妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ六十『一筋の繋がり』

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 夜の八時から執務に当たる一希は、真面目な性格なのか、自室での作業でもワイシャツにネクタイ締めている。せめてネクタイだけでも外せば良いのに、と言ってみたけれど、締めていないと気合が入らないらしい。
 俺と七海は午後九時頃に一希の部屋に戻って、風呂に入って眠るのが日課になっている。
 わしゃわしゃ、わしゃわしゃ、自分の髪をタオルで拭きながら、デスクに向かって座っている一希に向かって口を尖らせた。
「特別機関の隊長になる人って、皆あんな感じなのか?」
「あんな感じとは?」
「ガキをからかうのが趣味なのかってことだよ」
 風呂上がりでさっぱりした体、どさりと敷かれていた布団に尻をつけた俺に一希が少し笑った。
「伊達さんか?」
「隊長もだ!」
 むすっと口を引き結んだ俺に、一希が体ごと振り返る。手にしていたボールペンを置きながら、天井に備え付けられた監視カメラをチラリと見た。まだ俺と七海は起きているので、見えないようにタオルが掛けられている。
「伊達さんは、君たちが可愛くて仕方がないようだな」
「主に俺を! からかってくるんだよ!」
「それは達也君の反応が可愛いからだろう」
「……んだよ、一希さんも俺をからかうのか?」
 男に向かって可愛いとは。拭き上げた髪を手櫛で整えながら一希を睨んでみるけれど。精神力の強い彼は、にこりと細目を緩めながら笑っている。
「打てば響くからな」
「訳わっかんねぇし」
「隊長はそうだな……」
 言葉を切った一希は、また監視カメラを気にするように視線を走らせている。モニター画面の電源が切れていることを確認した彼は、顔を少し引き締めた。
「君を本気で守りたいようだ」
「……ケツ触ってくる奴に守りたいって言われてもな」
「それは……まあ、手の早い人だから。七海君の言霊に期待しているよ」
 その点に関してはすまないと、謝る一希にこれ以上、怒ることはできなかった。
 隊長に文句があって愚痴を言っても、謝ってくれるのは一希だった。彼は何も悪くない。ガキに手を出す剣がおかしいのだから。
 政宗は政宗で、俺と七海の行動をいちいち観察してくる。七海は俺のことを友達だと思っているから、何のためらいもなく触れてくるけれど、俺は違う。
 少し触れてしまっただけでもドキドキするようになってしまった。勉強の時は特にそうだ。七海との距離が近いため、ふとした瞬間に触れてしまう。
 真っ赤になる俺を観察しては、一人悶えるように笑っている政宗に苛立ちは募る一方だ。
「早く帰りてーよ」
「もう少しの辛抱だから」
「わかってっけどよー」
 身が持ちそうにない。目の前で勉強している七海を見ているだけで、俺の心臓は破裂しそうだ。
 それを政宗に弄られ、耐えるのも限界がきそうだ。
 溜息とともに布団に転がった時、七海が風呂からあがってくる。髪を拭きながら出てきた彼は、転がっている俺の傍に座っている。
 その頬はほんのり赤く火照っていて、暑そうにティシャツを引っ張って熱を出そうとしている。
 見ているとドキドキしてしまうので、そっと一希の方へ体を向けたら、彼が俺を見ていて。
「……伊達さんの気持ちがよくわかるな」
 そう言って笑った一希は、ぶっと頬を膨らませた俺に吹き出した。


***


 監視されながら眠る夜は、これで何日目になるのか。最初は緊張して、夜中に起きてしまっていたけれど、人間は慣れてしまうと感覚が麻痺するのだろう。監視カメラの存在もなんのその、俺も七海もぐっすり眠るようになっていた。
「達也君、七海君、すまないが起きてくれ!」
 深い眠りを貪っていた俺は、強い力に肩を揺さぶられている。眠りたがる体を残し、意識だけが覚醒する。重たい瞼を開けたら部屋の電気が点いていた。
「……一希さん?」
「緊急事態だ。執務室へ行くぞ」
 そう言って、だらりと力が抜けている俺を肩に担ぎあげてくる。まだ眠りから覚めていない七海を小脇に抱えた。
 肩に乗ったまま、ユラユラ揺れている床を見ていると、一希は急いで自室を出ていく。そのまま真っ直ぐに執務室へ向かった。
 開いた執務室のドア、入った瞬間、俺も七海も目がハッキリと覚めた。
「何!? すげー音!」
 執務室の中は警報が鳴り響いている。モニターに映し出される映像のほとんどが、悪霊の発生を知らせる赤いランプを点灯させていた。
 電気が点けられているとはいえ、大きな窓ガラスの外は雲のせいで暗い世界が広がっている。一際輝く赤いランプの光の中、隊長の剣が顎に手を当てたまま中央モニターを静かに見つめていた。
 その側に俺と七海を下した一希は、遅れて入ってきた政宗と葵、初音と克二を振り返っている。
「状況は?」
 葵の車椅子から手を離した政宗は、モニターを見つめたまま動かない剣の隣に立った。俺と七海は少し離れた場所に移動すると、いつもとは違う緊迫感に話すこともできなかった。
 皆が剣を見つめている。彼の指示を待っている。
 顎に手を当てモニターを観察していた剣は、スッとその目を細めた。
「A地区の担当は、まだ育成段階です。少々、まずいですね。あの場所で何が起きているか調べて下さい」
「もう、確認したよ。工場で爆発事故が起きてる。死亡者が出てる」
 心路が一つのモニター画面を切り替えた。そこには巨大な工場から赤い炎が噴き出している映像が映し出されている。
 それを見た剣は、顎から手を離すと耳に掛けていたハンドフリーの電話に触れている。
「A班、およびB班のリーダーに繋げて下さい」
「はい」
 心路がパソコンを扱うと、剣の電話が振動している。二人に繋がったのか、別のモニターを確認しながら指示を出し始めた。
「時間が無いので手短にいきます。A地区担当、B地区担当、総入れ替えを行います。B地区担当者は速やかにA地区へ移動してください。伊達政宗がB班を指揮します。A班はB班の持ち場へ向かい、流れてきた霊を守って下さい。霊場の力が増しています。悪霊にならないよう、できる限り抑えます。ただし、無理だと判断したらすぐに連絡するように」
 電話での指示出しを聞いていた政宗は、パソコンの前に座っていた葵を振り返っている。
「ヘリの手配を」
「はい」
「私が操縦します。風圧と霊圧が高いです。霊場の動きが見えないと危険です」
 政宗は細かい確認はせずに、すぐに執務室を出て行った。その後を初音が追っていく。
 その後ろ姿を一度だけ確認した剣は、警報を鳴らしている場所の確認をするように、手元の液晶画面を操作した。
 一つのモニターに日本地図を映し出している。その数か所で赤い点滅が瞬いている。主にA地区と言われた東京周辺が真っ赤に光っている。工場の爆発事故が原因で、もともと強かった霊場の力が上がっているのだろう。
「次、華枝さんを」
 電話に手を当てたまま、剣は日本地図の左側を見ている。まだそこに映っている映像に変化はなく、警報も鳴っていない。西側の、九州に近い位置に点滅が浮かばないか、確認するかのように見つめている。
[もしもし?]
「動けますか?」
[はい。霊場が不安定になっているのは感じています。かなり揺らいでる]
「ええ。申し訳ありませんが、四国へ飛んでください」
[……四国?]
「一希を行かせます。四国か、あるいは九州に近いどこかで動きがあります」
[その根拠は?]
「大人の勘です」
 剣はそう言うと、ああ、と付け足した。
「私の勘は、結構、当たるんですよ?」
[……了解しました。迎えをお願いします]
 電話を切った剣は、控えていた一希に視線を合わせている。
「ということで、お願いしますね」
「はい。達也君、七海君、隊長の側から離れないように」
「つか、あっちはまだ大丈夫じゃね?」
「分からない。だが、隊長が決めたことだ、行ってくるよ。絶対に、側を離れないように」
 俺の肩を力強く叩いた一希は、大股で歩いて出て行った。鳴り響く警報の中、俺も七海もどうして良いのか分からない。
 あまり側に居ては邪魔になるだろうと、来客用のソファーまで下がろうとした俺の手を剣が握り締めてきた。
「なに……」
「ここに。あまり構う余裕がありません」
 俺を真横に立たせると、すぐに手を放している。
「次、F班のリーダーを」
 急展開に付いて行けない俺と七海を置いて、剣は次々に指示を出していく。東京から離れた、長野県にも赤いランプが点き、警報が鳴っている。その場所へ克二を向かわせることになった。
「霊場はまだそれほど乱れていないようですが、東京の乱れに引きずられています。魂が抜けださないよう、札を忘れないように」
「はい。うっかり幽体離脱しないように行ってきます」
 克二は顔を引き締めると飛び出していった。執務室には剣と、心路、葵だけが残っている。
「これより東京周辺は政宗さんに一任します。葵さん、サポートをお願いします」
「はい」
「心路は四国近辺の霊場の動きを見逃さないように」
「はい」
 赤い点滅は、主に東日本を中心に起きている。けれど、剣は西日本を警戒しているようだ。
「ねぇ、達也君。何が起きてるの?」
「俺にもわかんねぇよ」
 七海が不安そうに俺のティシャツの裾を握った。執務室のモニター画面は常に赤い点滅を映し出している。警報の音に、俺達の声もかき消されていく。
 剣はその画面から目を離さない。俺のお尻を撫でることもなく、警報の音と、画面に映る赤い点滅の大きさを確認しては、必要な人材を派遣していく。
 一希は剣の側を離れるな、と言った。俺が動くと、この人たちの仕事の邪魔をしてしまうかもしれない。七海だけでも椅子に座らせてやろうと指で空いている椅子を指してやったけど、首を横に振って俺の側から離れない。
「一緒に居るよ」
「でも……」
「一緒だよ」
 そっと、握られた手。俺も握り返した。



 勘の、良い奴だ。



 顔を照らす赤い光の中で、俺はまるで映画のスクリーンを見ているような気持になる。
 現実世界に居るはずなのに、一歩、引いているような、奇妙な感覚に陥った。



 我が弟よ……愛しい者よ……。

 今少し……力が足りぬ……。

 この者が……邪魔じゃ……!



 どうしてか、俺の体が、俺の意識とは関係なく動いた。七海と手を握ったまま、剣から離れるようにゆっくり一歩、下がっていく。
 剣は新たに上がった警報に対処するため、電話を掛けている最中だった。もう一歩、後退していく。
「達也君?」
「しっ」
 七海の口を手で覆った。更に一歩、下がっていく。
 背中を見せている剣。その背を、どこか遠い世界で見つめている俺は、もう、自分の意志で声を出すことができなかった。



 この機を逃す訳には行かぬ。

 体ごと……飛ばしてみせる。

 封印の珠よ……儂に従え。

 主の命に従うのじゃ……!



 俺の胸と腹の間から、封じていたはずの悪鬼の気が溢れてきた。大量に溢れたそれは、俺の体を包み込もうとしている。
 七海には悪鬼の気は見えない。俺が、俺とは違う誰かが、封印の珠の力を解除したのか、溢れる気が執務室を覆うように広がり始めた。
「隊長!」
 叫んだ心路の声に、剣が振り返る。その時には、七海の手を振りほどき、突き飛ばしていた。
「達也君…!?」
 倒れた七海の手が届く前に、俺の体は宙を飛んでいた。悪鬼の気に守られながら、窓を打ち破ろうと向かったけれど。
 その足に鞭が絡みついていた。引き戻されていく。
「側を離れるなと、言ったのに。いけない子ですね……!」
「貴様の力が儂に及ぶと思うてか?」
「おや、悪鬼さんでしょうか? これはこれは、お話ができるとは思いませんでしたね!」
 絡みついた鞭は外れなかった。右手に力を込めた俺は、断ち切ってしまおうとしたけれど。
 剣の動作が一歩、早かった。瞬間的に引かれ、空いていたデスクに叩きつけられてしまう。背中から落ちた俺に、剣がのしかかるように覆い被さってくる。
 すると、遠く感じていた俺の体が、戻ってくるかのようだった。勝手に動いていた体を俺の意識でも動かせるようになってくる。
「た……ちょ……体が……!」
「しっかりなさい! 封印の珠を悪鬼に奪われてはいけませんよ」
 また、俺の体が勝手に動く。剣の首に手を掛けてしまう。締め上げようとする力と、どうにか外そうとする力が反発しあう。
 それには構わずに、剣の右手が俺の胸と腹の間に触れた。悪鬼に解除されてしまった珠は反応していない。
「蘭丸さんから……クッ! 仕込まれている、はずですよ……! あなたならできます……!」
 喉を潰すように、俺の右手に力がこもる。早く封印の珠で悪鬼を吸収しないと、剣を窒息させてしまう。
 焦るけれど、どうして良いのか分からなくなった。封印の珠に呼びかけても反応してくれない。剣の側に寄ることで、一時的に俺の意識で動くようになった体がまた、制御できなくなってくる。
 俺の胸と腹の間に置かれていた剣の右手を握り締めると、そこから嫌な音が鳴った。剣の指の骨が折れた音だった。
「…………!!」
 俺が、骨を折ったのか。
 思うと心が完全に竦んでしまった。いつも人をからかってばかりいる剣の顔が、痛みに歪んでいる。
 なおも手を潰そうと、悪鬼は力を込めてくる。顔をしかめた剣は、吹き出した汗を滲ませながら無事な左手で俺の頭をそっと撫でてきた。
「この子は……今を生きています……ぐっ! あなたが、連れて行っていい子ではない!」
「……分かっておる。だが、離れられぬ以上、連れていくしかないのじゃ!」
 噴き出す悪鬼の気が剣の体を包み込んでいく。それでも彼の手は俺から離れない。
 俺の右手が、剣の喉に食い込んでいく。声すら出せなくなった剣に、俺は何もできなくて。
 封印の珠は確かに体の中にあるはずなのに。どうして存在を感じられないのだろう? スクリーンのように映る視界に映っているのは、俺を真っ直ぐに見下ろしている剣の目だった。 
 息が、止まっている。
 俺を見つめていた目が、閉じていく。
 なおも、俺の右手に力がこもった時だった。

《ハナレテ!!》

 強い耳鳴りが鳴ると、見えない力に剣の体が吹き飛ばされていた。デスクから投げ出された体が崩れ落ちている。折れている右手を押さえ、止められていた息を咳き込みながら吸っている。
「・・・・・・! ご、ごめんなさい!」
「もっと・・・・・・明確に! ぐっ・・・・・・心路!」
 自由になった俺の体は、七海にも剣にも目もくれず、窓を目指した。人間の跳躍では不可能な高さを飛び、窓を割って外へ出ようとしたけれど。
 剣の声に反応した心路が大きな窓を覆うほどのシャッターを全ての窓におろしている。ブラインドではなく、強度の高いシャッターには仏字が描かれている。
 構わずに黒い影で押し曲げてしまおうとしたけれど、仏字から仄かに出ている、紫藤蘭丸の霊気に思うように力が込められない。
「こしゃくな・・・・・・! この程度で儂を止められると思うなよ!」
 一点に、力を込めていく。人一人分の通り道さえ確保できれば良い。右手に悪鬼の気を集めた俺の体は、またしても剣の鞭に捕まった。
「この・・・・・・!」
「七海君! もっと対象者を意識して言霊を出して下さい!」
「は、はい!」
 左手では思うように鞭が振れないのだろう、胴に絡みついた鞭の力は弱かった。両手で掴んで振り解いた俺の体は、噴き出そうとした悪鬼の力を、出すことができなかった。

《イカナイデ!》

 強い耳鳴りに、俺の体は動きを止めた。すぐそこに、外へ通じる窓があるというのに、打ち破れば自由になれるのに。
 床に縫い付けられたように、足が動かない。

《デテコナイデ!》

 なおも続けられた言霊に、俺の中の悪鬼が苦しげな声を響かせている。遠かった俺の意識が戻ってくる。
 けれど封印の珠の存在を感じることができない。珠を俺の意識に戻さないと、言霊の力が消えたらまた悪鬼に体を持って行かれる。
 どこだ、どこに封印の珠がある。
 自分の意識の中を探ろうとした時だった。
 強い警報がまた、鳴り響く。
 今まで悪霊の発生が無かった西日本、九州方面に一際大きな赤い点滅が浮かぶ。



 兄様・・・・・・!



 頭の中に、別の声が響く。
 断ち切られて糸が、まるで繋がったかのように、俺の中の悪鬼の力が膨れ上がっていく。七海の言霊に封じられていた体が、一歩、外へ向かって歩き出す。
「そんな・・・・・・!」
「一希に連絡を!! 急げと!!」
 剣がもう一度、鞭を絡めてきたけれど。それをたった一度、右手を振り下ろしただけで断ち切ってしまった。



 弟よ・・・・・・。

 愛しい者よ・・・・・・。

 感じるぞ・・・・・・!

 今・・・・・・そちらへ行こう。



 感じる別の悪鬼の気に導かれるように、シャッターごと窓を打ち破った俺の体は、吹き込む風に逆らいながら空へと飛んでいた。
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