2 / 25
1. 拾ってくれませんか?
しおりを挟む
「拾ってくれたら、お礼はたっぷり身体で返すよ」
雪の中にしゃがみこんでいた青年は、まるで迷子のネコみたいな潤んだ瞳で俺を見た。
可愛い顔をした悪魔の誘惑。その声は、降りしきる雪の中でさえ、甘くクリアに響いた。
やがて、俺の静かな日常は、甘くて危険な“同居生活”に変わった。
まだ恋じゃないはずなのに、彼の笑顔を見るたび、理性という名の雪壁が、音もなく少しずつ溶けていく――。
◆◆◆
寒い、ひどく寒い night だった。
予報どおり雪が降り出し、都心はたった数センチの積雪で混乱している。しかし、それは雑然とした人の波やけたたましいクラクションの音で構成された混乱だ。今、俺のいる場所は、その喧騒から切り離されていた。
「客なんて来ないよな」
カフェのBGMを止め、木製のドアに『CLOSED』の札を下げる。カラン、とドアベルが鳴るのは、静かに一日の終わりを告げる合図だ。
駅から徒歩10分、繁華街のはずれにある小さな5階建てのビル。通りに面した1階が俺のカフェ『POCHITTO《ポチット》』だ。
自宅は3階。通勤時間は、階段を上がるだけのわずか30秒。
悪天候の首都圏の大混乱も、俺には無縁――そう、無縁のはずだった。
白い息を吐きながら空を見上げる。ふわふわと舞う雪は、街灯の光を受けて銀色の粒のように見えた。車の通りも、まるで深い雪に吸い込まれたかのように少ない。
俺の帰宅ルートである、ビルの裏手にある鉄格子の外階段。屋根のないそこには、すでにうっすらと雪が積もっていた。明日の朝は、雪かきをしないと階下に行けないだろう。
そんなことを考え、滑らないように慎重に、一段ずつ鉄の階段を上っていた、そのときだ。
「えっ!」
視線の先の、次の踊り場に、フードを深くかぶった人物がぐったりと雪に沈んでいた。雪は容赦なくその細い肩に降り積もっている。
「ちょっと、大丈夫ですか!」
声をかけると、かすかなうめき声が返ってきた。良かった、生きてる。安堵と同時に、厄介なものに遭遇した焦燥が押し寄せる。
困ったな。酔っ払いか、あるいはどこかの店の関係者か?
しかし、ここを通らないと俺は家に帰れない。そして何より、このまま雪の中に放置していたら、明日の朝には凍死した死体が転がっていることになりかねない。
「救急車、呼びましょうか?」
いや、それとも警察だろうか。
こんな雪の日に通報したら、おまわりさんも迷惑だろうが仕方ない。緊急事態だ。後ろポケットからスマホを取り出したそのとき、か細い声が響いた。
「誰も、呼ばないで……」
ハスキーでありながら、どこか甘さを含んだ声。
「え、でもこのままじゃ……」
華奢な体つきに一瞬「女か」と思ったが――、違う。喉仏の気配で、男だと知る。だが、その中性的な美しさに言葉を失った。
フードがずれ、ビルの隙間から差し込む月明かりに顔がさらされる。
……俺の息が、止まった。
濡れた白磁のように透き通る肌、粉雪が積もりそうなほど長いまつ毛、細い首筋から覗く鋭い鎖骨。吐息で濡れた唇は、寒さに震えているはずなのに、妙に色っぽく艶めいていた。まるで、熱を知っているかのように。
「お兄さん、少しだけ、手を貸してもらえます?」
白い指先が震えて宙を彷徨った。
その弱々しさに抗えず、俺が差し出した手を、彼はそっと握る。ひやりとした感触が電撃のように、手から頭のてっぺんまで突き抜ける。その冷たさが、現実感を伴って俺の思考を凍らせた。
彼はふらりと立ち上がると、髪に積もった雪を払うように振るい落とす。肩の辺りまで伸びた黒髪が、月光の下で濡れた光を反射した。
「ご迷惑ついでに……、お願いがあるんだけど」
顔を上げた青年の瞳は、薄いグレーだった。雪よりも淡く澄んでいて、底が見えない。
どこかで見たことのある瞳の色――その視線が、一瞬で俺の目を射抜き、絡んだ瞬間、背筋にぞくりと、寒気と熱が同時に走る。
「行くところがないんだ。僕のこと、拾ってくれない?ちゃんと、お礼はするから」
雪の中に鳴る鈴の音のような言葉。冷たい外気とは裏腹に、その声は甘い毒のように、俺の鼓膜を蕩かした。
媚びるでも甘えるでもない。命令でも懇願でもない。ただの、事実の確認。
なのに、男に言われているのに、どうしようもなく心臓が高鳴った。
助けるべきか?
いや。関わるべきじゃないだろう――俺の中の理性が、激しい警鐘を鳴らす。
しかし、潤んだグレーの瞳に、すでに俺の心は完全に奪われていた。
雪の中にしゃがみこんでいた青年は、まるで迷子のネコみたいな潤んだ瞳で俺を見た。
可愛い顔をした悪魔の誘惑。その声は、降りしきる雪の中でさえ、甘くクリアに響いた。
やがて、俺の静かな日常は、甘くて危険な“同居生活”に変わった。
まだ恋じゃないはずなのに、彼の笑顔を見るたび、理性という名の雪壁が、音もなく少しずつ溶けていく――。
◆◆◆
寒い、ひどく寒い night だった。
予報どおり雪が降り出し、都心はたった数センチの積雪で混乱している。しかし、それは雑然とした人の波やけたたましいクラクションの音で構成された混乱だ。今、俺のいる場所は、その喧騒から切り離されていた。
「客なんて来ないよな」
カフェのBGMを止め、木製のドアに『CLOSED』の札を下げる。カラン、とドアベルが鳴るのは、静かに一日の終わりを告げる合図だ。
駅から徒歩10分、繁華街のはずれにある小さな5階建てのビル。通りに面した1階が俺のカフェ『POCHITTO《ポチット》』だ。
自宅は3階。通勤時間は、階段を上がるだけのわずか30秒。
悪天候の首都圏の大混乱も、俺には無縁――そう、無縁のはずだった。
白い息を吐きながら空を見上げる。ふわふわと舞う雪は、街灯の光を受けて銀色の粒のように見えた。車の通りも、まるで深い雪に吸い込まれたかのように少ない。
俺の帰宅ルートである、ビルの裏手にある鉄格子の外階段。屋根のないそこには、すでにうっすらと雪が積もっていた。明日の朝は、雪かきをしないと階下に行けないだろう。
そんなことを考え、滑らないように慎重に、一段ずつ鉄の階段を上っていた、そのときだ。
「えっ!」
視線の先の、次の踊り場に、フードを深くかぶった人物がぐったりと雪に沈んでいた。雪は容赦なくその細い肩に降り積もっている。
「ちょっと、大丈夫ですか!」
声をかけると、かすかなうめき声が返ってきた。良かった、生きてる。安堵と同時に、厄介なものに遭遇した焦燥が押し寄せる。
困ったな。酔っ払いか、あるいはどこかの店の関係者か?
しかし、ここを通らないと俺は家に帰れない。そして何より、このまま雪の中に放置していたら、明日の朝には凍死した死体が転がっていることになりかねない。
「救急車、呼びましょうか?」
いや、それとも警察だろうか。
こんな雪の日に通報したら、おまわりさんも迷惑だろうが仕方ない。緊急事態だ。後ろポケットからスマホを取り出したそのとき、か細い声が響いた。
「誰も、呼ばないで……」
ハスキーでありながら、どこか甘さを含んだ声。
「え、でもこのままじゃ……」
華奢な体つきに一瞬「女か」と思ったが――、違う。喉仏の気配で、男だと知る。だが、その中性的な美しさに言葉を失った。
フードがずれ、ビルの隙間から差し込む月明かりに顔がさらされる。
……俺の息が、止まった。
濡れた白磁のように透き通る肌、粉雪が積もりそうなほど長いまつ毛、細い首筋から覗く鋭い鎖骨。吐息で濡れた唇は、寒さに震えているはずなのに、妙に色っぽく艶めいていた。まるで、熱を知っているかのように。
「お兄さん、少しだけ、手を貸してもらえます?」
白い指先が震えて宙を彷徨った。
その弱々しさに抗えず、俺が差し出した手を、彼はそっと握る。ひやりとした感触が電撃のように、手から頭のてっぺんまで突き抜ける。その冷たさが、現実感を伴って俺の思考を凍らせた。
彼はふらりと立ち上がると、髪に積もった雪を払うように振るい落とす。肩の辺りまで伸びた黒髪が、月光の下で濡れた光を反射した。
「ご迷惑ついでに……、お願いがあるんだけど」
顔を上げた青年の瞳は、薄いグレーだった。雪よりも淡く澄んでいて、底が見えない。
どこかで見たことのある瞳の色――その視線が、一瞬で俺の目を射抜き、絡んだ瞬間、背筋にぞくりと、寒気と熱が同時に走る。
「行くところがないんだ。僕のこと、拾ってくれない?ちゃんと、お礼はするから」
雪の中に鳴る鈴の音のような言葉。冷たい外気とは裏腹に、その声は甘い毒のように、俺の鼓膜を蕩かした。
媚びるでも甘えるでもない。命令でも懇願でもない。ただの、事実の確認。
なのに、男に言われているのに、どうしようもなく心臓が高鳴った。
助けるべきか?
いや。関わるべきじゃないだろう――俺の中の理性が、激しい警鐘を鳴らす。
しかし、潤んだグレーの瞳に、すでに俺の心は完全に奪われていた。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。
刺されて始まる恋もある
神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
悪役令息に転生した俺は推しの為に舞台から退場する
スノウマン(ユッキー)
BL
前世の記憶を思い出したアレクシスは悪役令息に転生したことに気づく。このままでは推しである義弟ノアが世界を救った後も幸せになれない未来を迎えてしまう。それを回避する為に、俺は舞台から退場することを選んだ。全てを燃やし尽くす事で。
そんな俺の行動によってノアが俺に執着することになるとも知らずに。
イケメンダブルセンターとアンチ>ファンな平凡な俺
スノウマン(ユッキー)
BL
アイドルグループ【オーバーウェルミング】は圧倒的な歌唱力の深山影月、圧倒的なパフォーマンス力の漣陽太、そして圧倒的な平凡力な俺間桐真緒の3人で結成されている。
大人気の二人と違いアンチしかいない俺だが、メンバーからもファンからも愛される日が果たしてくるのか!?
入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?
monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。
そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。
主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。
※今回の表紙はAI生成です
※小説家になろうにも公開してます
彼の想いはちょっと重い
なかあたま
BL
幼少期、心矢に「結婚してほしい」と告げられた優希は「お前が高校生になっても好きな人がいなかったら、考えてやらなくもない」と返事をした。
数年後、高校生になった心矢は優希へ結婚してほしいと申し出る。しかし、約束をすっかり忘れていた優希は二ヶ月だけ猶予をくれ、と告げる。
健全BL
年下×年上
表紙はhttps://www.pixiv.net/artworks/140379292様からお借りしました。
義兄が溺愛してきます
ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。
その翌日からだ。
義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。
翔は恋に好意を寄せているのだった。
本人はその事を知るよしもない。
その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。
成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。
翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。
すれ違う思いは交わるのか─────。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる