妖艶幽玄絵巻

樹々

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絵巻おまけSS

その4『紫藤様の初体験』

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 私の鼓動は、尋常でないほど跳ねていた。

 皆が見守る中で、恐る恐る手を伸ばす。清次郎が励ますように背中を支えてくれている。

「ほら、蘭々! 何遠慮してんだい!」

「う、うむ!」

 薄い布に包まれた小さな赤子。桂美祢の赤ん坊は、産まれてまだ間もなかった。

 腫れぼったい瞼、むちむちした体。

 小さな、小さな、赤ん坊だ。

 抱き方を教わり、美祢が腕に乗せてくれる。首が据わっていない赤子がぐらりと揺れて、慌てて腕を持ち上げ支えた。

 緊張で体中が強張っている。カラカラ笑った美祢が赤子の顔を撫でている。

「ほら、泣いたりしないだろう?」

「うむ……可愛いの」

 赤子は大人しく私の腕に抱かれている。黒い大きな瞳が私を見上げている。思い切って体を揺すってあやしてみた。

 まだ笑ったりはできないらしい。大人しく私の腕の中で揺れている。

 可愛い。

 本当に可愛かった。

「いつでも抱きに来て良いからね」

 夫である太助も頷いてくれる。赤子に頬を寄せた私は、柔らかい肌に感動した。

「名は決めたのですか?」

 見守る清次郎がそう聞けば、美祢と太助が笑っている。

「蘭々から一字取って、蘭子にしたよ。次に男の子が産まれたら清一!」

「蘭子……」

 円らな瞳を見つめ、胸が熱くなる。私の名を一字取ってくれるとは思わなかった。

「きっと蘭々が大好きになるよ」

「そうだと嬉しいの」

「なるさ!」

 美祢がカラカラと笑っている。頷きながら赤子を清次郎に渡した。手馴れた様子で抱き上げている。赤子はやはり、じっと清次郎を見上げている。

 赤子を産んだ美祢は母の顔をしている。眩しく見つめながら、逞しくなった太助に視線をやった。清次郎によって鍛えられた彼は、男の顔をして落ち着きを身に付けた。

「しかと守るのだぞ」

「はい。命に代えて」

 力強い返事に笑った。

 ふと、赤子が泣き出した。

「ああ、そろそろお乳の時間だね」

「そのようですな」

「蘭々、ちょっと待ってておくれよ」

 美祢が赤子を抱いて、隣の部屋に入っていく。太助が手伝うため、寄り添って行った。

 清次郎と二人だけになり、先ほどまで抱いていた赤子の温もりを噛み締める。

「母上……か」

 呟いた私を清次郎が抱き締めてくれる。彼の肩に顔を埋めながら笑った。

「のう、清次郎」

「はい」

「美祢は母上の匂いがするの」

「……そうですな」

 温かい清次郎を感じながら、遠い母の記憶を思い出そうとしたけれど。

 化け物と、投げ捨てられてしまった記憶しかなくて。

 もしも私に三つの珠がなければ、美祢の赤子の様に愛しんでもらえたのだろうか。愛情を込めて乳を貰えたのだろうか。

 私が普通の赤子であったならば。

「紫藤様」

 考えそうになった私を清次郎が呼んでいる。

「……何だ?」

「清次郎がおります」

 低い声が囁いた。

「母にはなれませぬが、誰よりもお側におります」

「清次郎……」

「ずっとお側に……」

 愛しい声に、頷いた。

 そうだ、私には清次郎が居る。

 母よりも深い愛情をくれた清次郎が居てくれる。

「……うむ! お主が居てくれる!」

「はい」

 額をつき合わせて笑った。

 スラリと襖が開くと美祢達も戻ってくる。

「さあさ、あたしらもご飯食べようかね!」

「美祢、もう一度蘭子を抱かせてくれ!」

「好きなだけ抱いとくれ!」

 満腹になった赤子は、ぐっすり眠っている。腕に抱き締め、頬を寄せた。

「……誰よりも幸せになるのだぞ」

 赤子に話し掛けた私を、清次郎が微笑みながら見守っていた。





おわり


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