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人生の始まり
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昭和42年生まれ…現在56歳となる。
名前は牧野秀美。(匿名)
建国記念日が初めて適用された年……森永製菓がチョコボールを発売した年……
世の中では美空ひばりの真っ赤な太陽、美川憲一の新潟ブルース等が流行歌だったらしい。
両親は九州の福岡、炭鉱の町で生まれ育った。そんな中で生まれた私は6つ違いの姉、2つ違いの兄の次に生まれた末っ子だった。
私が生まれた当時の父は、工場に務める会社員。
母は炭鉱に絡んだ仕事をしていたらしい。
私が3歳の頃、父の転勤で関東のC県I市に引越しとなった。
そんな小さい子供の頃だったが、おぼろげに覚えている部分があった。
私は保育所に預けられ、いつもいつも外が真っ暗になるまで保育所に取り残されていた。
お母さんやお父さんが次々に迎えに来る。私はそれを見送るばかりだった。
いつも最後に来るのは私の母親だった。
手を繋いで歩いて帰る。時には背中におぶられていたように思える。母の背中を覚えている。
私が6歳になり翌春に小学校入学を控えた年、父の転勤が決まった。
県内だったもののK市に引越しとなった。
小学校入学まで半年もなかった為か、保育所に入る事はなかった。
「もうすぐ1年生だから、1人で留守番できるよね、お姉ちゃんも、お兄ちゃんもお昼過ぎれば帰ってくるから」母に言われた。
1人で留守番、という意味がわからなかった。
父が仕事に出かける。お姉ちゃん、お兄ちゃんが学校に行ったあと、母がパートに出ようとしていた。
私は泣いた。誰も居なくなり取り残される気分だったのか、寂しかったのかはわからない。
大泣きをし母を困らせた。母は仕方なく、職場に連れて行った。
当時の母は小さいスーパーにパートで働いていた。
スーパーの事務所でお絵描きをしたり、おもちゃで遊んでいたのを覚えている。
翌年の春、昭和48年私は小学校に入学した。
我が家が貧困だという事が、何となくその頃に理解しつつあった。
入学式での母親の衣装。私のワンピース。
殆どのお母さんは着物だった。昭和のあの時代は正式な場には着物だったのだろう。
だが、母は時代遅れのワンピースだった。
そして同級生は可愛いワンピース。私は姉のお下がりだったのだろうか、母同様、時代遅れのワンピース。子供心に恥ずかしいと思った。
私が小学校に上がり、母の仕事場が変わるようになった。鉄工所で働くようになり、帰りが遅くなるようになった。私は姉や兄と両親を待つ日々が続いた。私が小学校4年生になった頃、姉と父が喧嘩をしていた。理由等は知る由もない。その頃から母と父の口論も聞くようになった。原因は父親のギャンブルだった。
ある日、姉が家を出た。私は必死に追いかけた。泣きなが追いかけた「行かないで行かないで」何度も何度も……
姉が去った後の家の中……崩壊の始まりだったのかも知れない。
その後も何度となく、両親の口喧嘩を聞いては兄と私で止める日が続いた。
私は小学校最後の年となり、小学校生活を満喫していた。
6学年になりひと月程経った頃、市内陸上大会の選手を決める為の体育授業があった。
私はソフトボール選手に選ばれた。
それからは毎日毎日、練習の日々だった。
あの頃の私は、家に帰りたくない心境だったのかも知れない。
家では両親の離婚に向けての話し合いが進んでいた。
当時の私は私なりに何とか食い止められないものか、それなりに悩んでいた。
家庭でのいざこざがあり、次第にソフトボールの練習にも身が入らなくなっていた。
そんな中、1人の教師からやじが飛ばされた。
「ヘタクソ、どこ目掛けて投げてんだ?!」
1学年下のクラスを受け持つN先生だった。
教師に成り立ての新米先生。
生徒の間では不良教師と呼ばれていた。
リーゼント頭で風を切って歩く姿は正しく不良そのものだったからであろう。
Nは陸上大会の担当教師の1人だった。
私は心の中で「何?!この先公!」そう思いながら睨みつけた。
「何睨んでんだよ!」
今の時代にそんな言葉を教師が生徒に言おうものなら、問題となる教師であろう。
しかし、40数年前の教師なんて平気で怒号を飛ばしていた。良くも悪くも愛情表現だったのかはわからない。
その後も何度となく、Nからの指導が入る。
「新米教師のクセに生意気!」時々、心の中でそう思いながら、ボールを投げる。
私の心内を見透かしたかのようにNが言う「素直になれよ」私は知らず知らずに反発的な態度をとっていたのかも知れない。
夕方5時になると練習は終わる。
ある日、練習終了時間になっても私は帰らなかった。練習に夢中になっていた訳ではない。ただ単に家に帰りたくなかっただけ。
そんな私を教室から見かけたN先生が怒鳴る「何やってんだよ、早く帰れよ!」
私は無視をした。ブランコに乗りながら聞こえない振りをし、一生懸命ブランコをこいだ。
「キコキコ、ギギギー」
空に向かって足を投げ出し、大きく大きくこいだ。
「か・え・れ」
N先生が横にきていた。
「聞こえねー振りするなよ」そう言いながらブランコの鎖を掴んだ。
私は下を向いたまま「さよなら」そう言ってランドセルを背負った。
イッタッイ!
背負ったランドセルを引っ張られた。
「何かあったんか?!」
N先生に聞かれた瞬間、涙が溢れた。
自分の中でいっぱいいっぱいだったのだ。
きっと、誰かに聞いてもらいたかったのだと思う。友達は沢山いたが、相談さえできなかった。
あの頃の私にとって両親の離婚は恥ずかしかった。
昨今ではバツイチなんて珍しくもないが、40数年前は後ろ指を指されるような時代だった。
そんな世間の空気を子供ながらに感じていた。
学校では平気なフリをして友達とふざけ合い、誰にも気付かれないようにしていただけに、N先生に”気付かれた”時には堪えていたモノが湧き上がった。
只々泣きまくった。
「話さなきゃわかんねだろ!」
私が落ち着いたころ聞いてきた。
「親が離婚するんだって」
そのひと言だけを発するのが精一杯だった。
何をどう伝えればいいのかさえ分からなかった。
ただ、N先生は「わかった、でも今日はもう遅いから帰れ。帰れるか?!」
私は頷き頭を下げて背中を向けた。
次の日、校内の廊下で出会したN先生から手招きをされた。近寄り「え?!」と言うと「え、じゃねだろ、授業終わったら、俺のクラスに来いよ」
そう言って通り過ぎた。
その日は競技練習はなかった。5時間目が終わり5学年のクラスに向かった。
ドアをノックすると「入れよ」N先生が言った。
教室には数人の生徒が残っていたものの「皆さっさと帰れよー!」N先生のひと言で教室から出て行った。
「もう、決定したんか?!」N先生に聞かれた。
「わからないけど、多分……」
これまでの家庭内の事。私の気持ち、考え、色んな話しをした。
「担任のT先生には話したのか?!」
「担任嫌い、話したくない。」
N先生は少々困惑していた。
「俺だけが解決出来るような話しじゃないぞ」
確かに、陸上競技の顧問的存在だったかも知れないが、私との接点はそれだけだ。
そんな生徒の悩みを聞くような立場ではなかったのであろう。
「学年主任のH先生に話してみていいか?!」
「H先生ならいいけど……」
その後2日程経ったある日、今度は相談室に呼ばれた。
そこには学年主任のH先生とN先生が居た。
これまでの家庭内の状況を聞かれ話しをする。
私は聞いて貰えただけで胸につっかえていたモノが取れた感じだった。
その後も競技練習がない日には、何度となくN先生から呼ばれ、状況を聞かれたり、時にはN先生の昔話しを聞いたりしながら時間が過ぎていった。
陸上競技大会がやってきた。
結果2位だった。1位を取れると自惚れていた。
涙が止まらなかった。悔し泣きをした。
N先生がきて言われた「何で泣いてんだ⁉️」
私はN先生を見て「1位じゃないから!」
そんな思いと共に、この大会が終わったらN先生との接点がなくなる……そんな思いもあったのだ。
いつしか、私の中でN先生の存在が大きくなっていた。
大会が終わり、両親の離婚も決定した……
廊下でN先生に呼び止められたが、通り過ぎようとした。服を引っ張られたが逃げようとすると、壁に押し付けられた。今で言う壁ドンをやられた。
「もう、同情なんかしなくていいから!」
何故か私はそんな言葉を発していた。
「今まで同情で相談にのってた訳じゃねぞ!」
N先生が少し声を荒らげながら言った。
私は子供ながらにヤケになっていた。
私は母親と暮らす事になり、兄は父親と暮らす事となった。
私と母は引越しをした。幸いにも学区内だった為、転校は免れた。義務教育が終わるまでは父親姓を名乗って通える事になった。
冬休みに入り、初めての2人だけのお正月……
40年前の母子家庭に世間は冷たい……
現在のように子育て支援等というものもない。
あまり健康ではなかった母親……
仕事も休みがちだった。そうなれば無論、収入も少なかったろう……父親からの養育費なんて貰えなかった。
分かり切っていた貧乏生活。
3学期が始まり、いよいよ小学校生活が終盤を迎えようとしていた。
N先生への想いは募るばかりだった。
いくら想いを寄せても、12歳の子供が教師とどうにかなるものではない……
私は早く大人になりたかった。そう思う反面では、このまま時が止まってくれれば……毎日N先生と会えるのに……複雑な気持ちのまま日々を送っていた。
3月に入り卒業式……
N先生から書かれたサイン帳の言葉……「君は底抜けに明るい。それを中学生になっても持ち続けて欲しい。友達を想う心を大切にし、これからも頑張って下さい」
小学校まで生きてきた中で1番の宝物になった。
4月に入り中学校に入学となった。
母が兄も引き取る事になった。
私達は3人で暮らす事になった。
私が通う中学校は2小1中だった為、知らない生徒も沢山いた。そんな中で同じクラスになったKと私は意気投合し直ぐに仲良くなった。
ある日、私とKが先輩に呼ばれた。「お前、何で髪染めてんだよ生意気な事してんじゃねぞ!」
先輩が私の頭を掴みながら言ってきた。「染めてません!」言い返しても無駄だった。
私は地毛が茶色い。光に当たると抜けたような色の髪が自慢だった。
だが、それが原因で先輩にシメられた。
「黒くしろよ!」そう言われ解放された。
何で地毛なのに黒く染めなきゃいけない⁉️私は理不尽な言葉に聞く耳等持たなかった。
ある日、Kの自宅に遊びに行った。
Kには3つ上の高校1年生のお姉さんがいた。
両親は共働きで日中は留守だった。
Kの姉がタバコを吸う。Kが普通に「お姉ちゃん、私も」と言いタバコを貰う。「秀美も吸う?」そう言われタバコを渡された。私は普通にタバコを受け取り火をつけ、深呼吸をするとむせ込んだ。
その後は普通に吸えた。大人ぶって吸ったのか、先輩からシメられた事でムシャクシャして吸ったのか、友達の真似をしたくて吸ったのか……今思えば、全てが当てはまるような気がする。
ただ、これがキッカケで不良の道に進んだのは言うまでもない……
私やKは学校の更衣室でもタバコを吸うようになった。当然ながら見つかるのは時間の問題だった。
ある日、他の生徒からのチクリで、私達は職員室に呼ばれた。Kは指導室、私は校長室。多分、聞かれた内容は同じ事。「タバコなんか吸ってないよ、知らなーい」私は白を切った。既に吸い殻が見つかっていたが、何度同じ事を聞かれても、同じ答えで返した。「お前の姉ちゃんも、兄ちゃんもこんな事で呼ばれた事なんかないのにな」1人の教師が言った。姉兄が同じ学校に通っていたら、如何しても比較されるのはわかっていたが、「教師が口にしたらいかんだろ!」私は喉まで出かかったが、口に出す事はなく挨拶もせず、校長室を後にした。
それからと言うもの、私は”不良”をあらわにした。80年代の不良スタイル……まさに、横浜銀蝿の年代だった……頭は金髪、パーマをかけて聖子ちゃんスタイル。長めのスカート……
テストを全て白紙で出せば呼び出され……
教師が気に入らなければ物を投げつけた…
勿論、教師からも暴力なんて当たり前の時代だった。
現代社会でそんな事をしたら、間違いなく警察沙汰であろう……
私達、不良グループはいつしか、学校に行かずサボり気味になった。
Kの家が溜まり場となり、数人が集まるようになった。その中には2学年上の3年生の先輩もいた。男子生徒……ドカンにリーゼント……不良を象徴する姿。
ある日、先輩がビニール袋に小瓶を持ってきた。初めは何かわからなかったが、小瓶の蓋を開けた瞬間に理解した。言わゆる”あんばん”だった。
部屋中に立ちこもるシンナーの匂い。
先輩がビニール袋にティッシュを入れ小瓶からそそぐとその匂いだけで、頭がクラクラした。先輩から回し吸いが始まる……私の番がきた。思い切り吸い込んだ。むせ込みながら、もう1回吸った……頭がふわふわした。心地よい気分になった。
夕方、日が暮れて自宅に帰る道、いつもと景色が違うように感じた。
次の日になり少し後悔をした。自分の中で「このままじゃマズイと思った」
その後、Mとは少し距離を置いた。
ある日の夕方、Mとは違う友達と遊んだ帰り道、母校の小学校の前を通った。道の端に見覚えがある白いカローラが止まっていた。N先生の車だった。エンジンがかかりっぱなしで中に人影が見えた。
覗いて見た。運転席には座っていなかったが、助手席にいた。椅子を少し倒しお腹が大きい女の人……
「え?!」「何で妊婦さん?!」「そんな筈ないよね?!」
2度見をしてしまう。目が合った。お互いがそ知らぬ顔をして私は過ぎ去った。
頭の中が真っ白になり、必死で自転車をこいだ。
泣きながら自転車をこいだ。
どうやって自宅に着いたか覚えていない。夕飯も食べず泣き寝入りした事だけは覚えている。
学校に行く前に一服し、登校しても昼休みには帰る。Mの家に溜まりタバコ、あんぱん……
もう後には引けない……
そこから悪い道に進むのはテレビドラマで観るかのように早かった。
それでもN先生の事が頭から離れず、どうしても声が聞きたくなった。
ある日、母校の小学校に電話をした。「N先生いますか?」事務員さんが代わってくれた「はい、Nです」その一声を聞いただけで涙が溢れそうだった。声を震わせ「牧野……」N先生が溜息と共に「お前、何やってんだ?」「え?」「良い噂聞かねな」
「……」私は返す言葉が見つからなかった。「近い内1回来い!」「え?!あ!N先生、結婚したの?!こないだ妊婦さん助手席に乗ってた?!」そう聞くと「俺が結婚なんかする訳ねーだろ!いーから1回来いよ!」そう言われ、後日授業が終わる時間に行く約束をした。
約束の日、N先生のクラスに行きドアをノックすると、手招きをするN先生がいた。
「お前、タバコ吸ってるってるのか?!」
「何で知ってるんだろう?誰から聞いたんだろ?」私は心の中で思いながら「吸ってないよ」そう嘘をついた。N先生の前では”良い子”で居たかった……
「そっか、吸ってないんか、なら良かった」
「中学生活どうだ?!」たわいのない話しをしながら1時間程が経つ……私の中で嘘をついた心苦しい気持ちからか「ごめんなさい、タバコ吸ってる」そんな言葉が出ていた。N先生は最初からわかっていたかのように「何でタバコ吸うんだ?」「何で?タバコを吸うのに理由がある?」私は半笑いしながら言った「何でだよ!」少し怒りながらN先生が聞き返す。私は思わず「N先生が吸ってるから」そう言ってしまった。「俺が吸うからお前も吸ってるんか」半分不貞腐れながら私が頷くと「じゃ、簡単だな、俺がタバコをやめればいいんだな」そう言って手持ちのタバコを握り潰しながらゴミ箱に捨てた。「え?!捨てる事ないのに」捨てたタバコを拾おうとすると「だって、俺が吸ってるからお前も吸ったって言ったじゃねーかよ、俺がやめればお前もやめるんだろ?!」「あぁ……う……ん」中途半端な返事をしながら複雑な気持ちになった。「何でそこまでするの?そこまでしてやめさせたい理由は?そこまでの責任なんかないでしょ」私は心の中で叫んだ。でも正直、嬉しさもあった。そこまで心配されたのは初めてだったからだ。「俺もやめたからお前もやめろよ!」「あぁ、それとこないだのは兄貴の嫁さんだ」そう言って私を見上げた。嘘かホントかはわからなかったが、私にやけを起こさせたくないと思われているのだけは理解できた。
名前は牧野秀美。(匿名)
建国記念日が初めて適用された年……森永製菓がチョコボールを発売した年……
世の中では美空ひばりの真っ赤な太陽、美川憲一の新潟ブルース等が流行歌だったらしい。
両親は九州の福岡、炭鉱の町で生まれ育った。そんな中で生まれた私は6つ違いの姉、2つ違いの兄の次に生まれた末っ子だった。
私が生まれた当時の父は、工場に務める会社員。
母は炭鉱に絡んだ仕事をしていたらしい。
私が3歳の頃、父の転勤で関東のC県I市に引越しとなった。
そんな小さい子供の頃だったが、おぼろげに覚えている部分があった。
私は保育所に預けられ、いつもいつも外が真っ暗になるまで保育所に取り残されていた。
お母さんやお父さんが次々に迎えに来る。私はそれを見送るばかりだった。
いつも最後に来るのは私の母親だった。
手を繋いで歩いて帰る。時には背中におぶられていたように思える。母の背中を覚えている。
私が6歳になり翌春に小学校入学を控えた年、父の転勤が決まった。
県内だったもののK市に引越しとなった。
小学校入学まで半年もなかった為か、保育所に入る事はなかった。
「もうすぐ1年生だから、1人で留守番できるよね、お姉ちゃんも、お兄ちゃんもお昼過ぎれば帰ってくるから」母に言われた。
1人で留守番、という意味がわからなかった。
父が仕事に出かける。お姉ちゃん、お兄ちゃんが学校に行ったあと、母がパートに出ようとしていた。
私は泣いた。誰も居なくなり取り残される気分だったのか、寂しかったのかはわからない。
大泣きをし母を困らせた。母は仕方なく、職場に連れて行った。
当時の母は小さいスーパーにパートで働いていた。
スーパーの事務所でお絵描きをしたり、おもちゃで遊んでいたのを覚えている。
翌年の春、昭和48年私は小学校に入学した。
我が家が貧困だという事が、何となくその頃に理解しつつあった。
入学式での母親の衣装。私のワンピース。
殆どのお母さんは着物だった。昭和のあの時代は正式な場には着物だったのだろう。
だが、母は時代遅れのワンピースだった。
そして同級生は可愛いワンピース。私は姉のお下がりだったのだろうか、母同様、時代遅れのワンピース。子供心に恥ずかしいと思った。
私が小学校に上がり、母の仕事場が変わるようになった。鉄工所で働くようになり、帰りが遅くなるようになった。私は姉や兄と両親を待つ日々が続いた。私が小学校4年生になった頃、姉と父が喧嘩をしていた。理由等は知る由もない。その頃から母と父の口論も聞くようになった。原因は父親のギャンブルだった。
ある日、姉が家を出た。私は必死に追いかけた。泣きなが追いかけた「行かないで行かないで」何度も何度も……
姉が去った後の家の中……崩壊の始まりだったのかも知れない。
その後も何度となく、両親の口喧嘩を聞いては兄と私で止める日が続いた。
私は小学校最後の年となり、小学校生活を満喫していた。
6学年になりひと月程経った頃、市内陸上大会の選手を決める為の体育授業があった。
私はソフトボール選手に選ばれた。
それからは毎日毎日、練習の日々だった。
あの頃の私は、家に帰りたくない心境だったのかも知れない。
家では両親の離婚に向けての話し合いが進んでいた。
当時の私は私なりに何とか食い止められないものか、それなりに悩んでいた。
家庭でのいざこざがあり、次第にソフトボールの練習にも身が入らなくなっていた。
そんな中、1人の教師からやじが飛ばされた。
「ヘタクソ、どこ目掛けて投げてんだ?!」
1学年下のクラスを受け持つN先生だった。
教師に成り立ての新米先生。
生徒の間では不良教師と呼ばれていた。
リーゼント頭で風を切って歩く姿は正しく不良そのものだったからであろう。
Nは陸上大会の担当教師の1人だった。
私は心の中で「何?!この先公!」そう思いながら睨みつけた。
「何睨んでんだよ!」
今の時代にそんな言葉を教師が生徒に言おうものなら、問題となる教師であろう。
しかし、40数年前の教師なんて平気で怒号を飛ばしていた。良くも悪くも愛情表現だったのかはわからない。
その後も何度となく、Nからの指導が入る。
「新米教師のクセに生意気!」時々、心の中でそう思いながら、ボールを投げる。
私の心内を見透かしたかのようにNが言う「素直になれよ」私は知らず知らずに反発的な態度をとっていたのかも知れない。
夕方5時になると練習は終わる。
ある日、練習終了時間になっても私は帰らなかった。練習に夢中になっていた訳ではない。ただ単に家に帰りたくなかっただけ。
そんな私を教室から見かけたN先生が怒鳴る「何やってんだよ、早く帰れよ!」
私は無視をした。ブランコに乗りながら聞こえない振りをし、一生懸命ブランコをこいだ。
「キコキコ、ギギギー」
空に向かって足を投げ出し、大きく大きくこいだ。
「か・え・れ」
N先生が横にきていた。
「聞こえねー振りするなよ」そう言いながらブランコの鎖を掴んだ。
私は下を向いたまま「さよなら」そう言ってランドセルを背負った。
イッタッイ!
背負ったランドセルを引っ張られた。
「何かあったんか?!」
N先生に聞かれた瞬間、涙が溢れた。
自分の中でいっぱいいっぱいだったのだ。
きっと、誰かに聞いてもらいたかったのだと思う。友達は沢山いたが、相談さえできなかった。
あの頃の私にとって両親の離婚は恥ずかしかった。
昨今ではバツイチなんて珍しくもないが、40数年前は後ろ指を指されるような時代だった。
そんな世間の空気を子供ながらに感じていた。
学校では平気なフリをして友達とふざけ合い、誰にも気付かれないようにしていただけに、N先生に”気付かれた”時には堪えていたモノが湧き上がった。
只々泣きまくった。
「話さなきゃわかんねだろ!」
私が落ち着いたころ聞いてきた。
「親が離婚するんだって」
そのひと言だけを発するのが精一杯だった。
何をどう伝えればいいのかさえ分からなかった。
ただ、N先生は「わかった、でも今日はもう遅いから帰れ。帰れるか?!」
私は頷き頭を下げて背中を向けた。
次の日、校内の廊下で出会したN先生から手招きをされた。近寄り「え?!」と言うと「え、じゃねだろ、授業終わったら、俺のクラスに来いよ」
そう言って通り過ぎた。
その日は競技練習はなかった。5時間目が終わり5学年のクラスに向かった。
ドアをノックすると「入れよ」N先生が言った。
教室には数人の生徒が残っていたものの「皆さっさと帰れよー!」N先生のひと言で教室から出て行った。
「もう、決定したんか?!」N先生に聞かれた。
「わからないけど、多分……」
これまでの家庭内の事。私の気持ち、考え、色んな話しをした。
「担任のT先生には話したのか?!」
「担任嫌い、話したくない。」
N先生は少々困惑していた。
「俺だけが解決出来るような話しじゃないぞ」
確かに、陸上競技の顧問的存在だったかも知れないが、私との接点はそれだけだ。
そんな生徒の悩みを聞くような立場ではなかったのであろう。
「学年主任のH先生に話してみていいか?!」
「H先生ならいいけど……」
その後2日程経ったある日、今度は相談室に呼ばれた。
そこには学年主任のH先生とN先生が居た。
これまでの家庭内の状況を聞かれ話しをする。
私は聞いて貰えただけで胸につっかえていたモノが取れた感じだった。
その後も競技練習がない日には、何度となくN先生から呼ばれ、状況を聞かれたり、時にはN先生の昔話しを聞いたりしながら時間が過ぎていった。
陸上競技大会がやってきた。
結果2位だった。1位を取れると自惚れていた。
涙が止まらなかった。悔し泣きをした。
N先生がきて言われた「何で泣いてんだ⁉️」
私はN先生を見て「1位じゃないから!」
そんな思いと共に、この大会が終わったらN先生との接点がなくなる……そんな思いもあったのだ。
いつしか、私の中でN先生の存在が大きくなっていた。
大会が終わり、両親の離婚も決定した……
廊下でN先生に呼び止められたが、通り過ぎようとした。服を引っ張られたが逃げようとすると、壁に押し付けられた。今で言う壁ドンをやられた。
「もう、同情なんかしなくていいから!」
何故か私はそんな言葉を発していた。
「今まで同情で相談にのってた訳じゃねぞ!」
N先生が少し声を荒らげながら言った。
私は子供ながらにヤケになっていた。
私は母親と暮らす事になり、兄は父親と暮らす事となった。
私と母は引越しをした。幸いにも学区内だった為、転校は免れた。義務教育が終わるまでは父親姓を名乗って通える事になった。
冬休みに入り、初めての2人だけのお正月……
40年前の母子家庭に世間は冷たい……
現在のように子育て支援等というものもない。
あまり健康ではなかった母親……
仕事も休みがちだった。そうなれば無論、収入も少なかったろう……父親からの養育費なんて貰えなかった。
分かり切っていた貧乏生活。
3学期が始まり、いよいよ小学校生活が終盤を迎えようとしていた。
N先生への想いは募るばかりだった。
いくら想いを寄せても、12歳の子供が教師とどうにかなるものではない……
私は早く大人になりたかった。そう思う反面では、このまま時が止まってくれれば……毎日N先生と会えるのに……複雑な気持ちのまま日々を送っていた。
3月に入り卒業式……
N先生から書かれたサイン帳の言葉……「君は底抜けに明るい。それを中学生になっても持ち続けて欲しい。友達を想う心を大切にし、これからも頑張って下さい」
小学校まで生きてきた中で1番の宝物になった。
4月に入り中学校に入学となった。
母が兄も引き取る事になった。
私達は3人で暮らす事になった。
私が通う中学校は2小1中だった為、知らない生徒も沢山いた。そんな中で同じクラスになったKと私は意気投合し直ぐに仲良くなった。
ある日、私とKが先輩に呼ばれた。「お前、何で髪染めてんだよ生意気な事してんじゃねぞ!」
先輩が私の頭を掴みながら言ってきた。「染めてません!」言い返しても無駄だった。
私は地毛が茶色い。光に当たると抜けたような色の髪が自慢だった。
だが、それが原因で先輩にシメられた。
「黒くしろよ!」そう言われ解放された。
何で地毛なのに黒く染めなきゃいけない⁉️私は理不尽な言葉に聞く耳等持たなかった。
ある日、Kの自宅に遊びに行った。
Kには3つ上の高校1年生のお姉さんがいた。
両親は共働きで日中は留守だった。
Kの姉がタバコを吸う。Kが普通に「お姉ちゃん、私も」と言いタバコを貰う。「秀美も吸う?」そう言われタバコを渡された。私は普通にタバコを受け取り火をつけ、深呼吸をするとむせ込んだ。
その後は普通に吸えた。大人ぶって吸ったのか、先輩からシメられた事でムシャクシャして吸ったのか、友達の真似をしたくて吸ったのか……今思えば、全てが当てはまるような気がする。
ただ、これがキッカケで不良の道に進んだのは言うまでもない……
私やKは学校の更衣室でもタバコを吸うようになった。当然ながら見つかるのは時間の問題だった。
ある日、他の生徒からのチクリで、私達は職員室に呼ばれた。Kは指導室、私は校長室。多分、聞かれた内容は同じ事。「タバコなんか吸ってないよ、知らなーい」私は白を切った。既に吸い殻が見つかっていたが、何度同じ事を聞かれても、同じ答えで返した。「お前の姉ちゃんも、兄ちゃんもこんな事で呼ばれた事なんかないのにな」1人の教師が言った。姉兄が同じ学校に通っていたら、如何しても比較されるのはわかっていたが、「教師が口にしたらいかんだろ!」私は喉まで出かかったが、口に出す事はなく挨拶もせず、校長室を後にした。
それからと言うもの、私は”不良”をあらわにした。80年代の不良スタイル……まさに、横浜銀蝿の年代だった……頭は金髪、パーマをかけて聖子ちゃんスタイル。長めのスカート……
テストを全て白紙で出せば呼び出され……
教師が気に入らなければ物を投げつけた…
勿論、教師からも暴力なんて当たり前の時代だった。
現代社会でそんな事をしたら、間違いなく警察沙汰であろう……
私達、不良グループはいつしか、学校に行かずサボり気味になった。
Kの家が溜まり場となり、数人が集まるようになった。その中には2学年上の3年生の先輩もいた。男子生徒……ドカンにリーゼント……不良を象徴する姿。
ある日、先輩がビニール袋に小瓶を持ってきた。初めは何かわからなかったが、小瓶の蓋を開けた瞬間に理解した。言わゆる”あんばん”だった。
部屋中に立ちこもるシンナーの匂い。
先輩がビニール袋にティッシュを入れ小瓶からそそぐとその匂いだけで、頭がクラクラした。先輩から回し吸いが始まる……私の番がきた。思い切り吸い込んだ。むせ込みながら、もう1回吸った……頭がふわふわした。心地よい気分になった。
夕方、日が暮れて自宅に帰る道、いつもと景色が違うように感じた。
次の日になり少し後悔をした。自分の中で「このままじゃマズイと思った」
その後、Mとは少し距離を置いた。
ある日の夕方、Mとは違う友達と遊んだ帰り道、母校の小学校の前を通った。道の端に見覚えがある白いカローラが止まっていた。N先生の車だった。エンジンがかかりっぱなしで中に人影が見えた。
覗いて見た。運転席には座っていなかったが、助手席にいた。椅子を少し倒しお腹が大きい女の人……
「え?!」「何で妊婦さん?!」「そんな筈ないよね?!」
2度見をしてしまう。目が合った。お互いがそ知らぬ顔をして私は過ぎ去った。
頭の中が真っ白になり、必死で自転車をこいだ。
泣きながら自転車をこいだ。
どうやって自宅に着いたか覚えていない。夕飯も食べず泣き寝入りした事だけは覚えている。
学校に行く前に一服し、登校しても昼休みには帰る。Mの家に溜まりタバコ、あんぱん……
もう後には引けない……
そこから悪い道に進むのはテレビドラマで観るかのように早かった。
それでもN先生の事が頭から離れず、どうしても声が聞きたくなった。
ある日、母校の小学校に電話をした。「N先生いますか?」事務員さんが代わってくれた「はい、Nです」その一声を聞いただけで涙が溢れそうだった。声を震わせ「牧野……」N先生が溜息と共に「お前、何やってんだ?」「え?」「良い噂聞かねな」
「……」私は返す言葉が見つからなかった。「近い内1回来い!」「え?!あ!N先生、結婚したの?!こないだ妊婦さん助手席に乗ってた?!」そう聞くと「俺が結婚なんかする訳ねーだろ!いーから1回来いよ!」そう言われ、後日授業が終わる時間に行く約束をした。
約束の日、N先生のクラスに行きドアをノックすると、手招きをするN先生がいた。
「お前、タバコ吸ってるってるのか?!」
「何で知ってるんだろう?誰から聞いたんだろ?」私は心の中で思いながら「吸ってないよ」そう嘘をついた。N先生の前では”良い子”で居たかった……
「そっか、吸ってないんか、なら良かった」
「中学生活どうだ?!」たわいのない話しをしながら1時間程が経つ……私の中で嘘をついた心苦しい気持ちからか「ごめんなさい、タバコ吸ってる」そんな言葉が出ていた。N先生は最初からわかっていたかのように「何でタバコ吸うんだ?」「何で?タバコを吸うのに理由がある?」私は半笑いしながら言った「何でだよ!」少し怒りながらN先生が聞き返す。私は思わず「N先生が吸ってるから」そう言ってしまった。「俺が吸うからお前も吸ってるんか」半分不貞腐れながら私が頷くと「じゃ、簡単だな、俺がタバコをやめればいいんだな」そう言って手持ちのタバコを握り潰しながらゴミ箱に捨てた。「え?!捨てる事ないのに」捨てたタバコを拾おうとすると「だって、俺が吸ってるからお前も吸ったって言ったじゃねーかよ、俺がやめればお前もやめるんだろ?!」「あぁ……う……ん」中途半端な返事をしながら複雑な気持ちになった。「何でそこまでするの?そこまでしてやめさせたい理由は?そこまでの責任なんかないでしょ」私は心の中で叫んだ。でも正直、嬉しさもあった。そこまで心配されたのは初めてだったからだ。「俺もやめたからお前もやめろよ!」「あぁ、それとこないだのは兄貴の嫁さんだ」そう言って私を見上げた。嘘かホントかはわからなかったが、私にやけを起こさせたくないと思われているのだけは理解できた。
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