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59.し合わせ

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2月17日(土)

「えっ……MV出演、ですか?」
「うん」
 ヒナキは、引き攣った笑みを浮かべた。随分久しぶりに相良から呼び出されたと思ったら、そんな話だったのだ。
 相変わらず、鉄仮面の相良マネージャーはニコリともしない。ふと、いつかの誘拐事件のことが脳裏によぎった。相良のこともまた、潤には言わない方が良さそうだ。彼は変だけれど、ただの人間なのだから。
「URANOSの新曲の話でね。彼らのレーベル会社から直々にご指名だよ。社長が君を気に入ったんだって」
「え? 社長が?」
 その時、ちょうど以前にマンションの共用スペースでピアノを弾いた時のことが思い出された。そうか。あの時名刺を渡してきた人が、レーベル会社の社長か。
 ヒナキが考え込んでいると、渋ったと思ったのか、相良が首を傾げた。
「別に悪い話じゃないだろ? 最近、あのバンドと仲良くしてるんでしょ」
「そりゃ、ドラマで共演しましたからね……」
「JUNと、ね」
 相良は意味深な言い方をした。全く、その何でもわかったような物言いはやめて欲しい。
「君がプライベートで彼らと仲良くしてるのは構わないんだ。伽藍様は難色を示しているけどね。私はどちらでも構わない。ヒナキ君をなるべく多くメディアに露出させるのが私の仕事だからね」
「お父様に監視させるためにね……」
 ため息をついた。最近、相良はカレンとの繋がりを隠すどころか、開き直ってさえいる。しかし、ヒナキが言ったことについては、彼は何もリアクションを示さなかった。
「で、どうだい。出るだろう? 映画の撮影には影響は無さそうだよ」
「はい、分かりました……」
「じゃあ先方にはそう伝えておくからね」
 これで話は終いだとばかりに、相良はラップトップを触り始めた。タイピング音がパチパチと響く。ヒナキは何か話すべきか、黙っているべきか、しばらく悩んだ。しかし、結局再び沈黙を破ったのは相良の方だった。
「伽藍様からヒナキ君に伝言があるよ」
「え? お父様から?」
 相良は高性能なロボットのように頷き、パソコンの画面をヒナキに見せた。そこには、チャットアプリのトーク画面が表示されていた。

ヒナへ
 元気にしているかな? パパは先日ヒナを苦しませてしまった事を悔いて、近頃何度か自殺を試みました。当然、死ねませんでしたが。
 ところで、ヒナにとって有益そうな情報を手に入れました。多分、死神の彼にとってもそうでしょう。
 以前お話しした食事会のことですが、今月最後の日曜日はいかがでしょうか。こちらもいくらか準備が必要ですし、彼もお忙しいと思いますので、日が暮れてからの時間にお会いできたらと思います。
 私との連絡方法は相良に聞いてください。それじゃあ、早めに返事をくださいね。
パパより

「読んだかい?」
 相良の声ではっと我に返り、ヒナキは咳払いをした。
「お父様はお元気そうですね」
「ああ。それで、伽藍様の連絡先だけど……」
 相良はパソコンの画面を自分の方に戻し、またパチパチと指を動かし始めた。
「私の名義で契約したスマートフォンをお持ちなんだ。その番号にかけてもらおう」
「は、え、はい。承知しました」
 妙に堅苦しい日本語を話しながら、ヒナキは内心何度目かわからないため息をついた。カレンは一体、潤に何を話そうとしているのだろうか。
「じゃあ、よろしくね。後で番号は送っておくよ」
「あの、相良さん」
「なんだい?」
「相良さんは義父カレンとどういう関係なんですか」
 そう言うと、相良は僅かに表情を動かした。とはいえ、ごく些細な変化だ。真っ黒な目はヒナキを一瞥して、またラップトップへと戻っていった。
「難しい質問をするね」
 珍しい回答をする、と思った。相良は、あまり親切ではないが、ヒナキの質問にはいつも的確に答えてくれる人だった。それが、あからさまに「答えたくない」ような言い方をするなんて。
「私はただのヒナキ君の監視役ですよ」
「今の仕事は、ですよね」
「今の仕事は、俳優高永ヒナキのマネージャーです。さあ、そろそろ時間だよ。撮影の準備に行かないと」
 相良はさっさとラップトップを片付けて、ヒナキを外へ連れ出した。今日はこの後、雑誌の撮影と映画の台本読み合わせだ。
「JUNにも連絡しておいてね」
「はい」
「ああ、あと明日、急だけど打ち合わせ入ったからよろしくね。凪田さんと。詳細は後で、伽藍様の連絡先と合わせて送っておくよ」
「はい……」
「あとはなんだ……ああ、そろそろ美容院行く? 次のオフに合わせて予約取っておこうか」
「お願いします」
 そういう話を、お互い座っている時ではなく、移動中の慌ただしい時にするのは、相良の癖なのかもしれない。別に構わないが。ヒナキのスケジュールをヒナキ以上に把握しているのは相良なのだから、あまり心配することはない。
 ヒナキは彼の車に乗ってから、スマホを取り出した。潤から2件通知が来ている。今朝家を出る前に送ったきりだったことを、今さら思い出した。

「大阪2日目」

 送られてきた画像は、珍しく潤本人の写っているものではなく、大阪城公園を高いところから見下ろした写真だった。青空の下に、人混みを取り囲む木々が写っている。川のように見えるのは、きっと城の堀だろう。

「天守閣です」

「わあ……」
 思わず声に出してしまい、それから隣に相良がいたことを思い出した。咳払いで誤魔化したが、どうせ相良はヒナキのことに関心を持たない。案の定、何かつっこまれることはなかった。
——潤とデートらしいデートもしてみたいな。旅行とか……。
 そんな悠長な事を言っていられない事は分かっている。けれど、付き合い始めたばかりで浮かれてしまっているのもまた事実だ。
——その前にまず、お父様だよな。
 厄介な事だろうと思う。けれど、きっと潤を救うためには、カレンの力が必要になる可能性は高い。
——不本意だけど。
 そんなことも言っていられない。
——カレンの掴んだ有益な情報って、一体なんだろう。
 先日のカレンとの出来事を思い出して、身慄いをした。死なないからといって、痛くないわけではない。カレンはよく、「生きている実感を得るために」などと言って自傷行為に励んでいるが、あんなのは気狂いだ。ヒナキにそんな趣味はない。
 一度息を吐いて、気を取り直した。潤に返信をしなければならない。
 
「お疲れさま!
 そっちは天気いいんだね、よかった
 大阪城って中入れるんだ」

 それを送って、しばらくスマホを抱えていると、すぐに通知が届いた。ちょうど彼もスマホを触っていたようだ。動揺している時、潤の存在を感じられるとほっとする。

「入れますよ
 なんか色々展示ありました
 よーちんがはしゃいでます」
「今洋介君と一緒なの?」
「そー
 時間あるから散歩してメシ行こうってなって
 大阪城公園に色々あるらしいんで散策してます」
「へえ
 さすが観光地だね」
「本場のたこ焼きというやつを食べました」
「おいしかった?
 僕たこ焼きって食べたことないや」
「おいしかった!
 食べたことないんですか??
 じゃあ今度買ってってあげます
 メグがいい店知ってるんで」

 潤が楽しそうなのは嬉しい。そこにさらに返事を送ろうとしたところで、相良が不意に口を開いた。
「もう着くよ」
「……はい!」
 ヒナキは「楽しみにしてる!」と返信した後、スタンプを送って、スマホをしまった。本当は仕事なんかせずにずっと潤と話をしていたい。そんな事は当然できないし、潤にも迷惑をかけてしまうから、しないけれど。
 ヒナキはもう一度深呼吸をして、静かに頭を切り替えた。



 仕事を終えて家に帰った時には、日付が変わっていた。先日潤と一緒に睡眠を試みてからというもの、時々疲労の後に眠気を感じるようになったのだから、不思議だ。カレンのせいで体はさらに化け物に近づいたはずなのに、実感としては人間らしい生活に馴染んでいる。潤が、約束通りにしょっちゅう泊まりに来てくれている影響もあるのだろうか。
「あ、潤に言うの忘れてた」
 MVの話と、カレンの話と。どうしよう、と思いながらスマホを開くと、久しぶりにライブ配信の通知が届いていた。思わず、タップしてアプリを開く。今度は、自分のアカウントを確かめてから、ライブに参加した。以前、不覚にも営業用の公式アカウントで入ってしまったことは、苦い思い出だ。

「……なんで、今回、あのー……まあ色んな都合でツアーに参加できない方もいらっしゃると思うんですけど。会いたいと思った時にすぐ会えるバンドでありたいねって……さっきもメンバーと話してて。なるべくライブの本数を増やしていきたいなと、思ってます。メディアに出たくないわけじゃないんだよ、当然。なんだけど、現場を1番大事にしたいなってのはずっとあって。俺たちはアーティストであると同時に、パフォーマーなんで」

 今日はお喋りの配信のようだ。ヒナキは、ようやく部屋に馴染み始めたベッドに寝転んで、イヤホンに音声を切り替えた。潤には言っていないが、潤にプレゼントしたものと同じ機種を愛用しているのだ。
「俺たち自身、今回初めて全国回るツアーをやらせてもらってて、ほんとになんだろ……音楽を、聴いてくれる人がいるありがたさを実感してます。ありがとね、マジで。
 ……ん? 『四国来てほしい』? ……そうだね。もっと日本の色んなとこ行きたいな。一応……まあ俺が勝手に喋っちゃったらあれなんだけど、メンバーとそういう話はしてるんだよね。なるべく色んな人に会いに行きたいから。
 ……ふふっ、うん。沖縄もね。行ってみたいね。行ったことないんだよな、旅行でも。あんまり国内旅行ってしたことなくて……だからツアーの時にちょこちょこ観光させてもらってる。
 え? 今日? 今日は大阪城行ってきたよ。上まであがってきた。IRUMAと2人で。……ははっ、そうそう、会場からめっちゃ近い。
 ……うん。次愛知なんだよね。愛知も行くの初めて。……そうね。鰻食べたい。……なんかさぁ、名古屋って大きいプラネタリウムなかった? ……あっ、そう。それ。市立科学館。あそこ行ってみたいんだよね。行ったことある人いる? ……へぇー、『大人限定の夜間投影』ってのがあるんだ。いいね。そういうの楽しそう。天体ってさぁ、めっちゃロマンある。好き。
 ……なに? 札幌では何したのって? 札幌は1月の……19、20か。だったんですけど。あんま時間なくてねー。あのさぁ、雪まつりってあるじゃん。タイミング合えば行きたかったのに、あれ今月だったでしょ? 残念。来年かなぁ。普通に北海道旅行したい。……『雪まつりは本当に行って欲しい』? わかった。行きます。
 福岡はねー……博多でちょっと遊んだ。遊んだって言っても、ご飯食べただけだけど。あのー……天神? の辺りに行って。楽しかったよ」
 潤はふわりと優しげな笑みを浮かべた。以前なら、カメラの前でこんな顔はしなかったように思う。やはり、入間の言ったように、最近潤は棘が抜けてきたのだろうか。それがヒナキの影響だと言われれば、嬉しいけれど、なんだかむず痒い。
「え、何? 『JUN好きな人できたの?』って。ははっ、急すぎでしょ。なんで?」
 ヒナキと同じことを感じた視聴者がいたようだ。潤はほんの一瞬だけ、返事に困ったような顔をしたが、すぐに普段の調子を取り戻した。
「好きな人はいる。でも最近できたとか、急に変わった話ではないよ」
 コメント欄が不穏になるのが、ヒナキにも分かった。それでも潤は、綺麗な形の唇をふんわり笑わせている。
「ずるい回答かもしれないけど、俺も人間だからね。好きな人とか嫌いな人とか、いるよ。
 ……どんな人って? それは秘密。でも、俺はあなた達のことも『好きな人』だと思ってるし、メンバーのことも好きって最近気づいた。ふふふ……メンバーとはね、一緒にいすぎて、好きかどうか分かんなくなっちゃうんだよね
 嫌いな……というか、苦手な人はね、正直結構いる。やっぱさ、この業界にいるとどうしても、合わない人っているじゃん。どんな仕事しててもそうでしょ?」
 潤がファンに対してこんな赤裸々な告白をするのは初めてだろうと思った。バンドマンとはいえ、潤に対して恋愛感情と混同した好意を向けているファンも多いのだ。これまでは不要なトラブルを避けるためにも、そういった類のことは口にしなかったはずだ。
「聞かれたことには、なるべく正直に答えるようにするよ。その方がいいかなって思ったんで。
 俺の音楽が薄っぺらい嘘くさいものにならないようにするためにも……ライブでもちょっと話したんだけどさ。俺という人間のことを知ってもらうのもいいのかな、って」
 潤がカメラの方をチラリと見る。なぜだか、目が合ったように感じてしまって、ヒナキは思わず笑みを溢した。
「こんな時間になっちゃったね。そろそろ終わりにしようか。急な配信だったのに、来てくれてありがとう」
 潤が髪を触る。
「それじゃ、おやすみ。またね、俺の『好きな人』たち」
 そうして、配信は終了した。





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