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4.誘惑
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会計の間も散々謝罪の言葉を浴び、すっかり酔いが醒めてしまった二人は、真っ直ぐ凪斗の家まで帰ってきた。凪斗は、道中もケラケラ笑いながら「服ビールくさい~」と言っていたが、流石に肌寒くなってきたのだろう、家に着いた頃には随分おとなしくなっていた。
「着いたで、ナギ」
「ん」
雅臣は、上着を羽織ってこなかったことを後悔した。自分が寒いだけならまだしも、凪斗に貸すものがないせいで、我慢を強いることになってしまったからだ。
雅臣は、凪斗を玄関口まで送り届けると、両手をポケットへ突っ込んだ。
「寒いやろ。早よ中入り」
「……うん」
「おやすみ」
雅臣はなるべく早く切り上げて立ち去ろうとした。過保護な自覚はあるが、凪斗に風邪を引かれるわけにはいかないからだ。しかし、凪斗が何か言いたげにしているのを察し、足を止めた。
「どしたん?」
二人の間を、冷たい秋風が吹き抜ける。凪斗の髪はふわりと儚げに揺れて、彼の顔の輪郭を覆った。
「マサくん」
静かな空間に、凪斗の柔らかな声が響く。
——その呼び方。
マサくん。子供の頃、凪斗は雅臣のことをそう呼んでいた。聞き間違いかと思ったがしかし、見据えた凪斗の目は、確かにあの頃のように綺麗な色をしていた。
「もうちょっと話せへん?」
雅臣は息を呑んだ。瞬間的に、心臓を掴まれたような心地がした。ギュッと強く胸が締め付けられ、じんわりと全身に熱が行き渡る。
「……明日、店定休日やけど」
それを口にした瞬間、自分は一体何を言っているのかと恐ろしくなった。しかし、凪斗の表情は変わらない。雅臣は観念し、ふっと破顔した。
「帰れへんくても、ええかな」
数時間後。雅臣が、凪斗のベッドでスマホを触っていると、凪斗が風呂から戻ってきた。家族に、雅臣のことをなんと言ってきたのかは分からないが、どこか機嫌よさそうにしている。両手には、水の入ったペットボトルを二本持っていた。
「何時に寝んの?」
水をテーブルに置くなり、そんなことを訊いてくる。雅臣が日頃早起きしていることを知っているからだろう。凪斗はベッドの縁に腰を下ろすと、雅臣のやっているゲーム画面を覗き込んだ。
「何時やろなー。まあ明日休みやし、豆助の散歩も美緒が行ってくれるらしいから」
美緒というのは、雅臣の妹だ。歳は離れているが、凪斗とも一緒に遊んだことがある。しかし凪斗は、妹の名前には特に反応しなかった。
雅臣が横にずれて、凪斗のスペースを開けてやると、彼は素直に隣へ寝転んだ。そうして、またスマホの画面を覗き込んでくる。昔からそうだが、凪斗は雅臣に対する物理的距離がやけに近い。
「豆助まだ元気してんの」
豆助は、犬のことだ。今井家で飼っている豆柴だが、凪斗にもよく懐いていた。もう九歳になるので、高齢犬ではあるものの、まだまだ元気いっぱいである。
「元気や元気。飯もよう食うしな」
「ええことやん。……あっ、負けた」
「負けた」
雅臣のゲーム画面が「ミッション失敗」の表示になる。雅臣は、ゲームがそれほど得意ではなかった。
「相変わらずゲーム下手くそやなぁ」
「こんなモン、やりこむだけ時間の無駄やろ。ええねん、時間つぶしやねんから」
「ふふふっ」
笑いながら凪斗は、さらに雅臣に近寄ってきた。湯上がりの温かい体が、薄い部屋着越しに密着する。雅臣はドキリとしたが、懸命に冷静さを装った——のも、束の間。
「なぁマサくん。今日、夜更かしする?」
凪斗が、誘うように雅臣に問いかける。その目がやんわりと細められ、妙に色っぽく輝いているのが、いやらしかった。
なんだ、わざとやっていたのか。凪斗の身勝手さに、内心舌を打つ。馬鹿正直に反応しているこちらが、恥ずかしくなってしまう。雅臣は視線を泳がせた。
「夜更かしって、なに……」
「ふはははっ。マサくん顔真っ赤やん。おもろ」
「揶揄うなや」
「揶揄ってへんよ。相変わらずなんやなぁと思って、嬉しいわ」
凪斗は、雅臣の手からそっとスマホを奪い取ると、ベッドのそばにあるテーブルへ置いた。そうして、覗き込むようにして目を合わせてくる。
訪れる沈黙。ほんの僅かな時間のはずなのに、雅臣にとっては息苦しくてならなかった。ずっと抑えつけてきた言葉が、欲求が、今にも喉から飛び出してしまいそうだ。それも、相手に引き摺り出される形で……。こんなにも苦しいことが、他にあるだろうか。
凪斗はゆっくり瞬きをすると、滑らかに沈黙を破った。
「あんな、マサくん。昔、一回だけ……マサくんが僕を抱いたことあったやんか」
「ハッ? 急に何」
「覚えてる?」
凪斗はそう言って、雅臣の腕に触れた。そのままそっと肌を伝って、手の甲まで指を滑らせる。雅臣が逃げないことを悟ると、するりと指を絡めとってきた。
「ナギッ……何のつもりや」
「僕、あの時のことずっと忘れられへんねん」
凪斗の指が、雅臣の手を慈しむように撫でる。雅臣は、凪斗に触れられたところからじわじわと熱が広がってゆくのを感じた。全身の血液が激り、心臓は痛いほど拍動している。額が熱くなる。緊張した汗が、こめかみに浮かんだ。
「マサくん」
「…………ッ」
「えっちしよ」
凪斗の唇がその音を紡いだ直後、雅臣は息を呑んだ。これが夢なのか、現実なのか、分からないほどに感情が入り乱れている。自分でも、何を感じているのか整理がつかないほどだった。
馬鹿なことを言うな。久しぶりに姿を現したと思ったら、そんな、気持ちを弄ぶようなことを言うなんて。雅臣は必死に考える。
あの凪斗がそんなことを言うなんて、ありえないのだ。昔から、雅臣が凪斗にどんな想いを抱いていたか知っているはずだろう。それこそ、十年前に犯した過ちを覚えているのならば、わざわざ雅臣に向かってそんなことを言うはずがないだろう。
思考の渦が次々に広がり、代わりに言葉が失われていく。雅臣は、最早動揺を隠すことなどできなかった。
「お前は……。お前は、誰でも良くて……思いつきで、そんなことを俺に言ってんのか」
適切な言葉が見つからない。しかし、凪斗はそれを聞いてなお、ハッキリと首を振った。
「ちゃう。違うねん。マサくん、僕」
凪斗の目が熱っぽく潤んで、雅臣を捉える。それを目の当たりにするだけで、これまで激しく渦巻いていたあらゆる思考が、一瞬のうちに溶けて消えてしまいそうになった。
「僕、マサくんのことが好きなんや」
「着いたで、ナギ」
「ん」
雅臣は、上着を羽織ってこなかったことを後悔した。自分が寒いだけならまだしも、凪斗に貸すものがないせいで、我慢を強いることになってしまったからだ。
雅臣は、凪斗を玄関口まで送り届けると、両手をポケットへ突っ込んだ。
「寒いやろ。早よ中入り」
「……うん」
「おやすみ」
雅臣はなるべく早く切り上げて立ち去ろうとした。過保護な自覚はあるが、凪斗に風邪を引かれるわけにはいかないからだ。しかし、凪斗が何か言いたげにしているのを察し、足を止めた。
「どしたん?」
二人の間を、冷たい秋風が吹き抜ける。凪斗の髪はふわりと儚げに揺れて、彼の顔の輪郭を覆った。
「マサくん」
静かな空間に、凪斗の柔らかな声が響く。
——その呼び方。
マサくん。子供の頃、凪斗は雅臣のことをそう呼んでいた。聞き間違いかと思ったがしかし、見据えた凪斗の目は、確かにあの頃のように綺麗な色をしていた。
「もうちょっと話せへん?」
雅臣は息を呑んだ。瞬間的に、心臓を掴まれたような心地がした。ギュッと強く胸が締め付けられ、じんわりと全身に熱が行き渡る。
「……明日、店定休日やけど」
それを口にした瞬間、自分は一体何を言っているのかと恐ろしくなった。しかし、凪斗の表情は変わらない。雅臣は観念し、ふっと破顔した。
「帰れへんくても、ええかな」
数時間後。雅臣が、凪斗のベッドでスマホを触っていると、凪斗が風呂から戻ってきた。家族に、雅臣のことをなんと言ってきたのかは分からないが、どこか機嫌よさそうにしている。両手には、水の入ったペットボトルを二本持っていた。
「何時に寝んの?」
水をテーブルに置くなり、そんなことを訊いてくる。雅臣が日頃早起きしていることを知っているからだろう。凪斗はベッドの縁に腰を下ろすと、雅臣のやっているゲーム画面を覗き込んだ。
「何時やろなー。まあ明日休みやし、豆助の散歩も美緒が行ってくれるらしいから」
美緒というのは、雅臣の妹だ。歳は離れているが、凪斗とも一緒に遊んだことがある。しかし凪斗は、妹の名前には特に反応しなかった。
雅臣が横にずれて、凪斗のスペースを開けてやると、彼は素直に隣へ寝転んだ。そうして、またスマホの画面を覗き込んでくる。昔からそうだが、凪斗は雅臣に対する物理的距離がやけに近い。
「豆助まだ元気してんの」
豆助は、犬のことだ。今井家で飼っている豆柴だが、凪斗にもよく懐いていた。もう九歳になるので、高齢犬ではあるものの、まだまだ元気いっぱいである。
「元気や元気。飯もよう食うしな」
「ええことやん。……あっ、負けた」
「負けた」
雅臣のゲーム画面が「ミッション失敗」の表示になる。雅臣は、ゲームがそれほど得意ではなかった。
「相変わらずゲーム下手くそやなぁ」
「こんなモン、やりこむだけ時間の無駄やろ。ええねん、時間つぶしやねんから」
「ふふふっ」
笑いながら凪斗は、さらに雅臣に近寄ってきた。湯上がりの温かい体が、薄い部屋着越しに密着する。雅臣はドキリとしたが、懸命に冷静さを装った——のも、束の間。
「なぁマサくん。今日、夜更かしする?」
凪斗が、誘うように雅臣に問いかける。その目がやんわりと細められ、妙に色っぽく輝いているのが、いやらしかった。
なんだ、わざとやっていたのか。凪斗の身勝手さに、内心舌を打つ。馬鹿正直に反応しているこちらが、恥ずかしくなってしまう。雅臣は視線を泳がせた。
「夜更かしって、なに……」
「ふはははっ。マサくん顔真っ赤やん。おもろ」
「揶揄うなや」
「揶揄ってへんよ。相変わらずなんやなぁと思って、嬉しいわ」
凪斗は、雅臣の手からそっとスマホを奪い取ると、ベッドのそばにあるテーブルへ置いた。そうして、覗き込むようにして目を合わせてくる。
訪れる沈黙。ほんの僅かな時間のはずなのに、雅臣にとっては息苦しくてならなかった。ずっと抑えつけてきた言葉が、欲求が、今にも喉から飛び出してしまいそうだ。それも、相手に引き摺り出される形で……。こんなにも苦しいことが、他にあるだろうか。
凪斗はゆっくり瞬きをすると、滑らかに沈黙を破った。
「あんな、マサくん。昔、一回だけ……マサくんが僕を抱いたことあったやんか」
「ハッ? 急に何」
「覚えてる?」
凪斗はそう言って、雅臣の腕に触れた。そのままそっと肌を伝って、手の甲まで指を滑らせる。雅臣が逃げないことを悟ると、するりと指を絡めとってきた。
「ナギッ……何のつもりや」
「僕、あの時のことずっと忘れられへんねん」
凪斗の指が、雅臣の手を慈しむように撫でる。雅臣は、凪斗に触れられたところからじわじわと熱が広がってゆくのを感じた。全身の血液が激り、心臓は痛いほど拍動している。額が熱くなる。緊張した汗が、こめかみに浮かんだ。
「マサくん」
「…………ッ」
「えっちしよ」
凪斗の唇がその音を紡いだ直後、雅臣は息を呑んだ。これが夢なのか、現実なのか、分からないほどに感情が入り乱れている。自分でも、何を感じているのか整理がつかないほどだった。
馬鹿なことを言うな。久しぶりに姿を現したと思ったら、そんな、気持ちを弄ぶようなことを言うなんて。雅臣は必死に考える。
あの凪斗がそんなことを言うなんて、ありえないのだ。昔から、雅臣が凪斗にどんな想いを抱いていたか知っているはずだろう。それこそ、十年前に犯した過ちを覚えているのならば、わざわざ雅臣に向かってそんなことを言うはずがないだろう。
思考の渦が次々に広がり、代わりに言葉が失われていく。雅臣は、最早動揺を隠すことなどできなかった。
「お前は……。お前は、誰でも良くて……思いつきで、そんなことを俺に言ってんのか」
適切な言葉が見つからない。しかし、凪斗はそれを聞いてなお、ハッキリと首を振った。
「ちゃう。違うねん。マサくん、僕」
凪斗の目が熱っぽく潤んで、雅臣を捉える。それを目の当たりにするだけで、これまで激しく渦巻いていたあらゆる思考が、一瞬のうちに溶けて消えてしまいそうになった。
「僕、マサくんのことが好きなんや」
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