妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ六十三『別った心』

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 スクリーンを通して見る世界は、高速に移動していく。
 俺の意思はもう、届かない。
 悪鬼に支配された俺の体は、月の見えない暗い空の下にそびえるビルを次々に飛び越えていく。眼下には、立ち並ぶビルから輝く明かりが見えている。
 俺はこんなに足が速かっただろうか?
 そもそも、人間はこんなに高く飛び上がれない。これも悪鬼の力なのだろうか。時折、ビルとビルの間が広く開いていても、足に込めた力で飛び越えていく。
「待っておれ! 儂が迎えに行くまで持ち堪えよ!」
 俺に憑いた悪鬼は焦っているようだった。高いビルの屋上に一度降り立った悪鬼は、肩で息をしながら夜空を見上げている。悪鬼の力を使ったとしても、俺の体は生きている。疲労が目に見えて現れ出していた。
「はぁ……はぁ……まだ……遠い!」
 見上げた夜空には、星が一つも見えない。雲が広がる蒸し暑い夜に、吹き出す汗が背中を流れ落ちていく。
 息を整えた悪鬼は、再び走り出そうとビルの縁へ足をかけた。夜空は厚い雲に覆われているのに、眼下に広がる明かりは何度も瞬いている。
 眠らない街、東京。数秒、その光を見つめた悪鬼は、体に黒い影のようなものをまとわりつかせていく。大きく息を吸い込むと、踏み出そうとした。
 その耳に不快な機械音が、響く。耳を突くような雑音が、東京の街の各場所から一斉に鳴り響く。設置されていたスピーカー、広告様の大画面テレビ。通信機器同士が共鳴しあうように、雑音が響く。
 その雑音に、強い言葉が重なった。

《ツナガリヲタテ!》

 七海の声が、街に響く。思わず悪鬼が俺の耳を両手で塞いだけれど、街に設置されているスピーカーの数は膨大だ。その全てから言霊が飛んでくる。手で塞いだくらいでは音を遮れない。
 東京の街の通信機器を占拠したのだろう。俺と悪鬼がどこに居るのか分からないのなら、広範囲で音を出すしかない。漠然と、けれど確実に、言霊が届く。
 こんなことができるのは、特別機関の白崎剣しか思い浮かばない。彼と、補佐役の沢田心路によって、俺の周りは七海の言霊のテリトリーになった。あらゆる場所から言霊が飛んでくるだろう。
 繋がりを断て、望んだ七海の言霊によって、俺の悪鬼と、もう一人の悪鬼とを繋いでいた細い道標が薄れていく。消えようとしている。
「ならぬ……! 待て……!」
 消えてしまわないよう、悪鬼が右手を空へと伸ばしている。
 その耳に、更に強烈な言霊が響いた。

《キレロ!!》

 叫んだ七海の言霊に、金属音と強い耳鳴りが重なる。体中に電流が走ったかのように痺れた。引っ張られていた糸を断ち切られた体は、反動でよろめきながら膝をついていた。
 呆然と、両手を見つめている悪鬼。俺にも分かった。もう一人の悪鬼へと伸びていた道標が、完全に消えてしまったと。
 うっすらとだけれど、確かに感じていた気配。その気配すら、感じられなくなっている。
「なんと……またしても我らを引き裂くか……!」
 体を震わせた悪鬼。噛みしめた奥歯に力がこもる。
「弟を……どうしたのだ!? また……また……苦しめたのか!?」
 涙が溢れ出てくる。わなわなと両手を震わせた悪鬼は、ふらりと立ち上がる。
「許さぬ……あの子を苦しめる物は全て許さぬ!」
 俺の体から禍々しい気が溢れ出てくる。スクリーンの様に見えていた世界が急速に狭まっていく。立っていたビルの屋上はもう、黒い影に覆われてしまっている。
 意識を体に繋げようとしてみても、憎悪に満ちた悪鬼の気に、俺の魂は消えてしまいそうで。

 止めてくれ! 俺は誰も傷つけたくない!

 聞こえないのか、悪鬼は溢れる気とは裏腹に、だらりと顔を夜空へ向けている。
「消えてしまえ……!」
 瞬間、弾け飛ぶように悪鬼の気が辺りを破壊していく。俺が居たビルを中心に、黒い悪鬼の気が建物の窓ガラスを割り、信号機を壊し、目映く輝いていた眼下の景色を一変させていく。
 特に言霊を届けたスピーカーや大画面テレビは徹底的に破壊された。言霊が届かないよう、広範囲に渡って破壊している。
 往来していた車が横転し、光が次々と消えていく。重苦しい悪鬼の気が大地にも降り注ぎ、暗い夜空を映したかのように闇へと変わっていく。
 街中に悪鬼の気が充満していく。世界が黒く塗りつぶされていく。霊感がない人でも息苦しさを感じているかもしれない。
 皆、無事なのだろうか。無事であってほしい。放出し続ける悪鬼の気に、俺の意識も遠ざかっていく。
 意識を手放してしまったら、もっと危ない気がする。戻れない気がする。狭い視野を失わないよう、世界に食らいついた。
 きっと、助けにきてくれる。この現状を、あの人が放っておくはずがない。悪鬼の居場所は分かったはずだ。今、俺にできることは、体を手放さないことだけだ。
「この世など……どうでも良かったのだ……あの子が居なければ……世界など……!」
 溢れる涙が頬を伝って落ちていく。
 憎悪と、深い悲しみが、俺の中にも流れ込んできた。狭い視界に、ある映像が重なるようにして映る。
 今風の服ではない、布を巻いただけに近い質素な服装だった。朧気な姿に、顔はよく見えないけれど、笑っている感じはあった。
 大きくて、ゴツゴツしている手が、差し伸べられている。その手を俺は、悪鬼は、握っていて。
 それだけで、何もかもを安堵した。
 何があっても、その手があれば、全てを許せていた。

 けれど。

 手が、離された。
 悪鬼を、彼を、誰かが引き離していく。
 差し出された手に、手を伸ばしても届かなくて。
 彼の姿が消えていく。
「ぁあ……あああぁぁぁ――――!!」
 狂ったように叫んだ悪鬼。頭を抱え込むと、立っていたビルの屋上が崩れ始めた。足下まで破壊されていく。
 吹き出す気が止まらない。どれほどの範囲を覆っていくのか、周りはもう、闇にしか見えなかった。

 頼む! 誰も巻き込まないでくれ!

 暗闇へと変わった世界。その世界に飲まれた霊達が、もがきながら浮き上がってくる。
 大人しくあの世へ旅立つ時を待っていた霊達を、悪霊へと変貌させ始めた。人の姿を保てなくなり、意識が混濁した霊達が悪霊へ変わっていく。
 まるで悪鬼の憎悪に当てられたかのように、悪霊達も巨大化していく。何度か見たことがある悪霊よりも、より禍々しい気を感じた。

 あんたが弟に会いたい気持ちは分かる! でも! 傷つけたらますますあんたは弟に会えない!

「黙れ! 儂の気持ちが分かるじゃと!?」
 俺の言葉に悪鬼が反応している。声が聞こえていたのか。
 聞こえているのなら、伝えなければ。

 蘭兄はあんたの弟を消したりしない! 魂が俺と同じように生きてる人間に繋がってるんだろう? だったらきっと、無事だ。あんた達が会える方法を考えてもらうから!

「今まさに、儂らを引き裂いたではないか!」

 あんたが他を巻き込むからだ!

「巻き込まれたのは儂らじゃ!」

 右手を振った悪鬼、隣のビルの壁が吹き飛んでいる。崩壊していく壁に、誰も居ないことを祈るしかない。
 苛立つように髪を掻き回した悪鬼が、吹き上げる風を受けながら繋がりを絶たれた方角を見つめている。
 その視界に悪霊が何体も浮かんでいる。悪鬼の力が強いからだろう。時折、人の姿に戻ろうと抵抗している霊もいたけれど、悪鬼の気を浴びるとすぐに意識が混濁していく。
 人の姿を保てなくなった悪霊が、今度は眼下に広がる人々へと向いている。ビルの壁を伝い、暗闇に変わってしまった大地へと這っていく。
 悪霊は生きている人間にも影響を与えてしまう。俺が襲われた時もそうだった。霊感がある人ならきっと、あの姿が見えてしまう。襲われてしまう。

 止めてくれ!

 俺の言葉に、もう悪鬼は応えなかった。繋がりは絶ち切られたけれど、弟を迎えに行くつもりなのだろう。七海の言霊が伝わらないよう、周りの機械という機械を徹底的に壊していく。
 明かりを失い、電気を失った東京の街の空は静かになった。眼下ではきっと、混乱が続いているだろうに。高いビルの屋上では、人々の声は届かない。
 音が出る物を破壊した悪鬼は、流していた涙を袖で拭っている。体に気を巡らせ、隣のビルへ飛び移ろうとしたその耳に、三つ目の言霊が響いた。

《フウインノタマヨ、タツヤニシタガエ!》

 機械は壊されたはずだった。電気も失っている。俺のズボンのポケットにある携帯電話も、きっと電波が届かないはずなのに。
 言霊は、俺のすぐ近くからした。
 反射的に耳を塞いだ悪鬼は、ハッとしたように俺のズボンのポケットを見ている。ズボンから取り出した携帯電話を開いた悪鬼。
 携帯電話の電波は確かに圏外になっていた。
 なっていたはずなのに、四度目の言霊が放たれた。

《タツヤニシタガエ!!》
 
 耳鳴りと同時に、電流のようなものが体を駆け巡る。ずっと存在が分からなくなっていた、封印の珠の存在がハッキリと感じられた。
 意識の手を伸ばす。紫藤から与えられ、俺の力を抑え込むための封印の珠を無我夢中で操った。
「……ああぁぁぁ――――!!」
 力を封印する。
 悪鬼の力を封じ込める。
 珠の中に、今、体から溢れている気を全て封印する。
 力を封じ込めるほどに、俺の意識が明確になっていく。狭まっていた視界が広がり、重苦しい悪鬼の気が吸収されていく。
「あんたの……気持ちも分かる! でも! 俺も、皆から離れたくねぇ……!!」
 反発する悪鬼の力と、封印しようとする俺の力は拮抗していた。震える手で胸と腹の間を握りしめる。溢れ出てこようとする悪鬼を全力で押し戻していく。
「誰も……傷つけたくねぇ!」
「会わせてくれ……!」
「それも叶えてやりてぇけど……!」
 悪鬼は無差別に人を襲った、建物を破壊した。
 俺の大事な人たちを、傷つけた。
「今は、駄目だ!」
「会いたいのじゃ……!!」
「駄目だって……!?」
 封印しようとした悪鬼の気が、最後の力を振り絞るように吹き出してくる。両手で抑え込もうとしたけれど、息が苦しくなってきた。
「会いたい……!!」
 切望する悪鬼の願いに、俺の手が弾かれる。
 封印の珠の存在は感じているのに、操る俺の能力が悪鬼に負けているのか。力で押し切られそうだ。
 駄目だ、このまま悪鬼を行かせたらもっと被害が出る。静かに時を待っている霊達を苦しめてしまう。
 俺がなんとかしないと。悪鬼を止めないと。
 弾かれた手に力を込めた時。

《コイ!!》

 短い言霊。
 今までに無い強い耳鳴り。
 俺の体がビルから離れる。浮いた足が宙をかく。
 強い力が俺の体を引き寄せている。
「己……! 離せ……!」
 まるで漫画の世界だった。俺の体が空を飛んでいる。背中から引っ張られている体は、景色を後ろへ後ろへ流していく。
「返してくれ……!!」
 悪鬼が叫んだ時、記憶が、彼が生きていた時の記憶が、俺の脳内に断片的に流れ込んできた。



 俺は手を伸ばしていた。
 誰かに体を押さえられながら。

 燃え盛る炎。

 手を伸ばした先に居る人は、炎の少し上、岩が張り出している場所に立たされていた。

 俺は必死に叫んでいた。

 知らない誰かが、彼を岩から突き落とす。
 彼は燃え盛る炎の中へと消えていく。

 祈る村人達。

 俺は体から力を解放し、自由になると彼の後を追って炎の中へと飛び込んだ。

 体を焦がす炎。

 苦しむ彼の姿。

 その手を。

 その体を。

 その魂を。

 俺と一つにした。


 二度と、離れてしまわないよう。


 強い願いをかけて。




「……会わせてくれ!」
 伸ばした右手に、涙が流れて濡れる。
 何度も、何度も、願っていた。
 ただ、一緒に居られるだけで良かった。
 生きている体が無くても、魂だけでも、魂さえも消えたとしても。
「……側に!」
 願いを込めた言葉は、風に流れて消えた。
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