泡沫の夢

三冬月マヨ

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本編

三話

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「ほげぇぁ~…」

 湯に浸かりながら、青年は気の抜けた声を出しました。
 
「神さんってのは、贅沢なんだなや~…」

 青年が今浸かっているのは、たっぷりのお湯。
 広々とした浴室の中、檜で作られた浴槽で、のびのびと脚を伸ばしています。
 だらりと下げられた両腕を太腿の脇へと置いて。
 見上げる天井は高く高く、白い湯気がもくもくと漂っています。
 こんなお風呂なんて青年は知りません。
 お風呂とは、腰が隠れるか隠れないかぐらいの深さの盥に、湯を張った物しか知りませんでした。縮こまって膝を抱えて、湯につけた手拭いで、ごしごしと身体を擦る物。それが、青年が知るお風呂でしたから。冬場は寒くて寒くて、凍えそうな物。その筈でした。
 それなのに、なんと云う事でしょう。
 広々とした空間は、青年がお世話になった村長むらおさの家程もありますし、天井も、青年が三人縦に並んでも届きそうにありません。浴槽も、青年があと五人程は余裕で入れそうです。そんな浴槽に、溢れんばかりのお湯です。いや、実際に溢れていますが。この浴槽は床に埋められているのです。そんな物が在る事も、青年は知りませんでした。じゃばじゃば、じゃばじゃばと、浴室の綺麗に磨かれた御影石の床に溢れては流れて行きます。が、減る事はありません。青年の目の先には、壁に取り付けられた竹の筒があり、そこから正に湯水の様に、じゃぶじゃぶ、じゃぶじゃぶとお湯が流れて来ているのですから。流れ出たお湯は床に溜まる事は無く、何処かへと流れている様でしたが、その流れ行く先等青年は知りません。神様の世界なのですから、知らなくて当然。知らない事ばかりです。
 それでも、解った事が一つあります。
 たっぷりのお湯は、気持ちが良いと云う事です。

「ほあぁ~…くかあ~…」

 たっぷりのお湯に、ぬくぬくと肩まで浸かりながら、青年は神様に言われた事を思い出します。
 泣いて懇願した青年に神様は言いました。

『逸るな』

 と。
 今は食べないだけだと。
 食べる気がなければ、青年を現世に帰して居たし、願いも叶えなかったと。
 願いを叶えた時点で、青年が供物である事は確定しているし、それが覆る事は無いと。
 今のままでは不味くて食べられないから、青年には美味しくなって貰う。
 人には余裕が必要だ。青年にはそれが無い。
 その為に、青年には幸せになって貰う。余裕とは、幸せから生まれる物だから。
 その手始めにと勧められたのが、このお風呂でした。
 神様がパンと手を鳴らせば、何もなかった草原に木造の屋敷が現れました。
 
『人は、建物があれば安心するのだろう?』

 目を丸くして、口を大きく開けて驚く青年に、神様はそう言ったのです。
 青年はその言葉に、目を丸くしたまま、口を大きく開けたままでこくこくと頷きました。と云うか、それしか出来ませんでした。驚き過ぎたので。
 そうして中へと案内されて、青年の開いた目も口も閉じる処か、ますます開くばかりです。
 真新しい木材の匂いが、真新しい緑の畳の藺草の匂いが、青年の鼻を擽るのですから。
 こんなに白い木の柱も壁も、緑の畳も、染みの無い襖や障子戸も初めて見たと、興奮する青年を宥めながら神様は風呂場へと案内したのです。

『お主が入っている間に、人が喜ぶ物を調べ、用意しておく』

 との言葉を残して。

「これ以上の幸福なんで、ねぇべや…」

 ぬくぬくとした湯に浸かりながら、青年は呟きました。
 ここは極楽だと、そう思いました。
 生贄として来たのに、こんな贅沢をして良いのかと思いました。
 けれど、それは未だ序の口だったのです。

 ◇

「何だや、こりゃぁ!?」

 お風呂から上がり、これまた広い部屋に通され、様々な膳が並べられているのを見た青年は、踵を返そうとしましたが、神様に首根っこを捕まれ、これでもかと並べられた膳の前に座らせさせられて、カチコチに固まってしまいました。

「お主の腹のでっぱりは、栄養…滋養が足りないからだ。だから、滋養のある物を用意させた。たんと食え。食って肥えろ。先ずは、湯上りだからな…これを食え」

「こ、これは…何だがや?」

 がっつりと片手で肩を捕まれた青年は、神様が差し出してくれた器を恐る恐ると見ました。
 膳にある物は、どれもこれも、青年が見た事も食べた事もない物でしたので。

「桃だ。水分に糖分もあるから、湯上がりに良いだろう」

「もも…」

 耳から入る神様の声は、やはり青年の腹に響きます。
 慣れぬ長湯をした事もあるのでしょう。青年の腹がきゅうっと鳴きました。

「あっ、ぎゃ…っ…!」

 慌てて腹を押さえる青年に、神様はやはり口の端で笑います。

「遠慮は要らぬ、食え。お主が食らわねば、我は何時まで経ってもお主を喰らえぬ」

 神様の言葉に、青年ははっとしました。
 そうです。
 青年は贄なのです。
 神様は青年の望みを叶えてくれました。
 今度は、自分の番なのです。
 贄としての役目をきちんと果たさなければなりません。
 恐る恐ると青年は細い指で、くし形に切られ、器に盛られた薄い紅の滲む白いそれを掴みます。

「…やらかいぎゃ…」

 ちょっと摘まんだだけなのに、桃と呼ばれたそれは、ぺこんとへこんでしまいました。

「消化が良いから、空いた腹には丁度良い」

 神様は難しい事を言うなと青年は思いました。

「おらぁ、馬鹿だから…神さんの言う事はわがらねが…おらが、これを食えば神さんは嬉すぃんだなや?」

 ぺこんと潰れて、色がくすんでしまったそれを見ながら青年が呟けば、神様はその低い声に、僅かな歓喜を滲ませて『ああ』と答えたのでした。
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