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#9 本当の推し
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水曜日の夜。他のスタッフが帰り、静まり返ったクリニックに予告通りアラタがやってきた。
「こんばんは」
受付でマスクを外すと、私だけに笑みを見せる。
「姉さんから話を聞いたよ。バレちゃたね」
「克哉だけでなく、百合さんにまで……。この数日、驚かされてばかりです」
「それは申し訳ない」
アラタが目尻を下げて笑う。
VIP用の診療室に入ると、アラタはベッドの横に置かれたソファに腰を下ろした。
「そんなに固まらないで。少し、話をしようよ」
「えっと、でも……」
「あのさ、克哉みたいな強引な治療は求めてない。ここを風俗店みたいに思ってないから」
「え、ええ!」
「その反応、やっぱり勘違いさせてたよね。ごめん、俺が悪い」
意識過剰で恥ずかしい。
「ここに来る理由は、あくまでも肌のメンテナンスが優先。美容系アイドル、なんて肩書きがあるもんでね。克哉の腕が確かなのは、愛香ちゃんが一番知ってるでしょ?」
「そうですよね。じゃあ、克哉……じゃなくて、院長を呼んできますね!」
「いやいや、待って!」
不意に手を取られる。つかまれた腕が、じんわりと熱くなる。
「ここからが、本題だから」
背後から抱かれて、そのままアラタの膝に座ってしまった。
「あのっ、ちょっと」
「まだ予約時間には早いから、少し話をしよう」
「話は聞くので、離してください」
「だめ」
ふわりと漂う淡い香水の香りが、昼間にテレビ画面越しに感じていた遠い存在感を、体温のある男へと塗り替えていく。
「今後についてなんだけど」
「今後って?」
「身体から始まる関係は、だめかな?」
「専用セラピスト――というお話ですよね」
セカンドやセフレと、セラピストの違いなんて私にはわからないけれど、そういう関係なのだろうと思っていた。
「つまり……付き合わない?」
「え?」
思わず振り向くと、すぐ目の前にアラタの顔。鼻先が触れ合うほどの距離。
「本気ですか?」
「もちろん。冗談で言わないさ」
「どうしてですか?会ったばかりで、その、一度できたからって……」
不能だなんて言っておきながら、あの夜のアラタはとてもそうは思えなかった。私が相手でなくても問題なさそうだった。
もしかしたら、とっくに完治していたのではないだろうか。
「克哉が親族にゲイだと告白したとき、どう思った?」
「え、どうって?そうなんだって……感じです」
「愛香ちゃんだけは何も変わらなかった。克哉はそれが、死ぬほど嬉しかったらしいよ」
「そんな話、聞いたことない」
「意外と照れ屋なんだな。でもね、自分を見る目が、ある日突然変わる恐怖は俺も経験があるんだ」
スキャンダルのときだろうか。アラタは目を伏せた。
「変わらないでいてくれる存在の尊さが、俺は羨ましかった。克哉から君の話を聞く度に、惹かれていたんだ。会ったこともないのにね。でも、ずっと恋していたんだ」
語るアラタの言葉は、私の胸の奥にじんわりと広がっていく。
「愛香ちゃんとは、心も身体も不思議と合うんだ。ずっと上手くいかないことが多かったのに、君とは自然に寄り添えた」
甘い笑顔が近づく。唇が、いまにも触れそう――。
「推しが彼氏になったら、嬉しくない?」
推し――。
もう隠せない。私は意を決した。
「アラタさん、お伝えしたいことがあります」
「え、なに?キスの寸止めなんて、はじめてされたよ」
「私、dulcis〈ドゥルキス〉のファンなんです。本当に大好きなんです」
「うん、応援ありがとう」
3年前に新卒で入社して、大学病院で働いていた頃、人間関係で上手くいかなくて悩んでた。
そんなとき、dulcis〈ドゥルキス〉のデビュー曲を聞いて、すごく元気をもらった。
「ありがとう。愛香ちゃんのその気持ち、大事に受け止めるよ」
私の腰を抱くアラタの腕が、ぎゅっと強くなる。
「あのときから、ずっと、大好きなんです――…が……」
「ん?」
スーッと息を吸い、今度はハッキリと声を出す。
「本当は、ケイタ推しなんです!」
「え?」
「本当の『推し』は、アラタさんじゃないんです」
「え、ええ!」
あーー、スッキリした。
アラタの完璧な笑顔が、まるでバグったように固まった。やがて、地の底から絞り出したような声が漏れる。
「……え?ああ、もしかして冗談?」
「いえ。私の推しは、最年少の末っ子アイドル、ケイちゃんです」
室内のヒーリングミュージックだけが、響く。
「嘘だろ、よりによってケイタだと?俺と正反対じゃないか」
アラタはガックリと頭を抱えた。
金髪ベビーフェイス、天然キャラでバラエティー番組にもよく登場している。不意に見せる色気とのギャップがたまらない、私の愛しい推し。
「あの、でも、基本的には箱推しです!dulcis〈ドゥルキス〉は5人揃ってるのが大好きなんです。だからアラタさんも、推しと言えなくもないんです!」
「そのフォロー、余計に痛いんだけど」
「すみません……」
「克哉から俺のファンだって聞いたけど、あれは嘘だったのか?」
「いえ、克哉は芸能人にまるで興味がないので……。性格が悪いのは否定しないけど」
克哉は私の推し活にも呆れ顔をするばかりだ。
「明日は全員揃ってダンス練習だから、ケイタが泣くまでしごいてやろう」
「ええっ?ケイちゃんの泣き顔?見たいです!動画送ってください!」
「やっぱり克哉の血縁者だ。君も隠れドSだよね」
不満そうに私を睨むアラタ。
けれど、その苦々しい表情が、アイドルではない普通の男性らしく、私はつい笑ってしまった。
「ケイタ推しなのは、分かった」
「えっ、ちょっと」
彼は私の髪をそっと撫で、その指先をブラウスのボタンへと滑らせた。
「推しじゃなくてもいい。ファンじゃなくてもいい。恋人になってくれたら、それでいい」
その言葉には、絶対的な支配力が込められていた。
「返事は?」
「ケイタ推しのままでも、いいですか?」
アラタは一瞬呆気にとられたが、次の瞬間、お腹を抱えて大声で笑いだした。
「まぁ、いいよ」
彼はゆっくりと私のボタンを解きながら、挑発的な瞳で囁いた。
「すぐに、俺に『推し変』させる」
秘密の診療室、ふたりきり。
イタズラな指先を拒む理由は、もうどこにも見当たらなかった。
「こんばんは」
受付でマスクを外すと、私だけに笑みを見せる。
「姉さんから話を聞いたよ。バレちゃたね」
「克哉だけでなく、百合さんにまで……。この数日、驚かされてばかりです」
「それは申し訳ない」
アラタが目尻を下げて笑う。
VIP用の診療室に入ると、アラタはベッドの横に置かれたソファに腰を下ろした。
「そんなに固まらないで。少し、話をしようよ」
「えっと、でも……」
「あのさ、克哉みたいな強引な治療は求めてない。ここを風俗店みたいに思ってないから」
「え、ええ!」
「その反応、やっぱり勘違いさせてたよね。ごめん、俺が悪い」
意識過剰で恥ずかしい。
「ここに来る理由は、あくまでも肌のメンテナンスが優先。美容系アイドル、なんて肩書きがあるもんでね。克哉の腕が確かなのは、愛香ちゃんが一番知ってるでしょ?」
「そうですよね。じゃあ、克哉……じゃなくて、院長を呼んできますね!」
「いやいや、待って!」
不意に手を取られる。つかまれた腕が、じんわりと熱くなる。
「ここからが、本題だから」
背後から抱かれて、そのままアラタの膝に座ってしまった。
「あのっ、ちょっと」
「まだ予約時間には早いから、少し話をしよう」
「話は聞くので、離してください」
「だめ」
ふわりと漂う淡い香水の香りが、昼間にテレビ画面越しに感じていた遠い存在感を、体温のある男へと塗り替えていく。
「今後についてなんだけど」
「今後って?」
「身体から始まる関係は、だめかな?」
「専用セラピスト――というお話ですよね」
セカンドやセフレと、セラピストの違いなんて私にはわからないけれど、そういう関係なのだろうと思っていた。
「つまり……付き合わない?」
「え?」
思わず振り向くと、すぐ目の前にアラタの顔。鼻先が触れ合うほどの距離。
「本気ですか?」
「もちろん。冗談で言わないさ」
「どうしてですか?会ったばかりで、その、一度できたからって……」
不能だなんて言っておきながら、あの夜のアラタはとてもそうは思えなかった。私が相手でなくても問題なさそうだった。
もしかしたら、とっくに完治していたのではないだろうか。
「克哉が親族にゲイだと告白したとき、どう思った?」
「え、どうって?そうなんだって……感じです」
「愛香ちゃんだけは何も変わらなかった。克哉はそれが、死ぬほど嬉しかったらしいよ」
「そんな話、聞いたことない」
「意外と照れ屋なんだな。でもね、自分を見る目が、ある日突然変わる恐怖は俺も経験があるんだ」
スキャンダルのときだろうか。アラタは目を伏せた。
「変わらないでいてくれる存在の尊さが、俺は羨ましかった。克哉から君の話を聞く度に、惹かれていたんだ。会ったこともないのにね。でも、ずっと恋していたんだ」
語るアラタの言葉は、私の胸の奥にじんわりと広がっていく。
「愛香ちゃんとは、心も身体も不思議と合うんだ。ずっと上手くいかないことが多かったのに、君とは自然に寄り添えた」
甘い笑顔が近づく。唇が、いまにも触れそう――。
「推しが彼氏になったら、嬉しくない?」
推し――。
もう隠せない。私は意を決した。
「アラタさん、お伝えしたいことがあります」
「え、なに?キスの寸止めなんて、はじめてされたよ」
「私、dulcis〈ドゥルキス〉のファンなんです。本当に大好きなんです」
「うん、応援ありがとう」
3年前に新卒で入社して、大学病院で働いていた頃、人間関係で上手くいかなくて悩んでた。
そんなとき、dulcis〈ドゥルキス〉のデビュー曲を聞いて、すごく元気をもらった。
「ありがとう。愛香ちゃんのその気持ち、大事に受け止めるよ」
私の腰を抱くアラタの腕が、ぎゅっと強くなる。
「あのときから、ずっと、大好きなんです――…が……」
「ん?」
スーッと息を吸い、今度はハッキリと声を出す。
「本当は、ケイタ推しなんです!」
「え?」
「本当の『推し』は、アラタさんじゃないんです」
「え、ええ!」
あーー、スッキリした。
アラタの完璧な笑顔が、まるでバグったように固まった。やがて、地の底から絞り出したような声が漏れる。
「……え?ああ、もしかして冗談?」
「いえ。私の推しは、最年少の末っ子アイドル、ケイちゃんです」
室内のヒーリングミュージックだけが、響く。
「嘘だろ、よりによってケイタだと?俺と正反対じゃないか」
アラタはガックリと頭を抱えた。
金髪ベビーフェイス、天然キャラでバラエティー番組にもよく登場している。不意に見せる色気とのギャップがたまらない、私の愛しい推し。
「あの、でも、基本的には箱推しです!dulcis〈ドゥルキス〉は5人揃ってるのが大好きなんです。だからアラタさんも、推しと言えなくもないんです!」
「そのフォロー、余計に痛いんだけど」
「すみません……」
「克哉から俺のファンだって聞いたけど、あれは嘘だったのか?」
「いえ、克哉は芸能人にまるで興味がないので……。性格が悪いのは否定しないけど」
克哉は私の推し活にも呆れ顔をするばかりだ。
「明日は全員揃ってダンス練習だから、ケイタが泣くまでしごいてやろう」
「ええっ?ケイちゃんの泣き顔?見たいです!動画送ってください!」
「やっぱり克哉の血縁者だ。君も隠れドSだよね」
不満そうに私を睨むアラタ。
けれど、その苦々しい表情が、アイドルではない普通の男性らしく、私はつい笑ってしまった。
「ケイタ推しなのは、分かった」
「えっ、ちょっと」
彼は私の髪をそっと撫で、その指先をブラウスのボタンへと滑らせた。
「推しじゃなくてもいい。ファンじゃなくてもいい。恋人になってくれたら、それでいい」
その言葉には、絶対的な支配力が込められていた。
「返事は?」
「ケイタ推しのままでも、いいですか?」
アラタは一瞬呆気にとられたが、次の瞬間、お腹を抱えて大声で笑いだした。
「まぁ、いいよ」
彼はゆっくりと私のボタンを解きながら、挑発的な瞳で囁いた。
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