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ライバルは最強兄ちゃん

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***


 大学で鈴子と別れ、純の車で送ってもらった。バイト先である玩具店に入った僕は、制服に着替えて売場に出たのだけれど。そこに素喜君の姿は無かった。

 店内がざわざわしている。先に店内に居た純が、やられた、と言いながら肩を竦めた。

「素喜君を連れて帰ったってさ」

「……まさか」

「あいつ、どうあってもお前達を認めないみたいだな」

 若い奥様達が、僕が売場に出たことでヒソヒソ囁きながら見つめてくる。唇を噛み締めながら、物陰に隠れた。

 バイト中の素喜君を連れて帰るとは思わなかった。大介だって仕事をしている身だ。店に迷惑が掛かると分かっているだろうに。

 両手の拳に力が入る。肩が震える僕に、純が宥めるように背中を撫でてくれた。

「榎本君?」

 必死に気持ちを抑えていた僕を捜していた店長が顔を覗かせた。彼も困ったように眉根を寄せている。お客さんに聞こえないよう、小声になった彼は、僕の肩をポンッと叩いた。

「山本君、バイト辞めたよ」

「……え!?」

「これ以上、迷惑は掛けられないからって……。僕としては、続けて欲しかったんだけど……お兄さんがあれではね」

 店長に詳しく話を聞けば、大介が店に入ってきたのを確認した素喜君は、すぐに雰囲気で察したらしい。兄が自分を連れに来たことを。店で暴れる前に店長へ辞めると言いに来たそうだ。

「素喜君が大人しく従ってくれたおかげで、混乱にはならなかったけど……その様子だと、そっちにも行ったみたいだね」

 僕の腫れた両頬を見て溜息をついている。

「早めにしっかり冷やした方が良い。今日は上がって良いよ」

 優しい店長の言葉に首を横へ振る。

「残ります。素喜君が抜けたのなら、なおさらです」

「でも……」

「顔がこれだから、倉庫整理の方を手伝いますね」

 店長に頭を下げた僕は、逃げるように倉庫へ入っていった。薄暗い中で、しゃがみ込んでしまう。皆店に出ているのか、誰も居なかった。

 暗い蛍光灯を見上げながら、目頭が熱くなる。

 僕はどうすれば良いのだろう?

 素喜君と別れた方が良いのだろうか?

 頭を抱え込んで唸った。もし、本当に彼と別れた未来を想像してみる。



 バイトが終わったら独りで家に帰って。

 家に帰っても独りで。

 お泊まりに来る人は居ない。

 大学に行けば純や鈴子という友達は居るし、テニスサークルは楽しいけれど。

 この腕に抱き締める人は居ない。

 抱き締めて、温もりを与え合う人は居ない。



 甘いキスを交わす人は、居ない。



 離れてしまった温もりは、あまりにも大きすぎる。自分が自分ではなくなる気がした。

 僕の言葉に照れたり、笑ったりする素喜君が居なくなる。

 落ち込んだ時、そっと側に居てくれた人が居なくなる。

 一緒のベッドで眠る人が、居なくなってしまう。



 こんなにも好きなのに、僕達が男というだけで結ばれないなんて……!



 零れ落ちた涙が頬を伝って、落ちていく。

 呆然と汚れた高い天井を見上げていた僕は、自分が泣いていることに、暫く気付かなかった。



***



 パートのおばさんにもらったおにぎりが、手の中にずっと握られている。何か食べなければと思うのに、胃が物を受け付けなかった。

 頬に当てられた冷たいタオル。ビニールに詰め込まれた氷袋を包んだタオルは、僕の腫れた頬に交互に当てられている。

 心配だからとバイトが終わる頃に来てくれた鈴子と、彼女を連れてきた純が僕の顔を覗き込んでいる。

 バイトはいつも通りこなした。僕のアパートまで付いてきた二人は、掛け替えのない友人だ。握り締めたまま食べようとしないおにぎりを純が取り上げる。ラップを外して、僕の口元に当てた。

「食ってないだろう?」

「……ごめん。食べられそうにない……」

「修治……しっかりしてよ。らしくないよ」

 胡座をかいたまま項垂れた僕に、鈴子が泣きそうになっている。僕を見ていた純は、おにぎりをラップにくるみなおした。

「素喜君の所へ行ってきた」

「……え?」

「会わせてくれなかったけどな。あいつ、素喜君を家に閉じ込めちゃったよ」

 聞けば素喜君を部屋に押し込み、一歩も外に出さないらしい。純が訪ねて行っても、もう、全く話を聞こうとしなかったそうだ。

 今日、これから僕が訪ねていっても、きっと殴って追い返されるだけだろう。最終的にはやはり、腕力でねじ伏せてきた。

 兄として。

 父として。

 大介は僕の前に立ちはだかる。

 弟を守るために。家族を守るために。

 僕は彼にとって、家族の絆を壊す存在なのかもしれない。

 項垂れるように肩を落とした僕を、鈴子が抱き締めてくれた。もし、僕が鈴子の様な女の子だったなら良かった。それなら大介も立ち塞がったりしなかったのだろう。



 男と女であれば。



 どうして僕達は男なのだろう。



 何度も浮かんでしまう「どうして」。好きなだけでは乗り越えられない壁が、目の前から消えてくれない。

「どうする……? 修治」

 純もお手上げなのだろう、眉を潜めたまま聞いてくる。

「……僕は……」

 言葉を飲み込み、深呼吸をした僕の言葉に、純も鈴子も、頷くしかなかった。

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