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第4章
十八番目の悪戯-5
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アクアと迅は、浜松市内の観光名所にもなっている寺にいた。
茶店で買った抹茶とお茶菓子を前に、本堂に面した美しい庭園を眺めながら、座布団の上に座っている。他の観光客の姿もあるが、決して多くはない。
秋ではあるが、紅葉には少し早い。ヒヨドリの甲高い鳴き声が響き渡る。
エリンを亡くした後一度だけ、アクアは凛也とこの寺を訪れたことがある。
その時は真夏で、木漏れ日と共に、セミの声が盛んに頭上から降り注いできた。
アクアは昔から、セミの声に霊的なものを感じる。
やはり寺は夏のほうがいい。
今日は三崎家のある浜松市北区の北側に広がる山道をドライブする計画になっていた。
アクアがなんとなく、寺か神社に行きたい気分だと言ったため、ここへ立ち寄ったのだ。
「最近、アクアさん少し元気がないね。何か気に掛かることでもあるのかな?」
迅がアクアの目をじっと覗きこむ。
アクアはつい目を逸らした。
「何もないよ」と、迅を安心させるように言った。
迅と会っている時は、心が浮き立つものの、百パーセント、気持ちを切り替えられるわけではなかった。
最初に会った時から感じていたが、迅はミントなみに敏感で、感受性が鋭い。
アクアが何もないと答えたのに対して、何かを勘づいたかのように、迅は寂しげに目線を下に向けた。
短い間の沈黙が続いた後、アクアは湯飲みを弄びながら語り始めた。
「家の菩提寺にね、水子・子育て観音があるの。エリンを亡くしてから、寺を訪れるたびに、必ずお参りするようにしてる。昔、流産した人や小さな子供を亡くした人が、お金を出し合って、建てたんだって。観音様は赤ちゃんを抱っこしていて、足下には、すがりつくように甘える三人の赤ちゃんがいてね。私、観音様の穏やかで優しそうな表情を見ると、いつも涙が出そうになるの」
迅は相変わらず、憂鬱そうな表情で下を向いていた。
アクアが言葉を切ると、先を促すかのようにアクアを見る。
「最初はね、エリンをどうぞよろしくって、観音様にお願いしていた。でもね、ある時から、エリンだけじゃなく、そちらにいる他の赤ちゃんたちみんなも、可愛がってあげて下さいって、お願いするようになった。それから、今、生きている幼い子供たちの幸せを祈願するの。虐待される子、世界のどこかで飢えている子、戦争に怯えている子、働かされる子、みんなが少しでも苦しまないで済むようにと祈るの。本当の気持ちだよ。正直、そんな子供たちに今まで関心を寄せることなど全然なかったのにね。エリンを産んでから私、変わったんだと思う。私は、その子たちに何もできないから、観音様にお願いすることで、自分が楽になりたいだけかもしれないけど」
アクアが語るのを、じっと聞き入っていた迅が、話し始めた。
「どんな生き物でも子供は弱い存在だからね。最も犠牲になりやすい。動物の世界で肉食獣に狙われるのは、まず子供だ」
「そうだよね。でも、人間の子供にとっては、過酷すぎると思わない? だって、知恵があるのだから。生まれた以上、幸せになりたい、と願うでしょう。この世界は、もっと成熟しないといけないと思う。より多くの子供たちが安らかに暮らせるように」
迅はアクアを優しく見つめて、「本当に」と、小さく頷いた。
やがて、二人はどちらからともなく、立ち上がった。
湯飲みを返却して、二人は庭園に面した通路に向かった。靴を履いて砂利道を歩き出す。
茶店で買った抹茶とお茶菓子を前に、本堂に面した美しい庭園を眺めながら、座布団の上に座っている。他の観光客の姿もあるが、決して多くはない。
秋ではあるが、紅葉には少し早い。ヒヨドリの甲高い鳴き声が響き渡る。
エリンを亡くした後一度だけ、アクアは凛也とこの寺を訪れたことがある。
その時は真夏で、木漏れ日と共に、セミの声が盛んに頭上から降り注いできた。
アクアは昔から、セミの声に霊的なものを感じる。
やはり寺は夏のほうがいい。
今日は三崎家のある浜松市北区の北側に広がる山道をドライブする計画になっていた。
アクアがなんとなく、寺か神社に行きたい気分だと言ったため、ここへ立ち寄ったのだ。
「最近、アクアさん少し元気がないね。何か気に掛かることでもあるのかな?」
迅がアクアの目をじっと覗きこむ。
アクアはつい目を逸らした。
「何もないよ」と、迅を安心させるように言った。
迅と会っている時は、心が浮き立つものの、百パーセント、気持ちを切り替えられるわけではなかった。
最初に会った時から感じていたが、迅はミントなみに敏感で、感受性が鋭い。
アクアが何もないと答えたのに対して、何かを勘づいたかのように、迅は寂しげに目線を下に向けた。
短い間の沈黙が続いた後、アクアは湯飲みを弄びながら語り始めた。
「家の菩提寺にね、水子・子育て観音があるの。エリンを亡くしてから、寺を訪れるたびに、必ずお参りするようにしてる。昔、流産した人や小さな子供を亡くした人が、お金を出し合って、建てたんだって。観音様は赤ちゃんを抱っこしていて、足下には、すがりつくように甘える三人の赤ちゃんがいてね。私、観音様の穏やかで優しそうな表情を見ると、いつも涙が出そうになるの」
迅は相変わらず、憂鬱そうな表情で下を向いていた。
アクアが言葉を切ると、先を促すかのようにアクアを見る。
「最初はね、エリンをどうぞよろしくって、観音様にお願いしていた。でもね、ある時から、エリンだけじゃなく、そちらにいる他の赤ちゃんたちみんなも、可愛がってあげて下さいって、お願いするようになった。それから、今、生きている幼い子供たちの幸せを祈願するの。虐待される子、世界のどこかで飢えている子、戦争に怯えている子、働かされる子、みんなが少しでも苦しまないで済むようにと祈るの。本当の気持ちだよ。正直、そんな子供たちに今まで関心を寄せることなど全然なかったのにね。エリンを産んでから私、変わったんだと思う。私は、その子たちに何もできないから、観音様にお願いすることで、自分が楽になりたいだけかもしれないけど」
アクアが語るのを、じっと聞き入っていた迅が、話し始めた。
「どんな生き物でも子供は弱い存在だからね。最も犠牲になりやすい。動物の世界で肉食獣に狙われるのは、まず子供だ」
「そうだよね。でも、人間の子供にとっては、過酷すぎると思わない? だって、知恵があるのだから。生まれた以上、幸せになりたい、と願うでしょう。この世界は、もっと成熟しないといけないと思う。より多くの子供たちが安らかに暮らせるように」
迅はアクアを優しく見つめて、「本当に」と、小さく頷いた。
やがて、二人はどちらからともなく、立ち上がった。
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