たとえ破滅するとしても婚約者殿とだけは離れたくない。だから、遅れてきた悪役令嬢、あんたは黙っててくれないか?

桜枕

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第1章

第8話 褒めちぎられた

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 必死に練習していた魔術が禁断のものだと発覚してから俺は魔術から遠ざかった。
 母は俺をとがめることはなく、どんな魔術であったとしても発動できたなら優秀な子だと言ってくれた。

 少しでも母を元気づけられればと思って本格的に始めた魔術の勉強だからこそ、そう言ってもらえて救われた面もある。

 母との一件からすぐにファンドミーユ子爵邸に向かい、リューテシアに薔薇を返して欲しいと伝えた。

 彼女はじっと俺を見つめ、消え入りそうな声で返事をしてドレスを握り締めた。

 まさか、そんな唇を噛み締められるとは思っていなかった。
 そんな顔をされてしまっては無理強いはできない。でも、放置もできない。

「よく聞いてくれ、リュシー」

 部屋に押し入る形で、後ろ手で鍵まで閉めてしまったからか、彼女は体を強ばらせた。

「あの薔薇は僕が赤から黒へ色を変えた偽物だ。本物の黒薔薇は遥か南の孤島にしか咲いていなくて、入手は困難を極める。何が言いたいかと言うと、きみがあれを持っているのは危険なんだ。誰かに見せたりしてない?」

「いいえ。ずっと机の中にしまって、時々愛でるくらいです」

 その返答に戸惑う。
 確かに部屋を見渡しても一輪挿しの薔薇は見当たらない。

 リューテシアは机の中から包まれたままの黒薔薇を取り出して見せてくれた。

 あの時、俺がメイドに包ませた紙と同じだ。つまり、リューテシアは一度も薔薇を開封していない。

 水を与えていない。
 それなのに、黒薔薇はしなびていなかった。

「ずっとこのまま? 枯れないの?」

「ずっとです。お父様にもお母様にも見せていません」

 嬉しいけれど、少し怖いような気もする。
 リューテシアはそのまま机の中に薔薇をしまって、振り向いた。

 どうやら返却するつもりはないらしい。

「もう一度言うよ。その薔薇は危険だ。できれば返して欲しい」

「わがままが許されるのなら……嫌です」

 かつて、こんなにもきっぱりと拒否されたことがあっただろうか。

「ウィル様からの初めての贈り物なのです。これは、わたしだけの黒薔薇です」

 机を守るように立ち尽くすリューテシアの真剣な目を見て、俺は黒薔薇の処分を諦めた。

「分かった。一度あげた物を返して欲しいと言っている僕が悪いんだ。ごめん。ただ、何か異変があればすぐに教えて。約束だよ」

 小指を差し出せば、戸惑ったリューテシアも小指を絡ませてくれた。

「誰にもお見せしないとはお約束できません。わたしだって、ウィル様からの贈り物を自慢したくなる時もあります。ですが、異変は隠さないと誓います」

 小指を解き、肩の力を抜いて一息ついていると、リューテシアも強張った体を脱力させていた。

「ずっと気になっていたのですが、色を変えるということは、ウィル様は魔術を使えるのですか?」

「一応ね。それも秘密にして欲しいんだ。父にも話していない」

 リューテシアは「まぁ!」と口元を押さえ、誰もいない部屋を警戒する素振りを見せた。

「嬉しくて、うっかり話さないように気をつけなくてはいけませんね」

「嬉しい? 何が?」

「だって、未来の旦那様が多才で、努力も惜しまない方となれば喜ばないわけにはいきません」

「……へ?」

「わたしはウィル様の魔術を見たことがありませんし、これからも見ることはないのかもしれませんが、一生懸命なお姿は常々拝見しています。子供たちに自慢のできるお父様ですわ」

 ちょ、ちょ、ちょっと!?
 なに、なに、何の話をしてるの!!??
 子供!?
 話が飛躍しすぎだよ!

「リュシー、落ち着こう。僕たちはまだ結婚すらしていないんだよ?」

「あら。あと数年もすれば子沢山ですわ」

 わぁぁぁあぁあぁ!
 まぶしい!!
 なんて、まぶしい笑顔。後光が差しているようだ。

 さすが女の子!
 耳年増! 精神年齢たかすぎぃ!

 早く退散しよう。これ以上は我が身が破滅してしまう。
 心頭滅却だ。落ち着け、ウィルフリッド・ブルブラック。

「今日はもう帰るよ。見送りは不要だ」

「もうですか? では、何か手土産を。そうだ、このお香なんてどうでしょう」

 部屋に入った時から気になっていた甘い香りの正体はお香のようだ。
 道理で頭がぽわぽわするわけだ。

 あんな甘いセリフを聞かされた上に、鍵のかかった密室というロケーションなら、絶好の破滅チャンスだ。

 ファンドミーユ子爵が飛んできそうなシチュエーションに怯えながら一歩後ずさる。

「お香は遠慮しておくよ。僕はまだ破滅するつもりはないんだ」

「破滅? なんの話ですか? この香りも苦手だったでしょうか」

 小首を傾げるリューテシアにたじろいでしまった。

「こ、こんなものを部屋で焚いたら、リュシーを身近に感じてしまうじゃないか。僕の身が持たないよ」

 馬鹿正直に理由を語った直後、リューテシアは頬を赤らめながら、うっとりとした表情で目を細めた。

「では、尚更ですわ。いつも隣に居られない、わたしに代わってお持ち帰りください」

 墓穴を掘った俺は結局、お香を押し付けられてしまった。

 言葉では婚約者殿に勝てないことは十分理解させられたから、逃げるように馬車に乗り込み、帰宅してからすぐにお香を机の中にしまった。
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