3 / 9
3
しおりを挟む
「えっと、俺が勝手に翔平を連れてきたんだけど……でも俺達、ここにいいたらマズイ?」
「姫は神保のお気に入りだろ。特別枠だ。それとコイツは面白そうだし、グレードも高い。ハメ外さなかったら大丈夫じゃねえか?」
ケンタさんは面白そうに俺と翔平を見上げ、椅子へと座るように勧めてきた。
その声に合わせるように座ってた人たちがズレる。空いた席はケンタさんの両隣で、俺と翔平は分けれて座った。
「翔平、おまえもチョコレート食うか? 他にも色んな味があるぞ。おすすめなのは、コレ。パッションフルーツ。逆に言えば、味も香水としても商品化が見込めるのは、コレだけだ」
「他には?」
「他? 他はだな。ローズベースに、ラベンダーベース……待て、待て。何だ、この香りは?」
ケンタさんはその場ですんすんと鼻を鳴らすと、香りを頼りに、俺にその鼻を近づけてきた。
「匂う」
「俺?」
くんくんと自分の腕を鼻に近づけて匂ってみる。でも自分では特別何も感じない。ケンタさんは俺の腕を取ると、その腕を高く上げて、脇の下を匂い出した。
「ちょ……っ! 何!?」
くすぐったいのと、恥ずかしいので、身をよじると、ケンタさんは俺の腕をガッシリ掴んできたので驚いた。しかも脇の下に鼻面を押し付け、匂いを嗅ぎ始めたのだ。それはまるで獣のような勢いでくんか、くんか、と言った感じだ。
「桜也すげー、いい匂い。はー、たまらない。ちょっと服脱いで、もっと嗅がせろ」
ガタンと翔平が立ち上がるより早く、結城さんが立ち上がって、ケンタさんの首根っこを抑えた。
「ケンタ」
「いや、落ち着け結城。おかしいぞ。この香りはアネモネが混じってる」
「食ったんだから、そりゃ匂うだろ」
「アホ、普通は食ってから、香水のように香るのに時間がかかるはずだろ。なのに、桜也は食ってすぐに、香り出してる。しかも香りが濃い」
「え? なんで?」
「さあ、聞きたいのはこっちだ。匂いの濃度から考えると15~16%、パルファン並みの濃さだ。そんな高価な香料はつかっちゃいない」
「どれ?」
結城さんが顔を寄せて俺の胸のあたりをクンクンと嗅いだ。ケンタさんみたいに脇の下を嗅がないので、少し安堵してされるがまま、じっとしてみる。
「うん、爽やか……でもこのすごく、疼くような香りは一体何?」
結城さんとろりと目を細め、頬を赤く染めた。
「いや、ちょっと待て。結城」
ケンタさんが慌てたように、結城さんを引き剥がした。
どれどれ、俺も嗅いでみよう。
といった感じでテーブルに居たみんなが席を立ち始めると、剣呑とした表情の翔平も立ち上がった。それを見たケンタさんが驚いたようにみんなを制し出す。
「そこからでも充分香ってるだろう。いちいち確かめるな。姫に絡むと神保がうるさい」
「……そうだな。やめとこう」
みんなが席に着くと、翔平が綺麗な眉毛を片方上げて、ケンタさんに尋ねた。
「桜也に絡むと、神保先輩がうるさい?」
「……ああ」
翔平がそれは何故だ。という顔をして口を開きかけたので、俺は慌てて話題を切り替えた。
「その神保先輩はどこにいるの?」
「神保は奥の部屋。でも今は会わない方がいい。相当機嫌が悪いから」
ケンタさんの口調は二の句を告げさせないものだった。
翔平は空気を読んだのか、なんで俺が絡まれると神保先輩がうるさくなるのか、そんな疑問を口にせずに難しい顔をしながらも押し黙った。
俺は次に続く沈黙が嫌で、ケンタさん越しに翔平を覗いた。
「翔平、チョコレート食わないのか?」
「そうだ。遠慮せず、食え食え」
ケンタさんが陽気に笑って、俺から背中を背けた。おや? と仕草に視線を送ると鼻を摘んでる。
もしかして匂うのか? 俺が?
何だ。そんなに匂うのかな。クンクンと自分の匂いを嗅いでると、真向かいに座ってた柊二さんが目尻を赤らめて、モジモジと俺から目を背けた。柊二さんはガチムチのマッチョさんで、その仕草は不自然過ぎる。
やっぱり俺が匂うのか。
気になって尋ねてみようと口を開きかけた時。
部屋の隅で、黄色いガラス瓶に管を二本通したものに口を付けて吸い込んでる男が目に飛び込んできた。
俺は以前、この部屋であの黄色いガラス瓶を使って、「ハッパ」というものを吸ってる男を見かけたことがあった。
あの瓶の中を燃やした「ハッパ」の煙が通ると、気化されない燃えカスみたいなものが水を入れた瓶底に落ちて、筒の先から煙だけが吸える仕組みになってる。
その時、神保先輩は「ここでキメるな!」とブチギレて、その男を蹴り殺す勢いで追い出してた。
でも今また違う男がひとり部屋の隅で、そのハッパ吸ってる。
「柊二さん、あれ、マズイんじゃない?」
「あ、あれな。みんなマズイとは思ってるんだろうけど、アイツを連れてきたヤツが誰なのか分からないみたいなんだ……う~ん。神保の直接のツレかもしれないし」
柊二さんが神保先輩のいる奥の部屋を見つめた。
ここは神保先輩の家だ。集まってる人も気ままな神保先輩には逆らえないのかもしれない。
「でももしかして、神保先輩は気が付いていないんじゃないの?」
「さあ?」
一応、神保先輩の耳には入れておいた方がいいかもしれない。
俺は席を立ち上がって翔平に声をかけようと見たけど、翔平はケンタさんと匂いのことで、何かしら夢中になって話し込んでた。俺が席を立った事に気が付いた様子すらない。
俺は翔平の邪魔をしたくなくて、声もかけずに、一人で神保先輩のいる奥の部屋へと向かった。ドアを軽くノックしてみる。
「神保先輩? いる?」
「……桜也か。入れ」
扉を開けると、部屋は薄暗かった。ダークブラウンと赤で基調された部屋は、落ち着いた色の間接照明でほんのりと照らされているだけだ。
神保先輩は綺麗に整えられたベッドに足を投げ出すように座り、壁に背をもたれかけて本を読んでいたようだった。そこだけが煌々とした明るさを放っていて、妙に艶っぽい神保先輩をぼんやりと浮かび上がらせてる。
「ここに来い」
神保先輩の声はどことなく不機嫌さが滲み出てる。みんなが口を揃えて「機嫌が悪い」と言ってた事も頷ける。
俺はおそるおそる神保先輩の元へと歩み寄った。
神保先輩は無言のまま、華のある優美さでベッドを軽く叩いて、俺をベッドに座るよう促してくる。
神保先輩の気だるげな表情は、機嫌が悪いと言うより、どことなく具合が悪いようにも見えたので、そのまま逆らわずに隣に座った。
「先輩、どこが具合でも悪い?」
そっと神保先輩の額に手を乗せると、神保先輩は目を細め俺の手首を掴んだ。
神保先輩の瞳は色素が薄くてガラス玉のような瞳をしている。くっきりとした顔立ちにその瞳がすごく印象的で、じっと見つめられると、吸い込まれそうな不思議な感覚に陥ってしまう。
俺は何だかそれに耐え切れずに、神保先輩から目を逸らした。
「あの……先輩? 向こうでハッパ吸ってる人がいるんだけど、その事、知ってた?」
「いいや」
神保先輩は俺の手を離すと、ゴソリと起き出して、携帯を片手に話し始めた。
「真澄か?……ああ…気付いていたのか………まさか、俺がそんなことを許すはずがないだろう……追い出せ」
神保先輩がそう言って電話を切ると、隣の部屋で喧騒が起こり、この部屋にまでその罵倒は響いてきた。ハッパ吸ってた人が暴れてるのか、追い出す人が暴れてるのか。音だけで様子を伺っていたけど、しばらくすると隣の部屋から喧騒は消えて、やがて静寂が戻ってくる。
神保先輩が手の上に額を乗せてため息を付くと、サラサラと長めの髪が流れ落ちた。
「今日は最悪の日だな」
「えっと……神保先輩、何かあった……? う、わ……っ!」
神保先輩に腕を取られたかと思うと、体がふわりと浮いて、神保先輩の胸の中にすっぽりと抱き込まれる。
サラサラと流れる神保先輩の髪が額に流れた。
「じ、神保先輩……?」
「なんだ?」
神保先輩は俺の髪に鼻先を入れて匂いを嗅いでた。なんだ、と聞きたくなるのは俺の方で、両手を突っぱねて神保先輩を押すと、神保先輩はするりと離れて、不思議そうに首を傾げた。
「なんだ? この匂いは?」
「あ……さっきケンタさんから食べる香水もらって喰ったんだけど、そんなに匂ってる?」
「匂うと言うよりは、そそられる」
「え?」
神保先輩のガラス玉のような瞳が微妙な光彩で揺れた。
「ケンタからの受け売りだが、人は、自分とは違う体臭に好感を抱くそうだ。それは自分とは違う免疫力の匂い。生物は、自分となるべく違う遺伝子を持つ相手と交配することで、より強い生命力を持った子孫を残そうとする。それは理性を超えた本能のレベルのパートナーを探し。でも雄同士なら……性欲の対象にしかならないと」
神保先輩が俺の髪をそろりと撫で上げた。
ゾクリとするような艶やかな眼差し。吐息さえ触れそうな距離。
冷たい香りに惹き込まれないように、俺は慌てて神保先輩の手を振り払った。
「……先輩、これは体臭じゃない。香水!」
「でも、桜也の香りも混じっている」
先輩が体重のかからない重さで俺を抱き込んだ。
神保先輩の胸から香る香りに包まれる。
それは静寂の中にひっそりと香る冷たく幻想的な香り。クリスタルのように透明で、濃厚で香り高いジャスミンの花のような香りが鼻腔をくすぐり、不思議と緊張が緩んで気持ちが安らいでくる。
振り払わないといけないはずの腕も微かに香る神保先輩の香りに魅せられて、解くことが出来ない。
……いい香り。
ほう。と、ため息が漏れた。
「先輩から冷たいジャスミンの匂いがする。先輩もあのチョコ食ったの?」
「ああ」
その時。
勢いよく、部屋の扉が開く音が響いた。
扉を振り仰ぐと、薄暗い部屋から浮かび上がるシルエットは見慣れた長身。翔平が立っている。
「……何をやっているんです?」
神保先輩は俺を抱きしめ、俺は神保先輩の胸に顔を埋めてた。でもそれは匂いを嗅ぐためのものであって、別に抱き合ってる訳じゃない。でもそう見える。翔平は絶対にそう見てる。
俺は慌てて神保先輩の胸を押し戻した。
すると神保先輩の体は抵抗なく、するりと離れ、不機嫌さを隠すこと無い表情で翔平に問いかけた。
「誰だ?」
「崇矢翔平」
「おまえをここに呼んだ覚えはない」
「ええ、呼ばれた記憶もありませんから、そうでしょう」
翔平はつかつかとベッドサイドに歩み寄り、俺の腕を掴み引き上げた。
「帰るぞ」
神保先輩は気だるげに髪を掻き上げると、ガラス玉のような澄んだ綺麗な瞳を鋭く輝かせ、挑戦的に翔平を睨んだ。
「帰りたいなら、一人で帰ればいいだろう? それとも何か? 桜也がいないと、帰り道が分からないとでも言うつもりか?」
「その通りです」
「ガキが」
神保先輩はくだらなさそうに吐き捨て、ため息混じりに俺を見上げる。
「桜也、おまえが選べ。ここに残るのか、コイツと帰るのか」
……神保先輩は翔平がここに来ることを望んでなかったんだ。
どうしよう。翔平が勝手に着いて来たなんて、言い訳じみたことも言えない。
でも翔平の様子もあからさまにおかしい。
帰る。とも、残る。とも言えない。
グズグズしていると、翔平は苛立ったように俺の腕を掴んで、引き上げた。
「帰るんだ」
「え? でも……!」
神保先輩は、俺を引き止める訳でもなく、ガラス玉のような瞳で見てる。
翔平の手に力が込められる。握られた腕に圧迫感を感じると強く引かれて、足が数歩動いた。
翔平はその勢いを利用して、俺を引っ張ったまま、ずかずかと歩き出す。
こうなった翔平は止められない。俺は翔平に引きずられるようにしながら、神保先輩に謝った。
「神保先輩、ごめん。また連絡する」
「……待ってる」
翔平が俺の腕を掴んだまま部屋を飛び出し、みんなが集まるフロアを突っ切る。みんなの視線が俺たちに集まってくる。
「美形二人、絵になるな。花嫁をさらう恋人。そんな映画なかったか?」
「トーム! とか言うやつ?」
「いや、名前はまで覚えてない」
のんきに何を言ってるんだか。でも俺もそんなのんきな事を聞いてる場合じゃなかった。
俺をグイグイと引っ張る翔平の顔が怒りで引きつってる。かなり怒ってる。感情を隠す余裕も見られないほどに。
翔平が怒ってるのは、神保先輩の態度か?
いや、それだと自分だけ先に帰る。と言うだろう。
翔平が怒ってるのは……俺と神保先輩が抱き合ってるところを見たから?
でも、それは何故?
ああ……普通、男と男が抱き合うなんてありえない。
――ゲイじゃなければ。
どうしよう。
俺がゲイだと、翔平にバレた。
不純同性交遊発覚。
翔平は保護者として、俺を強制退去に出たんだ。
――ヘッドライトが通り過ぎる。
俺は翔平に腕を掴まれたまま、家に向かって強制連行されてた。
翔平は何も話さない。翔平が怒ってるのは掴まれた腕の強さで感じてた。俺は翔平の怒ってる理由が分からないまま、下手な事を口にしたくなくて黙って後を着いていく。
やがてマンションにまでたどり着くと、俺はこれで翔平の怒りから解放されるんだと思って、ホッと安堵のため息を付いた。
ゲイだとカミングアウト出来ない俺は、突き詰めて怒ってる理由を聞き出す事なんて出来ない。
いつかぶつかる壁なのかもしれないけど……逃げれるなら、どこまでも逃げたい。
ところが翔平は自宅のカードキーを取り出して、自宅玄関を開けて「入れ」と言い出した。
翔平は戸惑う俺を見て、無理やりのように家に引っ張り込み、冷たい目で俺を見下ろすと、顎をしゃくった。
「話がある。上がるんだ」
それは命令口調。翔平は元々敬う気のない敬語さえも忘れてる。
ゾッとした。
元々翔平は迫力という衣装を身にまとってる。
でもそれは衣装であって、中身じゃない。中身はもっと拗ねているけど、自分の意思を押し付けない思いやりを持ってるはずなのに。
逃げようかと思った。
眠いとか逆ギレするとか。
「痛」
翔平に掴まれた腕に圧力を感じた。
俺の考えを読んだとしか思えないタイミングに、振り払う事も出来ず、靴を大人しく脱いでみる。
靴を脱ぐ時でさえ、腕は離してもらえなかった。ようやく翔平に腕を離してもらえたのは、部屋に押し込まれて、明かりが灯された時。
翔平の掴んでた部分にヒヤリとした空気を感じて、眉をひそめる。
「桜也」
体がビクリと震えた。
翔平の低く響く声は不快感を隠していない。
翔平は何を怒ってる?
カラカラに渇いた俺の喉がゴクリと鳴ると、翔平が矢継ぎ早に幕してた。
「桜也、もう、神保先輩の家に二度と行くな。あそこには大麻でラリっている奴がいた。桜也が遊ぶのはかまわない。でも、遊びに遊ばれるのを黙って見てる訳にはいかない」
「大麻?」
「黄色い瓶で吸入している奴がいただろう?」
大麻。ハッパと言うのはスラングで、あれは大麻というドラッグだったのか。脱法ハーブか何か何だと思った。
あ……翔平が怒ってる理由はそれか。
神保先輩と抱き合ってた事を怒ってた訳じゃなかったんだ。
自分の中で張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと解けた。
なんだ、ゲイだとバレた訳じゃないんだ。神保先輩の家で大麻を吸ってた奴がいた事が翔平の怒り原因なら、誤解を解けばいい。良かった……。
俺は出来るだけ、翔平に分かりやすく丁寧に説明することにした。
「確かにあの人は大麻を吸ってたのかもしれない。でもあの人は神保先輩がドラッグを使う連中の事、毛嫌いことを知らずに吸ってたんだ。あの人が追い出されていたところを翔平も見てただろう? 神保先輩の家に集まるみんなは遊びになんか、遊ばれない。ケンタさんと結城さんのチョコレート、面白かっただろ? いつもはあんな感じでみんな楽しんでる。今日はタブーを知らずにドラッグをキメてた人が、たまたま居ただけで、神保先輩の家に集まるみんなは普通に遊んでる」
「でもあそこの連中はパーティーをしていた」
「いいじゃないかパーティーくらい。しかもドラッグをキメてた人以外、ハメを外している人なんかいなかっただろ? 俺たちに酒を勧めてくる人もいなかったはずだ。みんな綺麗に遊んでる」
「ああ、そうだな。確かにみんな綺麗に着飾って遊んでる……『ゲイナイト』だった」
「…………!」
俺が息を飲んで後退りすると、背中に壁がとん、と触れた。
ゲイナイト。
どうしてゲイナイトなんて単語を翔平が知ってるんだ!?
「ケンタさんから聞いた。ゲイナイトの意味も。ケンタさんが「姫」はパーティーの趣旨は知らないんじゃないかと言ってた。でもあんたがもう神保先輩の家がゲイのたまり場だと知った今、あの家に行く必要はない。あそこには二度と近寄るな」
「でも……」
「でもも、へったくれもあるか。いいか、もうあそこには近寄るんじゃない。あんたはただでさえ女に見間違えられるほど、綺麗な顔をしてる。あそこにいるゲイ達にそのうち掘られて、泣きを見るに決まってる。桜也はそれでもいいのか?」
「あそこにいるみんなはそんな人たちじゃない!」
「違う。そんな風な人達、なんだ。ゲイなんだ。あんた神保先輩に言い寄られてただろう?」
「それは……違う!」
「違わない。あの場所はあんたが出入りするところなんかじゃない!」
いつもより真剣な表情の翔平を見て、ぼんやりと思う。
翔平はゲイを誤解してる。ゲイナイトの事も。
ゲイナイトは乱交パーティーなんかじゃない。確かに遊びと割り切って、遊んでる人もいるけど、それは男女の関係にだってあり得る事だ。
男は欲望に素直な部分もあるけど、女のように虚ろ気じゃない。ゲイは翔平みたいな無意識の差別に傷つけられながらもマイノリティーの世界で、けっこう純粋に生きてる。
ゲイとしてのプライドが、ぶくっ、と湧き上がってくるのを感じた。
「分かっていないのは翔平だ……俺はみんながゲイだって事、知ってた」
「な……!? 桜也は知ってて、あの場所に行ってたと言うのか?」
「……ああ、そうさ。それがどうした?」
俺の言葉にたじろいだ翔平を見逃さずに、俺は翔平を突き飛ばした。いや突き飛ばそうとした。でも翔平の立派な体躯は僅かに身じろぎしただけで跳ね除ける事が出来ない。
その時、ふと香る。
それは洗練されたシャープな甘い香り。
翔平もチョコを食ったのか、僅かばかりにスパイシーでシャープな印象を与える華やかな香りが翔平にまとわりついてる。
俺とは違う香り。
頭がグラグラと揺れた。翔平の体温が、呼吸が、わずかな動きが、香る。香りに飲み込まれる。
香りが息を乱すのを感じた。体温が上がる。香りに魅せられて、雄の性が勃ち上がる。
でもおかしい。何だ……この感覚……?
その時、神保先輩の言葉が頭に蘇る。
『人は、自分とは違う体臭に好感を抱くそうだ。それは自分とは違う免疫力の匂い。生物は、自分となるべく違う遺伝子を持つ相手と交配することで、より強い生命力を持った子孫を残そうとする。それは理性を超えた本能のレベルのパートナーを探し。でも雄同士なら……性欲の対象にしかならない』
「桜也?」
触れ合う肌が動いた。ぞっとするほど淫美な香りが揺れる。
「翔平、離せ! 俺もゲイだ!」
「桜也!?」
「あ……」
「姫は神保のお気に入りだろ。特別枠だ。それとコイツは面白そうだし、グレードも高い。ハメ外さなかったら大丈夫じゃねえか?」
ケンタさんは面白そうに俺と翔平を見上げ、椅子へと座るように勧めてきた。
その声に合わせるように座ってた人たちがズレる。空いた席はケンタさんの両隣で、俺と翔平は分けれて座った。
「翔平、おまえもチョコレート食うか? 他にも色んな味があるぞ。おすすめなのは、コレ。パッションフルーツ。逆に言えば、味も香水としても商品化が見込めるのは、コレだけだ」
「他には?」
「他? 他はだな。ローズベースに、ラベンダーベース……待て、待て。何だ、この香りは?」
ケンタさんはその場ですんすんと鼻を鳴らすと、香りを頼りに、俺にその鼻を近づけてきた。
「匂う」
「俺?」
くんくんと自分の腕を鼻に近づけて匂ってみる。でも自分では特別何も感じない。ケンタさんは俺の腕を取ると、その腕を高く上げて、脇の下を匂い出した。
「ちょ……っ! 何!?」
くすぐったいのと、恥ずかしいので、身をよじると、ケンタさんは俺の腕をガッシリ掴んできたので驚いた。しかも脇の下に鼻面を押し付け、匂いを嗅ぎ始めたのだ。それはまるで獣のような勢いでくんか、くんか、と言った感じだ。
「桜也すげー、いい匂い。はー、たまらない。ちょっと服脱いで、もっと嗅がせろ」
ガタンと翔平が立ち上がるより早く、結城さんが立ち上がって、ケンタさんの首根っこを抑えた。
「ケンタ」
「いや、落ち着け結城。おかしいぞ。この香りはアネモネが混じってる」
「食ったんだから、そりゃ匂うだろ」
「アホ、普通は食ってから、香水のように香るのに時間がかかるはずだろ。なのに、桜也は食ってすぐに、香り出してる。しかも香りが濃い」
「え? なんで?」
「さあ、聞きたいのはこっちだ。匂いの濃度から考えると15~16%、パルファン並みの濃さだ。そんな高価な香料はつかっちゃいない」
「どれ?」
結城さんが顔を寄せて俺の胸のあたりをクンクンと嗅いだ。ケンタさんみたいに脇の下を嗅がないので、少し安堵してされるがまま、じっとしてみる。
「うん、爽やか……でもこのすごく、疼くような香りは一体何?」
結城さんとろりと目を細め、頬を赤く染めた。
「いや、ちょっと待て。結城」
ケンタさんが慌てたように、結城さんを引き剥がした。
どれどれ、俺も嗅いでみよう。
といった感じでテーブルに居たみんなが席を立ち始めると、剣呑とした表情の翔平も立ち上がった。それを見たケンタさんが驚いたようにみんなを制し出す。
「そこからでも充分香ってるだろう。いちいち確かめるな。姫に絡むと神保がうるさい」
「……そうだな。やめとこう」
みんなが席に着くと、翔平が綺麗な眉毛を片方上げて、ケンタさんに尋ねた。
「桜也に絡むと、神保先輩がうるさい?」
「……ああ」
翔平がそれは何故だ。という顔をして口を開きかけたので、俺は慌てて話題を切り替えた。
「その神保先輩はどこにいるの?」
「神保は奥の部屋。でも今は会わない方がいい。相当機嫌が悪いから」
ケンタさんの口調は二の句を告げさせないものだった。
翔平は空気を読んだのか、なんで俺が絡まれると神保先輩がうるさくなるのか、そんな疑問を口にせずに難しい顔をしながらも押し黙った。
俺は次に続く沈黙が嫌で、ケンタさん越しに翔平を覗いた。
「翔平、チョコレート食わないのか?」
「そうだ。遠慮せず、食え食え」
ケンタさんが陽気に笑って、俺から背中を背けた。おや? と仕草に視線を送ると鼻を摘んでる。
もしかして匂うのか? 俺が?
何だ。そんなに匂うのかな。クンクンと自分の匂いを嗅いでると、真向かいに座ってた柊二さんが目尻を赤らめて、モジモジと俺から目を背けた。柊二さんはガチムチのマッチョさんで、その仕草は不自然過ぎる。
やっぱり俺が匂うのか。
気になって尋ねてみようと口を開きかけた時。
部屋の隅で、黄色いガラス瓶に管を二本通したものに口を付けて吸い込んでる男が目に飛び込んできた。
俺は以前、この部屋であの黄色いガラス瓶を使って、「ハッパ」というものを吸ってる男を見かけたことがあった。
あの瓶の中を燃やした「ハッパ」の煙が通ると、気化されない燃えカスみたいなものが水を入れた瓶底に落ちて、筒の先から煙だけが吸える仕組みになってる。
その時、神保先輩は「ここでキメるな!」とブチギレて、その男を蹴り殺す勢いで追い出してた。
でも今また違う男がひとり部屋の隅で、そのハッパ吸ってる。
「柊二さん、あれ、マズイんじゃない?」
「あ、あれな。みんなマズイとは思ってるんだろうけど、アイツを連れてきたヤツが誰なのか分からないみたいなんだ……う~ん。神保の直接のツレかもしれないし」
柊二さんが神保先輩のいる奥の部屋を見つめた。
ここは神保先輩の家だ。集まってる人も気ままな神保先輩には逆らえないのかもしれない。
「でももしかして、神保先輩は気が付いていないんじゃないの?」
「さあ?」
一応、神保先輩の耳には入れておいた方がいいかもしれない。
俺は席を立ち上がって翔平に声をかけようと見たけど、翔平はケンタさんと匂いのことで、何かしら夢中になって話し込んでた。俺が席を立った事に気が付いた様子すらない。
俺は翔平の邪魔をしたくなくて、声もかけずに、一人で神保先輩のいる奥の部屋へと向かった。ドアを軽くノックしてみる。
「神保先輩? いる?」
「……桜也か。入れ」
扉を開けると、部屋は薄暗かった。ダークブラウンと赤で基調された部屋は、落ち着いた色の間接照明でほんのりと照らされているだけだ。
神保先輩は綺麗に整えられたベッドに足を投げ出すように座り、壁に背をもたれかけて本を読んでいたようだった。そこだけが煌々とした明るさを放っていて、妙に艶っぽい神保先輩をぼんやりと浮かび上がらせてる。
「ここに来い」
神保先輩の声はどことなく不機嫌さが滲み出てる。みんなが口を揃えて「機嫌が悪い」と言ってた事も頷ける。
俺はおそるおそる神保先輩の元へと歩み寄った。
神保先輩は無言のまま、華のある優美さでベッドを軽く叩いて、俺をベッドに座るよう促してくる。
神保先輩の気だるげな表情は、機嫌が悪いと言うより、どことなく具合が悪いようにも見えたので、そのまま逆らわずに隣に座った。
「先輩、どこが具合でも悪い?」
そっと神保先輩の額に手を乗せると、神保先輩は目を細め俺の手首を掴んだ。
神保先輩の瞳は色素が薄くてガラス玉のような瞳をしている。くっきりとした顔立ちにその瞳がすごく印象的で、じっと見つめられると、吸い込まれそうな不思議な感覚に陥ってしまう。
俺は何だかそれに耐え切れずに、神保先輩から目を逸らした。
「あの……先輩? 向こうでハッパ吸ってる人がいるんだけど、その事、知ってた?」
「いいや」
神保先輩は俺の手を離すと、ゴソリと起き出して、携帯を片手に話し始めた。
「真澄か?……ああ…気付いていたのか………まさか、俺がそんなことを許すはずがないだろう……追い出せ」
神保先輩がそう言って電話を切ると、隣の部屋で喧騒が起こり、この部屋にまでその罵倒は響いてきた。ハッパ吸ってた人が暴れてるのか、追い出す人が暴れてるのか。音だけで様子を伺っていたけど、しばらくすると隣の部屋から喧騒は消えて、やがて静寂が戻ってくる。
神保先輩が手の上に額を乗せてため息を付くと、サラサラと長めの髪が流れ落ちた。
「今日は最悪の日だな」
「えっと……神保先輩、何かあった……? う、わ……っ!」
神保先輩に腕を取られたかと思うと、体がふわりと浮いて、神保先輩の胸の中にすっぽりと抱き込まれる。
サラサラと流れる神保先輩の髪が額に流れた。
「じ、神保先輩……?」
「なんだ?」
神保先輩は俺の髪に鼻先を入れて匂いを嗅いでた。なんだ、と聞きたくなるのは俺の方で、両手を突っぱねて神保先輩を押すと、神保先輩はするりと離れて、不思議そうに首を傾げた。
「なんだ? この匂いは?」
「あ……さっきケンタさんから食べる香水もらって喰ったんだけど、そんなに匂ってる?」
「匂うと言うよりは、そそられる」
「え?」
神保先輩のガラス玉のような瞳が微妙な光彩で揺れた。
「ケンタからの受け売りだが、人は、自分とは違う体臭に好感を抱くそうだ。それは自分とは違う免疫力の匂い。生物は、自分となるべく違う遺伝子を持つ相手と交配することで、より強い生命力を持った子孫を残そうとする。それは理性を超えた本能のレベルのパートナーを探し。でも雄同士なら……性欲の対象にしかならないと」
神保先輩が俺の髪をそろりと撫で上げた。
ゾクリとするような艶やかな眼差し。吐息さえ触れそうな距離。
冷たい香りに惹き込まれないように、俺は慌てて神保先輩の手を振り払った。
「……先輩、これは体臭じゃない。香水!」
「でも、桜也の香りも混じっている」
先輩が体重のかからない重さで俺を抱き込んだ。
神保先輩の胸から香る香りに包まれる。
それは静寂の中にひっそりと香る冷たく幻想的な香り。クリスタルのように透明で、濃厚で香り高いジャスミンの花のような香りが鼻腔をくすぐり、不思議と緊張が緩んで気持ちが安らいでくる。
振り払わないといけないはずの腕も微かに香る神保先輩の香りに魅せられて、解くことが出来ない。
……いい香り。
ほう。と、ため息が漏れた。
「先輩から冷たいジャスミンの匂いがする。先輩もあのチョコ食ったの?」
「ああ」
その時。
勢いよく、部屋の扉が開く音が響いた。
扉を振り仰ぐと、薄暗い部屋から浮かび上がるシルエットは見慣れた長身。翔平が立っている。
「……何をやっているんです?」
神保先輩は俺を抱きしめ、俺は神保先輩の胸に顔を埋めてた。でもそれは匂いを嗅ぐためのものであって、別に抱き合ってる訳じゃない。でもそう見える。翔平は絶対にそう見てる。
俺は慌てて神保先輩の胸を押し戻した。
すると神保先輩の体は抵抗なく、するりと離れ、不機嫌さを隠すこと無い表情で翔平に問いかけた。
「誰だ?」
「崇矢翔平」
「おまえをここに呼んだ覚えはない」
「ええ、呼ばれた記憶もありませんから、そうでしょう」
翔平はつかつかとベッドサイドに歩み寄り、俺の腕を掴み引き上げた。
「帰るぞ」
神保先輩は気だるげに髪を掻き上げると、ガラス玉のような澄んだ綺麗な瞳を鋭く輝かせ、挑戦的に翔平を睨んだ。
「帰りたいなら、一人で帰ればいいだろう? それとも何か? 桜也がいないと、帰り道が分からないとでも言うつもりか?」
「その通りです」
「ガキが」
神保先輩はくだらなさそうに吐き捨て、ため息混じりに俺を見上げる。
「桜也、おまえが選べ。ここに残るのか、コイツと帰るのか」
……神保先輩は翔平がここに来ることを望んでなかったんだ。
どうしよう。翔平が勝手に着いて来たなんて、言い訳じみたことも言えない。
でも翔平の様子もあからさまにおかしい。
帰る。とも、残る。とも言えない。
グズグズしていると、翔平は苛立ったように俺の腕を掴んで、引き上げた。
「帰るんだ」
「え? でも……!」
神保先輩は、俺を引き止める訳でもなく、ガラス玉のような瞳で見てる。
翔平の手に力が込められる。握られた腕に圧迫感を感じると強く引かれて、足が数歩動いた。
翔平はその勢いを利用して、俺を引っ張ったまま、ずかずかと歩き出す。
こうなった翔平は止められない。俺は翔平に引きずられるようにしながら、神保先輩に謝った。
「神保先輩、ごめん。また連絡する」
「……待ってる」
翔平が俺の腕を掴んだまま部屋を飛び出し、みんなが集まるフロアを突っ切る。みんなの視線が俺たちに集まってくる。
「美形二人、絵になるな。花嫁をさらう恋人。そんな映画なかったか?」
「トーム! とか言うやつ?」
「いや、名前はまで覚えてない」
のんきに何を言ってるんだか。でも俺もそんなのんきな事を聞いてる場合じゃなかった。
俺をグイグイと引っ張る翔平の顔が怒りで引きつってる。かなり怒ってる。感情を隠す余裕も見られないほどに。
翔平が怒ってるのは、神保先輩の態度か?
いや、それだと自分だけ先に帰る。と言うだろう。
翔平が怒ってるのは……俺と神保先輩が抱き合ってるところを見たから?
でも、それは何故?
ああ……普通、男と男が抱き合うなんてありえない。
――ゲイじゃなければ。
どうしよう。
俺がゲイだと、翔平にバレた。
不純同性交遊発覚。
翔平は保護者として、俺を強制退去に出たんだ。
――ヘッドライトが通り過ぎる。
俺は翔平に腕を掴まれたまま、家に向かって強制連行されてた。
翔平は何も話さない。翔平が怒ってるのは掴まれた腕の強さで感じてた。俺は翔平の怒ってる理由が分からないまま、下手な事を口にしたくなくて黙って後を着いていく。
やがてマンションにまでたどり着くと、俺はこれで翔平の怒りから解放されるんだと思って、ホッと安堵のため息を付いた。
ゲイだとカミングアウト出来ない俺は、突き詰めて怒ってる理由を聞き出す事なんて出来ない。
いつかぶつかる壁なのかもしれないけど……逃げれるなら、どこまでも逃げたい。
ところが翔平は自宅のカードキーを取り出して、自宅玄関を開けて「入れ」と言い出した。
翔平は戸惑う俺を見て、無理やりのように家に引っ張り込み、冷たい目で俺を見下ろすと、顎をしゃくった。
「話がある。上がるんだ」
それは命令口調。翔平は元々敬う気のない敬語さえも忘れてる。
ゾッとした。
元々翔平は迫力という衣装を身にまとってる。
でもそれは衣装であって、中身じゃない。中身はもっと拗ねているけど、自分の意思を押し付けない思いやりを持ってるはずなのに。
逃げようかと思った。
眠いとか逆ギレするとか。
「痛」
翔平に掴まれた腕に圧力を感じた。
俺の考えを読んだとしか思えないタイミングに、振り払う事も出来ず、靴を大人しく脱いでみる。
靴を脱ぐ時でさえ、腕は離してもらえなかった。ようやく翔平に腕を離してもらえたのは、部屋に押し込まれて、明かりが灯された時。
翔平の掴んでた部分にヒヤリとした空気を感じて、眉をひそめる。
「桜也」
体がビクリと震えた。
翔平の低く響く声は不快感を隠していない。
翔平は何を怒ってる?
カラカラに渇いた俺の喉がゴクリと鳴ると、翔平が矢継ぎ早に幕してた。
「桜也、もう、神保先輩の家に二度と行くな。あそこには大麻でラリっている奴がいた。桜也が遊ぶのはかまわない。でも、遊びに遊ばれるのを黙って見てる訳にはいかない」
「大麻?」
「黄色い瓶で吸入している奴がいただろう?」
大麻。ハッパと言うのはスラングで、あれは大麻というドラッグだったのか。脱法ハーブか何か何だと思った。
あ……翔平が怒ってる理由はそれか。
神保先輩と抱き合ってた事を怒ってた訳じゃなかったんだ。
自分の中で張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと解けた。
なんだ、ゲイだとバレた訳じゃないんだ。神保先輩の家で大麻を吸ってた奴がいた事が翔平の怒り原因なら、誤解を解けばいい。良かった……。
俺は出来るだけ、翔平に分かりやすく丁寧に説明することにした。
「確かにあの人は大麻を吸ってたのかもしれない。でもあの人は神保先輩がドラッグを使う連中の事、毛嫌いことを知らずに吸ってたんだ。あの人が追い出されていたところを翔平も見てただろう? 神保先輩の家に集まるみんなは遊びになんか、遊ばれない。ケンタさんと結城さんのチョコレート、面白かっただろ? いつもはあんな感じでみんな楽しんでる。今日はタブーを知らずにドラッグをキメてた人が、たまたま居ただけで、神保先輩の家に集まるみんなは普通に遊んでる」
「でもあそこの連中はパーティーをしていた」
「いいじゃないかパーティーくらい。しかもドラッグをキメてた人以外、ハメを外している人なんかいなかっただろ? 俺たちに酒を勧めてくる人もいなかったはずだ。みんな綺麗に遊んでる」
「ああ、そうだな。確かにみんな綺麗に着飾って遊んでる……『ゲイナイト』だった」
「…………!」
俺が息を飲んで後退りすると、背中に壁がとん、と触れた。
ゲイナイト。
どうしてゲイナイトなんて単語を翔平が知ってるんだ!?
「ケンタさんから聞いた。ゲイナイトの意味も。ケンタさんが「姫」はパーティーの趣旨は知らないんじゃないかと言ってた。でもあんたがもう神保先輩の家がゲイのたまり場だと知った今、あの家に行く必要はない。あそこには二度と近寄るな」
「でも……」
「でもも、へったくれもあるか。いいか、もうあそこには近寄るんじゃない。あんたはただでさえ女に見間違えられるほど、綺麗な顔をしてる。あそこにいるゲイ達にそのうち掘られて、泣きを見るに決まってる。桜也はそれでもいいのか?」
「あそこにいるみんなはそんな人たちじゃない!」
「違う。そんな風な人達、なんだ。ゲイなんだ。あんた神保先輩に言い寄られてただろう?」
「それは……違う!」
「違わない。あの場所はあんたが出入りするところなんかじゃない!」
いつもより真剣な表情の翔平を見て、ぼんやりと思う。
翔平はゲイを誤解してる。ゲイナイトの事も。
ゲイナイトは乱交パーティーなんかじゃない。確かに遊びと割り切って、遊んでる人もいるけど、それは男女の関係にだってあり得る事だ。
男は欲望に素直な部分もあるけど、女のように虚ろ気じゃない。ゲイは翔平みたいな無意識の差別に傷つけられながらもマイノリティーの世界で、けっこう純粋に生きてる。
ゲイとしてのプライドが、ぶくっ、と湧き上がってくるのを感じた。
「分かっていないのは翔平だ……俺はみんながゲイだって事、知ってた」
「な……!? 桜也は知ってて、あの場所に行ってたと言うのか?」
「……ああ、そうさ。それがどうした?」
俺の言葉にたじろいだ翔平を見逃さずに、俺は翔平を突き飛ばした。いや突き飛ばそうとした。でも翔平の立派な体躯は僅かに身じろぎしただけで跳ね除ける事が出来ない。
その時、ふと香る。
それは洗練されたシャープな甘い香り。
翔平もチョコを食ったのか、僅かばかりにスパイシーでシャープな印象を与える華やかな香りが翔平にまとわりついてる。
俺とは違う香り。
頭がグラグラと揺れた。翔平の体温が、呼吸が、わずかな動きが、香る。香りに飲み込まれる。
香りが息を乱すのを感じた。体温が上がる。香りに魅せられて、雄の性が勃ち上がる。
でもおかしい。何だ……この感覚……?
その時、神保先輩の言葉が頭に蘇る。
『人は、自分とは違う体臭に好感を抱くそうだ。それは自分とは違う免疫力の匂い。生物は、自分となるべく違う遺伝子を持つ相手と交配することで、より強い生命力を持った子孫を残そうとする。それは理性を超えた本能のレベルのパートナーを探し。でも雄同士なら……性欲の対象にしかならない』
「桜也?」
触れ合う肌が動いた。ぞっとするほど淫美な香りが揺れる。
「翔平、離せ! 俺もゲイだ!」
「桜也!?」
「あ……」
0
あなたにおすすめの小説
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
藤吉めぐみ
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる