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中編

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走るだけ走らされ、着いた場所は多分この男爵令嬢の部屋。
この学園は寮が付属されてるから。私は家から通っているけれど、遠くから来た子息令嬢達は寮を使ってると聞いている。
そんな彼女の部屋に私は何故連れ込まれたのだろう。
って言うか何で私助けられた?
王太子の頭、壁に減り込んでたけど大丈夫なんだろうか?
……異様に頑丈な人だから大丈夫か。うん。大丈夫だね。
「はー…やっぱり綺麗だなー…。姉ちゃんも綺麗だったけど。それ以上に綺麗だー…」
うん?
椅子をすすめられて座ったものの、男爵令嬢はすっげー至近距離で私を眺めていた。
下手すると令嬢の鼻が私の頬にくっつくわ。
そういや、前世の弟もこんな風によく私を見てたなぁ……ん?ちょっと待って。さっきの姉ちゃんって言い方どっかで聞き覚えあるなぁ、…って、もしかして…?
「あなた、もしかしてハリー?」
「えっ!?」
この驚き様。間違いないわ。
「私よ。アンよ。ハリー」
彼女がハリー、前世の弟であるなら私を隠す必要もないわ。
「あなたの『姉ちゃん』のイントネーションで分かったわ。相変わらずの語尾上がりね」
「そ、その喋り方。ほ、ほんとに姉ちゃんだーっ」
折角の可愛い顔した令嬢が台無し。そんな台無し令嬢が私に全力で抱き着いて来て、二人揃って見事に椅子から落下した。
「姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃーんっ!!」
「姉ちゃーん、なんて言いながら胸の谷間に顔を突っ込むんじゃないっ!」
ぽかっと頭を叩くけれど、ハリーは全然めげない。どころか、
「うおー…ふっかふか。前世の姉ちゃんより胸がでかくなってるー…幸せー…」
「あ、こらっ、ちょっ、揉まないのっ!」
不埒に揉んでくる手をぶっ叩く。が、めげない。
「女同士だから揉み放題、見放題。あー…幸せー…。突っ込めないのが難点だけど、でもイかせる位なら…」
「ふんっ!」

―――ゴスッ。

私の肘打ちがハリーの脳天に決まった。
「いってぇっ!!なにすんだよ姉ちゃんっ!!」
「ふんっ!」

―――バッチーンッ!!

私の渾身のビンタが決まる。
「いっでーっ!!」
「もう一発?」
微笑んで指をばきばきと鳴らすとあっさりハリーは離れていった。
起き上がりハリーは素直に正座している。怒られる時のハリーの通常スタイルである。
その前に椅子を正し座った私はじろりとハリーを見下ろす。
「ぶー…。なんだよ、姉ちゃん。折角姉弟の感動的な再会なのに…」
「だったら乳揉んだり、ドレスの下に手を突っ込んだりしないのっ!」
「良いだろー。女同士なんだから」
「………へぇ。そう言う事言うなら、娼館にでも連れてってあげましょうか?女の人見放題、揉み放題よ?」
「えっ!」
ふふ。嬉しそうねぇ…?でも誰も客としてとは言ってないわよ?
「その代り、男に滅茶苦茶のもちゃくちゃにされるでしょうけどね。うふふふふ…」
「すんませんしたっ」
土下座。昔からハリーの土下座は形が綺麗なのよねぇ…。
って今はそれはどうでも良いわね。
「それより、ねぇ、ハリー?」
「何?姉ちゃん」
「この世界って、小さい頃二人で読んだ小説の世界、で間違いないわよね?」
「だと思うよ?俺と姉ちゃんが良い証拠じゃん」
「そうよねぇ…」
でも肝心の小説のヒロインがこれ(ハリー)じゃあねぇ…。
「因みにハリーはなんでウォルター様とキスなんてしてたわけ?私としては自分のこれからを考えると有難いんだけどさ?」
「それがさ、聞いてよ。姉ちゃん。どうやらこのウェンディって言う女の体は無意識に人を操るフェロモン出してるみてーでさ」
「へえ。操るってどう言う風に?」
「男限定でメロメロの虜にするって奴」
「へぇー。私的には助かるけどハリー的にはどうなの?」
「全ッ然嬉しくねぇっ!」
「デスヨネー」
知ってた。元々男のハリーが、しかも前世の記憶を取り戻してるハリーが自分から男を誑かしに行く訳がない。
今さっきだって人の胸の谷間に顔を埋めて幸せ感じてたんだから。因みにこれは前世の時からのハリーの悪癖。姉の乳触って何が楽しいんだか。
「姉ちゃんはどうなん?」
「ん?何が?」
「あの爽やかイケメン王子、好きじゃないの?」
「あー…好きか嫌いかの二択ならば、どちらでもないが答えかな」
「二択って言っておきながら、三つ目の選択肢選んでねぇ?」
「いやだってさー。ハリーはどうだか知らないけど私前世の記憶取り戻したの七歳の時だし。ほら、クリスティーナって小説の中で断罪されると他国に追放される途中で斬り殺されるじゃない?」
「あれ?そうだっけ?」
「そうよっ。私死にたくないし。早々と婚約破棄してしまおうと思ってたのに。ウォルター様、やたらと接近してくるし」
「好かれてんじゃねーの?」
「えー?だって一度もそんな事言われてないよー?」
「いや、言われなくったって態度で分かるだろ」
そんな呆れながら言われてもねぇ。態度…態度かぁ…。
「ウォルター様の態度って言うと、隙あらばキスしようとしてきたり、抱き締めてきたり、あわよくばとベッドに押し倒してきそうになったり?」
どんだけ女と遊んでいるのか分からないけど、ドレスを脱がす手が速いことこの上ない。もうね、渾身の力を込めてお腹蹴飛ばして逃げたわ。
「…………王子も男だったんだな…。あんな綺麗な顔してる癖に…。一気に親近感沸いたわー…」
なんでよ。…ん?ちょっと待って?今親近感沸いたって言ったっ!?
「なら、ハリーがウォルター様とくっつけばっ!」
「ねぇよ。何で俺が野郎にやられなきゃならねーんだよ」
「その筋の人には御馳走よ?呼びましょうか?」
「いらねぇっ!っつーか知り合いにいるのかよっ!そっちのが驚きだわっ!あー、もう違うっ!俺の事より姉ちゃんの事だってのっ!」
ちっ。上手い事行かなかったわ。
もっと他に弟を生贄にして逃げる手段はない物か?
「姉ちゃん?」
見た目はヒロインだし、外に出るとちゃんと教育を受けているから猫は被れる。ハリーが中身だと分かってとても生贄にしやすくなった。
酷い?大丈夫よ。弟はこう見えて強かだからちゃんと逃げ切るわ。
「おーい、姉ちゃーん?」
やっぱりそのフェロモンとやらを利用して王太子の所に放り投げれば…こっちに王太子は回ってこなくね?よし、これだっ!
「姉ちゃんっ!」
「あぁ、もうなによ、うるさ…い?」
だれ?弟の後ろに立ってる人は誰?
「クリスティーナ様。陛下がお呼びでございます」
陛下…?あぁ、王様かー。…王様ぁっ!?
なんでっ!?……思わず突っ込みを入れちゃったけど、考えるまでもないわ。私一応王太子妃候補だものね。
しかし呼び出し?何か悪い事したかな?悪い事はされた気がするけど…。
「分かりました。直ぐに参ります。それと…」
ちらっと視線をハリーに向けると、ハリーは扇で顔を隠し、
「私も呼び出されていますの。一緒に参りますわ」
と見事な別人っぷりを見せつつ頷いた。
呼びに来た女中について馬車へ乗り込み、私達は王様がおわす王宮へ到着する。そのまま王様が待っているという謁見の間に案内された。そこには何故か王妃様もいらっしゃり私とハリーは作法に則った礼をする。
「クリスティーナ、気にしなくていい。楽にしろ」
「そうよ。クリス。貴女はもう私達の娘同然なのですから」
言われて下げていた頭を上げたけれど、いつのまに私は家族同然になったのかしら?
「恐れながら王妃様?私はまだ婚約者だったはずでは?」
「あら?だってさっきウォルターが幸せそうな顔で執務をこなしていたからてっきり貴女が結婚を受け入れたのかと思っていたのだけれど?違うの?」
小首を傾げる王妃様はとても可愛い。私と同い年の子を産んだとは思えない位お綺麗で可愛らしい。王子と同じ金の髪と碧い瞳をしているから一目で血縁だと分かるけれど下手したら兄妹に見られるよね。
吊り上がった赤いきっつい瞳と真っ黒の髪の私とは正反対だわ。ま、悪役だから当然よね。そんな私とは真逆に隣にいるハリーはプラチナブロンドの髪に紫の瞳。一目で美しく可憐だと言われる容姿をしている。
…はっ!?これはチャンスだっ!!
「王妃様。ウォルター様が上機嫌だったのはきっと、ウェンディ様と想いが通じ合ったからですわっ」
そう、これだっ!これしかないっ!
今のチャンスを逃す手はないっ!予定通りハリーを生贄にするのよっ!
「…そう言えば、先程から疑問に思っていたのよ。そちらの令嬢はだぁれ?」
ひぇっ!一気に部屋の気温が下がった。こええっ!!
王妃様の目、マジ怖ぇっ!!
だが、しかし、負けてはならぬっ!ここで負けてしまえば、公開断罪が待ち受けているっ!国外追放は良いけど死ぬのは嫌だっ!だって斬られたら痛いじゃないっ!
女は度胸よっ!弟は生贄よっ!
「ウォルター様の本命の方ですわっ」
「ちょ、姉ち、ふぐっ」
ぼふっと手でハリーの口を塞ぐ。余計な事言うんじゃねーよ、こら。
「ウォルターの本命…?にわかには信じられないのだけれど」
王妃様がそっと国王陛下の顔を窺う。その視線を受けた国王は何とも言い難い顔をしていた。
「ふむ。…ウォルターがクリスティーナ以外の令嬢に目を向けるとは思えないが…」
「ですが、実際口づけを交わしている瞬間を私は見ているのです。なので、やはり私は婚約を解消して頂きたく…」
「いいえ。それはなりませんわ」
わほーいっ!王妃様ー、なんでー?
「何故、ですの?」
「だって、私、クリスのような娘が欲しかったんですものっ」
そんな理由かよ。よし。王妃様がこう来るのならばここは情に訴えようっ!
ハリーから手を離して、目元を隠すようにして崩れ落ちるふりをする。
「でも、王妃、さま…。私、私…他の女性に目を向ける殿方は…しくしくしく」
逃げおおせる為なら涙の一つや二つや三つや四つ流して見せようぞっ!
だが、しかし。そうは問屋…王妃様が許さない。
「あぁ、可愛いクリスティーナ。泣かないで。大丈夫よ。何なら、私がもう一人息子を産むから安心して嫁に来て頂戴」
そう言いながら私を抱き寄せる王妃様。今私はとても怖い事を聞いた気がするの…。
えーっと、今の言葉から考えるにウォルター様がダメでも、次の息子の嫁に来いと、そう言う事ですか?
逃げらんねーじゃんっ!
うえぇ?マジ?
…抵抗を続けよう。これしかない。
「…セリーヌ、さま…」
ここは敢えて王妃様の名前で。
「ウォルター、様は、側室を、持たれるのでしょう?…わ、私は、…私だけを見て欲しいのです…」
どうだっ!これで、王妃様は何も言えまいっ!
だってウォルター様は既に側室を作ろうと動いていたわっ!
「大丈夫よ。クリス。あんな場所、直ぐに廃棄させますからね…」
わはーいっ!王妃様、やっさしーっ!もう逃げらんねーっ!
どうしよう、この状況…。
「あの…クリスティーナ様?」
今まで無言だったハリーが口を開く。何?と視線だけで問うと。
「もうそろそろ覚悟を決めてはいかがですか?」
ちょっと、何を言うのっ!ハリーっ!あんたは私に死ねというのっ!?
ぎろりと睨む。
すると慌てたように首を振る。
「私思うのです。今のクリスティーナ様であれば、惨劇は起きないのでは、と(翻訳:俺思うんだけど。今の姉ちゃんなら公開断罪起きないんじゃね?)」
「…何故、そう思われますの?(翻訳:なんでそう思うのよ?)」
「理由は簡単ですわ。クリスティーナ様がウォルター様を溺愛していないからです(翻訳:何故も何も、姉ちゃん王子に塩対応じゃん。あの小説みたいに俺を陥れる理由もねーし。だったら断罪おきねーだろ?)」
「……それは、そうですけれど…(翻訳:そりゃそうだけどさー。もしもって事もあるじゃん?)」
「心配なさらなくても大丈夫ですわよ(翻訳:ないない。本当にやばそうだったら二人で逃げればいいじゃん。下町で暮らしてたんだ。今更平民に落ちた所で余裕で暮らせるって)」
「そう、かしら…(翻訳:それもそうよね。だったらいっそアンタと二人逃げる道を探したいんだけど)」
「そうですわ。もっと自信をお持ちになってっ!(翻訳:その道選ぶにはちょっと早くね?まずは色々やってみたらいいじゃん)」
ハリーの言葉に言い包められて私はぐっと感情を抑え込んだ。
そんな私達の会話を聞いていた王妃様は私の髪を愛おしそうに撫でながら、一つ提案をしてきた。
「ねぇ、クリス?私と賭けをしましょう?」
「……はい?」
私の目が点になったのは仕方のない事だと思う。
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