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第二十二節「戦列の条件 託されし絆の真実 目覚めの胎動」
~絶望と歪んだ希望のバランシズム~
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かつてアージが言っていた。
「今鍛えなければ、お前の実力では敵わぬ相手が現れた時後悔するぞ」と。
それは彼女に向けられた言葉では無かったが……戦場に出る者に向けられたとあれば彼女にも向けられたと言っても過言ではない。
決して努力をしてこなかった訳ではないが、勇達と比べればその規模はとても小さい。
また彼女はその言葉に対し他人事であったという事もあったのだろう。
それに加え彼等の在り方の否定がその力の差を顕著にさせた。
だからこそ、彼女は彼等の下を去ろうとしたのだ……ただ、置いて行かれる事が怖かったから……。
それが彼女の言う、自尊心の為……。
だが現実は突如として彼女を襲う。
それは圧倒的な力として、自分を包み込む恐怖として。
もはや自尊心など欠片も残ってはいない。
そこにあるのは冷静沈着でも、クールビューティでも何でも無い。
醜く、脅え、逃げ惑う……ただ一人の、堕ちた敗者だった。
「ハァッ!! ア"ッ!! ハッ!! うあぁああーーー!!」
―――嫌だ!! 嫌だ!! 嫌だーーー!!―――
「うぅぅぅうううぃぃ!! いやだぁあーーー!!」
―――助けて!! 誰か助けて!!―――
「やだぁーーー!! たすけてぇえーーーー!! 誰でもいいから助けてよおおおお!!」
―――死にたく……ない……!!―――
「じにだぐないぃいい!! やだぁあ!! やだぁあーーーーーーーー!!」
その様は最早理性の欠片も感じない、感情から出る懇願の声。
思考よりもただ訴えたい言葉だけが先行し、声を濁す。
何もかもが必死で、体裁など忘れ、瀬玲はただひたすら……逃げ続けた。
ドンッ!!
不意に何かにぶつかり、瀬玲の体が弾かれる様に地面へと転がる。
尻餅を突き、焦りのまま立ち上がろうとする中……視界もおぼつかない彼女の耳に思わぬ声が響いた。
「どこへ行こうというのだ? それでは崖に真っ逆さまだぞ?」
瀬玲の前に立つのはウィグルイ……彼女よりも素早く回り込んだ彼が、岩の様に佇み彼女の行く道を防いだのだ。
「あ、あああ……い、いやぁ……!!」
ウィグルイの忠告など聞く耳も持たず、彼女はただ感情のままに立ち上がり……ウィグルイから逃げる様に再び走り出した。
「いやぁ……いやだぁ……!!」
ドンッ!!
勢いに乗る間も無く、再び瀬玲の体が硬い何かにぶつかる……それもまたウィグルイの身体。
「ひいィーーーーーー!?」
甲高い悲鳴を上げ、息も絶え絶えの彼女はぶつかった勢いのままに別方向へと足を切り返し走り続ける。
だが、逃げても、逃げても、逃げても……その先に立ちはだかるのは彼。
「逃げられない」……そう悟った時、瀬玲は何にぶつかる事も無く……自ら腰を地面に落とした。
「あ……ああ……」
幾度と無く自身の道を塞ぐ様に回り込むウィグルイを前に、恐怖の感情が瀬玲の心を黒く塗り潰す。
避けられない結末……それを予感した彼女は最早声を上げる事すら出来ず、目の前の恐怖の対象をただ見上げるのみ。
今の彼女にとってのウィグルイの姿は、同じような背丈であるにも関わらず……空を覆い包んでしまう程に大きく、そしてどす黒い影の様相に見えていた。
だが当の本人はと言えば……彼女に愛想を尽かす様に溜息を吐き、冷たい視線を向けていた。
「まるで鼠よのぉ……さぁて、どうしたものかのぉ……」
一歩一歩、時間を掛けてゆっくりと踏みしめて瀬玲へ近づくウィグルイ……徐々に迫りくる彼から逃げる様に、瀬玲が尻を引きずり後ずさる。
「た、助けて……!!」
恐怖で歯を「ガチガチ」と鳴らし、震える様な声を上げ、命乞いを訴える。
そんな彼女の事は既に興味無いのだろう、ウィグルイは表情を変える事も無く見下ろしていた。
「このまま捕まえて、若者達の修行の的にさせるか……それとも四肢を捥いで子供達の遊び道具にするか……」
その選択の中に、彼女がまともに生きる道は無い。
悲観しか感じられないその言葉を聞いた瀬玲の震えた目から涙が溢れ……「死にたくない」と思う感情が彼女をただ突き動かした。
気付けば彼女は……ウィグルイの足にしがみつき、ただただ……命乞いをしていた。
「お願いです……殺さないでぇ!! 命だけは……命だけは助けてくださいぃ!!」
途端、彼女の体が蹴り上げられ……地面へ力無く転がる。
震えた体を支え、弱々しく体を持ち上げるが……懇願すら届かない絶望に、もはや全身が震え……逃げる事すら出来ない。
―――ダメだ……もう……助からない……―――
そう思った時……全身から力が抜け、ガクリと項垂れる様に頭と肩を落とす。
泥まみれとなった彼女の髪が散り散りに跳ね上がり、荒れてくったりとなった様がまるで彼女の心境を物語る様であった。
「あ……あ……」
言葉に成らない声が口から洩れ、彼女の感情が絶望に押し潰されていく。
すがるものは ない
たすけも こない
ゆうは いない
みんな いない
黒く、暗く、何も無い空間に、彼女の心が沈んでいく。
波紋を立てて、沈んでいく。
全てを曝け出した心が、死んでいく。
「―――だが、助けてやらん事もない」
その時、不意に聞こえた言葉が瀬玲の目に小さく光を灯させた。
「え……?」
心が死にかけていた所為か、それが夢か幻だとも感じたのだろう。
戸惑う様な声を上げ、彼女の顔がゆっくりとウィグルイの顔を見上げていく。
「条件を飲めば……貴公をこのまま逃がしても良かろうなぁ」
降って沸いた僅かな希望……それにすがる様に、彼女がただじっと彼の目を見つめ、『条件』の提示を待つ。
そんな彼女へ瞼を降ろした細い目で返し……そっと自身の片足を彼女の前に差し出すと、ゆっくりとその口を開いた。
「舐めよ……さすれば二度とこの場に現れず我々を忘れるという誓いとして受け入れようぞ」
『こちら側』であろうと『あちら側』であろうと、彼の提示したその意味合いは同じなのだろう。
「相手の足を舐める行為」……それは服従の証、そして隷属の証でもある。
己の死か、隷属か……それは常人からしてみれば耐えがたい選択と言えるだろう。
だが……今の彼女にとっては、これ以上に無い……救いだったのだ。
―――舐めれば……助かる……死ななくて済む……!!―――
舐めるか、舐めないか。
今の瀬玲にその二択は無意味であった。
ゆっくりと不自由となった体を引きずる様に、一心不乱に二人の距離を詰めていく。
ただ「助かりたい」……その一心が彼女を揺り動かし、その顔をウィグルイの足のつま先へと向かわせていた。
遂に瀬玲の顔がウィグルイの差し出された足へと手に取れる程に近づく。
なお微動だにしないままのウィグルイ。
ただじっと、彼女の選択を待ち、彼女の動向を見守る様にその視線を彼女の頭部へと送っていた。
徐々に近づく事で足の様相がくっきりと視界に浮かび上がり、ごつごつとしたつま先が彼女の前に姿を晒す。
それと同時に、ツンと鼻を突く臭いが彼女の顔の周囲に立ち込め……それを感じてか、僅かに顔をしかめていた。
―――これを舐めたら……終わり……―――
小さく震えた唇をパクリと開け、舌を覗かせる。
そしてゆっくりとその顔を足へと近づけ……刻む様にゆっくりとゆっくりと……その舌を足へと寄せていく。
すると……もう間もなく舌が足へ触れようとした時、不意に彼女の動きが止まった。
―――私……何やってるんだろ―――
その瞬間、彼女の脳裏にまるで走馬灯の様に想いが駆け巡っていた。
死を覚悟していたからか、それとも自分の心が死んだからか……。
引き金になったのが何かは誰にもわからない……。
だがその一瞬で彼女は見えていた。
「今鍛えなければ、お前の実力では敵わぬ相手が現れた時後悔するぞ」と。
それは彼女に向けられた言葉では無かったが……戦場に出る者に向けられたとあれば彼女にも向けられたと言っても過言ではない。
決して努力をしてこなかった訳ではないが、勇達と比べればその規模はとても小さい。
また彼女はその言葉に対し他人事であったという事もあったのだろう。
それに加え彼等の在り方の否定がその力の差を顕著にさせた。
だからこそ、彼女は彼等の下を去ろうとしたのだ……ただ、置いて行かれる事が怖かったから……。
それが彼女の言う、自尊心の為……。
だが現実は突如として彼女を襲う。
それは圧倒的な力として、自分を包み込む恐怖として。
もはや自尊心など欠片も残ってはいない。
そこにあるのは冷静沈着でも、クールビューティでも何でも無い。
醜く、脅え、逃げ惑う……ただ一人の、堕ちた敗者だった。
「ハァッ!! ア"ッ!! ハッ!! うあぁああーーー!!」
―――嫌だ!! 嫌だ!! 嫌だーーー!!―――
「うぅぅぅうううぃぃ!! いやだぁあーーー!!」
―――助けて!! 誰か助けて!!―――
「やだぁーーー!! たすけてぇえーーーー!! 誰でもいいから助けてよおおおお!!」
―――死にたく……ない……!!―――
「じにだぐないぃいい!! やだぁあ!! やだぁあーーーーーーーー!!」
その様は最早理性の欠片も感じない、感情から出る懇願の声。
思考よりもただ訴えたい言葉だけが先行し、声を濁す。
何もかもが必死で、体裁など忘れ、瀬玲はただひたすら……逃げ続けた。
ドンッ!!
不意に何かにぶつかり、瀬玲の体が弾かれる様に地面へと転がる。
尻餅を突き、焦りのまま立ち上がろうとする中……視界もおぼつかない彼女の耳に思わぬ声が響いた。
「どこへ行こうというのだ? それでは崖に真っ逆さまだぞ?」
瀬玲の前に立つのはウィグルイ……彼女よりも素早く回り込んだ彼が、岩の様に佇み彼女の行く道を防いだのだ。
「あ、あああ……い、いやぁ……!!」
ウィグルイの忠告など聞く耳も持たず、彼女はただ感情のままに立ち上がり……ウィグルイから逃げる様に再び走り出した。
「いやぁ……いやだぁ……!!」
ドンッ!!
勢いに乗る間も無く、再び瀬玲の体が硬い何かにぶつかる……それもまたウィグルイの身体。
「ひいィーーーーーー!?」
甲高い悲鳴を上げ、息も絶え絶えの彼女はぶつかった勢いのままに別方向へと足を切り返し走り続ける。
だが、逃げても、逃げても、逃げても……その先に立ちはだかるのは彼。
「逃げられない」……そう悟った時、瀬玲は何にぶつかる事も無く……自ら腰を地面に落とした。
「あ……ああ……」
幾度と無く自身の道を塞ぐ様に回り込むウィグルイを前に、恐怖の感情が瀬玲の心を黒く塗り潰す。
避けられない結末……それを予感した彼女は最早声を上げる事すら出来ず、目の前の恐怖の対象をただ見上げるのみ。
今の彼女にとってのウィグルイの姿は、同じような背丈であるにも関わらず……空を覆い包んでしまう程に大きく、そしてどす黒い影の様相に見えていた。
だが当の本人はと言えば……彼女に愛想を尽かす様に溜息を吐き、冷たい視線を向けていた。
「まるで鼠よのぉ……さぁて、どうしたものかのぉ……」
一歩一歩、時間を掛けてゆっくりと踏みしめて瀬玲へ近づくウィグルイ……徐々に迫りくる彼から逃げる様に、瀬玲が尻を引きずり後ずさる。
「た、助けて……!!」
恐怖で歯を「ガチガチ」と鳴らし、震える様な声を上げ、命乞いを訴える。
そんな彼女の事は既に興味無いのだろう、ウィグルイは表情を変える事も無く見下ろしていた。
「このまま捕まえて、若者達の修行の的にさせるか……それとも四肢を捥いで子供達の遊び道具にするか……」
その選択の中に、彼女がまともに生きる道は無い。
悲観しか感じられないその言葉を聞いた瀬玲の震えた目から涙が溢れ……「死にたくない」と思う感情が彼女をただ突き動かした。
気付けば彼女は……ウィグルイの足にしがみつき、ただただ……命乞いをしていた。
「お願いです……殺さないでぇ!! 命だけは……命だけは助けてくださいぃ!!」
途端、彼女の体が蹴り上げられ……地面へ力無く転がる。
震えた体を支え、弱々しく体を持ち上げるが……懇願すら届かない絶望に、もはや全身が震え……逃げる事すら出来ない。
―――ダメだ……もう……助からない……―――
そう思った時……全身から力が抜け、ガクリと項垂れる様に頭と肩を落とす。
泥まみれとなった彼女の髪が散り散りに跳ね上がり、荒れてくったりとなった様がまるで彼女の心境を物語る様であった。
「あ……あ……」
言葉に成らない声が口から洩れ、彼女の感情が絶望に押し潰されていく。
すがるものは ない
たすけも こない
ゆうは いない
みんな いない
黒く、暗く、何も無い空間に、彼女の心が沈んでいく。
波紋を立てて、沈んでいく。
全てを曝け出した心が、死んでいく。
「―――だが、助けてやらん事もない」
その時、不意に聞こえた言葉が瀬玲の目に小さく光を灯させた。
「え……?」
心が死にかけていた所為か、それが夢か幻だとも感じたのだろう。
戸惑う様な声を上げ、彼女の顔がゆっくりとウィグルイの顔を見上げていく。
「条件を飲めば……貴公をこのまま逃がしても良かろうなぁ」
降って沸いた僅かな希望……それにすがる様に、彼女がただじっと彼の目を見つめ、『条件』の提示を待つ。
そんな彼女へ瞼を降ろした細い目で返し……そっと自身の片足を彼女の前に差し出すと、ゆっくりとその口を開いた。
「舐めよ……さすれば二度とこの場に現れず我々を忘れるという誓いとして受け入れようぞ」
『こちら側』であろうと『あちら側』であろうと、彼の提示したその意味合いは同じなのだろう。
「相手の足を舐める行為」……それは服従の証、そして隷属の証でもある。
己の死か、隷属か……それは常人からしてみれば耐えがたい選択と言えるだろう。
だが……今の彼女にとっては、これ以上に無い……救いだったのだ。
―――舐めれば……助かる……死ななくて済む……!!―――
舐めるか、舐めないか。
今の瀬玲にその二択は無意味であった。
ゆっくりと不自由となった体を引きずる様に、一心不乱に二人の距離を詰めていく。
ただ「助かりたい」……その一心が彼女を揺り動かし、その顔をウィグルイの足のつま先へと向かわせていた。
遂に瀬玲の顔がウィグルイの差し出された足へと手に取れる程に近づく。
なお微動だにしないままのウィグルイ。
ただじっと、彼女の選択を待ち、彼女の動向を見守る様にその視線を彼女の頭部へと送っていた。
徐々に近づく事で足の様相がくっきりと視界に浮かび上がり、ごつごつとしたつま先が彼女の前に姿を晒す。
それと同時に、ツンと鼻を突く臭いが彼女の顔の周囲に立ち込め……それを感じてか、僅かに顔をしかめていた。
―――これを舐めたら……終わり……―――
小さく震えた唇をパクリと開け、舌を覗かせる。
そしてゆっくりとその顔を足へと近づけ……刻む様にゆっくりとゆっくりと……その舌を足へと寄せていく。
すると……もう間もなく舌が足へ触れようとした時、不意に彼女の動きが止まった。
―――私……何やってるんだろ―――
その瞬間、彼女の脳裏にまるで走馬灯の様に想いが駆け巡っていた。
死を覚悟していたからか、それとも自分の心が死んだからか……。
引き金になったのが何かは誰にもわからない……。
だがその一瞬で彼女は見えていた。
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