エメヴィベール伯爵夫人の魔法庭園

礼三

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秘め事のなれの果て

 シルヴィアにとって、ラースは唯一無二の人だった。
 子供の頃から一番近くでシルヴィアを導いてくれた人…。
 無償で注いでくれた優しさ、寄り添ってくれた温もり、安心を与えてくれた微笑み…。
 両親が亡くなった意味もわからず、二度と会えないと聞かされ、暗闇へ放り込まれたような絶望感から救いだしてくれたのは、ラースの柔らかな笑顔だった。

「ラース様を返して!私には必要な方なの…」

 女生徒に刺される直前、シルヴィアは腕を引っ張られ彼女から懇願された。

『何故、貴女にラース様が必要なの?』

 シルヴィアは不意に言葉を漏らす。

「私がラース様を必要としているの…」

「貴女が!いなければっ!」

 その刹那、腕に痛みが走った。
 女は悪鬼の如く目を見開き、錯乱した状態で腕を振り上げる。倒れたシルヴィアは視界の端へ日光に反射した剣先を捉える。
 シルヴィアは目を瞑った。

「シルヴィア!」

 アシルは魔法で剣を弾く。
 尚もシルヴィアへ襲いかかろうとする女生徒を魔法で拘束した。身動きが取れなくなった女生徒は最後の足掻きか、全身でシルヴィアを押し潰そうと身体を傾けた。
 アシルは女生徒との間に滑り込み、その身体でシルヴィアを包んだ。アシルの手がシルヴィアの血で汚れ、ヌルッとした感触にアシルは背筋が凍る。

「シルヴィア嬢!大丈夫か!」

「先生?あの人は何を言ってるの?」

「貴女さえいなければ、私はラース様と一緒になれるのよ!」

 すぐに衛兵が駆けつけて女生徒を連行していく。女生徒は喚き叫んでいた。
 この騒ぎは全生徒が授業中で校門が教室から離れていたこともあり、目撃した者はごく限られていた。

「何故…。あの方がラース様を必要としていらっしゃるのでしょう?まるで…」

 アシルはシルヴィアの肩へ手を置いた。
 
「シルヴィア嬢…。まずは傷の手当てだ…」

 不幸中の幸いか、出血の割にシルヴィアの傷は浅かった。

『このぐらいならば、治癒魔法で治せる…』

 アシルはひとまず安堵したが、焦点の合っていない藤色の視線は虚空を彷徨っている。アシルはやるせなさが募るばかりだった。
 シルヴィアの心の傷は自分が想像するよりもずっと深い…。
 

 それから、事情聴取のため関係者が呼ばれた。
 講義を受けていたラースだったが、学院長室へ呼ばれた。

「何か…。あったのですか?」

 ラースは神妙な面持ちで室内に入った。明らかに空気が張りつめている。
 部屋ではソファへシルヴィアとアシル、王宮から慌てて駆けつけたエドモンが並んで腰掛けていた。
 正面の執務机に厳しい顔で構えている学院長は無言でラースを見据えた。

「ラース…。お前は…。なんて事を…」

 エドモンが冷ややかな視線をラースへ投げかける。シルヴィアに至っては目線も合わせようとしない。

「何があったのです?」

「シルヴィアが刺された…」

 エドモンの言葉に驚いたラースは声をあげて、シルヴィアへと走った。

「大丈夫なのか!?」
 
 シルヴィアの瞳には涙が溜まっていた。ラースを仰ぎ見たとき、頬から一筋流れる。

「アシルが治療してくれたからな…。大事には至らなかった…」

 エドモンが淡々と今までの経緯を話す。ラースの顔は見る間に青くなっていった。

「でっ?君の言い分は何かあるかね…。ラース卿…」

 眉間に深い皺を刻んだまま、学院長が口を開いた。
 ラースは項垂れたまま沈黙する。握った拳が震えていた。

『シルヴィアがアプリシアを見学したいなどと言わなければ…』

 ラースも女生徒も無事に卒業を迎え、お互い二度と交わることなく綺麗な思い出を抱いたまま別れたはずだった…。
 シルヴィアだって、知りたくもない事実を突きつけられることなく、ラースとの幸福な結婚生活を迎えられたことだろう…。

『何でシルヴィはあんなワガママを…』

 そう考えて、ラースはかぶりを振った。

『違うっ!元はと言えば…。僕が…。僕が…。浅はかだったんだ!』
 
 アシルはラースの様子を観察していた。
 学院はその性質上、不特定多数の男女が混在している。それ故、色々な恋愛模様が繰り広げられているのも自然なことだ。
 アシルにも覚えがある。
 アシルの場合は学院卒業後になるが…。
 愛を囁かれ本気になり、散々利用された挙句に捨てられた。その相手は学院の同級生だった年上の女性で、アシルを上手く手のひらで転がしていただけのことであった。
 アシルにとって、この記憶は永遠に葬りたいことだ。
 ラースは露骨に狼狽えている。

『シルヴィアの前で話したくはない…』
 
 ラースの気持ちを察し、アシルは席を立った。恋愛にまだ疎い年齢であるかもしれないが、この場に留まるのはシルヴィアにとってあまりに酷だ。

「こちらは全て話した。シルヴィア嬢は被害者だ。早く休ませたいのだが?どうだろう?」

「先生…。私は…。ラース様の話を…」

 シルヴィアはラースの口から真実を教えて欲しかった。

「ヴィア…。今日は帰った方がいい…」

 エドモンがアシルの意見に賛同して、学院長も重々しく肯定した。
 そして、シルヴィアはアシルに促され、学院長室を退出した。
 ラースは学院長とエドモンに囲まれて、女生徒との関係を赤裸々に告白したのだった。

 学院は事件の重大性を鑑みて王国の審問会へ調査を委ねようとしたが、ラースの醜聞を危惧して、当事者であるシルヴィアやクレプスキュール侯爵家側が加害者を告発しなかった。
 また、レーヴドール王家が箝口令を敷いたため、事件は公になることはなかった。
 女生徒は重い罪に問われなかったが、そのまま自主退学を申し出て、遠くの修道院へ送られた。
 ラースは無事に学院を卒業したが、エドモンの監視下へ置かれ、宰相補佐官秘書室で文官として勤めることになったのだった。
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