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第七節「絆と絆 その信念 引けぬ想い」
~Travel <旅行>~
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「本当は観光で来られれば良かったんだけどね。 終わった後にもし時間があれば京都の街並み、楽しんでいってください」
車に乗り込んで早々、御味の明るい声が車内を包む。
元々がそんな性格なのだろう、初対面の挨拶と打って変わって大らかな雰囲気だ。
多少訛りを感じるが、語りは至って普通の標準語である。
やはり関西圏外から来たとあれば、本場の関西弁が聴きたいとも思うもので。
勇もちゃなも密かに楽しみにしていたのだが、どうやらアテが外れた模様。
もちろんこれは二人の勝手な期待であり、御味の与り知る所では無いが。
「はい、そのつもりです。 無事に終われたら、ですけどね。 ……にしても京都に来たのは中学の修学旅行以来だなぁ。 あの時は班のメンバーの好きな所ばかりで行きたい所に行けなかったけど」
修学旅行と言えば、仲の良い友達同士で班を組んだりして自分達で名所を回る事もある。
中学時代の勇は比較的意思が弱く、友達にも引っ張られっぱなしだったのだろう。
時期的に言えば相手は恐らく、あのお節介な統也な訳で。
思い出されるのはどうやらそれほど良い思い出とは言え無さそうだ。
ただ、修学旅行と言えば、もっと良い思い出の無い人物が隣に一人。
「修学旅行かぁ……ハァ」
その言葉を聴いた途端、ちゃなが明るかった顔に影を落としていて。
中学生時代の苦い思い出を不意に思い出し、たちまち綺麗な顔に歪みが帯びる。
そしてそんな原因を生んでしまった勇はと言えば―――
「あーやべ……」
「やっちまった」と言わんばかりに口元が窄み、目が瞑られた顔は堪らず天井へ。
当然、ちゃなは修学旅行を経験した事が無い。
研修旅行と呼ばれる類は愚か、集金を必要とする類の催し物は一切不参加なのだから。
そうもなれば憧れもするし、参加出来ない事に後悔する事だってあるだろう。
ちゃなの思い出したくない過去は割と一般常識スレスレの位置にある。
発言も気を付けないと、こうして何気無い一言で沈めさせてしまう事もあるのだ。
「ま、まぁほら、京都は観光名所だし。 どうせ俺達夏休みですぐ帰る必要もないしさ、なんなら一週間くらい修学旅行風に泊まってでも―――」
だがその時、勇は今の発言がどういう意味を成すのか、その事実に初めて気が付いた。
確かに今の発言はちゃなを励まそうとして言ったものだろう。
きっと鈍いちゃなだから、その意味もわかりはしないだろう。
でも気付いてしまった者は違う。
仮に旅行で泊まるとして、誰と誰がどこで寝泊まりするのだろうか。
今回の作戦は両親の随伴を必要としないと判断され、二人でのみの来訪だ。
レンネィは今回、現在福留と日本文化の学習という理由で作戦から外されている。
御味は家庭持ちという事で常に同伴する訳にはいかないだろう。
そう……つまり勇とちゃなが二人で、宿泊施設で寝泊まりするのだ。
血も繋がっていない男女が、誰も監視していない場所で、二人っきりで寝泊まりする事になるのである。
そうもなれば、元々想像力豊かな勇が妄想しないはずも無く。
そうして脳裏に浮かび上がったのは、二人が五重塔を前にした旅館で泊まる様子。
風流とも言える風景の中、何故かちゃなははだけた浴衣を羽織っていて。
惚けた顔を勇へと向けて微笑む姿が―――
「ノォーーーーーーウッッッ!!!」
「どうしたんだい勇君!?」
しかしここで勇の理性が妄想を振り払う。
今のこの場はいわゆる公共で、そんな妄想を広げる場所ではない。
何より妄想の相手がその隣に居る訳で。
その妄想の欠片すらも追い出さんばかりに、両手で自身の頬を押し潰す。
ちゃなが驚きの丸い目を向ける中であろうともお構いなしである。
「いや、違うんです。 そうですよね、旅行は楽しめばいいんだと思います。 見る所だって、食べる所だって一杯あるし。 きっと温泉で戦いの疲れも癒せますよね―――」
ただそれでも冷静さだけは取り戻せなかった様だ。
どうやら勇少年、墓穴を掘るのも得意な御様子。
温泉―――それはある意味で言えば青春の夢。
男女が一糸纏わず、一枚の壁で遮られた場にて束の間の癒しを享受する空間である。
※※※ もちろん勇の妄想上の温泉であって実際とは異なるが ※※※
そしてそんな温泉が備えられた旅館の一室に泊まったら―――
そんな欲望が勇の脳裏を貫いた時、再びあられもない妄想が理性を押し退ける。
そうして出て来たのは、温泉に浸かるちゃなの姿。
肩まで湯に沈めた姿はとても気持ちよさそう。
きっと暖かいのだろう、振り向いて見せた顔は火照って艶やかで。
そっと手招きしながら貴方を誘ってる。
隣に来てと、待っている。
「ンノォォォーーーーーーーーウッッッ!!!!!」
だがその時、最後の壁がまたしても妄想を振り払う。
自ら後頭部を座席に打ち付ける事で冷静さを取り戻したのだ。
もはや理性を保つので必死である。
しかしそんな事情を知るはずも無いちゃなはと言えば―――
「勇さん、もしかして体調悪いんですか……?」
柔らかな掌をそっと勇の額に充てていて。
妄想の中の彼女とは全く違う、純粋な少女として気遣う姿が。
でもそれで良かったのだ。
ちゃなが妄想とは違う子なのだと充分認識出来たから。
「ううん、大丈夫……ごめんね」
「?」
そうして漏れたのは、妄想してしまった事へのお詫びのカタチ。
例え本人がわからなくても。
首を傾げていても。
そう言わなければきっと理性が勝てない、そう思ったから。
まだまだ道中は始まったばかり。
でもどうやらこの魅惑と障害だらけの道程だけは、別の意味で苦戦を強いられそうだ。
◇◇◇
御味が運転する車の道程は実に緩やかだった。
観光名所らしき場所の横を通り過ぎたり、そんな場所を軽く説明したり。
本当なら人が多いからと迂回するのだろうが、まるで敢えてその道を選んだ様にも感じられて。
というのも、これは御味の配慮の一つ。
標準語での会話と同様に。
二人が京都に訪れたのは旅行が目的では無い。
でも息抜きも時には必要だ。
だからそんな息抜きも兼ねて、ちょっとだけ色を出したのだろう。
少しくらいは遅れても問題無いという、二人を想った故の独断行動である。
そしてそんな配慮が勇達を喜ばせたのは言うまでもない。
思わず現れた光景に、車内ではしゃぐ姿が。
こうして見せる姿はとても戦士とは言い難い程に無邪気で。
観光マップを片手に、二人で指を差しながら笑い合う。
そんな二人をバックミラー越しに覗く御味には、健やかな笑顔が浮かんでいた。
ただそんな楽しい時間がいつまでも続く訳では無く。
気付けば都市部を抜け、民家が並ぶ光景へと移り変わっていて。
それも次第にばらけていくと、遂には山間へと入り、畑や木々が並ぶ景色が目立ち始めていく。
それから一時間ほど走った頃だろうか。
遂に来たるべきその時が訪れた。
「もう間も無く目的地なので、準備をよろしくお願いします」
そう、隠れ里がもう近いのだ。
その一言が勇とちゃなに緊張感を与え。
互いに用意した装備を準備していく。
ちゃなは専用ケースから【ドゥルムエーヴェ】を取り出していて。
おまけに中に仕舞われていた、魔剣を背負う為の肩掛け【エーヴェホルダー】をその身に纏う。
これも先日の内に勇の母親がこしらえた物。
大きなドゥルムエーヴェを常に手で持ち続けなくてもよくする為に、肩へ背負える様にしたものだ。
ちなみにアイディアはちゃなと、話を聞いた福留から得られたものである。
後ほど正式な支給品を作るという事で、急遽試作してもらったという代物だ。
高い材料費と給料が出るという事で母親もノリノリだったのだとか。
対して勇は戦闘服を身に纏い、魔剣ホルダーを背中へと回す。
もちろん、今まで通り使ってきた物だ。
とはいえ、これまででだいぶ酷使してきたからか、どちらも既に綻びがちらほらと。
戦闘服は安物のウィンドブレーカーで生地も弱く、所々が破れていて。
魔剣ホルダーは中古のベルトを改造したものという事もあり、全体的に皮が割れてボロボロだ。
鞘の部分も剣聖から貰った物を流用しているが、既に穴や切れ跡が目立ち始めている。
どちらも短期とはいえ、今までの状況の中で良く持った方だと言えるだろう。
なお勇の装備が現行仕様のままなのは、現在特事部にて装備の一新を計画しているから。
保護具の例もある様に、勇の場合はただ考えた物を用意するだけでは駄目なのだ。
最も動きやすく、有用性のある装備を造るとなれば、戦闘経験のフィードバックが何より必要不可欠なのだから。
現在はその情報を収集中という訳で。
それまでは今まで通りの装備で、というのが勇の装備状況である。
「御味さん、俺達の方は準備オッケーです」
「わかりました。 もう後五分程で着くので、それまで待っていてください」
現在走っている場所は小さな町中で、住人と思われる人々の歩く姿もちらほらと。
きっと隠れ里の事は知らされていないままなのだろう。
逆を取れば、彼等もまだその存在に気付いていないとも言える。
つまり、あの外部からの干渉を防ぐ障壁は良い意味でも役立っているという訳だ。
もし魔者がここにも居るとわかれば、町の人間がパニックを起こしても不思議ではないのだから。
そんな町並みも景色から消え始め、畑と林と道路だけになっていく。
すると突然車体が大きく曲がり始め、安定していた車内にたちまち細かな振動を催し始める。
どうやら公道から外れた様だ。
勇とちゃながフロントガラスから正面を見てみると、既に車は森へと向けて走っていて。
鬱蒼と茂った木々を前に、勇が福島での思い出を脳裏に過らせる。
福島の隠れ里では非常に足場が悪かった。
泥水に塗れた山中は空気も淀んで気持ちいい物ではなく。
もしあの場所で戦いになっていたら、きっと苦戦は必至だっただろう。
あの場に居たのがグゥだけで良かった、そう思ってならない程に。
ただ、勇の心配はどうやら取り越し苦労だった様だ。
満を辞して車が停車したのは、比較的開けた場所。
木々が立ち並ぶも、空の景色が一望出来るくらいの。
おまけに足場もしっかりと水分が抜け、砂利交じりの薄茶色い土面が露わとなっている。
そして天気は良好。
戦いにおけるコンディションならばバッチリだ。
「着きました。 で、実はすぐ目の前が例の見えない壁なんですよ」
「ええっ!?」
そう、もう既に現場は目の前なのだ。
唐突な御味のカミングアウトに、勇もちゃなも驚きである。
「だ、大丈夫なんですか、こんな近付いて!?」
「監視している限り、中から出て来る魔者はいませんでしたから平気でしょう。 それに、お二人を置いたらさすがに離れますから安心してください」
この御味という男、思った以上に肝が据わっているのだろう。
その行動力はますます福留を彷彿とさせるかのよう。
何せいつだかウィガテ戦の際、福留が勇達に隠れて付いて来た事は今でも思い出せる程の驚きで。
一歩間違えれば殺されかねない死地に突っ込むなど、よほどの人間に出来る訳も無く。
「なんだか福留さんが御味さんを選んで寄越した理由がわかった気がしますよ」
「はは、そうよく言われるよ。 まぁ僕は福留先生に憧れて師事しているからね、行動も似通ってるらしいんだ」
でもきっと勇にそう言われたのが嬉しかったのだろう。
そう語る口ぶりは先程までの敬語ではなく地の話し方で。
それでいて見せた顔にはニッコリとした笑みが浮かんでいたから。
勇もそんな地を見せる御味に親近感を感じた様で。
気付けばそんな笑顔に応える様に、勇もまたニンマリとした笑みで返していた。
「でも御味さんは福留さんみたいな敬語より、今みたいな話し方してくれる方が俺はいいかなぁ。 それじゃあ俺達は行きますので。 何かあったら連絡します」
「はは、わかったよ。 それじゃあ気を付けて!」
御味の見送りの下、勇とちゃなが遂に車から降り立つ。
目の前に広がっているであろう、見えぬ壁を前にして。
二人を降ろした車はと言えば、そのまま大胆にも勇達の前で大きく旋回し、来た道へと戻っていく。
そんな様子を見送る勇からは安堵の溜息が。
いっそこれくらい潔く離れてくれた方が勇達にとっては助かるのだろう。
こうして御味が去り、ようやく勇達の作戦が開始される事となる。
まずは目の前にある結界を突破しなければならない。
だとすれば、やるのは当然―――
「それじゃこれから俺が結界を破ってみる。 田中さんは念の為に離れて、いつでも攻撃出来る様にしていてくれる?」
「は、はいっ!」
そう、勇である。
いつかレンネィに教えてもらった結界突破方法を実践する時がようやく訪れたのだ。
もちろんこんな日の為に何度か練習も重ね続けて来て。
後は実践に移すだけにまで仕上げて来たから。
そこまで準備を重ねて来た勇にもはや迷いは無い。
だが当然、それでも警戒も忘れない。
だから勇はこうしてちゃなを下がらせたのだ。
勇達の道を阻む結界は実際の所、非常に危険な代物だと言える。
侵入者に対しては視界を防ぐ壁になるが、内部から外は丸見え。
もし壁の向こうに敵が居る場合、勇達の行動は筒抜けとなってしまう。
つまり、内部から奇襲される可能性があるという訳で。
なのにも拘らず二人が揃って壁際に居れば、最悪の場合は一緒に倒されてしまいかねない。
勇ならば例えそうなったとしても自慢の感覚で危険の回避も難しくは無いだろう。
でも運動能力の低いちゃなの場合はそうもいかない。
そして何より、ちゃなが離れて警戒してくれればそれだけで保険となる。
ちゃなの遠距離砲撃は正確無比で一撃必殺。
これほど心強い援護は無いだろう。
つまり今のこの位置取りが、二人にとってのベストポジションなのである。
もちろん理由はそれだけに留まらない。
強烈と名高い砲撃型魔剣使いが睨みを利かしているのだ。
勇へと迂闊に手出ししようものなら、恐ろしい反撃が待っていると言っても過言ではないのだから。
とはいえ、それは相手が余程の命知らずでなければ、の話だが。
「さてと……それじゃあちょっとやってみるか、【命力レーダー】ってやつをさ」
全ての準備が整い、勇がその体を揺り動かす。
今まで培ってきた技術の集大成を示す為に。
緊張が、不安が渦巻く中で。
遂に勇の体が淡い光を纏い始めるのであった。
車に乗り込んで早々、御味の明るい声が車内を包む。
元々がそんな性格なのだろう、初対面の挨拶と打って変わって大らかな雰囲気だ。
多少訛りを感じるが、語りは至って普通の標準語である。
やはり関西圏外から来たとあれば、本場の関西弁が聴きたいとも思うもので。
勇もちゃなも密かに楽しみにしていたのだが、どうやらアテが外れた模様。
もちろんこれは二人の勝手な期待であり、御味の与り知る所では無いが。
「はい、そのつもりです。 無事に終われたら、ですけどね。 ……にしても京都に来たのは中学の修学旅行以来だなぁ。 あの時は班のメンバーの好きな所ばかりで行きたい所に行けなかったけど」
修学旅行と言えば、仲の良い友達同士で班を組んだりして自分達で名所を回る事もある。
中学時代の勇は比較的意思が弱く、友達にも引っ張られっぱなしだったのだろう。
時期的に言えば相手は恐らく、あのお節介な統也な訳で。
思い出されるのはどうやらそれほど良い思い出とは言え無さそうだ。
ただ、修学旅行と言えば、もっと良い思い出の無い人物が隣に一人。
「修学旅行かぁ……ハァ」
その言葉を聴いた途端、ちゃなが明るかった顔に影を落としていて。
中学生時代の苦い思い出を不意に思い出し、たちまち綺麗な顔に歪みが帯びる。
そしてそんな原因を生んでしまった勇はと言えば―――
「あーやべ……」
「やっちまった」と言わんばかりに口元が窄み、目が瞑られた顔は堪らず天井へ。
当然、ちゃなは修学旅行を経験した事が無い。
研修旅行と呼ばれる類は愚か、集金を必要とする類の催し物は一切不参加なのだから。
そうもなれば憧れもするし、参加出来ない事に後悔する事だってあるだろう。
ちゃなの思い出したくない過去は割と一般常識スレスレの位置にある。
発言も気を付けないと、こうして何気無い一言で沈めさせてしまう事もあるのだ。
「ま、まぁほら、京都は観光名所だし。 どうせ俺達夏休みですぐ帰る必要もないしさ、なんなら一週間くらい修学旅行風に泊まってでも―――」
だがその時、勇は今の発言がどういう意味を成すのか、その事実に初めて気が付いた。
確かに今の発言はちゃなを励まそうとして言ったものだろう。
きっと鈍いちゃなだから、その意味もわかりはしないだろう。
でも気付いてしまった者は違う。
仮に旅行で泊まるとして、誰と誰がどこで寝泊まりするのだろうか。
今回の作戦は両親の随伴を必要としないと判断され、二人でのみの来訪だ。
レンネィは今回、現在福留と日本文化の学習という理由で作戦から外されている。
御味は家庭持ちという事で常に同伴する訳にはいかないだろう。
そう……つまり勇とちゃなが二人で、宿泊施設で寝泊まりするのだ。
血も繋がっていない男女が、誰も監視していない場所で、二人っきりで寝泊まりする事になるのである。
そうもなれば、元々想像力豊かな勇が妄想しないはずも無く。
そうして脳裏に浮かび上がったのは、二人が五重塔を前にした旅館で泊まる様子。
風流とも言える風景の中、何故かちゃなははだけた浴衣を羽織っていて。
惚けた顔を勇へと向けて微笑む姿が―――
「ノォーーーーーーウッッッ!!!」
「どうしたんだい勇君!?」
しかしここで勇の理性が妄想を振り払う。
今のこの場はいわゆる公共で、そんな妄想を広げる場所ではない。
何より妄想の相手がその隣に居る訳で。
その妄想の欠片すらも追い出さんばかりに、両手で自身の頬を押し潰す。
ちゃなが驚きの丸い目を向ける中であろうともお構いなしである。
「いや、違うんです。 そうですよね、旅行は楽しめばいいんだと思います。 見る所だって、食べる所だって一杯あるし。 きっと温泉で戦いの疲れも癒せますよね―――」
ただそれでも冷静さだけは取り戻せなかった様だ。
どうやら勇少年、墓穴を掘るのも得意な御様子。
温泉―――それはある意味で言えば青春の夢。
男女が一糸纏わず、一枚の壁で遮られた場にて束の間の癒しを享受する空間である。
※※※ もちろん勇の妄想上の温泉であって実際とは異なるが ※※※
そしてそんな温泉が備えられた旅館の一室に泊まったら―――
そんな欲望が勇の脳裏を貫いた時、再びあられもない妄想が理性を押し退ける。
そうして出て来たのは、温泉に浸かるちゃなの姿。
肩まで湯に沈めた姿はとても気持ちよさそう。
きっと暖かいのだろう、振り向いて見せた顔は火照って艶やかで。
そっと手招きしながら貴方を誘ってる。
隣に来てと、待っている。
「ンノォォォーーーーーーーーウッッッ!!!!!」
だがその時、最後の壁がまたしても妄想を振り払う。
自ら後頭部を座席に打ち付ける事で冷静さを取り戻したのだ。
もはや理性を保つので必死である。
しかしそんな事情を知るはずも無いちゃなはと言えば―――
「勇さん、もしかして体調悪いんですか……?」
柔らかな掌をそっと勇の額に充てていて。
妄想の中の彼女とは全く違う、純粋な少女として気遣う姿が。
でもそれで良かったのだ。
ちゃなが妄想とは違う子なのだと充分認識出来たから。
「ううん、大丈夫……ごめんね」
「?」
そうして漏れたのは、妄想してしまった事へのお詫びのカタチ。
例え本人がわからなくても。
首を傾げていても。
そう言わなければきっと理性が勝てない、そう思ったから。
まだまだ道中は始まったばかり。
でもどうやらこの魅惑と障害だらけの道程だけは、別の意味で苦戦を強いられそうだ。
◇◇◇
御味が運転する車の道程は実に緩やかだった。
観光名所らしき場所の横を通り過ぎたり、そんな場所を軽く説明したり。
本当なら人が多いからと迂回するのだろうが、まるで敢えてその道を選んだ様にも感じられて。
というのも、これは御味の配慮の一つ。
標準語での会話と同様に。
二人が京都に訪れたのは旅行が目的では無い。
でも息抜きも時には必要だ。
だからそんな息抜きも兼ねて、ちょっとだけ色を出したのだろう。
少しくらいは遅れても問題無いという、二人を想った故の独断行動である。
そしてそんな配慮が勇達を喜ばせたのは言うまでもない。
思わず現れた光景に、車内ではしゃぐ姿が。
こうして見せる姿はとても戦士とは言い難い程に無邪気で。
観光マップを片手に、二人で指を差しながら笑い合う。
そんな二人をバックミラー越しに覗く御味には、健やかな笑顔が浮かんでいた。
ただそんな楽しい時間がいつまでも続く訳では無く。
気付けば都市部を抜け、民家が並ぶ光景へと移り変わっていて。
それも次第にばらけていくと、遂には山間へと入り、畑や木々が並ぶ景色が目立ち始めていく。
それから一時間ほど走った頃だろうか。
遂に来たるべきその時が訪れた。
「もう間も無く目的地なので、準備をよろしくお願いします」
そう、隠れ里がもう近いのだ。
その一言が勇とちゃなに緊張感を与え。
互いに用意した装備を準備していく。
ちゃなは専用ケースから【ドゥルムエーヴェ】を取り出していて。
おまけに中に仕舞われていた、魔剣を背負う為の肩掛け【エーヴェホルダー】をその身に纏う。
これも先日の内に勇の母親がこしらえた物。
大きなドゥルムエーヴェを常に手で持ち続けなくてもよくする為に、肩へ背負える様にしたものだ。
ちなみにアイディアはちゃなと、話を聞いた福留から得られたものである。
後ほど正式な支給品を作るという事で、急遽試作してもらったという代物だ。
高い材料費と給料が出るという事で母親もノリノリだったのだとか。
対して勇は戦闘服を身に纏い、魔剣ホルダーを背中へと回す。
もちろん、今まで通り使ってきた物だ。
とはいえ、これまででだいぶ酷使してきたからか、どちらも既に綻びがちらほらと。
戦闘服は安物のウィンドブレーカーで生地も弱く、所々が破れていて。
魔剣ホルダーは中古のベルトを改造したものという事もあり、全体的に皮が割れてボロボロだ。
鞘の部分も剣聖から貰った物を流用しているが、既に穴や切れ跡が目立ち始めている。
どちらも短期とはいえ、今までの状況の中で良く持った方だと言えるだろう。
なお勇の装備が現行仕様のままなのは、現在特事部にて装備の一新を計画しているから。
保護具の例もある様に、勇の場合はただ考えた物を用意するだけでは駄目なのだ。
最も動きやすく、有用性のある装備を造るとなれば、戦闘経験のフィードバックが何より必要不可欠なのだから。
現在はその情報を収集中という訳で。
それまでは今まで通りの装備で、というのが勇の装備状況である。
「御味さん、俺達の方は準備オッケーです」
「わかりました。 もう後五分程で着くので、それまで待っていてください」
現在走っている場所は小さな町中で、住人と思われる人々の歩く姿もちらほらと。
きっと隠れ里の事は知らされていないままなのだろう。
逆を取れば、彼等もまだその存在に気付いていないとも言える。
つまり、あの外部からの干渉を防ぐ障壁は良い意味でも役立っているという訳だ。
もし魔者がここにも居るとわかれば、町の人間がパニックを起こしても不思議ではないのだから。
そんな町並みも景色から消え始め、畑と林と道路だけになっていく。
すると突然車体が大きく曲がり始め、安定していた車内にたちまち細かな振動を催し始める。
どうやら公道から外れた様だ。
勇とちゃながフロントガラスから正面を見てみると、既に車は森へと向けて走っていて。
鬱蒼と茂った木々を前に、勇が福島での思い出を脳裏に過らせる。
福島の隠れ里では非常に足場が悪かった。
泥水に塗れた山中は空気も淀んで気持ちいい物ではなく。
もしあの場所で戦いになっていたら、きっと苦戦は必至だっただろう。
あの場に居たのがグゥだけで良かった、そう思ってならない程に。
ただ、勇の心配はどうやら取り越し苦労だった様だ。
満を辞して車が停車したのは、比較的開けた場所。
木々が立ち並ぶも、空の景色が一望出来るくらいの。
おまけに足場もしっかりと水分が抜け、砂利交じりの薄茶色い土面が露わとなっている。
そして天気は良好。
戦いにおけるコンディションならばバッチリだ。
「着きました。 で、実はすぐ目の前が例の見えない壁なんですよ」
「ええっ!?」
そう、もう既に現場は目の前なのだ。
唐突な御味のカミングアウトに、勇もちゃなも驚きである。
「だ、大丈夫なんですか、こんな近付いて!?」
「監視している限り、中から出て来る魔者はいませんでしたから平気でしょう。 それに、お二人を置いたらさすがに離れますから安心してください」
この御味という男、思った以上に肝が据わっているのだろう。
その行動力はますます福留を彷彿とさせるかのよう。
何せいつだかウィガテ戦の際、福留が勇達に隠れて付いて来た事は今でも思い出せる程の驚きで。
一歩間違えれば殺されかねない死地に突っ込むなど、よほどの人間に出来る訳も無く。
「なんだか福留さんが御味さんを選んで寄越した理由がわかった気がしますよ」
「はは、そうよく言われるよ。 まぁ僕は福留先生に憧れて師事しているからね、行動も似通ってるらしいんだ」
でもきっと勇にそう言われたのが嬉しかったのだろう。
そう語る口ぶりは先程までの敬語ではなく地の話し方で。
それでいて見せた顔にはニッコリとした笑みが浮かんでいたから。
勇もそんな地を見せる御味に親近感を感じた様で。
気付けばそんな笑顔に応える様に、勇もまたニンマリとした笑みで返していた。
「でも御味さんは福留さんみたいな敬語より、今みたいな話し方してくれる方が俺はいいかなぁ。 それじゃあ俺達は行きますので。 何かあったら連絡します」
「はは、わかったよ。 それじゃあ気を付けて!」
御味の見送りの下、勇とちゃなが遂に車から降り立つ。
目の前に広がっているであろう、見えぬ壁を前にして。
二人を降ろした車はと言えば、そのまま大胆にも勇達の前で大きく旋回し、来た道へと戻っていく。
そんな様子を見送る勇からは安堵の溜息が。
いっそこれくらい潔く離れてくれた方が勇達にとっては助かるのだろう。
こうして御味が去り、ようやく勇達の作戦が開始される事となる。
まずは目の前にある結界を突破しなければならない。
だとすれば、やるのは当然―――
「それじゃこれから俺が結界を破ってみる。 田中さんは念の為に離れて、いつでも攻撃出来る様にしていてくれる?」
「は、はいっ!」
そう、勇である。
いつかレンネィに教えてもらった結界突破方法を実践する時がようやく訪れたのだ。
もちろんこんな日の為に何度か練習も重ね続けて来て。
後は実践に移すだけにまで仕上げて来たから。
そこまで準備を重ねて来た勇にもはや迷いは無い。
だが当然、それでも警戒も忘れない。
だから勇はこうしてちゃなを下がらせたのだ。
勇達の道を阻む結界は実際の所、非常に危険な代物だと言える。
侵入者に対しては視界を防ぐ壁になるが、内部から外は丸見え。
もし壁の向こうに敵が居る場合、勇達の行動は筒抜けとなってしまう。
つまり、内部から奇襲される可能性があるという訳で。
なのにも拘らず二人が揃って壁際に居れば、最悪の場合は一緒に倒されてしまいかねない。
勇ならば例えそうなったとしても自慢の感覚で危険の回避も難しくは無いだろう。
でも運動能力の低いちゃなの場合はそうもいかない。
そして何より、ちゃなが離れて警戒してくれればそれだけで保険となる。
ちゃなの遠距離砲撃は正確無比で一撃必殺。
これほど心強い援護は無いだろう。
つまり今のこの位置取りが、二人にとってのベストポジションなのである。
もちろん理由はそれだけに留まらない。
強烈と名高い砲撃型魔剣使いが睨みを利かしているのだ。
勇へと迂闊に手出ししようものなら、恐ろしい反撃が待っていると言っても過言ではないのだから。
とはいえ、それは相手が余程の命知らずでなければ、の話だが。
「さてと……それじゃあちょっとやってみるか、【命力レーダー】ってやつをさ」
全ての準備が整い、勇がその体を揺り動かす。
今まで培ってきた技術の集大成を示す為に。
緊張が、不安が渦巻く中で。
遂に勇の体が淡い光を纏い始めるのであった。
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「お前はもう用済みだ」――荷物持ちとして命懸けで尽くしてきた高ランクパーティから、ゼロスは無能の烙印を押され、なんの手切れ金もなく追放された。彼のスキルは【筋力強化(微)】。誰もが最弱と嘲笑う、あまりにも地味な能力。仲間たちは彼の本当の価値に気づくことなく、その存在をゴミのように切り捨てた。
全てを失い、絶望の淵をさまよう彼に手を差し伸べたのは、一人の不遇なヒーラー、アリシアだった。彼女もまた、治癒の力が弱いと誰からも相手にされず、教会からも冒険者仲間からも居場所を奪われ、孤独に耐えてきた。だからこそ、彼女だけはゼロスの瞳の奥に宿る、静かで、しかし折れない闘志の光を見抜いていたのだ。
「私と、パーティを組んでくれませんか?」
これは、社会の評価軸から外れた二人が出会い、互いの傷を癒しながらどん底から這い上がり、やがて世界を驚かせる伝説となるまでの物語。見捨てられた最強の荷物持ちによる、静かで、しかし痛快な逆襲劇が今、幕を開ける!
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
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冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
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王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
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その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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