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序章 逃げ出した翌日、とある孤独な少女と出会う

第9話 『恩返し』に理由は必要ですか?

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「……でもさ、どうして今になって話してくれるようになったの?」

 今までもあったわけじゃん? とうつむきながらシャルが言った。

「ちょ、何を言い出すんだよ? シャル?」

 初めて気づいたけど、アセナを見るときのシャルっていつもきちんと視線を合わせていないんだ。

 それに今日はいつになく言葉がげとげしい。もしかして嫌ってんのか?

「だっておかしいじゃん! 何もしゃべらなかった子が急に――」

「待てよ! 急にどうした? それを言うならシャルだって――」

 ふとに袖を引っ張られる。

 振り返ったアセナは真摯な表情で「大丈夫」とささやくと、少し身構えながら。

「ずっと考えていたんです」くちびるを震わせながら言った。「私、皆さんの好意に甘えるばかりで、何もお返しができていませんでした」

 言葉は悪いけど、いったい何を言い出すんだって俺は戸惑ったよ。

 いや、言っている意味は分かるんだ。

 それにアセナがそういう風に思っていてくれたことも正直うれしい、でも。

「お返しだなんて、そんな……だって契約だろ?」

「だけど……事情を聞かないことが対価だなんて……あまりにも身勝手で」

「そりゃまぁ端からみたらおかしいかもしれないけど……」

「そうじゃなくて……それじゃまるでエルくんの親切につけ込んだみたいで……」

 胸をぎゅっとつかんでうずくまって、おえつをこらえるかのように苦しそうな顔する。

「そんな虫のいい私のどこに信じられるところがあるの?」

「アセナ……」

 ――あぁ、今のでなんとなく察した。

「つけこんだなんて俺はそんな風に思ったこと一度もないよ」

 言葉だけじゃなく、本心からそう思っていた。

 でも彼女はびくっと肩をゆらしただけで、うなだれたままだった。

「それに今、アセナは俺たちのために力を貸してんじゃん?」

 声もなく小刻みに震える彼女の肩に俺はそっと手を触れる。

「けどそれは――」

「それは力になりたいって、お返ししたいって思ってくれたからだろ?」

「でも、ただ私は後ろめたいと思っていただけで……」

「たとえそれ理由だったとしても……なんというか、俺はうれしかった。だからありがとう」

 うまく言葉にできたか分からない。

 でも胸の内の少しだけでも伝わってくれればそれでいい。

「……エルくん」

 何か求めるみたいに、その青い目を上目づかいにしてアセナは見つめてくる。

 こういう表情って女の子みんな同じなのか? 控えめに言って殺人的に可愛かった。

「もしも~し? お二人さん? いきなり二人の世界に入らないでくれる?」

 いぶかしげなシャルの声に我に返る。いったい何をしてたんだ俺は!

 思い出しただけでも、今ここでのたうちまわりたい。

「とにかくアセナさんの気持ちはわかったよ。とりあえず今は急がなきゃ」

 そう今はもだえ苦しむのも、30秒前の自分をぶん殴るのも後回し。

「決めた……私も行かせてください!」

 その場にいた全員が驚きの声を上げる。驚いたというより困惑した。

「いや、危険すぎるよ!」

「大丈夫だよ、私は【巫】――【霊象予報士】、【霊象獣】との戦いには慣れている」

 自分の胸に手を当て沈痛な面持ちでアセナは言う。

「それに現地でないと詳しい【霊象】が読めないから」

 正直彼女に着いてきてもらえると助かる。でもまた病み上がりで、ケガなんかしたら。

「いいんじゃないかしら?」

「ウチもいいよ。別に……」

「カサンドラさん!? シャル!?」

 二人の発言に俺は耳を疑った。

「剣はありますか?」

「ええ、私のがあるわ。よければ使って」

 彼女から愛用していた銀色の片刃で、細刃の曲刀、シミターが手渡される。

「ありがとうございます」

「ちょっと待ってくださいって!」

「ああぁもう、うっさいな! アセナさんが自分で決めたことなんだし、グタグタ言わない! それに契約したんでしょ!?」

 指を突き付けられて、ぐぅの音も出なくなった。

「ねぇエル? 心配なのはわかるけど、女の子が自分の意志で決めたことを、黙って背中を押してあげるのも男の子よ?」

「わがまま言ってごめんね……」

 これじゃまるで……いや、事実悪者か。つまり覚悟が足りないのは俺の方ってことだね。

 それにもう口論している時間もない。俺も覚悟を決める。

「分かりました! 彼女は俺が守ります!」

 こうして臨時の【霊象予報士】アセナを加え、俺たちは現地へと向かった。


 現地はほぼアセナの予報通りの状況。心配していた【霊象】の変化もほとんどなかった。しかし――。

「こ、こいつは……なんだ?」

 遭遇した【霊象獣】は丸い胴体の上に先端にカニを思わせるハサミのある触手が無数に生えている。

 そいつからは肉と玉ねぎとピクルスが同時に腐ったみたいな悪臭が漂ってきた。

 少なくともそいつは俺が一度も見たこともない異形の怪物だった。

「……うそでしょ?」

「これは、まさか!?」

 まるで二人の驚きぶりは、その怪物を目にしたことがあるみたいだった。

「「【幼生体】!?」」
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