛想で、笑顔も浮かべない子と遊ぶ子なんて居ないよね。痣を隠す為に、どれだけ暑い日でも長袖を強要されて。けど、それも今日で終わり。この子は、明日施設へと送られる。ぱちんこ屋から、負けて帰って来た母親が、腹いせに、何時もはカーテンを閉めて折檻するのに、閉め忘れてね。それをたまたま回覧板を届けに来た隣人が見て、通報したんだ」

 耳に慣れない言葉が聞こえて来て、その小さな男の子が、こことは違う世界の人間なのだと魔王は理解した。
 そこまで詳しく過去を視たと云う事は、光の精霊はこの男の子を次の勇者にする気なのだろう。

「んん? 直ぐにはしないよ? まだまだ早いよ。もっともっと絶望を知って欲しい。絶望の中で死んで欲しい。その魂を、僕は優しく導くんだ。優しく真綿で包む様に、僕の光で包み込んであげるんだ。無い事無い事、君の事を話してあげる。魔王は本当は優しいんだって。でも、闇に染められて人を殺せずには居られないんだって。その苦しみから解放出来るのは、僕に選ばれた君だけだよって。選別意識って云うのかな? 自分は選ばれた人間なんだって囁けば、本当に面白いぐらいに、人間って有頂天になるよね? 絶望の中で、そんな話を聞かされたら、この子はどんな反応をするだろう? 誰からも愛される事無く死んだ中で、僕が愛を囁いたら、この子はどんな反応をするんだろう? うん、楽しみだね」

 そっと、光の精霊に視線を送った魔王に、優しいとすら思える声で光の精霊は残酷な事を口にした。

「…他の世界に関与するのか…」

「んん? 今更だよ? まあ、この子は特別。この子の心が闇に染まるのを見てみたい気もするけどね? ああ、そうなったら次の魔王にすれば良いか。うん、君に取っても悪くは無いよね? 君が魔王になってからどれぐらい経つのかな? 君、強過ぎるから。まあ、この子はそれ以上の魔王になれるかも知れないね?」

 そう、今更だった。
 光の精霊は勇者となる素質のある者を、勇者が斃れる度に、こうして無限に広がる世界から探し出していた。
 己が輝き続ける為に。
 今更だと知っているのに、何故それが音として出てしまったのか。
 ただ解るのは、この男の子は、死ぬまで孤独を味わい続けるのだと云う事だ。
 光の精霊によって。
 光によって、闇の中へと突き落とされるのだ。
 不憫極まりないが、魔王がどうこうする事は出来ない。
 異なる世界への干渉等する気も起きない。
 何もしないのなら、手は出さない。
 殺そうと向かって来るのならば、それに応えるだけ。
 これまでと同じ様に。
 ただ、それだけだ。
 ただ、それの繰り返しだ。
 静かな満月の夜だった。

 それからも、それからも、気が付けば満月の夜になると魔王は湖に来ていた。
 そして、光の精霊と水鏡を見ていた。
 何故、こうしてここに来るのだろうと、内心で魔王は首を傾げる。
 水鏡の中の少年は、また布団を被って泣いていた。
 きつく目を閉じて。唇を噛みしめて。
 同室の者に気付かれない様に。
 この泣き方がいけないのだ。
 我慢せずに声を出して、皆の前で泣けば良いのに。
 幼い頃に受けた仕打ちで、それは出来ないのだろうが。
 それでも。
 何らかの行動をしなければ、誰も気付かないと云うのに。
 気付かれなくて良いと、少年は思って居るのだろうか。
 少年の心の内など、知りようもないが。
 何時か、何時の日にか、この少年を思い切り泣かせてあげられる存在が現れるのだろうか?
 それは、彼が死した後、この光の精霊がするのだろうか?
 恐らくは、そうするのだろう。
 そうして光に取り込むのだろう。
 言葉巧みに、心にも無い愛を囁きながら。
 光の愛し子だと、囁きながら。

 憐れな物だな。

 そう魔王は思ってから、僅かに口元を歪めた。
 それは自分も同じだと。
 光を輝かせる為に、自分達は存在しているのだと。
 人間は光で、魔族は闇。
 遥か古代より続く、世の理。
 脆くも、弱弱しくも、小さくとも、懸命に生きている人間を、人の命を引き立てる存在。
 それが、自分達魔族なのだ。

 同情、なのだろうか?
 こうして、ここへ来てしまうのは。
 この少年が気になるのは。
 今回見た少年は、年老いた大人たちに囲まれて白い野菜を切っていた。
 それは白菜の漬物だったが、魔王は知らない。
 そして、周りの大人達が優しく穏やかな目で見ている事も、少年は気付かない。
 その作業を終えて、少年はその白菜の漬物を手に帰路へと着いた。
 小さな小屋だと、魔王は思った。
 それは、アパートと云う物なのだが、当然魔王は知らない。
 ドアの鍵を閉めて、台所に漬物の入った袋を置いて、少年は涙を零した。

『…良いバイト先だなあ。いつもみんな怖い顔してるけど、嫌々なんだろうけど、バイトの度に漬物とかキムチとかくれるんだもんな…。…怒りながらも、色々とダジャレとか教えてくれたし』

 ポツポツと呟きながら涙を流す、その少年の涙を拭いたいと、何故か魔王は思った。
 泣きながらも、ほわりと笑う少年の姿に、何故か心がざわついた。
 暫くしてから、少年は両手で頬を叩いて『よし、明日からも頑張る』と、笑った。
 淀みの無い笑顔だった。
 まだ微かに濡れている黒い瞳には、何の陰りも見えなかった。

「んん~。本当にこの子、馬鹿の子なんじゃないの? 何で、こうなるのかなあ? 行動まで制限するのは、流石の僕でも躊躇ってしまうなあ。どうしようかなあ」

 そう言葉にしながらも、光の精霊の声は何処か嬉しそうで楽しそうだ。
 自分の思い通りにならない、この少年がたいそうお気に入りの様だ。
 光の精霊の力で、少年には周りの人達の好意が伝わらない様になっている。
 どれだけ周りが優しくしても、伝わらない様になっている。
 その筈なのに。
 幼い頃の経験のせいかは知らない。
 とにかく、この少年は非常に信じられない程に、打たれ強かった。

 一人でこっそりと泣いては、頬を叩いて『頑張る』と己を叱咤する少年の姿を何度も見た。
『頑張る』だったり『頑張れ』だったり『負けるな』だったりを繰り返している内に、少年は青年へとなっていた。
 少年が青年になる頃には、魔王も自身の変化に気付いていた。
 疲れた。
 休みたい。
 その気持ちは、まだ胸の中にある。
 あるが、それ程に焦燥感を煽る物では無くなっていた。
 それに。
 何時か死ぬのなら。
 何時か勇者に倒されるのなら。
 この青年が良いと、そう思う様になっていた。
 自分が死ねば、闇の精霊が次の魔王を誕生させるのだろう。
 自分の時と同じ様に。
 ふと、魔王になってから自分の名を呼ばれなくなったな、と魔王は思った。
 もう、遠い昔の事で、自分自身ですらその名を思い出せないが。
 まあ、その様な物は不要だと、魔王は小さく笑う。
 名前があろうが無かろうが、魔王が魔王である事に変わりは無いのだから。
 それは、勇者も同じだ。
 勇者にも名前はある。
 名前はあるが、周りの者達は名を呼ばずに"勇者"とだけ呼ぶ。
 この少年も、何時かは勇者と呼ばれるのだろう。
 少年の名を魔王は知らない。
 知らなくて良いと思う。
 魔王と勇者、互いに相容れぬ存在。
 戦う事を定められた存在。
 ただ、それだけの存在。
 それが、世の理。

 少年が青年になって暫く経った頃、壮年と呼ばれるには、まだまだ早い頃。
 冬の寒い夜に、彼は四角い塊に撥ね飛ばされて、その生涯に幕を下ろした。
 誰からも愛される事無く、誰からも嫌われたままだったと、勘違いしたまま。
 そう思わされていたままに。

「…うん。手に入れた。ふふ、楽しみだね? この子はどんな勇者になるのかな?」

 光の精霊が、光に包まれて自身の前でふわふわと漂うそれに何事かを囁く。
 それは小さくて魔王の耳には届かなかった。

「じゃあね、魔王。次に僕がここに来る時には、違う魔王になっているのかな? それとも、君のままなのかな? まあ、どちらでも構わないけどね?」

 その言葉を最後に、光の精霊が消えた。
 浮かんでいた水鏡も形を崩し、湖の中へと落ちて行った。
 後に残ったのは揺らめく湖面に映る満月と、満月の光に照らされた魔王だけだ。
 光に照らされた魔王の顔には、笑みが浮かんでいた。
 魔王と呼ばれる者には似つかわしくない、深い慈悲に満ちた笑みだった。
 湖面に映る満月を、魔王は暫し見詰めて。
 そして、その金色の瞳を深く閉じた。

「…待っておるよ」

 誰にともなく魔王は呟いてから、双眸を開き歩き出した。
 新たな勇者が間もなく誕生する事を、皆に知らせる為に。
 彼は恐らく、過去最強の勇者となるだろう。

 面白い。

 どの様に成長し、どの様にして、自分に向かって来るのか。
 それを、自分はどの様にして迎えるのか。

 楽しみだ。

「…ふ…」

 声を出して、魔王は笑った。
 昂る気持ちのまま、魔王は声を出して笑い続けた。
 それは、満月の光に照らされた森の中、何時までも響いていた。

 この時の魔王は、まだ知らない。
 生まれた傍から、死に向かう勇者の命を救う事になる事を。

 その時、魔王は思ったのだ。
 人前で泣かないと決めたのは良いが、限度と云う物があるだろうと。
 この勇者は、下手したら自分と対峙する前に死ぬかも知れないと。
 そうならない様に、勇者を守らなければならないと。

 謎の使命に胸を燃やし、魔王は今日も陰からこっそりと勇者を見守るのだった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

だから女装はしたくない

BL / 完結 24h.ポイント:191pt お気に入り:5

蒼い海 ~女装男子の冒険~

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:1,045pt お気に入り:37

俺、悪役騎士団長に転生する。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:12,255pt お気に入り:2,505

嫌われた王と愛された側室が逃げ出してから

BL / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:219

運命の番(同性)と婚約者がバチバチにやりあっています

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,789pt お気に入り:30

王妃となったアンゼリカ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:132,749pt お気に入り:7,931

秘密の男の娘〜僕らは可愛いアイドルちゃん〜 (匂わせBL)(完結)

Oj
BL / 完結 24h.ポイント:276pt お気に入り:8

処理中です...