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俺、えりりんと貴族教育する!
閑話休題 執事の想い
公爵家の使用人たちは困惑していた。
公爵家の「いらない3男」「悪魔のような3男」は、実はそうではなかったらしい。
素晴らしいお優しい奥様の命を奪ったというのに。
まだまだ母親を必要としていた、小さなおぼっちゃま達を悲しませたというのに。
それでもその元凶たる3男は、公爵にとって、必要だったようだ。
紹介状なしに解雇を言い渡され、彼らはようやくそのことに気づいたのだった。
※※※以下、執事視点
3男であるサフィラス様が生まれ落ちたその日、屋敷は喜びよりも悲しみに満ちていた。
奥様の親族であり医師でもあるゲイル伯爵が必死に手を尽くしたが…その甲斐なく奥様が亡くなってしまったのだ。
魔力の多い子をその小さな身体に抱えただでさえ負担だったというのに、そのせいでおかかえ医師であったゲイル伯爵のヒールさえ効かなくなってしまった。
最後の望みをかけ、伯爵は出産後即座に奥様に見た事も無いような最大級のヒールをかけ続けたのだが…。
伯爵の魔力が尽きる寸前までヒールをかけても、奥様はもたなかった。
弱り切っていた奥様は、全力を「息子を無事に産み落とす」ことに注ぎ切り、そのお身体にはほんの少しの余力も残っていなかったのだ。
ご主人様は、伯爵の胸元を掴んで悲痛な叫びをあげた。
「何故だ、ゲイル!何故、妻を…妻を救わなかった!
お前ならできただろう!」
「赤子を助けるために、妻を見殺しにしたのか?
何故妻を殺したんだ?それでも医者か!
妻も私も、お前を実の兄のように思い、信頼していたというのに!
もうお前など信用せぬ!出ていくがいい!二度と顔を見せるな!」
伯爵は、黙ってされるがままになっていた。
伯爵が全力を尽くしていたのは、ご主人さまも分かっていたはずだ。
それでも、そうでも言わねば辛い事実を受け止めきれなかったのだろう。
ご主人に罵倒された伯爵は、悄然と頭を垂れ、言い訳ひとつなさらなかった。
もう用はない、とばかりに伯爵を捨て置くご主人様。
伯爵は、淡々と生まれ落ちたサフィラス様を抱き上げ、そっとその処理をされた。
身体を拭き、暖かな布でくるみ、薄めたミルクを吸わせ、何も知らぬ赤子のそのしめった額にそっと唇を落とす。
「……サフィラス…。お前は、お母様に望まれた子だ。お母様が命をかけて産んだ、大切な子だ。俺はお前を愛しているよ。サフィラス、どうかエリアナの分まで幸せに…」
そうつぶやくと、少しでも母のぬくもりとを想われたのだろう。優しくその子を奥様の胸の上に置き、部屋を出ていかれたのだった。
その間、ご主人様はじっと奥様の顔をみていらした。
その目にお姿を焼き付けるように、ただただ見つめ続けていらした。
生まれたばかりの赤子の姿は、ご主人様の目に入らぬようだった。
涙すら流していらっしゃらないと言うのに、私にはそのお姿は慟哭そのものに見えた。
声すら、涙すら出ぬほどの激情に、悲しみに支配されていらっしゃるのだ。
その奥様の足もとには、坊ちゃま達が泣き縋っている。
まだ3歳と5歳のお坊ちゃま達が奥様にすがって「目を開けてよう」「どうして起きないの?」とボロボロと涙を流す姿は、とても見ていられぬほどだった。
上のお2人のご出産は。2回とも幸せそのものだった。
ご主人様は常に奥様を気遣い、寄り添い。
その常には変わらぬ無表情までもが、隠しきれぬ喜びにほころんでいるようだった。
我々使用人も、主様たちの幸福にどこか浮足立ち、公爵家は笑顔にあふれていたのである。
ところが、どうだろう。
この3男の出産は…公爵家に暗雲をもたらした。
ご懐妊が分かった当初は、皆喜んだのだが、その後明らかに弱っていく奥様に、嫌な予感がした。
すぐに伯爵様が呼ばれ、分かったのは…この子は「非常に魔力が多いのではないか」ということだった。
伯爵様がヒールをかけても奥様に効かなかったからである。
奥様はもともとお身体が丈夫ではなく、お風邪をひきやすかった。
その為、お小さいころには侯爵家専属の侍医が、そののちに伯爵様が薬草やヒールで治療をされてきたのだ。
それが効かなかった。
ヒールは、魔力の多い者から少ない者にしかかけられない。
その為、魔力の多い方である伯爵は、ほとんどの者にヒールがかけられるということで重宝されていた。
その伯爵のヒールが効かないというのだから、お腹の子は伯爵以上の魔力があるのではないか、というのだ。
そう考えると、奥様のお身体が弱っていることにもつじつまがあう。
魔力が多いものを妊娠すると、その多い魔力に母体は常に傷つけられてしまう。
多い力は、無意識のうちに自分より弱い魔力を排除しようと動くのだという。
その為、伯爵の出産の際にも、ご母堂は大変だったのだそうだ。
たまたまご母堂の魔力が普通のご婦人よりも多かったことでなんとか無事に出産することができたが、奥様の魔力はそうではない。
奥様の魔力は元から多い方ではなかったため、余計に負担が大きくなってしまっているのだろう、という。
「このままでは、出産は難しいかもしれない。
いずれはエリアナか赤子か、どちらかを選ばなければならなくなるだろう。
なんとか出産まで持ちこたえてくれれば、最後の手段を使えるんだが…」
まるで苦い物を吐き出すかのように、そう口にする伯爵。
いつも明るい未来を感じさせるその表情は、今はこらえきれぬ苦渋に歪んでいた。
我々は呆然とするしかなかった。
どんどん御痩せになっていく奥様のお身体に、漠然と持っていた不安が、今や形を伴って我々の前に示されたのだ。
当然のようにご当主様は、奥様にお子を諦めるように仰った。
「もう後継である長男も、次男もいるのだ、十分ではないか。
幼い子供達から母親を奪うようなことになってはならぬ。
酷いことを言っているのは理解している。しかし、どうか…子を諦めて欲しい」
ご主人様は、奥様の細い両手を包むようにして、懇願された。
まるで神に祈るようなお姿だった。
そのお顔の色は、血の気を失い青というよりも真っ白である。
ところが奥様は、それを聞いても変わらなかった。
きっと、うすうす感づいていらしたのだろう。
「あら。この子はこの子よ。
ライオネルとリオネルと同じ。この子だってあなたと大切な私の息子。
ふたりの息子の弟になるの。
ふたりはきっとこの子を可愛がってくれるわ。
この子は私とあなたどちらに似ているのかしら?
どちらに似ていたとしても、きっと可愛いはずよ。
ねえ、そうでしょう?」
「私はあきらめない。
大丈夫よ。信じて頂戴。
きっとこの子を無事に産んで見せるから。
ねえ、だからこの子をあきらめろなんて言わないで。
私はこの子を愛しているの。この子をあなたたちにも愛して欲しい」
笑顔すら浮かべてそうおっしゃる奥様。
「………それでも、まだ見ぬ我が子よりそなたの方が大切なのだ。
どうか、どうか私の為だと思って諦めてはもらえないだろうか?
そなたを失うかと思うと、耐えられぬのだ。頼む。お願いだ。どうか、諦めて欲しい」
どうしても諦めさせたいご主人様と、お子は諦めないと仰る奥様。
どちらの思いももっともなものであり、どちらを取っても辛い決断であろう…。
それ以来、公爵家からは笑顔が消え、あんなに幸せだった侯爵家はどこか物悲しい空気に満たされるようになったのだった。
こうしてお生まれになったサフィラス様。
我々は、サフィラス様を大切にし、愛するべきだったのだろう。
しかし、公爵様の目にはサフィラス様は見えていらっしゃらなかった。
赤子に罪はないと分かってはいても、どうして「この子の魔力が多くさえなければ」という思いを消し去ることがお出来にならなかったのだと思う。
赤子に憤りをぶつけることもできず、ご主人様は「いないもの」としてサフィラス様を扱う事でお気持ちにおりあいをつけたのだ。
公爵家の使用人である我々は、ご主人様のご意向通りに行動する。
侍女頭に「最低限の世話はするように」と申し付けたとのことで、言われたように最低限の世話をした。
ご主人様のお目に留まらぬよう、ご主人様たちの居室から一番遠い、物置のような空き部屋にサフィラス様は置かれた。
そう。置かれた、のである。
そこは、とうてい公爵家3男の私室とは言われぬ、単なる空き部屋だった。
子供部屋に似つかわしいものなどは何もなく、ただ生きるのに必要なベッドと、わずかな着替え、手洗い用の水桶、トイレ代わりのツボが置かれただけの小さな部屋。
私もさすがに胸が痛み、「何かも間違いかもしれぬ」と不敬だとは思いながらもご主人様に確認してみた。
「侍女頭に(生きるのに)最低限の世話をと申し付けられたのは本当でしょうか?
本当にそのようにしてよろしいのですね?」
ご主人様はこちらに視線を寄越すことなくこう仰られた。
「ああ。後継でもないのだ。(貴族として)最低限の世話でよい」
勿論、最低限の食事は運ばれ、自分で食事することもままならない赤子のうちは、定期的にミルクを与え、おむつも交換もなされてはいた。
しかし、それだけだった。
頭を撫でたり、話しかけたり、歌を歌って聞かせたり、体をぽんぽんとしながら優しく寝かしつけたり。
そんな幼い子供にとってはかかせぬ世話や愛情は与えられなかったのである。
誰もが、おかしいと気付いていた。
誰もがどこかで罪悪感を抱えていた。
しかし、赤子を任された侍女頭のいうことをそのまま信じてしまったのである。
ご主人様たちの、お坊ちゃまたちのあの悲しみを見ている我々には、どうしても「この子さえいなかったならば」という思いもあった。それは勿論、公爵家のお子様に向けていいような気持ちではなかった。それは分かっている。
しかし、それがあるがゆえ、私は侍女頭のいう「ご主人様のご意向どおりに」サフィラス様を「いないもの」として扱い、「悪魔の子」と蔑んだのである。
奥様と接したことのない新しい使用人などにはサフィラス様に同情的なものもいたが、古参の使用人の目もあり、彼等もサフィラス様に優しく接することはできなかった。
彼らはサフィラス様に話しかけられても応えることもできず、なんとかそっと目を合わせかすかに微笑むことくらいしかできなかったのである。
ご主人様の意向に従ったとはいえ、我々は使用人という立場もわきまえず、やりすぎたのだ。
最初はあった罪悪感もそのうちにこの状況に慣れ、薄れてしまった。
どこかで「奥様のかたき討ちをしている」ようなつもりですらいたのだと思う。
だが、サフィラス様が生死の境をさ迷われることとなり、ようやく目が覚めた。
我々は何をしていたのだろう。
何の罪もない赤子をいたぶり、喜んできただけではないか。
主家のお子様に対して使用人がしていいことではない。
それどころか、人間として失格だ!
言い訳のようだが、我々も長い悲しみから抜け出せずにいたのだ。
どこかおかしくなってしまっていた。
だからこそ、通常ならばおかしいと気付けたはずの侍女頭の言葉をそのままに信じ込んでしまった。
本当は…いつかだれかが我々の目を覚まさせてくれるのを待っていたのかもしれない。
サフィラス様の危機に伯爵様が呼ばれ、そこからは怒涛のようだった。
伯爵様は、まるで彼こそが実の親であるかのようにサフィラス様の現状に怒り、公爵様にくってかかった。
以前はまるで本当の兄弟のように付き合われていたのに、その口調も言動も「敵対する高位貴族」に対するものだったことに、彼の怒りのほどが伺える。
ピシャリと公爵様との間に一線を引かれたのが見えた。
伯爵様は、あっという間にサフィラス様を囲い込み、その懐に入れてしまう。
今サフィラス様がこちらにいらっしゃるのは、単に伯爵様がそれを許しているからに他ならない。
また、サフィラス様がここにいるのも、公爵家に対する情などではなく、単に「公爵家の環境が便利だから」である。
私たちはそこを決して間違えてはならない。
彼らにそうまでさせてしまったのは、我々のこれまでの行動のせいなのだから。
私を残して古参の使用人は皆解雇され、奥様が亡くなった後で雇われたサフィラス様に同情的だった使用人のみが残された。
そして代わりに侯爵家から新たな使用人が雇われてこちらに来ることになった。
伯爵様は、私を叱責せず、静かにこう告げた。
「ただ見ていろ。お前たちのしたことの結果を。
お前たちが何をしてきたのかを忘れるな」
お幸せそうなサフィラス様の笑顔は、亡き奥様の笑顔とそっくりであった。
ああ、ああ!
確かにサフィラス様はあの奥様の忘れ形見でいらっしゃった!
亡き奥様は仰っていたではないか。
「この子は大切な息子」だと。「この子を愛して欲しい」と。
我々は亡き奥様の命がけの願いを、踏みにじったのだ。
私は何をしていたのだろうか。
何という事をしてきたのだ!
幼子への無体を「ご主人様のご意向」だとして見逃し、そうすることで増長させていた。
公爵様が「生きるのに最低限」などという酷いことを仰るはずがないのに!
私は許されてここにいるのではない。
決して許されないからこそ、ここにいるのである。
サフィラス様の前に姿を現すことなどできない。
ただ、サフィラス様に見えぬよう、陰で支えるのみである。
万が一サフィラス様に危険が迫れば、私が盾になろう。
サフィラス様の敵がいれば、私が剣になろう。
今後サフィラス様を絶対に裏切ることのない罪深き忠実な僕として、私はここにいるのである。
※※※
「サフィ様を守り隊」の影の隊長です。(表はマリー)
公爵家の「いらない3男」「悪魔のような3男」は、実はそうではなかったらしい。
素晴らしいお優しい奥様の命を奪ったというのに。
まだまだ母親を必要としていた、小さなおぼっちゃま達を悲しませたというのに。
それでもその元凶たる3男は、公爵にとって、必要だったようだ。
紹介状なしに解雇を言い渡され、彼らはようやくそのことに気づいたのだった。
※※※以下、執事視点
3男であるサフィラス様が生まれ落ちたその日、屋敷は喜びよりも悲しみに満ちていた。
奥様の親族であり医師でもあるゲイル伯爵が必死に手を尽くしたが…その甲斐なく奥様が亡くなってしまったのだ。
魔力の多い子をその小さな身体に抱えただでさえ負担だったというのに、そのせいでおかかえ医師であったゲイル伯爵のヒールさえ効かなくなってしまった。
最後の望みをかけ、伯爵は出産後即座に奥様に見た事も無いような最大級のヒールをかけ続けたのだが…。
伯爵の魔力が尽きる寸前までヒールをかけても、奥様はもたなかった。
弱り切っていた奥様は、全力を「息子を無事に産み落とす」ことに注ぎ切り、そのお身体にはほんの少しの余力も残っていなかったのだ。
ご主人様は、伯爵の胸元を掴んで悲痛な叫びをあげた。
「何故だ、ゲイル!何故、妻を…妻を救わなかった!
お前ならできただろう!」
「赤子を助けるために、妻を見殺しにしたのか?
何故妻を殺したんだ?それでも医者か!
妻も私も、お前を実の兄のように思い、信頼していたというのに!
もうお前など信用せぬ!出ていくがいい!二度と顔を見せるな!」
伯爵は、黙ってされるがままになっていた。
伯爵が全力を尽くしていたのは、ご主人さまも分かっていたはずだ。
それでも、そうでも言わねば辛い事実を受け止めきれなかったのだろう。
ご主人に罵倒された伯爵は、悄然と頭を垂れ、言い訳ひとつなさらなかった。
もう用はない、とばかりに伯爵を捨て置くご主人様。
伯爵は、淡々と生まれ落ちたサフィラス様を抱き上げ、そっとその処理をされた。
身体を拭き、暖かな布でくるみ、薄めたミルクを吸わせ、何も知らぬ赤子のそのしめった額にそっと唇を落とす。
「……サフィラス…。お前は、お母様に望まれた子だ。お母様が命をかけて産んだ、大切な子だ。俺はお前を愛しているよ。サフィラス、どうかエリアナの分まで幸せに…」
そうつぶやくと、少しでも母のぬくもりとを想われたのだろう。優しくその子を奥様の胸の上に置き、部屋を出ていかれたのだった。
その間、ご主人様はじっと奥様の顔をみていらした。
その目にお姿を焼き付けるように、ただただ見つめ続けていらした。
生まれたばかりの赤子の姿は、ご主人様の目に入らぬようだった。
涙すら流していらっしゃらないと言うのに、私にはそのお姿は慟哭そのものに見えた。
声すら、涙すら出ぬほどの激情に、悲しみに支配されていらっしゃるのだ。
その奥様の足もとには、坊ちゃま達が泣き縋っている。
まだ3歳と5歳のお坊ちゃま達が奥様にすがって「目を開けてよう」「どうして起きないの?」とボロボロと涙を流す姿は、とても見ていられぬほどだった。
上のお2人のご出産は。2回とも幸せそのものだった。
ご主人様は常に奥様を気遣い、寄り添い。
その常には変わらぬ無表情までもが、隠しきれぬ喜びにほころんでいるようだった。
我々使用人も、主様たちの幸福にどこか浮足立ち、公爵家は笑顔にあふれていたのである。
ところが、どうだろう。
この3男の出産は…公爵家に暗雲をもたらした。
ご懐妊が分かった当初は、皆喜んだのだが、その後明らかに弱っていく奥様に、嫌な予感がした。
すぐに伯爵様が呼ばれ、分かったのは…この子は「非常に魔力が多いのではないか」ということだった。
伯爵様がヒールをかけても奥様に効かなかったからである。
奥様はもともとお身体が丈夫ではなく、お風邪をひきやすかった。
その為、お小さいころには侯爵家専属の侍医が、そののちに伯爵様が薬草やヒールで治療をされてきたのだ。
それが効かなかった。
ヒールは、魔力の多い者から少ない者にしかかけられない。
その為、魔力の多い方である伯爵は、ほとんどの者にヒールがかけられるということで重宝されていた。
その伯爵のヒールが効かないというのだから、お腹の子は伯爵以上の魔力があるのではないか、というのだ。
そう考えると、奥様のお身体が弱っていることにもつじつまがあう。
魔力が多いものを妊娠すると、その多い魔力に母体は常に傷つけられてしまう。
多い力は、無意識のうちに自分より弱い魔力を排除しようと動くのだという。
その為、伯爵の出産の際にも、ご母堂は大変だったのだそうだ。
たまたまご母堂の魔力が普通のご婦人よりも多かったことでなんとか無事に出産することができたが、奥様の魔力はそうではない。
奥様の魔力は元から多い方ではなかったため、余計に負担が大きくなってしまっているのだろう、という。
「このままでは、出産は難しいかもしれない。
いずれはエリアナか赤子か、どちらかを選ばなければならなくなるだろう。
なんとか出産まで持ちこたえてくれれば、最後の手段を使えるんだが…」
まるで苦い物を吐き出すかのように、そう口にする伯爵。
いつも明るい未来を感じさせるその表情は、今はこらえきれぬ苦渋に歪んでいた。
我々は呆然とするしかなかった。
どんどん御痩せになっていく奥様のお身体に、漠然と持っていた不安が、今や形を伴って我々の前に示されたのだ。
当然のようにご当主様は、奥様にお子を諦めるように仰った。
「もう後継である長男も、次男もいるのだ、十分ではないか。
幼い子供達から母親を奪うようなことになってはならぬ。
酷いことを言っているのは理解している。しかし、どうか…子を諦めて欲しい」
ご主人様は、奥様の細い両手を包むようにして、懇願された。
まるで神に祈るようなお姿だった。
そのお顔の色は、血の気を失い青というよりも真っ白である。
ところが奥様は、それを聞いても変わらなかった。
きっと、うすうす感づいていらしたのだろう。
「あら。この子はこの子よ。
ライオネルとリオネルと同じ。この子だってあなたと大切な私の息子。
ふたりの息子の弟になるの。
ふたりはきっとこの子を可愛がってくれるわ。
この子は私とあなたどちらに似ているのかしら?
どちらに似ていたとしても、きっと可愛いはずよ。
ねえ、そうでしょう?」
「私はあきらめない。
大丈夫よ。信じて頂戴。
きっとこの子を無事に産んで見せるから。
ねえ、だからこの子をあきらめろなんて言わないで。
私はこの子を愛しているの。この子をあなたたちにも愛して欲しい」
笑顔すら浮かべてそうおっしゃる奥様。
「………それでも、まだ見ぬ我が子よりそなたの方が大切なのだ。
どうか、どうか私の為だと思って諦めてはもらえないだろうか?
そなたを失うかと思うと、耐えられぬのだ。頼む。お願いだ。どうか、諦めて欲しい」
どうしても諦めさせたいご主人様と、お子は諦めないと仰る奥様。
どちらの思いももっともなものであり、どちらを取っても辛い決断であろう…。
それ以来、公爵家からは笑顔が消え、あんなに幸せだった侯爵家はどこか物悲しい空気に満たされるようになったのだった。
こうしてお生まれになったサフィラス様。
我々は、サフィラス様を大切にし、愛するべきだったのだろう。
しかし、公爵様の目にはサフィラス様は見えていらっしゃらなかった。
赤子に罪はないと分かってはいても、どうして「この子の魔力が多くさえなければ」という思いを消し去ることがお出来にならなかったのだと思う。
赤子に憤りをぶつけることもできず、ご主人様は「いないもの」としてサフィラス様を扱う事でお気持ちにおりあいをつけたのだ。
公爵家の使用人である我々は、ご主人様のご意向通りに行動する。
侍女頭に「最低限の世話はするように」と申し付けたとのことで、言われたように最低限の世話をした。
ご主人様のお目に留まらぬよう、ご主人様たちの居室から一番遠い、物置のような空き部屋にサフィラス様は置かれた。
そう。置かれた、のである。
そこは、とうてい公爵家3男の私室とは言われぬ、単なる空き部屋だった。
子供部屋に似つかわしいものなどは何もなく、ただ生きるのに必要なベッドと、わずかな着替え、手洗い用の水桶、トイレ代わりのツボが置かれただけの小さな部屋。
私もさすがに胸が痛み、「何かも間違いかもしれぬ」と不敬だとは思いながらもご主人様に確認してみた。
「侍女頭に(生きるのに)最低限の世話をと申し付けられたのは本当でしょうか?
本当にそのようにしてよろしいのですね?」
ご主人様はこちらに視線を寄越すことなくこう仰られた。
「ああ。後継でもないのだ。(貴族として)最低限の世話でよい」
勿論、最低限の食事は運ばれ、自分で食事することもままならない赤子のうちは、定期的にミルクを与え、おむつも交換もなされてはいた。
しかし、それだけだった。
頭を撫でたり、話しかけたり、歌を歌って聞かせたり、体をぽんぽんとしながら優しく寝かしつけたり。
そんな幼い子供にとってはかかせぬ世話や愛情は与えられなかったのである。
誰もが、おかしいと気付いていた。
誰もがどこかで罪悪感を抱えていた。
しかし、赤子を任された侍女頭のいうことをそのまま信じてしまったのである。
ご主人様たちの、お坊ちゃまたちのあの悲しみを見ている我々には、どうしても「この子さえいなかったならば」という思いもあった。それは勿論、公爵家のお子様に向けていいような気持ちではなかった。それは分かっている。
しかし、それがあるがゆえ、私は侍女頭のいう「ご主人様のご意向どおりに」サフィラス様を「いないもの」として扱い、「悪魔の子」と蔑んだのである。
奥様と接したことのない新しい使用人などにはサフィラス様に同情的なものもいたが、古参の使用人の目もあり、彼等もサフィラス様に優しく接することはできなかった。
彼らはサフィラス様に話しかけられても応えることもできず、なんとかそっと目を合わせかすかに微笑むことくらいしかできなかったのである。
ご主人様の意向に従ったとはいえ、我々は使用人という立場もわきまえず、やりすぎたのだ。
最初はあった罪悪感もそのうちにこの状況に慣れ、薄れてしまった。
どこかで「奥様のかたき討ちをしている」ようなつもりですらいたのだと思う。
だが、サフィラス様が生死の境をさ迷われることとなり、ようやく目が覚めた。
我々は何をしていたのだろう。
何の罪もない赤子をいたぶり、喜んできただけではないか。
主家のお子様に対して使用人がしていいことではない。
それどころか、人間として失格だ!
言い訳のようだが、我々も長い悲しみから抜け出せずにいたのだ。
どこかおかしくなってしまっていた。
だからこそ、通常ならばおかしいと気付けたはずの侍女頭の言葉をそのままに信じ込んでしまった。
本当は…いつかだれかが我々の目を覚まさせてくれるのを待っていたのかもしれない。
サフィラス様の危機に伯爵様が呼ばれ、そこからは怒涛のようだった。
伯爵様は、まるで彼こそが実の親であるかのようにサフィラス様の現状に怒り、公爵様にくってかかった。
以前はまるで本当の兄弟のように付き合われていたのに、その口調も言動も「敵対する高位貴族」に対するものだったことに、彼の怒りのほどが伺える。
ピシャリと公爵様との間に一線を引かれたのが見えた。
伯爵様は、あっという間にサフィラス様を囲い込み、その懐に入れてしまう。
今サフィラス様がこちらにいらっしゃるのは、単に伯爵様がそれを許しているからに他ならない。
また、サフィラス様がここにいるのも、公爵家に対する情などではなく、単に「公爵家の環境が便利だから」である。
私たちはそこを決して間違えてはならない。
彼らにそうまでさせてしまったのは、我々のこれまでの行動のせいなのだから。
私を残して古参の使用人は皆解雇され、奥様が亡くなった後で雇われたサフィラス様に同情的だった使用人のみが残された。
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「ただ見ていろ。お前たちのしたことの結果を。
お前たちが何をしてきたのかを忘れるな」
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ああ、ああ!
確かにサフィラス様はあの奥様の忘れ形見でいらっしゃった!
亡き奥様は仰っていたではないか。
「この子は大切な息子」だと。「この子を愛して欲しい」と。
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私は何をしていたのだろうか。
何という事をしてきたのだ!
幼子への無体を「ご主人様のご意向」だとして見逃し、そうすることで増長させていた。
公爵様が「生きるのに最低限」などという酷いことを仰るはずがないのに!
私は許されてここにいるのではない。
決して許されないからこそ、ここにいるのである。
サフィラス様の前に姿を現すことなどできない。
ただ、サフィラス様に見えぬよう、陰で支えるのみである。
万が一サフィラス様に危険が迫れば、私が盾になろう。
サフィラス様の敵がいれば、私が剣になろう。
今後サフィラス様を絶対に裏切ることのない罪深き忠実な僕として、私はここにいるのである。
※※※
「サフィ様を守り隊」の影の隊長です。(表はマリー)
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