妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ五十三『記憶の再会』

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 腕を組んだ紫藤は、考え深げに虚空を見つめている。俺はその思考を遮らないよう、黙って側に仕えた。

 どれほど経った頃だろう、紫藤の形の良い唇が開いた。

「……恐らくは、記憶を消したのであろうな」

「では……」

「ああ、わっぱであった頃の記憶、そして松田との記憶もな」

 敷かれた布団に胡坐をかいたまま、紫藤の綺麗な眉がギュッと寄せられている。

 達也も七海も、もう遊びに出かけている。信頼できる元特別機関の隊長、伊達がついていてくれるおかげで、紫藤も安心して送り出した。

 夜に悪霊退治に出かけるため、これからもうひと眠りさせたいのだけれど、紫藤は七海の言霊が気になって寝ようとはしない。俺もまた、彼の考えを聞くため見守った。

「七海から夢の話を聞いた時は驚いたものだ。本来、魂に前世の記憶は残らぬはずなのだが……」

「あの子には、七乃助殿の記憶が夢となって出ていましたな」

「ああ。ほんに驚いた」

 腕を組む紫藤を見つめながら、七海の言葉を思いだしていた。



~*~



 達也が七海とは別に、風呂に入るようになった頃だった。

 先に達也が入り、それを見送った七海と紫藤と俺は、リビングでテレビを見ていた。

 動物番組に夢中になっていた紫藤を微笑みながら見ていた俺は、風呂に行った達也の残像を見つめるかのように、七海がぼうっとしている事に気が付いた。

『七海、何か悩みでもあるのか?』

 俺の言葉に、テレビに夢中になっていた紫藤も振り返った。ぼうっとしている七海を見て首を傾げている。

『元気がないようだの』

『……そんなことは』

 そう言いながら俯いてしまった。もじもじと半ズボンを握り締めている。その頬が、僅かに赤味を帯びていった。

『話したくないのなら、無理には聞かぬが……。紫藤様も俺も、七海と達也を弟のように思っている。相談ごとがあるなら言ってみてはくれまいか』

 七海の前にしゃがみ込み、俯く顔を見上げた。恐る恐る俺を見つめた七海は、紫藤の顔も見つめ、小さな喉を鳴らした。

『……笑わない?』

『ああ。笑ったりせぬ』

『そうだぞ! 可愛い七海の悩みを笑ったりするものか!』

 立ち上がった紫藤は七海の隣にドサリと座った。腰を抱き、頭を撫で回してやっている。

 紫藤に抱き付かれた七海は、小さく笑うとギュッとズボンを握った。

『あの……あのね……』

『うむ』

『夢……見たんだ』

 どんどん俯く七海は、顔を真っ赤にさせていく。そっと紫藤を見上げれば、彼もちょうど俺を見ていた。小さく首を振り合い、心当たりがないことを確かめ合う。

 七海は何をこんなに恥ずかしがっているのだろう。彼の言葉を根気良く待っていた俺達は、か細い声に、一瞬息をするのを忘れてしまった。

『僕……松田っていうお侍さんに……だ……抱き締められてたんだ』

 と。

 七海の腰を抱いていた紫藤の手に、力がこもるのを感じた。幸い、七海は真っ赤になって俯くのに必死で、俺達の動揺に気付いてはいなかった。

『ゆ、ゆ、夢だから……! はっきりとは覚えてないんだけど……! 僕のこと「しちのすけ」とか、「おしちちゃん」って呼んで……それで……キスとか……してて……!』

 両手で顔を覆った七海は泣き出しそうだった。震えている彼を紫藤が胸に抱いている。

『七海……お主……』

『へ、変だよね! 僕じゃないのに僕のような気がするなんて……!』

『……これまでに何度見たのだ?』

 震えている七海を抱き締めながら、紫藤が落ち着かせようと背中を撫でている。顔を見られたくないのだろう、七海は紫藤の胸元に埋まった。

『……な、何度か……』

『そうか。お主も男の子であったか』

 ポンッと背中を叩いている。紫藤の目が俺の方を向いたので頷いた。

『七海。あまり深く考えずとも良い。成長期では、気になる人の事を想い、そういった夢を見ることもあるだろう』

『……でも……知らない人だった』

『そうだな。何かの記憶が、夢の中で再構築され、別人になったのであろう。根本は変わらぬ』

 紫藤の胸に埋まる七海を引き起こした。俺の方を向かせ、成長途中の細い手を握り締める。真っ赤になっている顔を見上げながら、達也が戻ってきていないことを確かめ囁いた。

『達也が好きなのであろう?』

『…………!』

『見ていれば分かる』

『僕……僕……!』

 ますます赤くなる七海を宥めるため、握っている彼の手を撫でた。

『七海。夢は現実ではない。気にしなくて良い。好きな人と触れ合いたい、そういったお前の「男」としての想いが、時にそういった夢を見せるだろう』

 紫藤の手が七海の頭を撫でている。互いに目配せしながら、七海を誘導した。

 夢は夢、現実ではないのだ、と。

『夢を見た時は、紫藤様と俺に話してくれ。そうすれば少しスッキリするだろう?』

『……うん』

『良い子だ』

 ポンッと彼の手を叩いた時、達也が風呂から上がってきた。金髪に濡れて光る雫をタオルでゴシゴシ拭きながら笑っている。

『気持ち良かった~! 七海も入ってこいよ!』

『……う……うん!』

『なんだ~? 顔真っ赤だし』

『……何でもない! 行ってくる!』

 顔を赤くしたまま達也の横をすり抜けて行く。着替えを取りに行った七海を見送った達也は、紫藤と俺を見つめ首を傾げた。

『何話してたんだ?』

『……小憎らしい!!』

『いてっ! 何すんだよ!』

 紫藤の両手が何も知らない達也の頭を挟みこんだ。グリグリ、グリグリ、押している。

『いきなり何すんだよ! 蘭兄!』

『えーい、何となくだ!』

『意味わかんねぇし!』

 じゃれる紫藤と達也に吹き出しながら、七海の夢が気になったけれど。

 紫藤も俺も、七海の夢のことはあまり深くは考えなかった。今を生きている七海を、過去を生きた「七乃助」と見ないためだ。

 俺達が気にすれば七海も気にするだろう。

 松田のことも、七乃助のことも、知っているとは言わずにいた。

 それが二人のためだと思っていた。



~*~



「七海が七乃助殿だと知った時はかなり驚いたものです」

「うむ。記憶なのか、ただの夢なのかは判断がつかぬが、夢として見た記憶を覚えておくには、七海は幼すぎる」

 故に、見た夢の記憶を消したのであろう。松田に抱かれていた夢を見てしまい、その松田が達也なのだと知ってしまったのだから。

 「七乃助」であった頃、愛していた松田と。

 七海として生まれ変わった今、達也を好きな自分と。

 気持ちが混ぜ合わされ、混乱してしまったのだろう。無理もない。

「しかし……達也まで松田であった頃の夢を見るとは……時を見て、もう少し詳しく聞いておかねばなるまいな」

「それよりも俺は、二人が揃っておることの方に驚いております。まるで惹き寄せられているかのようではありますまいか」

「そうだの……」

 思案するように瞼を閉じた紫藤は、ふと、顔を上げた。

「言霊は二度鳴った。一度目に記憶を消したのは分かる。だが、二度目は何だと考える?」

「分かりかねます。七海が覚えておらぬのですから」

「で、あろうな。気にはなるが、記憶を消した以外に変わった様子はないようであるし、問題はないと思いたいの」

「はい」

 考えが一段落したところで紫藤の背に手を当てた。そのまま布団に寝かせようと傾けていく。

 達也と七海の夢のことも気になるけれど、今は紫藤の体を休めておかなければ。夜になれば大量の悪霊が待っているのだから。

「さ、もう少し眠られて下され。夜にまた、悪霊退治に行かれるのですから」

「うむ。何ぞ変わったことがあれば起こせ。お主も後で…………いかん! 忘れるところであった!」

 寝かせようとした俺に逆らい起き上がる。興奮気味に頬を染めた紫藤は、バッと両手を広げた。

「さあ、良いぞ!」

「……はい?」

 何が良いのか。分からず戸惑う俺に、なおも両手を広げて見せている。

「お主が言うたのではないか! 眠っていては熱い口付けができぬと!」

 鼻息荒く言い放つ紫藤に、数秒考えた俺はああ、と思い当たった。なかなか目が覚めない紫藤の耳に、確かにそう、囁いた。

 紫藤を起こすための戯言であった。笑ってかわそうとしたけれど。

 ピリッと、自分の胸が痛むのを感じた。目が自然と細くなっていく。

 赤く染まっている頬に右手を当て、強く引いた。

「……せ、清次郎?」

 先ほど武藤高志に抱き締められていた紫藤の姿を思いだすと、どうしても血が沸きたってしまう。一瞬、拒むように俺の肩を押した紫藤に逆らうように口付けた。角度を変えると深く入り込んでいく。

「……ん……ぅん!?」

 少し苦しげな声を出す紫藤の腰を支えながら、舌を絡めた。熱い舌に絡め、吸い上げ、また押し入っていく。

 フルフル、フルフル、震える紫藤の手が、俺のシャツを握り締めたけれど唇は離さなかった。だんだん力が抜けていく紫藤の顔が上を向いていく。

 なおも口付けた。震えていた紫藤の手が俺のシャツから離れていく。俺の腕に支えられるだけになった紫藤の頬が紅く紅く色づいた。

 それでも離せなかった。

 開きっぱなしになった紫藤の唇からは、荒い息遣いが漏れていると分かっていても離せなくて。彼の唇が痺れるほど口付けた。

 たっぷりと紫藤を味わった俺は、ゆっくりと唇を離した。彼の唇は互いの唾液で濡れている。不規則な息を繰り返すばかりで言葉はない。

 力尽きた紫藤を布団に寝かせ、覆い被さると耳に囁いた。

「お休みなさいませ、紫藤様……」

 ヒクッと体を震わせた紫藤の目元が真っ赤になり、涙さえ滲ませた。

「……眠れる訳がなかろう……!」

 くしゃりと顔を歪めた紫藤の、浴衣の一部が張り出している。白く滑らかな足がすり寄ってきた。

「……清次郎……!」

 呼ばれ、顔を傾けた。張り出している浴衣をそっと開き、ブリーフを引き下ろしていく。緩く立ち上がっていたモノを口に招き入れていく。

「こ……これ! 手で良い……ぅん!」

 もどかしげに身を捩る紫藤を見つめながら、喉奥まで飲み込んだ。すぐに硬くなっていく彼のモノを熱心に愛す。

 あまり、これは得意ではない。

 得意ではないけれど、今はしてやりたい気分だ。



 どうしても、武藤高志に抱き締められていた紫藤の姿が、脳裏から消えなくて。



 振り切るように愛した。

「気持ち……チュッ……宜しいでしょうか?」

「……ぁ……はぁ!」

「紫藤様……?」

 息を乱す紫藤を見つめ、口に銜え、吸い上げてやる。

「ぅん!」

 腰を浮かせた紫藤は、俺の口内で達した。眉間に皺を寄せながらも受け止める。零さないよう、少しずつ飲み込んでいく。

 腫れていた彼のモノが大人しくなる頃、下着を汚さないよう丁寧に舐め上げた。今、風呂に入れる時間はない。悪霊退治に出かける前に、湯で洗い流してやろう。

 どうにか綺麗になったところで唇を放し、布団に横たわる紫藤を確認した。腫れは引いているし、これでゆっくり眠れるだろうと思って。

 口元を拭いながら、気持ち良かったと言ってくれる紫藤を想像していたけれど。

 両腕で顔を覆っていた紫藤の、紅く染まった頬に涙が流れている。涙は次々に流れ落ちていく。

「し、紫藤様!? どうなされたのです!?」

 もしや、あまりに下手だったのだろうか? それとも痛くしてしまったのか。

 鼓動が跳ねた俺は、紫藤の腕に触れたけれど。彼は顔を出そうとはしない。震えながら泣いている。

「紫藤様……!」

 締め付けられる胸が苦しくて。お叱りを覚悟で彼を抱き上げた。膝に乗せ、胸に抱き締める。

「申し訳ありませぬ! その様に泣かせてしまうほど俺は……!」

 幾度となく抱き合ってきたというのに、こんなことは初めてだ。

 背中を撫でても良いだろうか、迷う俺に顔を隠したまま、紫藤は泣きじゃくっている。肩を震わせせながら、唇を噛み締めた。俺の膝の上で身を守るように丸まっていく。

「紫藤様……」

 どうしたら良いのだろう。見守ることしかできない俺に、紫藤は小さく呟いた。

「……何故……ヒック……怒っておるのだ?」

 と。

 意味が分からず、応えられない俺に紫藤はなおも泣いた。

「考えても……ヒック……分からぬ……! んぐっ……ふぇっ……お主に……嫌われては……」

「嫌うなどと!」

 何を言い出すのだろう。思わず抱き締めた俺のシャツに顔を埋めた紫藤は、涙を染み込ませながら震えた。

「俺が紫藤様を嫌うことなどありませぬ!」

「清次郎……」

「何故そのような誤解を……!」

「し……しかし……お……怒っておるではないか」

「怒ってなど……」

 いない、と応えようとして、言えなかった。

 自分の行動を省みて、思い当たる節があった。



 確かに俺は、怒っていた。



「……やはり怒っておるのだな!? だからあのような……」

「申し訳ありませぬ、紫藤様。俺はまだまだ、人として修行が足らぬようです」

 紫藤の言葉を塞ぐように、頭にそっと手を乗せてやった。長い白髪を撫で、早く泣き止んでくれるようにと願う。

 顔を埋めていた紫藤が、恐る恐るだけれど見上げてくれた。その黒い瞳に、俺の青い瞳を合わせてやる。

「愛しております」

「…………!」

「どれほど時が流れようと、この想いは変わりませぬ」

 想いを込めて額に口付けた。涙に濡れた睫が光っている。そこにも軽く、口付けた。

「ほんに申し訳ありませぬ、紫藤様。このように泣かせてしまうとは」

「……怒ってはおらぬのか?」

「はい。紫藤様を愛しいと想う気持ちしかありませぬ」

 両腕で抱き込んだ。頬に流れていた涙は全て俺の体で受け止める。

 暫くじっとしていた紫藤は、ほうっと大きな溜め息をついた。

「……いつもの清次郎だの!」

 紫藤の両腕が俺の体に巻きついた。甘えてくる彼の体を布団に寝かせてやる。

 一緒に寝転んでやれば、しがみ付かれた。

「お主に嫌われたと思うてたまらなんだ……!」

「申し訳ありませんでした。さ、眠られて下され」

「……何を怒っておったのだ?」

 聞かれ、にこりと笑った。

「紫藤様がお美しいからです」

「……昔からであろう? 何故今更怒るのだ?」

 不思議そうに首を傾げる紫藤に微笑みながら、長い白髪を撫でてやる。

 そうすると紫藤の瞼がうとうとと閉じ始めた。体が眠りを欲している。彼の意識よりも先に、体が眠りにつこうとしている。

「のう……清次郎……何故……」

「お休みなさいませ、紫藤様……」

 耳に囁けばすぅっと眠りに引き込まれていく。疲れで重くなっていた彼の瞼は、素直にくっ付いた。静かな寝息が心地良く流れ出す。

 頬に残っていた涙を手で拭ってやりながら苦笑した。

「紫藤様がお美しいから、他の者に想いを寄せられるのです。あのように……」

 抱き締めさせてしまうとは。側に仕えていれば阻止できたものを。

 間に合わなかった自分に腹立たしく思っていた感情が、表に出てしまうとは。それも紫藤に勘付かれ、泣かせてしまうなんて。

 長い時を生きてきたというのに情けない。もっと広い気持ちで紫藤を見守らなければ。

 眠る紫藤の唇に口付けた俺は、子供のようにあどけない表情で眠る主を胸に抱いた。

 泣いた紫藤の体は少し火照っていた。

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