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第一幕
奇ノ二十五『危険な好奇心』
しおりを挟む紫藤と清次郎が二階に上がってずいぶん経った。そろそろ夕飯の時間ではないだろうか、と腹時計が催促しだしている。日が暮れ始めたのか、もともと曇って暗かった空が、ますます暗くなっていく。
このまま出てこないとなると、レトルト食品で腹を満たすしかないだろう。
「……おっせぇな。どんだけエッチすんだ?」
「……達也君。あんまりからかわないでね」
「でもよ~。俺達ガキの前で連れて行くか? 何であんなに機嫌良くなったんだか」
普段、俺と七海にはばれないよう、ばれないようにと隠したがる清次郎が、堂々と紫藤をかっさらって行ってしまった。俺が後でからかうことも承知の上でだ。
紫藤が鳥になっただけなのに。そんなに見たい姿だったのだろうか?
腹が減ってきた俺は、大人しく待つ七海を見つめた。整えられた黒髪は、ますます清次郎に似ている。ここへ来た時よりも話せるようになった七海は、明るくなったように思う。
点けていたテレビを見る彼を観察し、ふと、唇に目がいった。清次郎よりも赤味があり、潤って見える。ぷっくりしている唇をじっと見つめ、気になった。
「お前さ、キスしたことあるか?」
「…………ぇ?」
「キスだよ。キ・ス」
赤い唇を見つめる俺に気付いたようだ。少し距離を取るようにお尻がずれていく。顔を俯かせた七海は、フルフルと首を横へ振っている。
「……ないよ」
「だよな。俺もねぇ。キスってどんなだろな~。清兄と蘭兄はしてんだよな。つか、俺、目の前で見たことあるぜ」
この家に向かうため、乗った新幹線の中で二人はキスをした。紫藤が添乗員に焼き餅をやいてだ。目の前でキスをした二人。
きっと、今だってしている。俺も男だ、大人のことに興味があるから少しだけ分かる。
でも実際にキスをしたことはなかった。それどころではなかったから。
恋人を作るよりも、自分の身を守る方が先で。周りの女の子に目をやる暇は無かった。
紫藤のおかげで、力を操る術をもらった今、男としての本能がむくむく育っている。
「外に出られたら、可愛い子でもナンパしてみっかな」
霊さえ見えなくなれば、情けない姿を見られることはなくなる。
いや、もう見えても、何とも思わないだろう。自分の身に起きた出来事があまりに濃すぎて、霊が見えるくらい、何でもなくなっている。
外にさえ出られたら、俺もそれなりに男になりたい。
ぼうっとテレビの映像を追った俺の隣で、七海がか細い声で聞いてくる。
「……達也君は、どんな子が好きなの?」
「そうだな~。やっぱ可愛い子だな」
「可愛い子って?」
「だから、可愛い子だよ」
「……わかんないよ」
言われて、俺も頭を掻いた。
可愛い子が良いけれど、具体的にどんな可愛い子が良いのか、俺にも分からなかった。
「とにかく! 可愛いけりゃ良い! 付き合ってみてーだけだし」
「……そういうものなの?」
「キスしてーだけだし。お前だって、興味あるだろう?」
なよっとしていても男だ。エッチに興味があるのは当然だ、と思う。
顔を覗き込めば真っ赤になっている。清次郎と同じ顔をした七海は、少し小さな赤い唇を噛み締めると、フルフル震えながら囁いた。
《キスシテミタイ》
と。
キンッと耳鳴りが鳴ると、見えない力に引っ張られる。気付いた七海の目が、顔を近づける俺に見開いていく。
「……あっ……! ……ん」
あり得なかった。
俺が、七海の赤い唇に、キスしている。目がいっぱいに開いたまま、重ねた唇に心臓がいかれた。
七海の唇は震えている。柔らかくて、少し熱い。
離したくても、誰かに押さえ付けられているかのように動けなくて。柔らかい唇に重ねたまま、どうにもできなくて。
言霊の力はまだ、消えてくれない。お互い、見開いた目のままでは辛くなってきた。重なったままの唇に、七海の瞼が閉じていく。
つられた俺も、開いていた瞼を降ろした。
そうすると、馬鹿みたいに鳴っていた心臓が落ち着いてくる。程良い高揚感を感じ、重ねている七海の唇をもっと感じたいと思う自分が居て。
もっと。
もっと、キスしてみたい。
七海の頬に手を添えようとした俺は、頭部に当たった、強烈な一撃で、唇が離れた。
「いって――!!」
当たったのは扇子だ。直撃した頭部が痛くて蹲る。
「達也!! 清次郎に手を出すとは何事ぞ!!」
「紫藤様、俺ではありませぬ」
「ならぬ! 可愛い清次郎に手を出すことはならぬぞ!!」
二階から怒鳴った紫藤が走ってくる。階段を駆け下り、猛然とソファーに駆け寄った。俺の襟を掴み引き上げてくる。
「七海が可愛いからといってく、口付けなど……! 早すぎる!!」
「ちげーよ!! 七海の言霊が発動したんだよ!」
「言霊のせいにするとは何事ぞ!」
「本当だよ、蘭兄さん! 僕が……」
《キスシタイッテ……》
また耳鳴りがする。七海も気付いたのか、慌てて口を覆ったけれど。
「ちょ……マジかっ……!」
紫藤の手が見えない力に弾かれると、俺の体が自由になった。
代わりに別の力に引っ張られ、勝手に動いていた。手で口を隠した七海を抱き締め、彼の手を握り締めると引き離してしまった。
紫藤も、清次郎も見ている前で、七海にキスした俺は青ざめた。二人してソファーに倒れ込んでしまう。さっきより力が強いのか、なんか、まずい。
とことんキスしたい気持ちになってくる。
「紫藤様!」
「……おお! そうであった!」
清次郎が俺の肩を掴み、強引に引き離すと紫藤が右手を翳している。緑色の光が俺達を覆い、ふっと力が抜けた。引っ張っていた清次郎の方へ勢い良く倒れ込んでしまう。
七海の方は紫藤が抱き起こし、俺から隠すように背に庇った。
「達也、力は抜けたか?」
「……ああ、サンキュー。マジで何か、変な気分になりそうだった」
どっと疲れてしまった。清次郎の腕の中でだらりとしてしまう。七海も少し涙目になったまま、大人しく紫藤の背中に隠れていた。
「……達也君。ごめんね……」
シャツに着替えた紫藤の背中を握り締めた七海は、隠れたまま謝った。ガシガシ頭を掻いた俺は、清次郎の腕から離れ、どっかりとソファーに座り直す。
「気にすんな」
「……でも……」
「良いから気にすんな!」
キスの話題を振ったのは俺だから。まさか七海とキスしてしまうとは思わなかったけれど。これくらいで怒ったりはしない。
なかなか顔を出さない七海に、ニッと笑ってやった。
「忘れらんねぇファーストキスだな!」
「…………!」
ますます七海が隠れてしまった。気にしないよう、茶化したつもりなのに。
茶化し方を間違えただろうか。頭を掻いた俺に、清次郎が苦笑しながら背中を叩いた。
「さて、夕飯の支度をせねばな」
「……シャワー浴びなくて良いの?」
「お前の期待を裏切って悪いが。想像しているようなことはしていない」
「何で?」
「何ででもだ」
ポンポン、俺の頭を叩いた清次郎は、一人キッチンへ向かっている。紫藤を見てみれば、まだ顔を赤くしている七海を不器用に宥めているところだった。
エッチをしていないのなら、今まで何をしていたのだろう?
不思議に思った俺は、ようやく顔を出した七海と目が合った。
「…………!」
まだ赤くなれるのか。そんなに意識されると、俺も照れる。
そっと視線を外した俺の耳を紫藤が引っ張った。
「いってー!」
「七海を手にしたくば私の許可を取るが良かろう!」
「だから! 俺のせいじゃねぇし!」
「分かっておっても腹が立つのだ!」
「……うぜぇ……!! あんたの焼き餅うぜぇ!!」
清次郎似の七海だから。清次郎がキスされたみたいで腹が立つ、そういうことか。
回りくどい焼き餅に、俺も腹が立つ。紫藤の髪の毛を思い切り引っ張った。
「清兄じゃねぇんだから関係ねぇだろう!!」
「いいや許さぬぞ!」
俺の金髪も引っ張られる。二人してソファーから立ち上がると、取っ組み合いになった。お互いに髪の毛を引っ張り合う。身長で負けている俺は、立ち上がられると届きにくい。
足を振り上げると臑を蹴ってやった。顔をしかめた紫藤が俺の頬を摘んで引っ張る。負けじと俺も、何度も臑を蹴ってやる。
「私の目が届くうちは許さぬぞ!」
「清兄だけじゃなくて七海も狙ってんのかよ!」
「七海は可愛い清次郎なのだ! 私が認めた者でなければならぬ!」
「あんたのじゃねぇし!」
叩き合いに発展した俺達に、さすがに清次郎が戻ってくる。まずは紫藤を引き離そうと割って入ってきたけれど、俺達は一歩も引かなかった。届くかぎり腕を伸ばして紫藤をひっぱたいてやる。
「何をしているのです! 紫藤様、達也も!」
「俺のせいじゃねぇって言ってんのに、蘭兄がうぜぇんだよ!」
「下心が無かったと言い切れるのか!?」
「もう、お止めさない!」
力尽くで清次郎が引き離してくるけれど、テンションが上がっていた俺と紫藤は、なおも手を伸ばし合う。パンッと頭に入った重たい一発に、カッと血が昇った気がした。
七海の言霊が原因でキスしたのに、俺だけが一方的に攻められるのは納得がいかない。紫藤が七海を特別可愛がっているのは知っているけれど、俺の言葉だって聞いてほしかった。
俺だって、最初は好きな女の子が良かったのに。男の七海とキスしてしまったのに。
何で俺だけが責められるのか。
イライラした心が止められない。
「七海ばっか庇ってんじゃねぇよ!!」
「可愛い清次郎は私が守る!!」
「うぜぇんだよ!!」
「紫藤様! 達也! いい加減になさい!」
「清兄はどいててくれ! 今日という今日は決着つけて……」
「もう……」
《ヤメテ……!!》
強い耳鳴りが鳴ると、俺と紫藤、清次郎が弾かれたように吹き飛んだ。運悪く、テーブルにぶつかった俺は、バランスが取れずに倒れ込んでしまった。
「達也!」
紫藤はソファーに倒れ、一人なんとかバランスを保った清次郎が呻く俺を助け起こしてくれた。打った腕が痺れて動かない。足も少し、捻っていた。
「達也、大丈夫か?」
「……うっせー」
心配してくれる清次郎に、反射的にそっぽを向いてしまった。宥めるように頭を撫でられる。清次郎はいつでも、中立でいてくれた。
だいたい、紫藤が悪い。清次郎に似ているからと、少しでも七海と親しくするとすぐに焼き餅をやくから。俺はただ、七海とは友達みたいになれたらと思っているだけなのに。
痛む腕と足をさすりながら、睨むように紫藤を見たけれど。彼は呆然と七海を見つめていた。
口を両手で押さえ、涙を流していた七海を。
「な、七海……?」
恐る恐る声を掛けた紫藤に、七海は床に正座すると、静かに頭を下げた。
敷いていた絨毯に、七海の涙が染み込んだ。
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