黒い青春

樫野 珠代

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本編

26






出会いが人を変えることをこの時知った

誰かを欺くこと

そして自分が自分でなくなること

それが一番の近道だということも









気が付いたら朝だった。
朝日がカーテンの隙間から差し込み始め、その光が今、自分がどこにいるのかを思い出させてくれる。
部屋の中は静かで少し先のバスルームから水音が聞こえてきた。


「あ・・・。」
全てを思い出し、ガバッと布団から飛び起きた。


夢じゃなかったんだ。
この部屋も。
聞こえてくる水音も。
今の自分が裸だという事も。
すべてが現実を突き付けてくる。


ただ心は思ったほど、沈んではいなかった。
気だるく、でもどこかで自分の中にあった暗く深い闇から少しだけ抜け出せたような、そんな気分だ。




あれから・・・中川さんの手を掴んだあの時から僕は少しずつ自分が自分でないような感覚に陥っていった。
今から思えば、彼女の言葉一つ一つが僕を狂わせていったんだ。



あの後、さらに少しビールを飲んだせいかもしれない。
飲みながら僕の事を色々聞かれた。
言いたくない事がたくさんあったけれど、中川さんは聞き出すのが上手くて、誤魔化せなくて。
結局、全てを話す事になってしまった。

聞き終わった後、彼女は呆れて頭を振っていた。
「女は計算高い生き物よ。あなたの好きだった美月という女性も然り。あなたは彼女を傷つけたと思ってるみたいだけど、私に言わせたらどっちもどっちよ。と言うか、そんな事で愚図ってるあなたに呆れてるわ。彼女の方は案外、きれいさっぱりと忘れてるかもしれないのに。」
「そんな事、絶対にない!彼女はとても優しくて、思いやりがあって・・・だからきっと今も苦しんでるはず。」
唇を噛みしめる僕を見ながら、彼女は溜息を吐いた。
「好きだから相手を美化してることってあるのよね。それに若いうちは人を見る目もまだまだだし。」
「僕はずっと見てきたんだ!彼女のことなら他の誰よりも知ってる!」
思わず声を荒げていた。
すると、中川さんは
「じゃあ聞くけど、彼女は連絡してきた?あなたに謝ってきた?」
急に鋭い目つきで僕を見据えた。
その視線で僕は呆気なく勢いを失う。
「あ、謝るのは彼女じゃなくて僕で・・・。」
「好意を持ってると知った上でその気持ちをズタズタにしていったんだから謝るのは当然でしょう?あなたの言うような人間なら傷つけた事に気付いて、すぐにでも謝ってるはずよ。」
「そ、それは・・・。」
「そもそも想いやりのある人がそんな事をするかしら。まずあなたの気持ちに対してきちんと対応するんじゃない?彼女はそういうタイプではないの?」
「・・・。」 
何も言えなかった。
言い返したかったけれど、言葉が見つからない。
そう言えるだけの自信がすでに消えていて、中川さんの言葉が徐々に僕の中に入り込んでいたから。
そして僕の知ってるみーは、まだ小さかった頃の、話さなくなる前の彼女であって今現在の彼女を知り得る程の関係ではないと言う事に今さらながら気付いたから。

その事に落ち込んでいる僕に中川さんは容赦ない。
「あなたがこうして苦しんでる事を彼女は知らないんでしょうね。今頃、あなたの知らない、別の男と付き合ってるかもしれないわね。」
「っ・・・。」

嫌だ。
みーの隣りに男がいるなんて。
そんなの、兄貴の時で十分だ。
僕は自然と手を握りしめていた。

「もちろん付き合ってるならセックスだってするわよね。」
「やめて下さい!そんなの、聞きたくないです!」
彼女が誰かと・・・そんなの考えたくもない。
耳を塞ごうとするよりも先に、
「その時に・・・あぁ、その時くらいはあなたの事を少し思い出すんじゃない?ううん、もう思い出さないくらいの存在かもね。」
彼女の言葉は僕の耳の中に吸い込まれていく。
「わかってます!それくらい!彼女にとって僕は所詮・・・」

言われなくてもわかってる。
みーにとって僕はそれくらいの存在だって。
あの日、思わず声をかけた僕を見たみーの態度が全てを物語ってたから。

「結局のところ、彼女があなたに付き付けた言葉が全てじゃないかしら。」
「僕に突き付けた・・・言葉・・・」

「『あなたにはがっかりだわ。あなたは私を気持ち良くはしてくれなかった。男としてそれってどうなの?』」
思わず息を呑んでいた。
中川さんが言ったはずなのに、目の前にみーが見えたから。
そんな僕に中川さんはさらに続けた。


「女だって性欲はあるのよ。その時の彼女が求めていたのもあなたの気持ちじゃなく、溺れるくらいの快楽だったのかもね。だって彼女の言葉から読み取れるのはそれくらいで他にはないでしょう?」
僕は中川さんの言葉に異論を唱えるかのように首を振りながら、必死にみーをフォロー出来るような事実を、その時の状況の中で思い出そうとした。
けれど、心にあったその記憶がなぜかぼやけていく。

何も口に出来ない僕に中川さんは話題を変えた。
「葵、男としての自信をつける為の手っ取り早い方法を知ってる?」
「え?いいえ・・・。」
知っていたら、今ぼくはこんな状態になってないよ。
少なくともこんな惨めな今の自分には。

中川さんはフッと遠くを見つめ、自嘲めいた笑みを湛えた。
「女を溺れさせる事ができればいいのよ。男はね、女に求められれば求められるほど自信に満ちてくるものよ。単純と言えば単純よね。でも、それには女の全てを知る事が必要なの。相手が悦びそうな事からそれこそ身体を満たす事まで。」
「でも僕は・・・。」
僕の言おうとした事がわかったのか、中川さんはすぐに答えを返してくれた。
「セックスが出来ないって嘆くのはまだ早いわ。体を繋ぐだけがセックスじゃないのよ。目で楽しんで指で感じて、舌で味わう。それもセックスの一つ。わかる?」
「な、なんとなく・・・。」
「教えてあげるわ。私の身体で・・・。」
そう言うと中川さんは僕をベッドへと導いた。



その後のことははっきり言って口に出来ないくらい、乱れに乱れた。
役に立たない僕の身体の分まで彼女を悦ばせる事に執着し、今まで溜め込んでいた感情を吐き出すかのように半ば反乱狂とも言える程の痴態を彼女に曝け出した。
僕がそれほど表面に出せたのはやっぱり彼女のリードのおかげで。
巧みな仕草や言葉で僕を誘ってきた。


女性の感じてる表情や声があんなにも僕の脳を刺激するなんて初めて知った。
そして同時に、あの時のみーはそのフリをしていたんだと言う事も思い知った。
やっぱり僕は男として駄目な奴だったんだ。
それを認識したら、さらに感情が溢れ出してそれをまた中川さんにぶつけていた。





「あら、起きた?」
急に聞こえてきた声で我に返ると、目の前に中川さんがいた。
「あ・・・。」
ぼんやりとしている僕を可笑しそうに笑っている。
そうして耳元に近づき、
「昨日は良かったわよ。やれば出来るじゃない。すごく興奮したわ。」
「そ、その・・・。」
昨日の事を思い出して、顔が熱くなるのを感じた。
「あら、もう元に戻ったの?言ったでしょう?あなたはもう昔の自分じゃない。今回の役でもある泰治になるようにって。」

そうだった。
ベッドの中に誘われた時、中川さんに言われたんだった。
役の性格を盗んで自分のものにしろと。

「すいません。」
「泰治はすぐには謝らないわ。それにそんなに弱気な人間じゃないわよ。」
「・・・そうでした。」
つい謝る癖が出てしまう。

「今日の予定は?」
訊かれた事に答えようとしたが、注意された先程の事が頭に浮かび、少し考えて、
「昼からスタジオ入りだけど、その前に事務所に顔を出す事になってる。」
僕の回答に少し満足げに頷き、
「じゃあ、もう少し時間があるわね。ふふ・・・昨日の復習といきましょうか。」
そう言って、中川さんは再び僕の隣りに座り、ゆっくりとキスをしてくる。
そのキスに応えながら、脳裏を掠めるもの。

僕はもう『青井 空』じゃない。
泰治本人なんだ。

そう思った次の瞬間、中川さんをベッドへと押し倒し、荒々しいキスを彼女に降り注いだ。
そして彼女の身体からバスローブを取り払い、唇と両手が彼女の身体を這い回る。
「あぁ・・・いい・・・素敵よ。」
そう言って妖艶に見つめてくる彼女を見て、次第に自分の中で力が湧きだすのを感じると同時に片隅にいた『空』が少しずつ消えていくのを感じていた。





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