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1巻
1-3
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「あの、CM用に撮るので……季節によって採れる山菜が違うから内容は少し変わる、のところを言ってください」
「え? そこ? あ、宣伝用だったんだ。恥ずかしいなぁ……」
糸さんがきちんとした正座から、ぐにゃりと脱力して姿勢を崩す格好になる。
「もう一度、カメラ回しますから。お願いします」
「はぁい」
ふにゃふにゃとした雰囲気のまま、糸さんがカメラを見る。
「えっと、山菜は季節によって採れる種類が変わります。それによって、メニューも変更しています」
じいっとカメラを見つめながら、糸さんが一生懸命しゃべっている。ちょっとカメラを意識し過ぎな気もするけど、欲しかった映像は撮れたのでよしとする。
並べられた料理の撮影も無事に終わらせた。続いて、個別に料理の説明をしてもらう。
「これは、タラの芽の天ぷらです。衣を薄くして軽い食感にしてありますので、食欲のない朝でも、美味しく召し上がっていただけると思います」
糸さんがカメラに向かってコメントをくれる。
説明が終わると、私は天ぷらに箸をつけた。さくり、と軽い食感で、確かにこれなら朝から美味しく食べられる。タラの芽のこっくりとした苦味と、かすかな甘み。さくさくとした衣の食感。塩と天つゆの両方で楽しめるのが嬉しい。
「この天ぷらは自信作です。ぜひ一度ご賞味いただきたいです。タラの芽はそろそろ季節外れになりますので、お早めに紬屋にお越しください」
にっこりとカメラに向かって糸さんが微笑む。
慣れてきたのだろう。余裕が感じられるようになった。
私は次の小鉢を卓袱台に置いた。
「こちらは、ウドのマリネです。オリーブ油、レモン汁、粒マスタードで仕上げています。初夏にぴったりのさっぱりとした味付けです」
ウドのほろ苦さとレモンの爽やかさ、粒マスタードのコクと辛さのハーモニーがたまらない。シャキシャキした食感もクセになる。
「こちらは三つ葉と蒲鉾の吸い物と卵焼きです」
ふっくらとした卵焼きに箸を入れる。卵焼きは甘い味付けだった。ほのかな甘さがちょうどよい。私は熱々の吸い物をずずっとすすり、卵焼きを口いっぱいに頬張った。
正直、これだけでも大満足な朝食なのだけど、どうやらあと一品あるらしい。
「最後は、山菜たっぷりのおこわです。季節の山菜が数種類入っています。香りと旨味が凝縮したおこわを、ぜひ紬屋でお楽しみください」
カメラ目線で、最後までアピールを欠かさない。
糸さんは完璧に整った顔立ちなのに、おっとりした口調と雰囲気のせいで嫌味がない。
思わず見惚れそうになりながら、おこわを口に運ぶ。
「美味しい……!」
糸さんの言う通り、香りと旨味がぎゅっと凝縮されている。
もち米のモチモチした食感がたまらなく美味しい。細切りされた油揚げも入っていて、この甘辛い味は知っている。昨日食べたうどんのトッピングだ。これは大好きな味。
「こんなに贅沢な朝ごはん、生まれて初めて食べました」
私は膨れたお腹をさすりながら、ふぅ、と一息をついた。
お腹が満たされると、幸せで、ほっこりした気持ちになる。
「大げさだよ」
糸さんは照れたように謙遜するけれど、うそじゃない。
味はもちろん、盛り付け方、器の一つ一つにもこだわりが感じられて、目にも美味しいとはこのことを言うのだなと思った。
朝ごはんを食べ終えると、糸さんがほうじ茶を淹れてくれた。
「熱いから気を付けて」
そう言って湯呑を渡してくれる。
「ありがとうございます」
朝食の後片づけを申し出たのだけれど、それは糸さんに断られてしまった。
「旅籠の宣伝に協力してもらうんだから当然。小夏ちゃんは何もしなくていいよ」とのことだった。正直、上げ膳据え膳というこの状況には慣れない。そわそわしてしまう。
一人暮らし歴が長いせいだろうか。目の前に動いているひとがいるのに、自分だけじっとしていることが、なんだか変な感じなのだ。
糸さんに告げると、きょとん、とした顔になった。そして、ふふっと笑われた。
「そもそも、お客さんっていうのは何もしないものだよ? のんびりしてもらうために宿があって、僕がいるんだから」
「……それは、そうかもしれませんが」
「もしかして、今までの旅行も落ち着かずに、ずっとそわそわしてたの? それじゃ、楽しめなかったんじゃない?」
糸さんの言葉に、私はなんと返したらいいか分からなかった。
私は、旅行をした経験がない。
動画撮影のために地方へ赴き、宿泊をしたことならある。たいてい格安のビジネスホテルだ。一人旅といえばそうなのかもしれないけれど、楽しむ旅行とは違う気がする。
残念ながら、仲良く家族旅行をするような家庭環境でもなかった。今、私は一人暮らしをしているし、両親がどこで何をしているかも分からないくらいだ。
よくよく考えてみれば、私にとって「楽しむ旅行」とは未知の領域だった。
「……小夏ちゃん?」
急に押し黙った私を不審に思ったのか、糸さんがこちらを覗き込んでくる。
「あ、いえ。なんでもないです」
私は、慌てて顔を上げた。昔のことを考えても仕方がない。暗い気持ちになるだけだ。
大切なのは、今とこれから。とりあえず、今は紬屋の宣伝に集中しよう。糸さんの自慢のレシピは、まだまだあるとのことだし。
山菜料理は紬屋の一番のアピールポイントだから、あますところなく撮影したい。
せっかくの料理を無駄にしないためにも、私が食べ切れる量を作ってもらい撮影するのがいいと思う。
本当は昨夜のCMだけにするつもりだったけど、糸さんも乗り気だし、私も本格的にこの旅籠のPRをしたくなってきた。どうせなら長期で滞在して、この宿の行く末を見守ろう。
こういうとき、一人暮らしは身軽でいい。自由で気楽なのだ。
染みついたお一人さま思考を巡らせながら、湯呑を口に近づける。
温かいほうじ茶を味わっていると、玄関のほうから「ごめんくださーい!」という声がした。
「はーい」
糸さんが返事をしながら立ち上がって、玄関に向かう。
「動画で美味しそうな山菜の料理を見て来たんだけど……部屋、空いてる?」
お客さんだ……!
動画、という言葉に胸がドキンとなる。昨日公開したばかりのCM動画に反響があったと分かり、部屋から顔を覗かせた。
玄関に立っていたのは、旅行バッグを持ったショートカットの女の子だった。年齢は二十代で、かなりのおしゃれ女子。流行を完全におさえたファッションに身を包んでいる。
おまけに、アクセサリーは海外で人気のブランドもの。ここまで人間社会に馴染んでいるあやかしが存在するのだろうか。
人間ではないかと思うのだけど……
私は部屋を出て、糸さんのそばへ行って小声で話しかけた。
「糸さん、この旅籠って人間のお客さんも来るんですか?」
でもあのCM動画は、あやかしにしか見えないはずだし……
訝しむ私に対して、糸さんは落ち着いた様子でおしゃれ女子から荷物を受け取っていた。
「小夏ちゃん、彼女はにんげんじゃないよ」
首を横に振りながら、糸さんがにこやかに言う。
「そうなんですか? 彼女もあやかしなんですか?」
糸さんを見上げながら問うと、おしゃれ女子が興味深そうに顔を近づけてきた。
「あやかしだよ。あたし、雪女。っていうか、あんたこそにんげんじゃん! あたしたちのこと、見えんの?」
ぐいぐい寄ってきた雪女が、私を上から下まで観察する。
「ゆ、雪女さん……?」
イメージする雪女像とはかけ離れている。白い着物を着ていないし、儚げな雰囲気もない。
意外過ぎて、思わずこちらも不躾に上から下までじろじろと見てしまう。
「そちらは、三つ目小僧と枕返しだね」
糸さんに声を掛けられて、雪女さんの後ろから二人がひょっこりと顔を出す。
着物姿の童子が、じっとこちらを見てくる。人間でいうと、幼稚園か小学校低学年くらいの外見をしている。頬がぷくぷくしてかわいい。
ぱちぱちと三つの瞳が同時に瞬きをする。この子は名前の通りの外見をしているのだな、と心の中で密かに思う。
「あのCMってさ、こっちのにんげんが撮ってるんじゃない? この糸引き女、なんか抜けてそうだし。にんげんの作った機械とか触れなさそうじゃん」
三つ目小僧が、私と糸さんを交互に指さす。
見た目は幼くてかわいい童子なのに、言うことは辛辣だ。
「あんた、糸引き女の嫁さんかい?」
うひひ、と楽しそうに笑う彼女が、おそらく枕返しなのだろう。
雪女より少し年嵩に見える。あやかしの実年齢が外見に比例しているのかは分からないけれど。
「嫁じゃないです」
あやかしの嫁になる想像はやっぱりできないので、さくっと否定しておく。
「彼女、小夏ちゃんというんですけど。茅の輪に触れてしまったみたいで、それで僕たちの姿が見えるようになったんです。成り行きで紬屋の宣伝に協力してくれたんですよ」
糸さんに紹介されたので、軽く自己紹介をする。
茅の輪に触れてしまった経緯を簡単に説明した。廃村に来たきっかけを話すと、三つ目小僧の瞳がきらきらと輝いた。
「動画クリエーター!? おれ知ってる! VLOGのチャンネル見てるよ!」
まさか視聴者だったとは。
「ご視聴ありがとうございます」
私は三つ目の童子に頭を下げた。視聴者は大切にしなくてはいけない。
撮影機材を見たいと私にせがむ三つ目小僧を、糸さんが引き離す。
「お部屋にご案内いたします」
糸さんの笑顔の圧に負けて、三つ目小僧はしぶしぶ引き下がった。
あやかしたちの背中を見ながら、さっそく旅籠に貢献できたことを嬉しく思った。まさか、こんなにすぐお客さんが来てくれるなんて。
お客さんが三人も増えて、糸さんは忙しくなるだろうな……
そう思って部屋に戻ると、廊下をパタパタと走る音がした。しゅたん、と障子が開けられる。
「カメラ見せて!」
三つ目小僧が勢いよく部屋に入ってきた。満面の笑みだ。
と、同時に糸さんが「勝手に障子を開けないでください!」と青い顔で飛び込んでくる。
「なんでだよ?」
三つ目小僧がむすっとした顔になり、糸さんを見上げる。
他人の部屋に勝手に入ることはいけないのだけど、それはもしかしたら人間の世界だけの常識なのかもしれない。糸さんも最初、躊躇なく部屋に入ってきていたし。
「実は昨日、僕が急に部屋に入ってしまって……」
昨晩の顛末を糸さんが口にした。
「はぁ? にんげんの裸なんか見たって、面白くもなんともないんだけど。それよりカメラ見せてよ」
確かに、痩せ型で女性らしい膨らみが皆無な私の裸体に価値などないだろう。それに比べて、最新式のカメラは高価な代物だ。三つ目小僧は見る目があると言える。
バックパックからカメラを取り出すと、彼は嬉しそうにそれを眺めた。
「なぁ、小夏」
三つ目小僧が、カメラから私に視線を移す。
「呼び捨てはどうかと思います」
ちくりと糸さんが言葉を挟む。
「なんでしょう」
「どうしてもって言うならさ、おれも動画に出てあげてもいいよ?」
「……はい。お願いします」
どうしてもなんて、言っていないんだけどなぁ……と考えていたら、糸さんに肩を揺さぶれた。
「小夏ちゃん、なんで!? なんでお願いしちゃうの!?」
糸さんが悲愴な顔で、私をがくがくと揺らす。
「薪風呂の映像とか、お料理を美味しそうに食べるシーンとか、賑やかな映像のほうがいいと思うので」
昨晩の薪風呂は気持ちいいお湯だった。あれはアピールポイントになるだろう。
それに、和気あいあいと食事を楽しむシーンはいい絵になるので、ぜったいに撮りたい。
「小夏ちゃんが言うなら、いいけど……まったく、ミーハーなあやかしだね」
やった、と飛び跳ねて喜ぶ三つ目小僧を見下ろしながら、糸さんが腕を組む。
あんなにカメラを意識して映りたがっていたことは、どうやら都合よく忘れたらしい。
自分のことを棚に上げる糸さんを大人気ないなと思いながら、私はくすりと笑った。
賑やかな映像にするためには、三つ目小僧の協力だけでは物足りない。
雪女と枕返しの二人にも、ぜひ出演してほしい。
そう思って、彼女たちの部屋へ行き、出演交渉を試みた。
「まずは、薪風呂に入って気持ちよさそうにしているシーンを撮りたいんです。『紬屋には薪風呂があるのか』『ゆっくり湯につかってのんびりできそうだな』『ちょっと行ってみようかな』って、そんな風に思ってもらえる映像が欲しいんです」
撮影の意図を説明する。雪女はノリがよさそうなので、すぐにOKしてくれるかもと思っていたけれど、目論見が外れた。
「ちょっとぉ、雪女のあたしに薪風呂入れとか、いくらなんでもひどくない? そんなのムリ。ぜーったいにムリだからね!」
座鏡の前で、ていねいにメイクオフしている雪女に、NOを突き付けられる。
「……雪女さんは、もしかして熱いのは苦手なんですか?」
「当たり前じゃん。雪女は水風呂しかダメって常識なんだけど!」
ぷりぷりしながら、鏡越しに雪女に睨まれる。
私は人間なので、あやかし界の常識を唱えられても困るんだけど……
心の中で反論しながら、ちらりと雪女の顔を見る。
驚くことに、メイクをすべて取り去った彼女の素顔は恐ろしく地味だった。
ぱっちり二重瞼は消え去り、毛虫かと思うくらい巨大なつけまつ毛が座鏡の隅に放置されている。
のっぺらぼうだったのかと疑った事実は、もちろん彼女には伏せる。気を取り直して、同じ部屋でくつろいでいる枕返しに話しかけた。
「枕返しさんは、どうですか? お願いできますか?」
「別にかまわないけどさ。ワタシより適任がいるじゃないか」
うひひ、と楽しそうに笑う。どうやら彼女は、この笑い方がクセらしい。
「適任……?」
誰だろう。思い当たらない。他にお客さんもいないし。
「ここの主人だよ。なかなかの色男じゃないか。ちとぼんやりしてるようだけど、あの男の入浴シーンなら女性客の食いつきもいいだろうねぇ」
なるほど。確かに、彼の顔面偏差値は高い。
雪女と枕返しへの出演交渉が決裂した今、彼にお願いをするしかない。
私は、糸さんにCMへの出演を願い出た。
「小夏ちゃんに撮られるの? 入浴してるところを? なんか恥ずかしいなぁ」
もじもじと照れている。
「宣伝のためです」
そう言って圧をかけ、強引に風呂場へ連れていく。
「脱いでください」
「え、ちょっと待ってよ……」
恥ずかしがりながらモタモタと服を脱ぐ糸さんを急かす。
撮影に挑んだ結果、恥ずかしくなったのは私のほうだった。
プロとして集中しなければ、と思うのに、どうしても糸さんの露わな姿に気を取られてしまう。
ぼんやりしているくせに、こんなにきれいに引き締まった体をしているなんて詐欺だ。
細身なのに、しっかり筋肉が付いている。
「トレーニングとかしてるんですか?」
腰にタオルを巻いた状態で、気持ちよさそうに湯につかっている糸さんに声を掛ける。つい、CMと関係ない質問をしてしまった。
「してないよ。山菜を採ったり掃除をしたりして、よく動いてるからね。中年太りには程遠いでしょ?」
ぱちゃぱちゃと指先で湯を弄びながら、糸さんが笑う。
見た目だけなら、文句なしの美青年だ。
「中年っていうには、厚かましい年なんじゃないですか?」
本当の年齢は知らないけど、カマをかけるつもりでいじわるな指摘をした。
「あやかしの世界ではそのくらいだもん」
くちびるを尖らせた糸さんに、ぱしゃりと湯を飛ばされる。
「ふうん、そうなんですか」
それなら、語尾に「もん」は止めたほうがいいのではないだろうか。
カメラを回しながら、本当に年齢不詳だなと改めて思う。
色白で艶々とした肌が水滴を弾いている。二十歳そこそこの自分だって、ここまで肌に元気はない。痩せぎすだからかな、と自分の細っこい腕を眺めて残念に思った。
そんなこんなで、薪風呂のCM撮影は無事に終わった。
なかなかいい映像が撮れたなと満足していると、枕返しが例の笑いを浮かべながら、こちらに近づいてきた。
「ずいぶん風呂でいちゃいちゃしてたようだねぇ」
「してません」
健全な撮影だった。彼の美しい肉体に、ほんのちょっと目を奪われたのは事実だけど、やましい気持ちなどまったく抱いていない。
「そうかい」
うひひ、と楽しそうに枕返しが笑う。
「あの、食事しているところを撮らせてもらえませんか? 美味しそうなごはんと、それを食べながら、みんながわちゃわちゃしてるシーンがあればいいCMにできるので」
「面倒だねぇ」
渋る枕返しに、湯上がりでほこほこの糸さんが声を掛ける。
「出演していただけたら、お礼に宿泊料金を割引いたします」
にっこりと笑いながら枕返しと交渉する。
「それなら、まぁいいかね」
うひひ、と笑いながら枕返しが頷く。
「あたしも! ごはん食べるところならいいよ!」
そう言って、のっぺらぼう……ではなく、雪女が部屋からひょっこりと顔を出す。
「あ、でもごめん! 撮影開始まで時間もらえる? メイクオフしちゃったからさ」
「……それは、かまいませんけど」
返事をしたものの、あれほどの別人級メイクを施すのに、一体どれくらいの時間を要するのか気になる。まさか、何時間もかかるのだろうか。
「時間って、どれくらいかかりますか?」
不安になって確認してみる。
「二十分くらいかな」
そう言って雪女は部屋に引っ込み、さっそくメイクを開始する。
想像していたよりは短時間だった。テクニックがすごいのだろうか。それとも、慣れると簡単にできるものなのか。化粧っけのない自分には、よく分からない。
雪女のメイク待ちの間に、糸さんが彼女たちの部屋に料理を運んでいく。
豪華で美味しそうな料理を前にして、三つ目小僧が嬉しそうに飛び跳ねる。
「うまそう……!」
きらきらした顔で、じいっと料理を眺めている。ぱちっぱちっと瞬きをする様子がかわいい。
「本当だ、美味しそうだね!」
雪女が、三つ目小僧に同調しながら席に着く。
メイクが完成したらしい。いつの間にか、ばっちり二重も出現している。
「えっと、それでは撮影を開始します。カメラに問題がないか、先に試し撮りをさせていただきます。本番ではないので、みなさんはリラックスして料理を召し上がってください」
私はそう言って、カメラを回し始めた。
試し撮りというのはうそで、実はこれが本番だ。撮影に慣れていないと、どうしても動きがぎくしゃくしてしまう。うそも方便というやつだ。
「食べる前にスマホで撮ろうっと。あ、ついでにSNSにアップしよう」
雪女はどうやら、人間社会に染まりきっているらしい。スマホで撮影し、画像を加工している。糸さんは、あやかし専用のSNSは存在しないと言っていた。
「にんげん用のアカウントに紛れて、みんなこっそりやってるよ。タグとかあるから、簡単に見つかって便利だよね」
「みんなって誰ですか?」
「にんげんの世界で働いてるあやかしたち」
私が雪女の手元を凝視していたら、彼女がそう教えてくれた。
糸さんが言っていた通り、本当にあやかしは人間社会で働いているらしい。
画面を見せてもらうと、そこには『#あやかし』『#物の怪』『#妖怪』というシンプルかつストレートなタグが並んでいた。どの文字も掠れている。
「あたしと枕返しは、けっこう前からにんげんの世界で働いてるよ」
ばっちりメイクの雪女が、タラの芽の天ぷらを頬張りながら言う。
「どういったお仕事をされてるんですか?」
あやかしが人間の世界で仕事を得ているなんて、ものすごく興味がある。
「あたしは夜の仕事。そのほうが儲かるしね」
「雪女さんは、夜職をされてるんですね」
夜職とは、お客さんの隣に座ってお酒を作り、話をする仕事。いわゆる水商売だ。
テンポのいいしゃべり方といい、メイクのうまさといい、なるほどなぁと感心していたのだけど、雪女が「違うよ」と首を横に振る。
「紛らわしい言い方してごめん。違うの、シフトが夜なだけ。東京のね、湾岸の倉庫街が職場。冷凍の荷物を仕分けしてるんだけど、かなりの力仕事だからさ。ネイルが剥がれちゃって、すぐダメになるのが悩みかなぁ」
ラメがきらきらと輝く己の爪を眺めながら、雪女が言う。
「そんなに重いもの持たないといけないんですか?」
華奢な体つきなのに、大丈夫なのだろうか。
「雪女は怪力だし、向いてる仕事だな」
三つ目小僧が、冷たい山菜うどんをズルズルとすすりながら言う。
私は思わず雪女の細腕を凝視した。この腕のどこにそんな力があるのか分からないけれど、きっと特別なあやかしパワーが潜んでいるのだろう。
「え? そこ? あ、宣伝用だったんだ。恥ずかしいなぁ……」
糸さんがきちんとした正座から、ぐにゃりと脱力して姿勢を崩す格好になる。
「もう一度、カメラ回しますから。お願いします」
「はぁい」
ふにゃふにゃとした雰囲気のまま、糸さんがカメラを見る。
「えっと、山菜は季節によって採れる種類が変わります。それによって、メニューも変更しています」
じいっとカメラを見つめながら、糸さんが一生懸命しゃべっている。ちょっとカメラを意識し過ぎな気もするけど、欲しかった映像は撮れたのでよしとする。
並べられた料理の撮影も無事に終わらせた。続いて、個別に料理の説明をしてもらう。
「これは、タラの芽の天ぷらです。衣を薄くして軽い食感にしてありますので、食欲のない朝でも、美味しく召し上がっていただけると思います」
糸さんがカメラに向かってコメントをくれる。
説明が終わると、私は天ぷらに箸をつけた。さくり、と軽い食感で、確かにこれなら朝から美味しく食べられる。タラの芽のこっくりとした苦味と、かすかな甘み。さくさくとした衣の食感。塩と天つゆの両方で楽しめるのが嬉しい。
「この天ぷらは自信作です。ぜひ一度ご賞味いただきたいです。タラの芽はそろそろ季節外れになりますので、お早めに紬屋にお越しください」
にっこりとカメラに向かって糸さんが微笑む。
慣れてきたのだろう。余裕が感じられるようになった。
私は次の小鉢を卓袱台に置いた。
「こちらは、ウドのマリネです。オリーブ油、レモン汁、粒マスタードで仕上げています。初夏にぴったりのさっぱりとした味付けです」
ウドのほろ苦さとレモンの爽やかさ、粒マスタードのコクと辛さのハーモニーがたまらない。シャキシャキした食感もクセになる。
「こちらは三つ葉と蒲鉾の吸い物と卵焼きです」
ふっくらとした卵焼きに箸を入れる。卵焼きは甘い味付けだった。ほのかな甘さがちょうどよい。私は熱々の吸い物をずずっとすすり、卵焼きを口いっぱいに頬張った。
正直、これだけでも大満足な朝食なのだけど、どうやらあと一品あるらしい。
「最後は、山菜たっぷりのおこわです。季節の山菜が数種類入っています。香りと旨味が凝縮したおこわを、ぜひ紬屋でお楽しみください」
カメラ目線で、最後までアピールを欠かさない。
糸さんは完璧に整った顔立ちなのに、おっとりした口調と雰囲気のせいで嫌味がない。
思わず見惚れそうになりながら、おこわを口に運ぶ。
「美味しい……!」
糸さんの言う通り、香りと旨味がぎゅっと凝縮されている。
もち米のモチモチした食感がたまらなく美味しい。細切りされた油揚げも入っていて、この甘辛い味は知っている。昨日食べたうどんのトッピングだ。これは大好きな味。
「こんなに贅沢な朝ごはん、生まれて初めて食べました」
私は膨れたお腹をさすりながら、ふぅ、と一息をついた。
お腹が満たされると、幸せで、ほっこりした気持ちになる。
「大げさだよ」
糸さんは照れたように謙遜するけれど、うそじゃない。
味はもちろん、盛り付け方、器の一つ一つにもこだわりが感じられて、目にも美味しいとはこのことを言うのだなと思った。
朝ごはんを食べ終えると、糸さんがほうじ茶を淹れてくれた。
「熱いから気を付けて」
そう言って湯呑を渡してくれる。
「ありがとうございます」
朝食の後片づけを申し出たのだけれど、それは糸さんに断られてしまった。
「旅籠の宣伝に協力してもらうんだから当然。小夏ちゃんは何もしなくていいよ」とのことだった。正直、上げ膳据え膳というこの状況には慣れない。そわそわしてしまう。
一人暮らし歴が長いせいだろうか。目の前に動いているひとがいるのに、自分だけじっとしていることが、なんだか変な感じなのだ。
糸さんに告げると、きょとん、とした顔になった。そして、ふふっと笑われた。
「そもそも、お客さんっていうのは何もしないものだよ? のんびりしてもらうために宿があって、僕がいるんだから」
「……それは、そうかもしれませんが」
「もしかして、今までの旅行も落ち着かずに、ずっとそわそわしてたの? それじゃ、楽しめなかったんじゃない?」
糸さんの言葉に、私はなんと返したらいいか分からなかった。
私は、旅行をした経験がない。
動画撮影のために地方へ赴き、宿泊をしたことならある。たいてい格安のビジネスホテルだ。一人旅といえばそうなのかもしれないけれど、楽しむ旅行とは違う気がする。
残念ながら、仲良く家族旅行をするような家庭環境でもなかった。今、私は一人暮らしをしているし、両親がどこで何をしているかも分からないくらいだ。
よくよく考えてみれば、私にとって「楽しむ旅行」とは未知の領域だった。
「……小夏ちゃん?」
急に押し黙った私を不審に思ったのか、糸さんがこちらを覗き込んでくる。
「あ、いえ。なんでもないです」
私は、慌てて顔を上げた。昔のことを考えても仕方がない。暗い気持ちになるだけだ。
大切なのは、今とこれから。とりあえず、今は紬屋の宣伝に集中しよう。糸さんの自慢のレシピは、まだまだあるとのことだし。
山菜料理は紬屋の一番のアピールポイントだから、あますところなく撮影したい。
せっかくの料理を無駄にしないためにも、私が食べ切れる量を作ってもらい撮影するのがいいと思う。
本当は昨夜のCMだけにするつもりだったけど、糸さんも乗り気だし、私も本格的にこの旅籠のPRをしたくなってきた。どうせなら長期で滞在して、この宿の行く末を見守ろう。
こういうとき、一人暮らしは身軽でいい。自由で気楽なのだ。
染みついたお一人さま思考を巡らせながら、湯呑を口に近づける。
温かいほうじ茶を味わっていると、玄関のほうから「ごめんくださーい!」という声がした。
「はーい」
糸さんが返事をしながら立ち上がって、玄関に向かう。
「動画で美味しそうな山菜の料理を見て来たんだけど……部屋、空いてる?」
お客さんだ……!
動画、という言葉に胸がドキンとなる。昨日公開したばかりのCM動画に反響があったと分かり、部屋から顔を覗かせた。
玄関に立っていたのは、旅行バッグを持ったショートカットの女の子だった。年齢は二十代で、かなりのおしゃれ女子。流行を完全におさえたファッションに身を包んでいる。
おまけに、アクセサリーは海外で人気のブランドもの。ここまで人間社会に馴染んでいるあやかしが存在するのだろうか。
人間ではないかと思うのだけど……
私は部屋を出て、糸さんのそばへ行って小声で話しかけた。
「糸さん、この旅籠って人間のお客さんも来るんですか?」
でもあのCM動画は、あやかしにしか見えないはずだし……
訝しむ私に対して、糸さんは落ち着いた様子でおしゃれ女子から荷物を受け取っていた。
「小夏ちゃん、彼女はにんげんじゃないよ」
首を横に振りながら、糸さんがにこやかに言う。
「そうなんですか? 彼女もあやかしなんですか?」
糸さんを見上げながら問うと、おしゃれ女子が興味深そうに顔を近づけてきた。
「あやかしだよ。あたし、雪女。っていうか、あんたこそにんげんじゃん! あたしたちのこと、見えんの?」
ぐいぐい寄ってきた雪女が、私を上から下まで観察する。
「ゆ、雪女さん……?」
イメージする雪女像とはかけ離れている。白い着物を着ていないし、儚げな雰囲気もない。
意外過ぎて、思わずこちらも不躾に上から下までじろじろと見てしまう。
「そちらは、三つ目小僧と枕返しだね」
糸さんに声を掛けられて、雪女さんの後ろから二人がひょっこりと顔を出す。
着物姿の童子が、じっとこちらを見てくる。人間でいうと、幼稚園か小学校低学年くらいの外見をしている。頬がぷくぷくしてかわいい。
ぱちぱちと三つの瞳が同時に瞬きをする。この子は名前の通りの外見をしているのだな、と心の中で密かに思う。
「あのCMってさ、こっちのにんげんが撮ってるんじゃない? この糸引き女、なんか抜けてそうだし。にんげんの作った機械とか触れなさそうじゃん」
三つ目小僧が、私と糸さんを交互に指さす。
見た目は幼くてかわいい童子なのに、言うことは辛辣だ。
「あんた、糸引き女の嫁さんかい?」
うひひ、と楽しそうに笑う彼女が、おそらく枕返しなのだろう。
雪女より少し年嵩に見える。あやかしの実年齢が外見に比例しているのかは分からないけれど。
「嫁じゃないです」
あやかしの嫁になる想像はやっぱりできないので、さくっと否定しておく。
「彼女、小夏ちゃんというんですけど。茅の輪に触れてしまったみたいで、それで僕たちの姿が見えるようになったんです。成り行きで紬屋の宣伝に協力してくれたんですよ」
糸さんに紹介されたので、軽く自己紹介をする。
茅の輪に触れてしまった経緯を簡単に説明した。廃村に来たきっかけを話すと、三つ目小僧の瞳がきらきらと輝いた。
「動画クリエーター!? おれ知ってる! VLOGのチャンネル見てるよ!」
まさか視聴者だったとは。
「ご視聴ありがとうございます」
私は三つ目の童子に頭を下げた。視聴者は大切にしなくてはいけない。
撮影機材を見たいと私にせがむ三つ目小僧を、糸さんが引き離す。
「お部屋にご案内いたします」
糸さんの笑顔の圧に負けて、三つ目小僧はしぶしぶ引き下がった。
あやかしたちの背中を見ながら、さっそく旅籠に貢献できたことを嬉しく思った。まさか、こんなにすぐお客さんが来てくれるなんて。
お客さんが三人も増えて、糸さんは忙しくなるだろうな……
そう思って部屋に戻ると、廊下をパタパタと走る音がした。しゅたん、と障子が開けられる。
「カメラ見せて!」
三つ目小僧が勢いよく部屋に入ってきた。満面の笑みだ。
と、同時に糸さんが「勝手に障子を開けないでください!」と青い顔で飛び込んでくる。
「なんでだよ?」
三つ目小僧がむすっとした顔になり、糸さんを見上げる。
他人の部屋に勝手に入ることはいけないのだけど、それはもしかしたら人間の世界だけの常識なのかもしれない。糸さんも最初、躊躇なく部屋に入ってきていたし。
「実は昨日、僕が急に部屋に入ってしまって……」
昨晩の顛末を糸さんが口にした。
「はぁ? にんげんの裸なんか見たって、面白くもなんともないんだけど。それよりカメラ見せてよ」
確かに、痩せ型で女性らしい膨らみが皆無な私の裸体に価値などないだろう。それに比べて、最新式のカメラは高価な代物だ。三つ目小僧は見る目があると言える。
バックパックからカメラを取り出すと、彼は嬉しそうにそれを眺めた。
「なぁ、小夏」
三つ目小僧が、カメラから私に視線を移す。
「呼び捨てはどうかと思います」
ちくりと糸さんが言葉を挟む。
「なんでしょう」
「どうしてもって言うならさ、おれも動画に出てあげてもいいよ?」
「……はい。お願いします」
どうしてもなんて、言っていないんだけどなぁ……と考えていたら、糸さんに肩を揺さぶれた。
「小夏ちゃん、なんで!? なんでお願いしちゃうの!?」
糸さんが悲愴な顔で、私をがくがくと揺らす。
「薪風呂の映像とか、お料理を美味しそうに食べるシーンとか、賑やかな映像のほうがいいと思うので」
昨晩の薪風呂は気持ちいいお湯だった。あれはアピールポイントになるだろう。
それに、和気あいあいと食事を楽しむシーンはいい絵になるので、ぜったいに撮りたい。
「小夏ちゃんが言うなら、いいけど……まったく、ミーハーなあやかしだね」
やった、と飛び跳ねて喜ぶ三つ目小僧を見下ろしながら、糸さんが腕を組む。
あんなにカメラを意識して映りたがっていたことは、どうやら都合よく忘れたらしい。
自分のことを棚に上げる糸さんを大人気ないなと思いながら、私はくすりと笑った。
賑やかな映像にするためには、三つ目小僧の協力だけでは物足りない。
雪女と枕返しの二人にも、ぜひ出演してほしい。
そう思って、彼女たちの部屋へ行き、出演交渉を試みた。
「まずは、薪風呂に入って気持ちよさそうにしているシーンを撮りたいんです。『紬屋には薪風呂があるのか』『ゆっくり湯につかってのんびりできそうだな』『ちょっと行ってみようかな』って、そんな風に思ってもらえる映像が欲しいんです」
撮影の意図を説明する。雪女はノリがよさそうなので、すぐにOKしてくれるかもと思っていたけれど、目論見が外れた。
「ちょっとぉ、雪女のあたしに薪風呂入れとか、いくらなんでもひどくない? そんなのムリ。ぜーったいにムリだからね!」
座鏡の前で、ていねいにメイクオフしている雪女に、NOを突き付けられる。
「……雪女さんは、もしかして熱いのは苦手なんですか?」
「当たり前じゃん。雪女は水風呂しかダメって常識なんだけど!」
ぷりぷりしながら、鏡越しに雪女に睨まれる。
私は人間なので、あやかし界の常識を唱えられても困るんだけど……
心の中で反論しながら、ちらりと雪女の顔を見る。
驚くことに、メイクをすべて取り去った彼女の素顔は恐ろしく地味だった。
ぱっちり二重瞼は消え去り、毛虫かと思うくらい巨大なつけまつ毛が座鏡の隅に放置されている。
のっぺらぼうだったのかと疑った事実は、もちろん彼女には伏せる。気を取り直して、同じ部屋でくつろいでいる枕返しに話しかけた。
「枕返しさんは、どうですか? お願いできますか?」
「別にかまわないけどさ。ワタシより適任がいるじゃないか」
うひひ、と楽しそうに笑う。どうやら彼女は、この笑い方がクセらしい。
「適任……?」
誰だろう。思い当たらない。他にお客さんもいないし。
「ここの主人だよ。なかなかの色男じゃないか。ちとぼんやりしてるようだけど、あの男の入浴シーンなら女性客の食いつきもいいだろうねぇ」
なるほど。確かに、彼の顔面偏差値は高い。
雪女と枕返しへの出演交渉が決裂した今、彼にお願いをするしかない。
私は、糸さんにCMへの出演を願い出た。
「小夏ちゃんに撮られるの? 入浴してるところを? なんか恥ずかしいなぁ」
もじもじと照れている。
「宣伝のためです」
そう言って圧をかけ、強引に風呂場へ連れていく。
「脱いでください」
「え、ちょっと待ってよ……」
恥ずかしがりながらモタモタと服を脱ぐ糸さんを急かす。
撮影に挑んだ結果、恥ずかしくなったのは私のほうだった。
プロとして集中しなければ、と思うのに、どうしても糸さんの露わな姿に気を取られてしまう。
ぼんやりしているくせに、こんなにきれいに引き締まった体をしているなんて詐欺だ。
細身なのに、しっかり筋肉が付いている。
「トレーニングとかしてるんですか?」
腰にタオルを巻いた状態で、気持ちよさそうに湯につかっている糸さんに声を掛ける。つい、CMと関係ない質問をしてしまった。
「してないよ。山菜を採ったり掃除をしたりして、よく動いてるからね。中年太りには程遠いでしょ?」
ぱちゃぱちゃと指先で湯を弄びながら、糸さんが笑う。
見た目だけなら、文句なしの美青年だ。
「中年っていうには、厚かましい年なんじゃないですか?」
本当の年齢は知らないけど、カマをかけるつもりでいじわるな指摘をした。
「あやかしの世界ではそのくらいだもん」
くちびるを尖らせた糸さんに、ぱしゃりと湯を飛ばされる。
「ふうん、そうなんですか」
それなら、語尾に「もん」は止めたほうがいいのではないだろうか。
カメラを回しながら、本当に年齢不詳だなと改めて思う。
色白で艶々とした肌が水滴を弾いている。二十歳そこそこの自分だって、ここまで肌に元気はない。痩せぎすだからかな、と自分の細っこい腕を眺めて残念に思った。
そんなこんなで、薪風呂のCM撮影は無事に終わった。
なかなかいい映像が撮れたなと満足していると、枕返しが例の笑いを浮かべながら、こちらに近づいてきた。
「ずいぶん風呂でいちゃいちゃしてたようだねぇ」
「してません」
健全な撮影だった。彼の美しい肉体に、ほんのちょっと目を奪われたのは事実だけど、やましい気持ちなどまったく抱いていない。
「そうかい」
うひひ、と楽しそうに枕返しが笑う。
「あの、食事しているところを撮らせてもらえませんか? 美味しそうなごはんと、それを食べながら、みんながわちゃわちゃしてるシーンがあればいいCMにできるので」
「面倒だねぇ」
渋る枕返しに、湯上がりでほこほこの糸さんが声を掛ける。
「出演していただけたら、お礼に宿泊料金を割引いたします」
にっこりと笑いながら枕返しと交渉する。
「それなら、まぁいいかね」
うひひ、と笑いながら枕返しが頷く。
「あたしも! ごはん食べるところならいいよ!」
そう言って、のっぺらぼう……ではなく、雪女が部屋からひょっこりと顔を出す。
「あ、でもごめん! 撮影開始まで時間もらえる? メイクオフしちゃったからさ」
「……それは、かまいませんけど」
返事をしたものの、あれほどの別人級メイクを施すのに、一体どれくらいの時間を要するのか気になる。まさか、何時間もかかるのだろうか。
「時間って、どれくらいかかりますか?」
不安になって確認してみる。
「二十分くらいかな」
そう言って雪女は部屋に引っ込み、さっそくメイクを開始する。
想像していたよりは短時間だった。テクニックがすごいのだろうか。それとも、慣れると簡単にできるものなのか。化粧っけのない自分には、よく分からない。
雪女のメイク待ちの間に、糸さんが彼女たちの部屋に料理を運んでいく。
豪華で美味しそうな料理を前にして、三つ目小僧が嬉しそうに飛び跳ねる。
「うまそう……!」
きらきらした顔で、じいっと料理を眺めている。ぱちっぱちっと瞬きをする様子がかわいい。
「本当だ、美味しそうだね!」
雪女が、三つ目小僧に同調しながら席に着く。
メイクが完成したらしい。いつの間にか、ばっちり二重も出現している。
「えっと、それでは撮影を開始します。カメラに問題がないか、先に試し撮りをさせていただきます。本番ではないので、みなさんはリラックスして料理を召し上がってください」
私はそう言って、カメラを回し始めた。
試し撮りというのはうそで、実はこれが本番だ。撮影に慣れていないと、どうしても動きがぎくしゃくしてしまう。うそも方便というやつだ。
「食べる前にスマホで撮ろうっと。あ、ついでにSNSにアップしよう」
雪女はどうやら、人間社会に染まりきっているらしい。スマホで撮影し、画像を加工している。糸さんは、あやかし専用のSNSは存在しないと言っていた。
「にんげん用のアカウントに紛れて、みんなこっそりやってるよ。タグとかあるから、簡単に見つかって便利だよね」
「みんなって誰ですか?」
「にんげんの世界で働いてるあやかしたち」
私が雪女の手元を凝視していたら、彼女がそう教えてくれた。
糸さんが言っていた通り、本当にあやかしは人間社会で働いているらしい。
画面を見せてもらうと、そこには『#あやかし』『#物の怪』『#妖怪』というシンプルかつストレートなタグが並んでいた。どの文字も掠れている。
「あたしと枕返しは、けっこう前からにんげんの世界で働いてるよ」
ばっちりメイクの雪女が、タラの芽の天ぷらを頬張りながら言う。
「どういったお仕事をされてるんですか?」
あやかしが人間の世界で仕事を得ているなんて、ものすごく興味がある。
「あたしは夜の仕事。そのほうが儲かるしね」
「雪女さんは、夜職をされてるんですね」
夜職とは、お客さんの隣に座ってお酒を作り、話をする仕事。いわゆる水商売だ。
テンポのいいしゃべり方といい、メイクのうまさといい、なるほどなぁと感心していたのだけど、雪女が「違うよ」と首を横に振る。
「紛らわしい言い方してごめん。違うの、シフトが夜なだけ。東京のね、湾岸の倉庫街が職場。冷凍の荷物を仕分けしてるんだけど、かなりの力仕事だからさ。ネイルが剥がれちゃって、すぐダメになるのが悩みかなぁ」
ラメがきらきらと輝く己の爪を眺めながら、雪女が言う。
「そんなに重いもの持たないといけないんですか?」
華奢な体つきなのに、大丈夫なのだろうか。
「雪女は怪力だし、向いてる仕事だな」
三つ目小僧が、冷たい山菜うどんをズルズルとすすりながら言う。
私は思わず雪女の細腕を凝視した。この腕のどこにそんな力があるのか分からないけれど、きっと特別なあやかしパワーが潜んでいるのだろう。
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