青とは気持ちのひとつ

彩城あやと

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BLUE JOKE

BLUE JOKE ②

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 ホストクラブ「グレイスガーデン」では、雨の降る平日の今日は客足も遠く、店内は静まり返っている。
 ウイスキーがなくなるとカラン、とグラスの中で氷が鳴った。
 俺はブルーの間接照明が施されたカウンターの向こう側にいる、ナンバー2ホスト、リョウにカラになったグラスを差し出す。
「ハイボール」
「清春、アンタ飲みすぎ」
「金は払う。文句ないだろう」
「ホストがお金払って、自分の働いてる店で飲むものかしら。オーナーに怒られても、ワタシは知らないからね」
 リョウは、ホストとして完璧にキメてるクセに、客がいないと口調がオネエ言葉になる。……話し相手として残念だ。そういえばこいつはドラグァクイーン、ドレス着て男を襲うのが趣味だったな。どのみちタチか。
「客がきたら働く。それまで飲ませろ」
「ははーん。最近、子供達にバレーボール教える監督として、平日はほとんど飲まないって言ってたのに、さては何かあったわね?」
「…………」
「前に言ってた一目惚れしたって言うあの子。えーっと名前は確か……。そう! 直太! 清春、直太と何かあったんでしょう?」
 リョウはさらりと長い髪を男の色香を振りまきながら、掻きあげた。
 リョウも黙ってれば、完璧ないい男なんだがな。オネエ口調はいただけない。
 俺はタバコに火をつけて、ゆっくりと紫煙を吐き出し、胸の中に詰まってるものも、同時に吐き出した。
「直太に、二度と顔も見たくない。そう言われた」
「アンタ! ナニしたの!?」
「キス」
「いきなり?」
「ああ……。そういう雰囲気だったから」
「……キヨ。アンタまさか、自分の気持ちも伝えずに、いきなりキスしたんじゃないでしょうね?」
「流れ的に、そうなった」
「アンタ馬鹿でしょう! 雰囲気に流されてキスして、なんで二度と顔も見たくないって言われんの!? 完全に失敗しちゃってるじゃない。『グレイスガーデン』ナンバー3の名が泣くわよ!」
「それは先月の売上だ。ホストは関係ない。直太とは監督とコーチ。元々がそんな関係だ」
「まさか……バレーボールの練習中、アンタ独特の雰囲気醸し出さなかったの?」
「直太は俺がホストやっている事を、知らない。ゲイだって事はキスした後で教えたがな。アイツは極度のシスコンだ。妹をハンパなく可愛がっている。そんな妹の前で、口説きオーラを醸し出せる訳が無い。」
「で、妹のいない所でいきなりキスしたの?」
「直太の反応も、最初から良好だったからな。」
 ふう。と紫煙を吐き出すと、リョウがこめかみを抑えて唸った。
「……キヨ。ノンケと恋愛したことないでしょう?」
「……なんで分かった?」
「分からない方が、馬鹿だわ。アンタ、健全な関係だった女にキスされて、好きになる?」
「俺が女を好きになるなんて、ありえないな」
「ノンケの男も、キスされたくらいで男を好きになるなんて、ありえないの!」
「そんなものなのか?」
 ダンッ! リョウはなみなみと注いだハイボールを、カウンターテーブルの上に乱暴に置いた。
「何イライラしている? 生理か」
「生理なんて永遠に来ないわ! それよりアンタ今までの環境が良すぎたのね。惚れる前に惚れられた。そんな恋愛ばっかしてきたのね!」
「いじらしく尽くしてる姿を見て、普通は惚れるだろう」
「清春は根っからのホストね。その考え、感服しちゃうわ。普通は惚れられた相手の中から、自分の好みを探さない。もう! 学生の頃思い出してみなさい。淡い恋心。キヨも持った時くらい、あったでしょう?」
「昔……ああ…………昔、過ぎて思い出せない」
「……なんなのソレ。そういや若く見えるけど、キヨ30歳だったわね。いい年してんだから、もうちょっと頭を使いなさい」
「頭」
「顔もスタイルも運動神経もいい、男にもモテる。なのになんで、頭使わないの!」
 カラン。氷の溶ける音が鳴り響いた。
「俺は別に何も考えてないわけじゃない。自分の考えを口にするのが苦手なだけだ」
「ああ、そう。……で、直太はどうする気?」
「明日も雨だ。公園の練習はない。会いたくても会えない」
 グイッと俺はグラスをあおった。今まで直太に酒臭いと思われるのが嫌で、会う前の日、酒は控えていた。
「明後日は土曜日だ。雨でも体育館で練習する」
「行くの? 二度と顔見せるな。そう言われたのに?」
「ああ。直太は校区大会の優勝を狙ってる」
「嫌われても、清春は直太の役に立ちたいのね」
「まだ、嫌われたわけじゃない」
「どっから来るの? その自信」
「経験」
 カラン。来客を告げるベルが鳴った。
 俺、須賀原清春はホストとしての仮面を被り、客を出迎えるべく顔に微笑を浮かべ、監督としての自分を消した。



 ********
 


 雨がサワサワ降っていて、体育館の中はひんやりとしていた。
 俺の前に二度と顔を見せるな。そう言った二日後の土曜日、須賀原は監督として、当たり前のように練習にやって来た。
 桃香のことを思えば、俺は軽率な発言をしてしまった反省してる。須賀原が俺との確執で監督を辞めてしまえば、盛岡町の女子バレーはたちまち困ったことになってしまっただろう。
 でも俺は須賀原が来てくれたことに、ほっとしながらも、その姿を見ると、カチーンと頭に血が昇っていくのは、止められない。
 須賀原はまるで何もなかったかのように、いつも通り子供達を指導し始めてる。
 俺の体が目的で、桃香をレギュラーにしてやるとか言ったクセに、ふざけてる。いや、ただ、からかわれただけだったのか。
 いずれにしても、笑えない。俺は須賀原と距離を取って、俺も子供達を指導する。
 コーチを初めてもう何ヶ月も経つ、練習メニューの内容も把握してる。須賀原と話さなくてもコーチとしての勤めは果たせる。
 ふん。あと少しの辛抱だ。俺には桃香がいる。あんなやつ、あんなやつ、もう知らねえっ!
 そうこうしているうちに、試合形式での練習が始まった。
 レギュラーメンバーになるだろう6人対、選ばれた子供+バレーの出来る保護者の熱い戦いだ。
 桃香は選ばれた子供の中で、アタッカーに選ばれてた。背もそこそこ高いが、その身体能力を買われてのことだろう。兄としては鼻が高い。
 桃香はカンも良かった。相手チームの動きを見て上手にボールを、コートに落としてる。
 そこは拾えない。そんなところを瞬時に見抜いて果敢に打ち抜く。球威もいい。お兄ちゃんは最高の気分だ! 桃香! 頑張れ!
 保護者も混じってる為、手に汗握る練習試合のレベルは高い。くやしいが須賀原の指導のおかげなんだろう。
 校区大会の優勝、狙えるかもな。子供達の真剣で楽しそうな姿を見て俺はそう思った。


「ありがとうございましたー!」
 子供達の挨拶で練習が終わる。
 すぐに体育館を出ないと、次の練習にやって来る違う町の子供達の邪魔になる。俺たちは早々に撤退しないと行けない。
 外は雨。自転車で体育館まで来れないので、今日は母親が近所の子供達も乗せて、俺たちの送り迎えをしてくれる約束になってる。
 でも母親はまだ来ていないようだ。俺は子供達数人と雨宿りしながら迎えを待っていると、須賀原に声をかけられた。
「直太」
 無視してやりたい。いや、無死って単語を使ってやりたいくらいだ。
 くそう。でも子供達の手前それは出来ない。それは子供達の精神衛生上良くない。
 だから俺は出来るだけ自然に、かつシャッターを降ろしたような返事をするしかない。
「なんでしょう」
「話がある」
「はい」
「場所を変えてもいいか?」
「母親が迎えに来るので、ここでどうぞ」
「俺の車で直太を送ってやる」
「いえ、遠慮しておきます」
 サワサワ。雨が校庭に降り注いでる。子供たちは体育館前の狭い踊り場で、ガールズトークに花咲かせてた。
「……直太、時間は取らせない。来い」
 須賀原は俺の返事も待たずに、踵を返して真っ黒な大きな傘をさして歩き出した。
 無視しても良かったんだ。でももしかしたら、校区大会のことで何か話があるのかもしれない。
 桃香は友達と一緒にはしゃいでた。
 ……仕方がない。俺も傘をさして須賀原の後に続く。移動してる先は校庭からもよく見える体育館脇だ。変なことが出来る場所でもないだろうから、大人しくついて行くことにした。
 草が少し茂っていて、ジャージの裾を濡らしたけど、それは須賀原も同じはずだ。
 須賀原が立ち止まり振り返る。
「直太」
「……なんです?」
「勘違いしているようだから、言っておく。桃香をレギュラーにしようとしたのは、桃香の実力からだ。校区大会は勝ちに行く」
「いくら町対抗行事だからって、それでは保護者が黙っていないでしょう。参加してる6年生の気持ちも考えないと……」
「相手チームによって、メンバー編成は考える。6年も名前だけで、練習に参加していないやつも多い。試合に出るより応援に回りたいってやつもいる。桃香の実力は6年生合わせても2、3番目だ。それは一緒に練習している6年も、保護者も知っている。桃香をレギュラーから外したい。そう考えているのは、直太、お前だけだ」
「……桃香を人の妬みで傷つけたくない」
「誰も妬まない。それだけ桃香は、直太と努力してきている。俺には監督権限があるが、それを無理やり行使しようとは思わない。直太、桃香とどうしたいか相談しろ。答えはお前たちに任せる」
「あ………わ、分かりました」
「返事は早いほうがいい、決まれば連絡してくれ」
「はい……」
「それだけだ」
 須賀原さんはそう言い残して、歩き去って行く。
 無意識のうちに避けてた事実。桃香のことを想うなら、レギュラーなんかにさせるより……傷つかないように、ひっそりと影に隠して、俺のそばに置いておきたかった。
 サラサラ。雨が烟って、視界を遮ってる。 
 ―――まるでこの雨、俺の気持ちみたいだ。
 須賀原さんは桃香をダシにして、俺に欲情したのかと思ってた。それは……違うのか。じゃあ、なんで須賀原さんはあんな事したんだ……。
 ドクン。心臓が跳ねて、須賀原にキスされた唇に、熱が集まる。
 俺はそうっと須賀原さんが、なぞったみたいに、唇をなぞってみる。指先は雨に濡れていて、ひんやりと冷たい。
 あの緑がかった茶色い瞳に見つめられて。つうっと滑った須賀原さんの長くて綺麗な指先。そしてあの……触れただけの……唇。
 サラサラと雨の降る中、俺は須賀原さんの消えてく背中を、ギュッと締め付ける胸の痛みの中、ただ見つめることしか出来なかった。


 




 家に帰り、桃香にレギュラーとして、校区大会に参加したいか聞いてみると、ニッコリと笑って「うん!」と大きく頷いた。
 母さんにも相談してみると、ほほほほほ、と大笑いしてこんな返事が返ってきた。
「いんじゃない。監督もそう言ってるし、第一、あんたたち二人に逆らう保護者も子供も、いないわ。澪ちゃんのお母さんなんて、ファンクラブ作るって言ってたしね」
「ファンクラブ?」
「まず、イケメンに生んであげた母さんに感謝しなさい。それから子供達の事を考えて、努力してきた自分を褒めてあげなさい。桃香が試合に出たい。そう言うなら、直太が悩む必要なんてないの。直太が歩いた足跡、みんなちゃんと見てるのよ」
「母さん……」
「それと監督とのツーショット写真、頼まれてるの。ほほほほほ。高く売れるわ」
「母さん……息子を売る気?」
「ほほほほほ。大丈夫。ちゃんと高値でさばくから」
 おーっほほほ。と、高笑いする母さんを尻目に、俺は須賀原さんに電話するべく、自分の部屋に向かった。母さんがああなってしまえば、もう俺の話なんて聞く耳持たない。放っておこう。


 須賀原さんの携帯を何度か鳴らした。
 でも繋がらない。
 繋がらない電話って、こんなにさみしくなるもんだったかな。
 気がつけば、ため息をついてた。これで何度目のため息なんだろう。
「はあ。」
 ばふん。とベッドに突っ伏す。
 こんな時は寝よう。何も考えないでいい世界。夢の中なら……何をしても自由だ。



 携帯の着信音で目が覚めた。
 もう部屋は暗闇に包まれ、闇の中で、枕元に置いた携帯の光がぼうっと浮かび上がってる。
「……はい」
「直太、寝ていたのか?」
「須賀原さん!?」
 ガバっと跳ね起きて、目が一気に覚めた。
「何をそんなに驚いている?」
 耳元で喉を鳴らして須賀原さんが笑ってる。あ……。そうか俺が電話かけたから、折り返し電話くれたんだ。
「直太、今から出られるか?」
「え? あ、はい」
「今、直太の家の前にいる。出てこい」
「ええ!? わ、分かりました! すぐに行きます」
 俺が階段を駆け下りて、玄関の扉を開けると、大きな黒い車が止まってた。
 すげえ、高級車!
 あんぐりしてると、音もなく車の窓がすううっと開いた。そこには真っ黒いスーツを着た須賀原さんが居て、それまで見たこともないような、魅力的な笑みを零した。
「早いな」
「な、なんです? その格好?」
「ああ、出勤前だ。気にするな。それより行くぞ。早く乗れ」
「あ、はい」
 訳も分からないまま、俺はゆったりとした広い助手席に転がり込む。
 車内はホコリひとつなくて、俺んちの車と同じ車とは思えないくらい、なんだか豪奢だ。
 車は音もなく滑るように走りだした。須賀原さんから微かに香水のいい香りがする。
「電話に出られなくて済まなかったな。睡眠中は電話に出ないんだ」
「あ、いえ、今からお仕事だったんですね。俺、知らなくて……。でも須賀原さん何の仕事してるんです?」
 須賀原さんは前を向いたまま俺をチラリと見た。
「ホスト」
「ホスト!? 須賀原さんホストだったんですか!?」
「ああ。聞かれれば答えるが、直太に聞かれたのが初めてだったな」
 須賀原さんは、くっくと喉を鳴らして笑う。
「え? でもどこ行くんですか?」
「ホストクラブ『グレイスガーデン』」
「えええ!? 何でホストクラブ!?」
「静かに話せるからだ。嫌か?」
「あ……はい。ホストクラブは未知の世界過ぎて、ちょっと怖いです」
 パ~リラ、パリラ、パ~リラ! ハイハイ! そんな音頭を取ってる須賀原さんなんて、イメージ出来ない。
「直太、今変なイメージ思い浮かべなかったか?」
 ドキッ。
「まあ、いい。じゃあ俺のマンションに行こう」
「え? 何で?」
「静かに話せる俺のテリトリーだからだ」
「テリトリー?」
「言わば安らげる場所だ」
 須賀原さんの安らげる場所ってその二つしかないんだろうか。聞くに聞けないまま、車は須賀原さんのマンションに、たどり着いた。
 マンションは広いワンルーム、白と黒で基調された部屋だった。
「す、っげえ」
「そうか。そう言ってもらえると、呼んだかいもあったな」
 須賀原さんは、薄く笑って、冷蔵庫から、炭酸水のペットボトルを取り出して、俺に手渡してくれた。それを口に含むと、起き抜けで乾いた喉に、しゅわっとした炭酸とベリー系のフレイバーが広がる。
 促されたソファーに座ると、隣に須賀原さんも座った。
 なんだかこの距離、緊張する。ドキドキする。離れて欲しい。俺はそうっと須賀原さんとの距離を取ると、須賀原さんがそれに気が付いて、喉を鳴らして笑った。
「直太の嫌がることは、しない」
 なんか俺ばっか、意識してるみたいで恥ずかしくって、顔が、かああって赤くなるのを感じた。
 うつむくと、俺の前髪をクンと須賀原さんが引っ張った。
「痛っ」
「そんな顔するな。自制が効かなくなる」
 吸い込まれそうな緑がかった茶色い瞳が揺れてる。顔が近づいて来て、キスされる……っ! そう思ってギュッと目を閉じた。
 でもそのまま、何もない。
 あれ? 目を開けると、須賀原さんの真剣な顔があった。
「直太、なんで俺に電話をかけてきた?」
「あ! そうだ! 桃香もレギュラーになりたい。そう言ってたから、それを伝えようとして……あれ?変だな。なんで忘れてたんだろ?」
「なんで忘れていたんだ? 直太、思い出せ」
「え? 須賀原さんに電話して、繋がらなくって、それで寝てたら、須賀原さんから電話があって…それで……」
「それで?」
「そ、それで……須賀原さんの顔見たら……」
 須賀原さんの綺麗な目が細められて、まるでそれがまやかしみたいに、俺を縛りつけて行く。
「見たら?」
「わ、忘れてました」
「俺を見たら、桃香の事も忘れた。そうなのか?」
「う………。」
「直太、顔が真っ赤だぞ」
 須賀原さんの手が動く。
 指先が明確な意志を持って、頬から喉仏までするりと滑る。
「あ、ちょっと……っ!」
「答えろ、直太。俺を見たら、他のことは考えられなくなった。……違うか?」
 須賀原さんの顔が近づく、鼓動が跳ねる。須賀原さんは男なのに、こんなのおかしい。俺がたまらず顔を背けると、今度は耳に唇が近づいてきた。
 吐息が耳に当たると、体がビクンと跳ねた。
「うっ………!」
「答えろ」
「み、耳元で…喋らないで…下さい」
「答えないなら、やめない」
「あ………ッ」
 ふうっと息を吹きかけられて、体中に産毛が立ち、自分でも信じられない甘ったるい声を上げてしまった。ビックリして動けない。
 そんな俺の背中を須賀原さんの手が、なだめるように滑った。
「今、自分がどんな顔をしているのか、分かっているのか?」
 いつもより少しかすれた須賀原さんの声に、どうしていいのか分からずにギュッと目を閉じると、顎を掴まれて、正面を向かされた。
 緑がかった茶色い瞳にぶつかる。ダメだ。この目を見たら……もう目が離せない。須賀原さんの顔が近づく。
「直太が抵抗しないなら、キスする」
 あ……ゾクリとしたものが背中を走る。
「な、なんで須賀原さんは…こ、こんな……」
「一目惚れだ」
「一目惚れって……」
 背中をなだめるように滑ってた手が、すすっと背中のくぼみを、なぞった。
 ゾクゾクとした感じが、腰骨の辺りにまで広がり、俺は身をすくめた。
「す、須賀原さん……」
「客から聞いた事がある。一目惚れというのは、体内の遺伝子が相手を求めるそうだ。直太は……俺を求めなかったか?」
 須賀原さんはミステリアスで綺麗な顔に、真剣な表情を浮かべてる。嘘はつけない。つくべきじゃないんだろう。
 でも冷静にならないと……。
 俺は高鳴る鼓動をどうにかしたくて、心臓の上にあるシャツを握りしめ、深呼吸してから、自分の正直な気持ちを打ち明けた。
「俺は……俺には桃香が居て……家族がいて……だから、お、男同士で求め合う事は出来ません。でも須賀原さんに求められたら……俺はきっと拒めない」
 そう。きっと拒めない。俺は須賀原さんを独占したいし、独占されたい。でもそんな兄を持った桃香はどう思うんだろう。
 須賀原さんは俺の背中に回していた手をするりとおろし、綺麗な眉をひそめて、低い声で唸った。
「待て、直太。それは誘っているのか。拒んでいるのか。どっちだ?」
「さ、誘ってる訳じゃない……です」
「桃香、か……」
 須賀原さんがするりと俺から離れると、言いようもない、さみしさに包まれた。
 訪れる沈黙。ペットボトルの中で、炭酸水がシュワシュワと弾けてた。





 

「で? で? それからどうなったの?」
「どうもしない。直太を家まで送って、出勤して来た」
 カラン。グラスの中身がカラになり、氷がグラスの中で泳いだ。
 白い世界に青い。青い。ライトが、夜の世界を幻想的に彩っている。目の前には、オネエ語を話す目を見張るようないい男、リョウが、カウンターの向こう側から身を乗り出して、俺の話に聞き入っている。
「出勤して来たって、キヨ飲んでばっかりで仕事してないじゃない」
「飲むのがホストの仕事だろう」
「あのねえ。ホストなんだから、客と飲まないと意味がないでしょう」
 カウンターには控え待ちの、俺とリョウとバーテンの一人がいるだけ。若いホストは指名欲しさに、宵の口から血気盛んに、客のテーブルに回っている。
「ああ。ならリョウが、俺の客になればいい」
「そうね。それはいい考えだわ!……って私が言うと思う!?」
「思わない」
「なら、口にすんじゃねえ」
「……リョウ、男言葉になっているぞ」
「あらん。嫌だわ。ワタシとしたことが、ついイラってきちゃったじゃないの。で、話は戻るけど、その直太って子は諦める気?」
「どうしてそうなる?」
 カラのグラスを差し出したが、リョウは、酒をついでくれない。仕方がないので、俺は煙草に火をつけた。紫煙が立ち上り、煙が揺れる向こう側で、リョウが呆れ顔をして俺を見ていた。
「どうした?」
「いや……。質問の仕方が悪かったかしら。普通諦めるでしょう。マイノリティの世界に家族を巻き込みたくないって、直太は思ってるんでしょう?」
「性嗜好の問題だ。家族には、了承を得ればいいだけの話だろう」
「えっと……。どうして、キヨはそんなに迷わないの?」
「迷っていたら、直太のそばにはいられない」
 リョウはため息を付きながら、カラのグラスになみなみと、ウイスキーが注ぐ。
「……切ない男ね。迷ってないなら、なんでそんなに飲むの。まあ……いいわ。今日は飲みなさい」
 コロン。グラスの中で、氷が溶け合って音を立てる。
 俺はグラスに口をつけないまま、その氷が溶けるのを、じっと見つめた。





 
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