妖艶幽玄絵巻

樹々

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第三巻

巻ノ十一『一枚の絆』

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 私が作りだした真っ白な世界。眠るといつもここへ来てしまう。

 一人意識をはっきりさせることが辛くて、今まではこの中でもう一度眠っていた。意識を完全に遮断し、眠りに落ちる。それが人と異なることは、知っていた。人は皆、眠れば心を自由にし、世界を作り出したりはしないらしい。

 体は眠り、意識はそのままに、私は清次郎と話をした。彼の声が白い世界に響く。

 声が響くけれど、姿は見えなかった。彼は私の中にある三つの珠がある場所に居る。こことは違う世界に居る。

 寂しさを紛らわすように話し続けた。出会った時から、今までの話を。姿が見えなくても、清次郎の声に私はずいぶん落ち着いた。

 これからは二人分の命を支えて生きなければならない。封印の珠は使わず、破壊と治癒で、悪霊と闘っていくしかない。

 そして海淵を止める。彼が解き放った悪鬼を何としてでも滅しなければ。それが清次郎の願いだから。

 彼の願いは私の願いでもある。


*おや、紫藤様。少し外が騒がしくなりました。

*何か起こっておるのか?

*…………これはまた。何事でございましょうか。


 清次郎は言い淀んだ。

 どうやら彼は、私を通して世界が見えているらしい。そのため、私が眠っていても、清次郎が周りを見ている。何かあれば知らせられると、彼は大層喜んだ。


*……何と説明すれば良いのやら。

*はっきりせぬか。

*はぁ……それが……松田殿が、俺の体に触れておるのです。


 清次郎が言い難そうにそう、言った。

 松田が、清次郎の体に触れている。



 触れている?




*……何だと!?

*落ち着かれて下さい、紫藤様!

*落ち着いてなどいられるものか!! おのれ松田め……!!


 自分の胸に手を当て、強制的に意識を浮上させる。白い世界が輝き、意識を覚醒させた私は飛び起き様、松田の手を勢い良く打った。

「清次郎の体に何をする!!」

 確かに、松田は清次郎の太股に触れていた。着物は捲れ、逞しい股が露わになっている。急いで着物を着せ、両手を広げた私に、手を打たれた松田が真剣な瞳で見つめてきた。

「紫藤殿、そなたがやったのか?」

「お主が勝手に断りもなく触れておったのだろう!!」

「そうではない。死んだ体が硬直せぬ姿は初めて見た」

 松田は腕を組み、顎で清次郎の体を指し示す。

 意味が分からなかった。代わりに清次郎が私に説明してくれる。


*紫藤様。人の体は死すと硬くなるのです。


「何だと? しかし清次郎、お主の体は柔らかいままぞ」


*故に、松田殿が確かめておったのでしょう。


「だからといって太股に触れずとも良いではないか! ここはお主が感じる一つぞ!」


*……紫藤様。


 呆れた清次郎の声は無視して、彼の着物を整えてやる。

 相変わらず腕を組んだまま考え込んだ松田は、パタパタと駆けてきた七乃助の姿を見て顔を上げた。

 七乃助は盆の上に茶碗と味噌汁を乗せている。それを一度置き、また走っていった。程なくして戻ってきた彼は、釜ごと飯を運んでくる。

「紫藤殿。しっかり食いなされ」

「……ふんっ。お主の事を許した覚えはないぞ」


*紫藤様!


「分かっておる! 協力はしてやる。だが終わったら二度と会わぬからな」

 内の清次郎と話す私に、少し笑った松田はもともと盛られていた飯の上に継ぎ足し、更に山盛りにして渡してくる。

「清次郎殿の分まで食いなされ。恐らく、清次郎殿はまだ、死んではおりませぬ」

 受け取ろうとした手から力が抜けた。察した松田が、茶碗を握り締めている。

「……なん……だと?」

「俺も自信がある訳ではないのですが。この体、生きておるとしか思えぬのです」

 そう言いながら、清次郎の腕を持ち上げた。

「硬直もせず、血色も良い。言うなれば、呼吸のみが止まっている状態です。ですが呼吸をせずに人は生きられぬもの……。それなのにこうして、生きている」

「分かるように言わぬか!」

 松田の胸ぐらを掴んだ私に、強い眼差しが見つめてくる。

「俺の考えでは、紫藤殿と清次郎殿が、繋がっておるのではないかと。今、清次郎殿の魂は紫藤殿の中に居る。本来なら切り離された魂です。体は当然、死ぬ」

 だが、と松田は続けた。

「何らかの力が、清次郎殿の魂を完全に切り離さずにいるのではないかと推測しております。それが何かまでは分かりかねますが……」

「何かの力が……?」

 松田の言葉を繰り返し、すとんと尻を落とした。眠ったように呼吸を止めた清次郎の体に触れてみる。

 温かい。

 まだ、温かい。

 頬を撫で、考えた。

 私の中にある力が、清次郎を守っている? 三つの珠以外に何があっただろうか。

「清次郎、お主の魂、どうなっておる?」


*どうと申されましても……珠の中に居るのは確かです。ただ、珠と俺の間に、札が一枚、覆っております。この札が壁を抜ける手助けをしてくれたのです。


「札……?」

 聞き返し、ハッとなる。

 もう、どれほど前の事になるだろう。海淵に出会った時、巨大な悪霊と対峙した時があった。あの時、不覚にも捕らわれてしまい、一枚札を忍ばせておけば良かったと思い、その後、隠し持ったのだ。

 万が一のために、使わずにいた一枚。隠したことすら忘れていた。ずっと私の力を吸い続け、体内に留まっていたその札が、清次郎を守っているのか。

「心当たりが?」

 松田に問われ、胸に手を当てた。温かい清次郎の手を握りながら。

「札だ。私の中に隠しておいた一枚がある。その一枚が、清次郎を守っておるようだ」

「札ですか……。ではその札が、清次郎殿の魂を切り離さずに、あなたと繋げておるのやもしれませんな」

「うむ! 封印の力を取り戻し、清次郎の魂を導いてやれば、体に戻れるやもしれぬ……!」


*必要ありませぬ。


 清次郎の体が戻ると喜んだ私に、その清次郎から声が掛かった。凛とした声で、体は焼いてくれと言う。

「何を言うか、清次郎! お主はまだ、生きられるやもしれぬのだぞ!」


*ですが、魂が戻れば、俺には寿命ができまする。歳を重ねる姿を見せとうはありませぬ。


「それでも……」


*紫藤様。俺はずっとあなた様と共におります。そうしたいのです。


「清次郎……」


*封印の力が戻り、俺が魂として外に出たとしても、この地におった霊のように側に居ることはできるのでございましょう? ならば歳を経る肉体は要りませぬ。


 穏やかな清次郎の声。じっと松田と七乃助がどうなるのかと見守る中、私は首を振った。

 横へ。

「それでもお主の体、おめおめと死なせることはできぬ」


*紫藤様……?


「生きておるかもしれぬのだ。封印の力を戻せばお主の魂は弾き出され、肉体を求め出るであろう。だがその時、導いてやらねば彷徨う霊となってしまうやもしれぬ。或いは魂そのものが消滅する可能性もある」

 言葉を選びながら説明した。清次郎がじっと聞いている。

「前例が無いのだ。いずれにせよ、魂だけを外に出すのは危険だ。肉体に戻すか、霊となるよう導くか、してやらねばの。封印の力はお主の魂を体に戻してからでなければ戻さぬ」


*ならば霊に……。


「のう、清次郎」

 横たわる清次郎の体に触れた。温かく、優しい体に触れた。

 私を包み込み、人の優しさを教えてくれた体だ。寂しい時、抱き締めてくれた体だ。

「歳を経るお主も愛しいであろう。お主の体が寿命を迎え、死んで後に、また私に仕えてくれたらそれで良い」


*……歳を取れば、その姿のまま残るのでございましょう?


「構わぬ。清次郎であるならば、愛しいことに変わりはあるまい」

 彼は私が歳を取らず、死ねないことをずいぶん心配している。先に自分が老いていけば、もっと寂しい思いをさせるかもしれないと、肉体を拒んでいる。

 でも、私はやはり、清次郎に触れたい。

 この体で愛して欲しい。

 彼の命が尽きるその日まで。

「戻るのだ、清次郎。必ず戻す。良いな?」


*紫藤様……。


「お主が死してなお、私の側に居たいと言うてくれたこと、ほんに嬉しかったぞ! 魂となって側に来るのは、お主の体が寿命を迎えてからで良い」

 眠る清次郎の唇に口付ける。この体が私と繋がっているのなら、しっかりと飯を食べなければ。二人分の肉体を支えるのだから。

 山盛りご飯の茶碗を手にした私は、それを豪快に口の中に詰め込んだ。味噌汁で流し込み、食っていく。

 そんな私を見ていた松田は、七乃助の尻を揉み、自分も茶碗を手に取った。尻を揉まれた七乃助がブツブツ文句を言いながらも、空になった私の茶碗に飯を注いだ。



 食わねばならぬ。



 生きねばならぬ。



 清次郎の体を守るために。

 普段の二倍の量を食べた私は、はち切れそうなほど腫れたお腹をさすりながら、清次郎の隣に寝転んだ。

「旅の準備はお主等に任せる」

「承知しました」

 清次郎が手伝うように言ったけれど、寝転んだまま動かなかった。

 少しでも離れている間に清次郎の体に異変が起こっては嫌だったから。

 ギュッと抱き付いた私は、温もりを確かめるように何度も清次郎の頬に触れていた。



***



 心地良くも少し冷たい風が走っている。

 庭に降りた私は、全てを清次郎に委ねた。

【「……ぁ……ぅ……」】

 ぎこちなく、私の口が動く。

【「……かり……ます……か?」】

 動く口に、声が出てくる。

【「松田……殿?」】

「うむ。今のは聞こえた」

 正面に立っていた松田が笑っている。私の体を操った清次郎は、一つ頷いた。清次郎が私の体を使って話す時、声がだぶって聞こえている。

【「なるほど、ここまで力を注げば会話もできるのですね」】

「今は清次郎殿かの?」

【「はい。破壊と治癒の力、どこまで紫藤様をお支えできるのか試しとうございます。手合わせ願えますか?」】

「ああ。良かろう」

 松田は刀を抜いている。私とは違う仏字を描いた刀だった。清次郎は握っていた紐で私の白髪を束ねてしまうと結い上げた。そうしてゆっくりと刀を抜いている。

 仏字の描かれた方の刀を。

 低く腰を落とし、破壊の力を込め始める。

 じわりと体が熱くなる。

 松田もまた、刀に炎を走らせた。彼の破壊の力は炎に変わる。

【「行きまする」】

 トンッと清次郎に操られた私の体が飛んだ。一気に松田の懐に入り込む。細い目を見開いた彼は、咄嗟に刀で受けたけれど、破壊同士の力がぶつかり合い、強く弾けている。

 お互いに弾き飛ばされ、清次郎が左手で地面に触れながら勢いを殺して耐えた。

 止まった時には、飛んでいた体。空高く飛び上がった私の体。

 確かに、破壊の力は私の身体能力を一時的に上げる効果がある。それを使って悪霊退治に挑んでいたけれど。

「……おいおい、使い手が代わるとこうも……!」

 風が巻き起こり、松田を吹き飛ばす。刀を一振りした清次郎は、風を操り空を舞う。

 空に、鳥にならないまま、空に居た。

 風を足下に起こし、飛んでいる。私は破壊の力をこんな風に使ったことは無かった。ただ、悪霊の力を削ぐためのものだとばかり思って。



 私の破壊の力は風。



 ずっと一緒に居た清次郎は、それを良く理解している。

 破壊の力を完璧に操り、風に変えた清次郎はゆるりと降り立った。構えた刀を尻餅をついていた松田の喉元に当てている。

「……参った。この俺が赤子のようだ」

【「破壊の力、存分に出せるようです」】

「おおぅ……清次郎! お主はなんと良い男なのだ……! 惚れなおすぞ!」

 我が身をかき寄せ、清次郎を抱き締める。頭の中に笑っている清次郎の声が響いた。

【「紫藤様は無意識に力を制御なさっていたのでしょう。半分も使っていなかったようです。お優しい方故……」】

「……清次郎」

【「紫藤様と闘えること、誉れにございます。何としてでも、捕らわれた田上様や皆の霊を取り戻しましょうぞ」】

 私の胸に手を当てた清次郎は、そう、強く宣言した。松田の予想では、ここにいた霊達は皆、海淵が操る悪鬼に喰われている可能性が高いらしい。

 助け出せるかは分からない。少しでも可能性があるならば、喰われた霊達を解放してやりたい。それは私も同じだ。

 清次郎に出会うまでは、皆が私の話し相手になってくれたのだから。

 スッと、清次郎が体から離れるのを感じる。青く変わっていた私の目が黒に戻ったのか、松田が豪快に笑っている。

「いや、結構! 紫藤殿の力、俺など足下にも及ばなかったようだ! やはりあなたを戻して正解だった」

「封印の力は絶対に使わぬぞ」

「分かっております。紫藤殿の破壊の力と、俺の破壊の力。合わせていきましょう」

「封印の力、取り戻す前に清次郎の魂を体に戻すことを忘れるでないぞ?」

「それも承知しております」

 立ち上がった松田は七乃助を呼んでいる。

「準備は?」

「とうにできております。江戸への連絡も済んでおります」

「よし。では急ごう」

 正面から見つめた松田は、顔を引き締めた。伸びた無精髭を撫でつつ、私を見つめている。

 黙って頷いた私は、胸に手を当てた。


*清次郎。全て終わったらまた、愛しんでくれ。

*……はい。紫藤様は俺が必ずお守り致します。

*お主の魂もな。


 中に呼び掛け、目を瞑った。

 清次郎の笑顔を思い出し、生きる力をもらう。

「……行くぞ。力のなんたるかも知らぬわっぱを懲らしめにの」

 先に立って歩いた私を追い掛けるように松田と七乃助が続いた。

 吹き抜ける風が、結んだ私の白髪を大きく靡かせていた。


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