妖艶幽玄絵巻

樹々

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第三巻

巻ノ十四『霊媒師、集う』

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「何だと!」

 松田の声が静かな江戸の町に響く。蹲った人々は何の反応も示さなかった。

 江戸は嫌いだ。

 ここに住んでいた頃は色目を使う馬鹿共に狙われる日々。力も、そして容姿も、私は人の道を外れていたから。

 だが今は、誰一人私の美貌に目を奪われる者は居なかった。虚ろな瞳がぼうっと前を見ているだけだった。

「なんと馬鹿なことを! 待てと申したであろうが!」

「そう、申し上げたのですが……」

 三郎は憂いを帯びた瞳を伏せている。少し、気になった。


*清次郎。

*はい。

*お主、よもやあの者に目を奪われてなどおらぬであろうな?

*……はい?


 言葉の意味が分からなかったのか、清次郎が聞き返す。胸に手を当て、会話を続けた。


*三郎だ! 幼顔に惹かれてはならぬぞ!

*またそのような……。ご心配されずとも、清次郎は紫藤様だけを想うております。


 すぐに切り替えされ、思わず我が身を抱き締めた。

「おおぅ……! なんと熱い告白ぞ!」

「紫藤殿?」

 心配そうに見上げてくる七乃助にニヤリと笑ってやる。

「清次郎の奴め、その者より私の方が美しいと申しおった!」


*……それでよろしゅうございますから、松田殿の話をしかと聞いて下され。


 苦笑している清次郎に笑いながら、珍しく顔を強張らせている松田に向き直る。彼は太い腕を組み、小さく舌打ちした。

「五人も失うとは!」

「江戸詰めの者達は皆、悪鬼の手に落ちたとみるべきであろうと、喜一様は申されております」

「で、あろうな」

 松田は組んだ腕を外し、髪を縛っていた紐を解いた。パサリと落ちてきた髪を掻き上げては乱す。苛立ちを隠せない様子で、顔を覆った。

「くそっ! せめて封印の珠を残して行けば良いものを!」

「手元にあるのは僕の珠と、美祢様の珠だけ。喜一様の珠は破壊の力……。果たして二つの封印の珠で悪鬼を抑え込めるでしょうか」

「無理に決まっておろう!」

 声を荒げた松田は、その場に座り込んでしまった。

「古の時代、悪鬼を封印するために珠は六つ、必要であった! 五つで囲み、一つに封じる。我ら幕府方の霊媒師でなんとか五つを確保しておったのだぞ!」

 両手で顔を覆った松田が呻いた。

「海淵が持つ珠を囲み、五つの封印の珠を使って再び封じるはずであった! それすらも、成功するかは分からぬ賭であったというのに! この上三つも失うとは!」

「松田様……」

「なんと愚かな……!」

 悔しげに地面を叩いた松田を見守った。私も細い腕を組む。

 人を小馬鹿にしながら生きてきた松田でも、取り乱すことがあるのか。清次郎を私の中に入れた張本人である彼が憎く、この一件が片づいたら二度と会うまいと思った相手だが。

 こうしてみると人間味が溢れて見えた。いつでも梳かした顔をできるほど、彼は出来た人間ではなかったらしい。

 その方が何倍も良い。

 腕を外し、松田の目の前に立ってやった。

「封印するだけが道ではあるまい」

 顔を上げた松田をふんぞり返って見下ろした。

「お主の馬鹿力で滅してやれば良かろう。封印の珠が残っているならば、まずは捕らわれた人々の魂を解放する道を探れ。悪鬼共は全て破壊の力で滅する!」

「……滅する……だと? できると思うのですか?」

「今からできぬと思うてどうする! 清次郎を助けるため、何としてでも悪鬼を滅し、海淵から封印の力を取り戻さねばならぬのだぞ!」

 ふ抜けた松田の頭を思い切り叩いてやった。沈み込んだ頭がゆっくりと上がってくる。

「……破壊の力で……滅する」

「そうだ!」

「……なるほど。滅する、か」

 含み笑いから、豪快な笑いに変わった松田が立ち上がっている。私の肩を痛いほど叩いた。

「よう、言うて下さった! もはや道は潰えたと思うて泣き叫ぶところであった。力を増したそなたが居るのなら、それも可能かもしれませぬな!」

「破壊の力は何人居る?」

「紫藤殿と俺、喜一の三人ですな」

「……何? 残っている霊媒師は何人居るのだ?」

「紫藤殿と俺を入れて五人」

 松田の言葉に口が大きく開いてしまう。

「五人だと!? 二十人は居たはずぞ!」

「五人はすでに悪鬼の餌食になり申した。今現在、霊媒師を生業にしておる者は十人しかおりませぬ」

 先ほどまで取り乱していたくせに、もう余裕の顔を見せた松田が憎らしい。

 反対に親指の爪を噛んで舌打ちを堪えた私は、深い溜息をついた。

「先ほどの言葉、無かったことにしてくれ」

「それはできませぬ。もう、それしかないと俺も賛同しました故」

「滅するには力が足りぬ」

「それでもやるしかありますまい。清次郎殿を戻すためにも、ね」

「……なんと憎たらしい奴よの!」

 元気を取り戻した松田は七乃助を呼んだ。急ぎ足で側に寄った彼を抱き上げている。まるで子供をあやす父親のように、高い高いと持ち上げた。

「な、何をなさるのです!? 某はわっぱではありませぬぞ!!」

「わっぱでない証拠を見せてくれたら止めてやろう!」

「……またそのような助兵衛なことを申される!」

「お主の中に入ってみたいものよ」

「そのようなことを軽々しく口に出されますな!」

 短い足が振り抜かれている。が、松田に当たっても大して効いていなかった。笑い続ける松田に真っ赤になった七乃助が足を振り、腰を捻っても、松田は高い高いを止めなかった。

 微笑むように見つめている三郎の目を盗み、そっと後ろへ下がっていく。控えていた船頭を今少し下がらせ、清次郎の体の側に跪いた。


*大事ないようだの。

*俺のことはどうか気になさらずに。

*そうはいかぬ。事を起こすにしても、お主の体をどこか安全な場所へ運ばねばなるまいて。


 そっと、硬い頬に触れた。隠すように藁で巻かれた体を抱き締める。

 不思議そうに見つめている船頭の視線をやり過ごしながら、愛しい唇に口付けた。

 怒鳴る七乃助の声がそれに重なった。



***



 江戸城からなるべく離れた茶屋に、残りの霊媒師二人が待っていた。札を貼っているとはいえ、だんだん顔色を悪くしていた船頭は帰してやった。江戸を出るよう告げている。長くここに居ては、摂り込まれかねない。

 松田が清次郎を背負い、歩いた。その隣に七乃助が従い、挟むように私が歩いている。前を行く三郎が道案内だった。細い足が軽快に歩いている。時々躓くのは、癖らしかった。

 江戸を包むほどの重苦しい空気。一際濃い江戸城付近はどうなっているのか。将軍や、城で働く者達の様子も気になる。将軍没落となれば、国が揺らぐだろう。

 確かめるためにも準備が居る。迂闊に近付いて、摂り込まれましたでは話にならない。すでに五人の霊媒師が摂り込まれたというのも気に掛かる。三つの封印の珠が海淵の手に渡ったことになる。悪鬼を封じる力を増したはずだ。

 辿り着いた茶屋には、店主が居たけれど。私達が入ってきても反応はない。じっと一点を見つめ、瞳を淀ませている。生気の無い顔は、全てを放棄していた。

 茶屋は二階建てになっていた。勝手に入り、上がっていく。ちゃんと賃金は置いていますよ、と三郎は反応の無い店主に一言告げていたが、覚えているかどうかも怪しい。それでも、律儀に払っていた。

 狭い階段を上がり、二階に上がれば明かりを漏らしている障子がある。三郎が廊下に膝を付き、一言添えながら障子を開いた。

「連れて参りました」

 漏れる明かりの量が増え、廊下が照らされる。先に立って歩いていた私が、中に入ろうとした時だった。

「会いたかった~! 真ちゃん!」

 細身の女が私に抱き付いた。細いくせに胸はある。むにゅっと押し付けられた胸にぞわっと鳥肌が立った。

「離れよ!」

「……って、あんた誰?」

 首にしがみ付いたままの女を引き離し、押した。よろめいた彼女が睨んでくる。女にしては気が強い性格らしい。真っ赤に引かれた紅が話す度に目に付いた。

「何、この女!」

「はんっ! おなごではないわ! まあ、おなごに見えるほど美しいのは分かっておるがの!」

「……頭おかしいんじゃない? ちょっと真ちゃん、これ誰?」

 私の後に続いた松田が清次郎を丁寧に寝かせている。すぐにその側に寄った私は、女から守るように座る。肩を解した松田もまた、尻を落として座った。

「まあ、落ち着け。この方は紫藤蘭丸殿。皆も知っての通り、霊媒師の中で最も優れているお方だ」

「……ふんっ、これが噂の化け物ってわけだ」

 女が挑戦的に私を見てくる。それには応えずに、清次郎の手を握った。そうすると少し落ち着いた。

 女は派手な着物を着ている。真っ赤な生地に金で刺繍された鶴が描かれていた。長い黒髪は高く結い上げられている。その一部が赤いのは、染めた毛を挟み込んでいるからか。

 少し吊り上がった瞳、短く剃られた眉。美人、かもしれないが気が強すぎる。胸に自信があるからか、襟元を広げているのが気にくわない。清次郎が目を向けなければ良いが。

 昔の霊媒師といえば、皆同じ様な顔で、同じ様な装束を着ていたものだが。白い装束を着ている者はもう、稀なのかもしれない。離れている間にずいぶん様変わりしている。

 清次郎に近付かないよう、目を見張らせていた私は、熱心に見つめられている視線に気が付いた。舐めるような視線が気になる。

「……じろじろ見るでない。気持ちの悪い」

「いや、悪いね。あんまり美人で驚いた。こりゃ噂の方が尻尾巻いて逃げるさね」

 手にしていた扇子でペシンと自分のおでこを叩いて見せた若い男は、清次郎より少し上のようだ。着崩した淡い緑の着物からはしなやかな足が伸びている。帯を緩めに留め、肌を見せている男はニヤリと笑った。

 頭部は剃らず、肩ほどまでの髪を髷のように留めている。垂れた目が無遠慮に私の体を眺め回した。

「一回、抱いてみたいね」

「指一本でも触れてみよ、お主の魂を引きずり出してやる」

「おお~、こわっ!」

 男は肩を竦め、ようやく私から視線を離した。そして今度は七乃助を観察している。上から下まで眺めた彼は、ふふっ、と一人笑っている。七乃助の頬が不機嫌そうにパンパンに膨らんだ。

「さて、戯れはそこまでだ。時間が惜しい。簡単に紹介だけさせてもらうとしよう」

 松田が私を振り返り、右から順に指し示していく。

「すでにご存じのとおり三郎です。封印の珠を持ちます。隣が東条喜一、破壊の力を持つ。男にも女にも目は無いが、紫藤殿には手を出すなと言い含めてある。最後に桂美祢、こちらも封印の珠を持つ者です」

「ふむ。封印二つに破壊が三つ、か。……やはり少ないの」

「されどこれが現状。やるしかありますまい。指揮は紫藤殿にお任せします」

「うむ」

 松田の言葉に頷いた私だったが、美祢の目がつり上がった。

「こんな化け物に従えってのかい!? 冗談じゃないよ!」

 指差され、奥歯を噛み締めた。

 静かに溜めた息を吐き出し、松田を振り返る。

「それもそうだの。こ奴らの事を良く知るお主がやれ」

「しかし……」

「力は貸してやる。だが、これだけは約束しろ」

 握った清次郎の手に力を込めた。

「奪われた魂は必ず解放する。滅するのは悪鬼のみぞ」

「……承知仕った」

 松田が静かに頭を下げている。訳が分からないのだろう、美祢が私を見ているけれど、瞼を閉じて拒絶した。

 握り締めた清次郎の手が、心をなんとか保たせてくれる。


*……ご立派にございました。お止めせねばと思っていたのですが。

*いちいち怒っていては身が持たぬ故な。慣れておる。案ずるな。お主の魂を戻し、皆を解放するためだ。忌々しいが封印の珠を持つあのおなごは必要だ。

*紫藤様……ほんにご立派ですぞ。清次郎は鼻がたこうございます。


 声音で分かる。清次郎が嬉しそうに笑っている。

 彼が褒めてくれたことで、もう、私の心は落ち着いた。美祢がいくら喚こうと関係ない。私にとって最も大事な存在は清次郎なのだから。誰が何を言おうと、清次郎が私を認めてくれていればそれで良い。

「……澄ましてんじゃないよ!」

「止めよ、美祢」

「だって……」

「止めよと申したはずだ。これ以上、無駄な時間は取れぬ」

 松田の言葉に、ようやく美祢が身を引いたけれど。燃えるように鋭い瞳が私を見ている。どうも敵対意識を持たれてしまったようだ。

 やれやれだ。何もしていないのに、恐れられたり、嫌われたり、色目を掛けられたりと、難儀な人生だ。

 その難儀な人生を救ってくれた清次郎の体、取り返すまで立ち止まる訳にはいかない。

「まずはあの中がどうなっておるのかを調査せねばなるまいて。紫藤殿ほどの者が力を抜かれた、恐らくは結界だ。悪鬼の領域を作り、力を安定させておる」

 腕を組んだ松田は、私を見てくる。

「紫藤殿はどう見ます?」

「ふむ。お主と同じだ。だが、こうも考えられる。悪鬼の領域を作っておる、ということは、それ以上の力を使えぬ、ということではないのか?」

「……なるほど」

 松田は顎に手を当てた。彼も気付いたようだ。

 私を襲い、封印の力を移し替えて奪った時はまだ、彼には一つの封印の珠しかなく、力が足りなかったために領域を作って力を安定させていた。

 だが、今、彼には私の封印の力がある。私が持っていた封印の珠は、美祢達が持つそれよりも高い能力を有する。なにより、長い年月の間、私の中にあった物だ。力を溜め込んでいるはず。

 それをもってすれば悪鬼を手懐けられるはずだ。私なら可能だろう。領域を作る必要はないはずなのに。

「やはりあの海淵、悪鬼を扱うには器が小さいようだの。封印の珠二つを使っても制御できぬとは」

「……故に、器を広げたいと願ってしまったのですよ」

 松田は紐を取り出すと垂れていた髪を縛るため、無造作にまとめ上げている。

 その時だった。皆の輪に静かに加わっていた七乃助が前のめりに倒れていく。

 苦しげに胸を押さえた七乃助は、ドサリと倒れた。

「……七乃助!」

 紐を取り落とした松田が、掠れた声で叫んだ。


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