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初恋トルネード

5.好きだ

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 こんな経験、したことはない。

 身、一つで故郷に降り立った俺は、駅に迎えに来てくれた弟の素喜と、その彼氏である修治に出迎えられた。

「……なんか、雰囲気がずいぶん違うね」

「兄ちゃんじゃないみたいだ」

 二人に見上げられ、頭を掻き回そうとして止めた。

 ガテン系の先輩から譲り受けた紺色のスーツ。ネクタイなんて初めて締めた。自分で締めることができなくて、親方に着けてもらった。

 いつもは寝起きのままの髪も、蓮司が整えてくれた。後ろへ流された髪はスプレーで固定されている。絶対に掻き回すな、と言われていた。

「……変……か?」

 俺じゃないみたいだった。鏡を見ても、妙に浮いている気がして。新幹線に乗っている間も、他人の視線が絡んで息苦しかったし。

 布の鞄を持っていた俺に、茶髪の社長令嬢であり、可憐な黒髪の少女であった麻紀が革の鞄をくれた。最初で最後の贈り物だと言って。


『お礼は素敵なコイバナね?』


 姿は可憐な少女なのに、茶髪の時の言葉遣いで俺を見送った。丁寧に頭を下げる事しかできなかった。

 親方やガテン系の先輩達、蓮司や麻紀に見送られて、俺は戻ってきた。明日の朝までに、決着を付けなければならない。

 見上げている二人の返事を待っていると、それぞれに肩を叩いてきた。

「うん、似合ってる。良い男度が上がってるよ」

「兄ちゃん、格好良いよ」

「……そっか」

 二人のお墨付きを貰えて、少しだけ安心した。

 顔を引き締め、背筋を伸ばす。駅に迎えに来ていた人々がチラチラとこちらを見ている中で、二人に頭を下げた。

「殴ってくれ」

「…………え?」

「兄ちゃん?」

「修治は二発、素喜は一発だ」

 体を起こし、鞄を側に置いた。目を瞑った俺を修治が揺さぶってくる。

「意味が分からないよ。どうして殴らなくちゃいけないの?」

「俺がお前達を殴ったからだ。けじめつけねぇと先に進めねぇ」

「……けじめって」

「純に会いに行く。だからだ」

 修治の手を離した。二人の顔を交互に見つめる。

「俺はお前たちを反対してた。どの面下げてあいつに会いに行けるかよ、とも思った」

 素喜の、弟の目を真っすぐに見つめた。

「それでも、純に会いてぇ。だから頼む」

 修治を押し退け、もう一度身構えた。

「さあ、こい!」

 両手を握り締め、俺は待った。戸惑っている雰囲気は良く分かっている。

 でも、俺は二人を反対した。殴って止めようとした。

 そんな俺が、男である純のもとへ行くのに、何のけじめもつけず行くことはできない。奥歯を噛み締め、待ち続ける。

「……こういうの、苦手なんだけどな」

「分かってる。あんたの性格じゃ、きついこと頼んでるってのは。でも、頼む」

「……分かった。いくよ?」

 一歩、踏み込んだ修治の気配。奥歯を噛み締めた時、両頬からパンッと音がした。

 目を開ければ、修治の両手が俺の頬を挟むように打っていた。

「これで二発ね」

「……甘いな、お前は」

「性格なんだよ。許して」

「……次、素喜だ」

 足を踏ん張らせ、口の中を切らないよう、強く奥歯を噛み締めた。

 無言で一歩、素喜が近付いてくる。右手を握り拳に変えた素喜は、全体重を乗せて俺の左頬を殴った。

 二歩、よろめきながら受け止める。

「……スッキリした?」

「……ああ。サンキュー」

 少し切れた唇を拭いながら、自分でも頬を打って気合いを入れた。

 そんな俺の目の前で、修治が素喜の右手を握り締めている。

「ワイルドな素喜君も可愛い!」

「しゅ、修治さん! 皆が見てるから……!」

「……はは、相変わらずだな」

 鞄を手にし、ポンッと素喜の頭を叩きながら通り過ぎていく。修治に抱き締められてしまった素喜に手を振った。

「行ってくる」

「……うん。頑張って!」

「ああ」

 二人を残し、歩いていく。遠巻きに見ていた人々が、コソコソ話していたけれど、気にしてはいられなかった。

 タクシーを拾い、純に来てもらっている公園まで急ぐ。知っている人間が少ない場所を選んだつもりだ。迎えに来てやると言われたけれど、断った。

 俺から、会いに行きたい。

 タクシーの中でそわそわと足を動かした。

 すぐに着いた公園の前で降り、数度呼吸を整えてから入っていく。約束の時間までまだ一時間はある。彼が来るまでじっくりシュミレーションしよう。

 思った俺は、足が止まった。

 子供達が遊んでいる公園のベンチに、純が座っている。遊んでいる子供達を見ては笑っていた。

 思わず木に隠れた。一時間も前に来ているとは思わなかった。

 現場でさえこんなに緊張したことはない。噴き出してきた汗を手の甲で拭った。

 そっと木から顔を出してみる。純は転がって来たボールを手にし、軽く投げ返してやっていた。

 その姿を見ると、足が自然と動き出す。真っ直ぐに彼の方へと歩いていった。子供達の母親達が、突然入ってきたスーツ姿の俺を見て遠巻きに何か言っていたけれど、気にする余裕は一ミリもなかった。

「……お、おい」

 掠れた声では届かなかったようだ。にこにこと笑いながら子供達を見ている純。

 もう少し近付き、五メートルほどの距離からもう一度声を掛けた。
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