時き継幻想フララジカ

日奈 うさぎ

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第三十八節「反旗に誓いと祈りを 六崩恐襲 救世主達は今を願いて」

~一呼吸限りの裏闘法 イシュライト達 対 憎悦③~

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 【破神龍哮法オグルオンダ】。
 内に秘める全ての命力を注ぎ、肉体を瞬間的に究極進化させる秘術である。
 この秘術が発動した時、術者は命力を纏わずに超人的な身体を得る事が出来るという。
 まさに、命力無効化能力を無為と化す恰好の秘策と言えよう。

 そしてその秘術が今、イ・ドゥール拳法相伝者である長師ウィグルイによって解き放たれた。

 深紅に染まり上がったその身体は存在感だけで他者を圧倒する。
 鼓動の如き波動が大気を揺らし、周囲全ての者の肌と鼓膜を叩く事によって。
 空気が、振動が、畏怖さえ乗せて来るかの様に。

 ならばただただ重い一歩を「ズン、ズン」と踏み出すだけで、心もが震え上がるだろう。
 鼓膜のみならず、脳もが押し潰されてしまいそうな感覚に苛まれるのだから。

「さぁ覚悟せい、その身体が粉々に打ち砕かれるその時をぉ!!」

 もはやそんなウィグルイの意気は最高潮だ。
 ―――いや、その気概は最初からずっと変わらない。
 最初の一撃と同じく、意気揚々と開いた掌を再び握り締めては大気を爆ぜさせていて。

 ただし、その雰囲気は先程とは全く違う。
 爆裂音を響かせ、漂う陽炎を小嵐へと変える程の爆風を伴うという。
 まるで拳そのものが爆弾と化したかの様に。

「う、ああ……ッ!?」

 その畏怖的存在を前にして、ジェロールでさえ尻もちを突いたまま後ずさっていく。
 無敵の肉体を誇っていると自負していたあの男が。

 それもそのはず。
 ジェロールは今まさしく恐怖しているから。
 目の前の得体も知れない存在を前にして、心の底から怯えているのだ。

 もはやその姿に先程の勢いなど微塵も残されてはいない。
 それだけ、先の一撃が重いトラウマとなっていたらしい。
 もっとも、不動不壊の特性がああも易々と貫かれてしまったのだから当然か。

 やはり貰っただけの肉体ニセモノへの信頼など、所詮はこの程度でしかない。
 目の前の赫熱魔人ホンモノと比べてしまえば、如何に陳腐なモノかと思える程に。

 しかし、それでも今の肉体が有利であるという理屈は変わらない。
 ビルや街を容易く粉砕出来るその力強さだけは事実だから。
 人知を超えた力があるという事だけは信頼し続けられる。

 この〝理屈への信頼観念〟は、軍人時代に培ってきたもの。
 人を必ず殺せる〝兵器〟という道具を使い続ける事で養われてきた自己完結観念だ。
 まさに暴力を好んだこの男らしいアイデンティティ的思考と言えよう。

「……ぐくッ、クソがあああーーーッ!!」

 その思考があるからこそ、ジェロールは逆に立ち向かっていた。
 一撃を喰らわせられれば勝てるという自信があったからこそ。
 それさえ当ててしまえば、例え完成された肉体だろうと木っ端微塵に出来るのだと。



 だがそれが如何に傲慢でおごりだったのか、すぐに理解する事となるだろう。



ガゴォッッ!!!!

 たちまちジェロールの渾身の拳が鈍い打音を響かせる。
 ウィグルイの身を隠す程に巨大な拳を打ち当てた事によって。
 〝これで勝った〟そう思えてしまう程に力強く。

 でも、それ以上はもう動かなかった。

 そう、動かない―――動けないのだ。
 幾ら押しても、力を込めても踏ん張っても。
 まるで先に鉄壁が立ち塞がってるかの如く、拳が空中で止まってそれ以上進まない。
 
 進める訳が無い。
 ウィグルイがなおその場で立ち塞がっていたのだから。

 なんとジェロールの一撃を、片腕肘だけで受け止めきっていたのである。

「なんだとォ……ッ!?」

 余りの一撃故に、ウィグルイ背後の瓦礫やアスファルトが消し飛んだのは事実。
 しかしウィグルイ自体は全く微動だにしていない。
 それどころか己の立つ地面をも形を残させ、その堅牢さを露わにしていて。

 そしてニヤリと笑う。
 己が誇る極致を目の当たりにした事で。

 代々受け継いで来た破神の力が偽りでないと証明出来たからこそ。

「では行くとしよう。 おぬしが砕けるその時までのぉ……ッ!!」

 ならば後はもう、この力を存分に奮うのみ。

 そう思いきった時、ウィグルイがジェロールの拳の先から真の意味で姿を消す。
 突き出された腕内側を滑る様にしてくるりと回り、懐へと瞬時に潜り込んでいたのだ。
 それも打ち込まれていた拳圧を利用し、ジェロール自身をも引き込んで。

 こうして互いが引き合えば、その勢いもが次なる一撃の力となろう。



ズグンッッッ!!!!



 その一撃、ウィグルイ以外に成せる者無し。
 至高の右赫拳が今、ジェロールの腹部へ深々と突き刺さる。
 並の者ならば火傷すら負いかねないまでに滾った灼熱拳を。

「ごぶぉぉうッ!!?」

 もはやその一撃は物理の壁どころか、超人の域すら容易に貫く。
 例え邪神より賜った肉体であろうとも関係無く。
 故にジェロールはただ悶絶する他無し。
 それ程までの痛みと熱に苛まれた事によって。

 たちまち巨体が「く」の字に折れ曲がり。
 潰れた喉声を唸らせる苦悶の表情が露わとなる。

 軍人時代には如何な痛みにすら耐えられる自信があった。
 そう出来ると信じられる程に鍛え、打たれ続けて来たから。
 歪んだ性格だったからこそ、死の痛みにですら耐えられると思った事だろう。

 でも今の一撃は到底、耐えられそうにない。

 なまじ強靭だから、形だけは維持出来よう。
 ただその肉体強度をも超える一撃だからこそ、伝達される苦痛は計り知れない。
 それも鋭くなった知覚が痛覚をも増させているのだからなおさらだ。

「あ、おおぅ……!?」

 加えて、その強靭な肉体でもどうしようもないという絶望感もが襲う。
 反撃の機会を逃してしまう程の諦念が。
 防御さえも忘れてしまう程の恐怖が。

 勝てない。
 今のは、そう悟らせるには充分な一撃だったのだ。

「―――これで終わりと思うたか?」

 ただし、そんなジェロールの絶望などウィグルイには何の関係無い。

 目の前に立ち、敵意を露わにしたならば全力で討つ。
 それが如何なる相手だろうとも分け隔てなく。
 強かろうが弱かろうが、抵抗しようがしなかろうがただ単に。
 この信念こそがウィグルイの根幹であり、礎。
 強者であり、武人であり、拳士である男の生き様である。

 故に、止まる訳が無い。

ドッガゴンッッッ!!!!

 ウィグルイがそう言い放った時、ジェロールの顎が、身体がまた再び打ち上がる事に。
 歯が全て打ち砕かれんばかりに潰す程の、強烈な打撃を加えられた事によって。
 追撃の左拳が鋭く激しく打ち当てられていたのだ。

 余りの威力に、その巨体がきりもみ状に空へと舞い飛んで行く。
 首が捻じ切れんばかりにしゃくれた顔を振り回しながら。
 その様子はまるで壊れた玩具人形の様に無様な事この上ない。

 しかしそんな歪んだ顔にまたしても衝撃が走る。
 なんとウィグルイが鋭い踵落としを見舞っていたのだ。
 それも一跳ねで大地を沈めさせる程の脚力を以って。

 もはや悲鳴を上げる余裕すら与えはしない。
 あろう事か、蹴り落としたジェロールの体に赫手が伸びていて。
 墜落するはずだった身体が強制的に引き上げられる事に。



ガギャゴォンッッッ!!!!!



 そうして打ち放たれたのは、自慢の頭突き。
 ジェロールの顔へと向け、その堅牢な額を力・勢いの限りに打ち付けたのである。

 その威力は凄まじいものだった。
 大地へ打ち付けるだけでなく、あのジェロールの顔を潰す程に。
 血液さえも撒き散らし、真っ赤に染め上がらせていて。
 たちまち大地に別のひずみさえもたらす事に。

「ふははァーーーッ!! まだまだ止まらんぞォーーーッ!!」
 
 そんなひずみも間も無く、更なる深さへと沈める事となろう。
 流星の如きウィグルイによる急転直下の膝蹴りが見舞われた事によって。

ズゥンムッッ!!!

「あがかあッッ!!??」

 ジェロールの腹部が、へこむ。
 突き抜けんばかりに、沈む。
 その衝撃を大地へと伝える程に深々と。
 余りの威力で、周辺の地盤が砕けて打ち上がる程に。
 しかも噴水の如く真っ赤な血潮を口からぶちまけさせながら。

 そんな血の噴水の流れに沿って、ウィグルイがその身を跳ねさせる。
 ただし地に付きそうな程に低く速く、クルリと回りながら。
 更には苦悶に沈むジェロールの顔を空かさず掴み取り、ひずみの外へ一気に駆け登っていく。
 大地を削る程その巨体を押し込みながら容赦無しに。

ガガガガガーーーッッ!!!

 間も無くジェロールの体がウィグルイごと再び空へ。
 無数の瓦礫と共に高々と、カタパルトから飛び出した戦闘機の如く打ち上げられる事に。
 それも大地が、空が視界で幾度と無く巡る程の回転を伴って。

 いや、その巡り巡る景色を見せつけられているのはジェロールだけだ。
 掴む指の隙間から覗く景色がそう見えるだけで。

 ジェロールだけが意思にそぐわず回っている。
 ウィグルイが空中で強引に振り回していたのだ。
 その溢れんばかりの力の限りに。

「ぐゥるおおおーーーーーーッッッ!!!!」

 それだけで首が千切れそうだった。
 抵抗さえままならない程の勢いだった。
 力の限りに振り回す、その軌道に規則性など一切無い。
 ただただ縦横無尽、思うままに力のままに。

 荒れ狂うウィグルイの姿はまさに、天変地異を誘う災いたる龍そのものだ。
 ただただ獲物に喰らい付き、荒ぶるままに振り回して壊すまで放さない。
 しかも余りの勢いが故に、本物の嵐さえ呼び込んでいるのだからなおの事。

 そして激動しているのは空だけではない。
 大地もが連動するかの如く激震している。
 今までに刻んだ傷痕が更に深まる程に。
 ひずみだけに限らず、一挙一動によって破砕された物が須らく。

 それは打ち放った一撃全てが大地を削り取っていたからこそ。
 それだけの衝撃波を漏れなく巻き起こしていたのだ。
 故に今のこの地に平穏の場など有りはしない。
 何せたった一人の傍観者であるイシュライトでさえ凌ぐのに必死なのだから。

 祖父が魅せし破神龍の力を何一つ見逃さぬ様にと、懸命に眼を凝らして。

「あれが裏の極致……なんと恐ろしい」

 この程までに暴れる祖父の姿など、イシュライトは当然見た事が無い。
 元々血気盛んではあっても、ここまで激しく戦った事など無いからだ。
 如何な戦いであろうとも、誇り高き拳士としての品位は失われなかった。

 でも今は違う。
 空中に放り投げては打って掴み、叩いて掴み、千切って掴んでまた飛ばす。
 獲物に容赦無く喰らい付く姿はまるで野獣である。

 とはいえそれが決して悪いという訳ではない。
 ただ余りにも知る祖父の姿と違い過ぎて驚いていただけで。
 だからこその恐ろしさを感じずには居られないのだ。

 イ・ドゥール拳法、裏の極致―――【破神龍哮法】の真価とその圧倒的強大さに。

 しかしその恐れの対象は決して力にだけとは限らない。
 直感にも近いぼんやりとした感覚が、言い得ない疑問をも抱かせる。
 「果たしてこの力はのか」という疑問を。

「けぇぇぇーーーーーーいッッ!!!」
 
 そんな思考を巡らせている中、不安を吹き飛ばす程の奇声が空にまた打ち上がる。
 既に蹴鞠と化したジェロールを空高く蹴り上げると共に。

 ただその姿はもはや当初とは比較にならない程に迸っている。
 まるで炎を纏っているかの如く、身体が赫の輝きを煌々と放つ程に。
 そうして暗闇に浮かぶ姿はまるで炎龍が如し。
 広げた両腕の輝きは空を羽ばたく両爪翼に、引いた残光は長くしなった靭尾となろう。

 その炎龍が今また獲物を追い、空へと羽ばたき舞い上がる。
 魂までをも焼き尽くさんと灼熱の炎燐を撒き散らしながら。

 その赫き拳で、宿命もろとも怨敵を滅する為に。



「こぉれで仕舞いじゃあーーーッ!! 【紅滅烈閃拳ヴァル・ゲフォー】ーーーッッッ!!!」


 
 灼熱の嵐がジェロールを縛る中、遂にそれは解き放たれた。

 赫化した両拳が輝き迸る。
 獲物を焼き尽くせと燃え猛る。
 龍爪の如き鋭指を解き放ちて轟々と。

 ならば今こそ悠久の悲願を成すとしよう。
 己の身体に篭められし龍の咆哮、その力を打ち放たん。





「―――ウグッ!?」





 だがその瞬間、突如としてウィグルイの動きが止まる。
 それどころか、ジェロールを貫こうとしていた両拳を自身の胸へと充てていて。
 たちまち体を覆い尽くしていた炎が、光が―――萎んで消えていく。

 なにやら苦しんでいるかの様だ。
 それ程までに歯を食い縛り、苦悶を浮かべているのだから。

「ぐくッ……まさかもう、とは……ッ!!」

 その中漏らした声も枯れ枯れで。
 遂には舞い上がった勢いをも失い、悶絶するまま落下する事に。

 しかしてそんな隙を、かの者が見てしまったならば。

「え? 攻撃が、止まっ―――ハッ、あれは……ッ!!」

 それはあろう事かジェロール。
 半ば諦めかけていたはずのこの男が気付いてしまったのだ。
 自身にとどめを刺そうとしていた相手の、苦しみ落ちていくその姿に。

 ならば、卑劣漢と言える男がこの様な好機を見逃すはずも無い。
 
「い、今だァァァーーーッ!! くたばれジジィィィーーーーーーッ!!!」

 それはまるで積年の恨みを晴らさんが如く。
 積もりに積もった怨念を拳に籠め、落ち行くウィグルイへと向けてその身を飛び込ませる。
 まるで命力とも天力とも言える深紫の輝きをその背より打ち放って。

 そしてその殺意が怨念が、とうとうあるまじき結果をもたらす事に。



 なんとその凶刃と化した五指が、ウィグルイの腹部を容赦無く突き貫いたのである。


 
「ガ、ハアッ……ッ!?」
「し、師父殿ォォォーーーッ!!?」

 ウィグルイの身体には、もはや先程までの強靭さは残されていなかったのだろう。
 故にジェロールの拳が貫くのには殆ど抵抗などありはしなかった。
 まるで豆腐を指で突き抜くかの様にすんなりと通ってしまったのだ。
 しかも巨大な手指だからこそ、腹半分の肉が吹き飛んで。
 いざ引き抜かれれば、たちまち半壊した腹部が露わとなる。

 余りにも無惨な姿だった。
 先程までの勇戦が嘘だったかの様に。

 そんな力無く落ちていくウィグルイを、イシュライトが辛うじて受け止める。
 しかしその凄惨な様相を前にして、絶望を禁じ得る事は到底出来そうに無い。

 当然だ。
 信頼していた祖父が、まさかこうして敗れるなど思ってもみなかったからこそ。
 自身の抱いていた不安もが的中してしまった事に、絶望さえ抱かずには居られない。



 そう、イ・ドゥール最強の拳士ウィグルイはここに敗れたのだ。
 憐れにも、自らの誇るその力が一歩及ばなかったばかりに。

 そしてそれはすなわち、邪神の眷属ジェロールを倒す可能性をも失ったという事と同義。
 その許容出来ぬ事実がイシュライトを更なる絶望へと引き込むには、そう時間は掛からなかった……。


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