黒い青春

樫野 珠代

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本編

33






心と体がバラバラに分裂していく

それを感じていくのに止められない

止める術を知らないから

誰か教えてくれ

その術を ―――








美月との生活が始まって、数ヶ月が過ぎた。
生活パターンは変わらない。
ただ睡眠時間が彼女を抱く時間に変わっただけ。
いつものように冷たく、非道なまでに。


だけど美月の様子だけは変わった気がした。
一緒に住み始めた頃のような、ささやかな抵抗みたいなものがなくなり、素直に俺に抱かれる。
従順というよりもそれ以上に。

何かあったのだろうか。

そう思っても聞けない。
彼女に隙を見せてしまう気がして。

ただでさえ、彼女の身体に溺れてしまっている。
もし今、彼女がその事を餌に俺を脅してきたら?
高額な慰謝料を請求してきたら?
間違いなく俺の方が多大な被害を被る。
それでは駄目だ。
ダメージを受けるのは俺じゃなく、彼女でなければ。



そんな時だ。
俺の中で不審という小さな波紋が広がったのは。

毎夜の行為の後、意識を手放した美月をいつも見つめ、日々膨らんでいく苛立ちを持て余していた。
気がつけば、美月の横に倒れながらそれを口にしていた。
「ホント、ムカつく・・・。」
身体は正直すぎる。
何度抱いても飽きる事がなく、むしろ彼女を渇望している。
今こうしていること自体、危険なのに。
そう思っていた俺の耳に、
「その・・ごめん、空。次からはもう少し頑張るから。」
「は?」
美月の言葉は俺を驚かる以外の何物でもなかった。
意識がないと思っていた美月は起きていて。
しかも俺の愚痴までしっかりと聞いていたようだ。
さらに彼女は俺の鎮めようとした水面に小さな、でもしっかりと石を投下した。
「つまり・・・・・・こういうのってあんまり慣れてなくて。って言うか、久々・・・いや10年ぶりだし。しかも私からこう・・・誘うとか、男性をイかせるとかっていうテクとか持ってないし。だ、だからさ・・・。」
「・・・・10年?」
ちょっと待て。
いきなり何を言ってるんだ?
慣れてない?
10年ぶり?
戸惑いを悟られない様にしながらも心は穏やかではない。
落ち着け。
心の中でそう言い聞かせる俺を余所に彼女はまだまだ話し続けている。
「それにこんなに・・・は、激しいのって初めてって言うか・・・・・・だからすごくその・・・何も考えられないって言うか、あ・・なんか言い訳だよね、これって・・・・・・・・空、呆れてる?よね。」
そう言って俺を控え目に見上げてきた。

違う。
呆れてるわけじゃない。
そういうんじゃなくて。
頭が混乱していて何も浮かばないんだ。
何のために彼女はそんな事を言い出したのか。
いや、違う。
今、考えなければいけないのは、彼女の話した内容だ。
慣れてないというのはどういう事だ?
金のために男に媚びを売っていたんじゃないのか?
身体を差し出していたんじゃないのか?

訳がわからなくなってきた。

あのファイルは嘘だと言うのか?
それともこれも美月の罠なのか?


混乱した頭に浮かんだのは、俺の疑問を解消できるであろう人物。
三沢さんだ。

疲れた身体を気力で起こし、すぐに行動した。
「そ、空?」
不安げな声を響かせる彼女を見る事が出来なくて、服を着る事に集中した。
そして、
「・・・・・・仕事に行ってくる。」
それだけ伝えると、俺は車のキーを掴み取り、すぐに家を後にした。


車を走らせている間も胸騒ぎにも似た感覚が俺を襲ってくる。
現実を知ることが恐ろしい。
けれど、このままでは自分が何をすべきなのかが見つからない。


事務所の駐車場に着くと、早朝だと言う事は百も承知で俺は三沢さんに電話をかけた。
数回コール後、曇った声が耳に届いた。
『葵?』
「朝早くに悪い、三沢さん」
『いいけど・・・・どうしたの?何か、あった?』
「聞きたい事があるんだ。」
『聞きたい事?』
「ああ。彼女を調査した会社を知りたい。それと担当者の名前も。」
『いきなり何?それがこんな早くに電話した理由?』
「そう。ちょっと疑問に思う事があって。出来るだけ早く知りたいんだ。」
『・・・・・・・わかった。今どこ?少し時間がかかるけど、合流しましょう。』
「今事務所の地下駐車場。もし良ければ俺がそっちに行ってもいいけど?」
『ここに?別に構わないけど。場所はわかる?』
「なんとなく。近くに行ったら連絡する。」
『わかった。じゃあ、私も用意しとくわ。』
「じゃあ後で。」
電話を切って、すぐにエンジンをかけた。
これで少しは何かがわかるはず。
そう信じて、逸る気持ちを抑えながら俺はすぐに車を出した。




「葵には悪いけど、調査会社の素性は教えられないの。というよりも、私でさえ知らない事が多いのよ。でも社長と昔から付き合いのある会社だから心配はないのよ。ただ、その会社は裏専門の調査会社で、調査員でさえ自分の素性を偽って動いてるらしくて。」
「そんな!」
「でもそのおかげで私達の事も外に漏れる事はないの。お互いに利害は一致してる。だから今回の件も先方に頼んだの。」
申し訳なさそうに言う三沢さんに俺は座っていた椅子から立ち上がり、感情をぶつけた。
「そんな事はどうでもいい!俺は今すぐにでも話を聞きたいんだ!あの報告書は真実なのかを!」
「落ち着いて、葵。一体、どうしたの?」
俺の取り乱し様に驚き、三沢さんは目を見開いていた。
それを見て、はっと我に返った。
そうだ、三沢さんが悪いわけじゃないんだ。
真実を・・・本当の事を知りたいだけなんだ。
ストンと椅子に沈み込むと、
「・・・・・・・嘘かも知れないんだ、あのファイルに書かれていることが。」
頭を抱えながら、そう告げた。
「まさか。そんな事をして調査会社に何のメリットがあると言うの?」
「それはそうだけど・・・やっぱり何かすっきりしないんだ。彼女の行動や発言を聞いてると。」
「葵が彼女を信じたいという気持ちもわかるわ。昔、好きだった女性なんだものね。でも、昔は昔なの。人は変わるものよ。それは仕方のない事で、あなたもそれはわかってるでしょ?」
「三沢さん・・・。」
「こう言う時は、冷静に聞いて対処できる第三者の意見を尊重するものよ。」
「・・・俺にどうしろと?」
「少し頭を冷やす事。そうね・・・暫く彼女と距離を置いて考える時間を設ける事よ。ただでさえ、寝不足なんでしょう?」
そう言って俺を心配そうに見ている。

三沢さんの判断は正しいと思う。
俺だっていつものように冷静でいたい。
けれど、なぜかそれが出来ないんだ。

・・・いい機会かもしれない。
三沢さんの言うように、一人でじっくりと考える時間を作るのも。

「三沢さんのいう通りにするよ。暫くあの部屋には戻らない。ちょうど映画の番宣で忙しくなるし。」
「それが賢明ね。暫くホテルにでも泊まるでしょ?会社にはうまく話しておくわ。」
「そうして貰えると有難い。」
「わかったわ。私も出来るだけの事はするわ。今日、時間が空いた時にでも先方に確認の電話をしてみるし。」
「ホントに?」
「ええ。なんなら葵の目の前で電話をかけてもいいわ。」
その言葉を聞いて、思わず立ち上がった。
「ぜひそうして欲しい!」
「わかった。ほら、そろそろ時間よ。取材が3件、午前中に入ってるわ。その後は、ラジオにゲスト出演とCM撮り。今日も忙しいわよ。」
「誰に言ってるの?俺は葵だよ。」
「ふふ、やっと普段の葵に戻ったわね。その調子よ。」
そう言って、三沢さんはとてもほっとしたように微笑んだ。





言葉通り、三沢さんは少し遅めの昼食の時間に、先方に連絡を入れてくれた。
本当は直接話をしたかったけれど、それは先方との取り決めで無理だと言われた。
せめて俺に聞かせようと携帯をスピーカーフォンにしたまま三沢さんは話をした。
「突然、すみません。三沢ですが。」
『どうかなさいましたか?』
「ええ、ちょっと。先日頂いた報告書の件で。」
『何か不手際でも?』
「実は、内容に不備があったのではないかと依頼主が申しておりまして、確認のお電話をさせて頂いたのですが。」
『不備、ですか?』
「書類に書かれている女性ですが、内容と実際は異なるのではないかと。もちろん、そちらの調査能力はとても高く評価しております。けれど、どこかで見落とし等なかったかと。」
『それはあり得ません。こちらも短時間とはいえ、手を抜く事もましてや調査ミスをする事もございません。』
「そうですよね・・・。」
三沢さんはチラッと俺を見た。
俺が納得したかどうかを確認するために。

ここまではっきり言われたんだ。
認めざるを得ない。
俺は素直に頷いた。

すると、
「あの、もしそちらに差し支えがなければ、暫く彼女の調査を続けてほしいのですが。」
『と言いますと?』
「過去ではなく、現在を。彼女の素行調査をお願いしたいんです。」
三沢さんの提案内容に、俺ははっとした。
盲点だった。
美月の相手が、今、俺一人とは限らない。
その可能性を見逃していた。
俺のいない時間、彼女が何をしているのか。
俺は知らない。
ただ、帰った時に彼女の存在がそこにある、という事だけ。

『わかりました。ちょうど一人、手の空いている人間がおりますので調査を致しましょう。』
「宜しくお願いします。何かありましたら時間を問わず、ご連絡下さい。」
『はい。では詳細は改めてご連絡をさせて頂きます。』
「それでは失礼致します。」
携帯を切って、三沢さんは俺を振りかえった。


「勝手な事するなって思ってる?」
「いや、さすがだと思った。俺はそこまで気が回らなかったから。そうだよな、今、この瞬間、彼女がどこで何をしてるかなんてわからない。もしかしたら・・・。」

美月は俺の知らない別の顔を持っていたりするかもしれない。
俺はそれを上手く見抜けなくて、こうしてまた一人でもがいて。

「とりあえず葵は仕事に集中すること。何かあったらすぐに葵に知らせるから。」
俺に言い聞かせるようにそう言った。
それだけ今の俺は、余裕がないのがバレバレだと言う事か。

「ごめん。結局、三沢さんを煩わせる事になってしまって。」
「気にしないで。これもマネージャーとしての仕事だし、葵が円滑に仕事を進められる為なら本望だわ。」
「サンキュ。」
言葉は軽いけど、三沢さんには心から感謝した。
今の俺にはそれしか出来ないから。




 



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