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古い一軒家を購入しました。
ワーキングプアの自分にも買える破格の値段。
ネットで見つけたその家に住むために、関東から九州へ引っ越す決断をするくらい魅力的な安さ。
時間給労働の非正規社員でしたので、仕事を辞める事に迷いはありませんでした。
実際、新しい居住地でも似たような条件の仕事はすぐに見つかりました。
それより家です。
古いとは言ってもボロボロなわけではないのです。ちゃんと手入れはされています。
割りと街中にあり、二階建てで、一人で住むには広い家。
庭付きの家を持つのは私の若い頃からの願望でした。
齢五十にして遂に三十年来の夢を叶えたわけです。
親を早くに亡くし、兄弟もいない。見るからに冴えない風貌の孤独な中年親父。それが私。
妻子を持って一家を構えるという、もう一つの夢はとても叶いそうにありません。
だけど、家持ちの身分にはなる事が出来た。
過去に傷ある家だということは承知しています。
自殺者がいた、と。
でも、詳細を知ることは避けました。
何が起こったかなんて漠然としている方が、細かい事を気にせず過ごせると思ったからです。
そうして私はそれはもう心弾ませながらマイホームライフを開始したわけです。
ですが、この家は想像を超えて問題の根が深かった。
私はそれをすぐに思い知らされることになりました。
晩秋の事です。
最初の数日に渡って起きた小さな、しかし不可解な現象の数々については長くなるので詳細を省きます。
身の回り品がいつの間にか移動していたり、出所の分からない怪音が聞こえたり。
電化製品の奇妙な誤作動、何者かの気配、二階の足音、目の前で蛇口のハンドルが回って水が出る、そういった類いの出来事です。
立て続けにそんな怪事が起こっていました。
初めて人を見たのは、住み始めて一週間ほど経った頃です。
二人掛けソファの端に座ってTVの夜のニュースを見ていると、隣に誰かが腰掛けるような重みを感じました。
見ると肩で髪を切り揃えた若い雰囲気の女性が俯いて座っています。髪で隠れて顔はよく見えません。
余りにはっきりと存在感があるので、いつの間にどこの誰が入ってきたのかと思いました。
どちら様ですか、と私は間の抜けた質問をしました。
ナオです、と女性は小さく返事をして更に俯く。
次の質問を考えながら顔を覗こうと私が身じろぎすると、ナオさんは不意に消えました。
そこで私は何となく納得をしたのです。彼女がこの家の自殺者なんだな、と。
あらかじめある程度の覚悟はしての入居ですし、おかしな出来事の連続ですっかり心の準備も整っていました。
同居人が若い女性ならそう悪くはないと思ったくらいです。
ところが、家に居たのは彼女だけではありませんでした。
ナオさんを見た翌日、台所で夕食の準備をしていると後ろの空気が変わりました。
肩越しに視線を送ると背後に立つ女性の足元が見えます。
早速ナオさんがまた現れたか。そう思っていると、後ろの女性はすっすっと進んで私の横に並び立ちました。
別人でした。アップヘアの中年女性。
女性はキャベツをみじん切りにする途中で止まった私の手元をじっと見つめ、なぜか軽く頷いて消えました。
その二日後、仕事から帰って玄関のドアを開けると、小柄な白髪のお婆さんが三和土に立っていて鉢合わせになりました。
そのまま金縛りになった私はお婆さんとしばらくの間、見つめ合っていました。
お婆さんが頷いて消えると私の身体はようやく解放されたのです。
それからは繰り返し彼女達は現れ続けました。
風呂に入ろうとすると湯気の中にナオさんが立っている。あいにく裸ではありません。
廊下を中年女性が行き来する。芸の細かいことに時々転ぶ。
お婆さんがテレビの前に立って画面がよく見えない。透けて何となく見えはするのですが。
あと子猫が出ます。座るといつの間にか膝の上に乗っているのです。
子猫は便座に腰掛けている時にも現れ、膝上から私の顔をきょとんと見上げるので困ります。
ある晴れた日の午後には二階の和室で禿頭の老人を見ました。私も禿頭ですけど。
老人は浴衣姿で横になって私の目の高さに浮いていました。
開け放たれた窓から流れ込む緩やかな風に、ふわりふわりと揺蕩っています。
一体この家には何人いるんだと思いました。
私は体調を崩しがちになりました。
家の過去をちゃんと調べた方が良いのかと思い始めたのは、冬に入ったこの頃です。
ある朝、腹に衝撃を受けて目が覚めました。衝撃は何度も続きます。
学生服の中学生位の男子が布団越しに私の腹へ怒涛の連続パンチを打ち込んでいました。
こんな事もありました。
寝そべって読書をしている時に、地震でもないのに突然本棚が倒れ掛かってきたのです。
危うく大怪我をするところでした。
二階への階段を上がっているといきなり下から足首を掴まれて引っ張られ、転げ落ちた事もあります。
殺意があるのではないかと感じ、不安に苛まれ始めました。
ある晩、風呂から上がって居間に向かうと、そこに五人が揃っていました。
出したばかりの炬燵の四辺にそれぞれお婆さん、お爺さん、中年女性、中学男子。
そして、ソファにはナオさんが座っています。その膝には子猫。
皆黙り込んで俯いているのですが、静かな家族団欒というイメージが脳裡に広がりました。
家に出現するのはこの五人と一匹までで、その後それ以上の霊はもう現れませんでした。
ワーキングプアの自分にも買える破格の値段。
ネットで見つけたその家に住むために、関東から九州へ引っ越す決断をするくらい魅力的な安さ。
時間給労働の非正規社員でしたので、仕事を辞める事に迷いはありませんでした。
実際、新しい居住地でも似たような条件の仕事はすぐに見つかりました。
それより家です。
古いとは言ってもボロボロなわけではないのです。ちゃんと手入れはされています。
割りと街中にあり、二階建てで、一人で住むには広い家。
庭付きの家を持つのは私の若い頃からの願望でした。
齢五十にして遂に三十年来の夢を叶えたわけです。
親を早くに亡くし、兄弟もいない。見るからに冴えない風貌の孤独な中年親父。それが私。
妻子を持って一家を構えるという、もう一つの夢はとても叶いそうにありません。
だけど、家持ちの身分にはなる事が出来た。
過去に傷ある家だということは承知しています。
自殺者がいた、と。
でも、詳細を知ることは避けました。
何が起こったかなんて漠然としている方が、細かい事を気にせず過ごせると思ったからです。
そうして私はそれはもう心弾ませながらマイホームライフを開始したわけです。
ですが、この家は想像を超えて問題の根が深かった。
私はそれをすぐに思い知らされることになりました。
晩秋の事です。
最初の数日に渡って起きた小さな、しかし不可解な現象の数々については長くなるので詳細を省きます。
身の回り品がいつの間にか移動していたり、出所の分からない怪音が聞こえたり。
電化製品の奇妙な誤作動、何者かの気配、二階の足音、目の前で蛇口のハンドルが回って水が出る、そういった類いの出来事です。
立て続けにそんな怪事が起こっていました。
初めて人を見たのは、住み始めて一週間ほど経った頃です。
二人掛けソファの端に座ってTVの夜のニュースを見ていると、隣に誰かが腰掛けるような重みを感じました。
見ると肩で髪を切り揃えた若い雰囲気の女性が俯いて座っています。髪で隠れて顔はよく見えません。
余りにはっきりと存在感があるので、いつの間にどこの誰が入ってきたのかと思いました。
どちら様ですか、と私は間の抜けた質問をしました。
ナオです、と女性は小さく返事をして更に俯く。
次の質問を考えながら顔を覗こうと私が身じろぎすると、ナオさんは不意に消えました。
そこで私は何となく納得をしたのです。彼女がこの家の自殺者なんだな、と。
あらかじめある程度の覚悟はしての入居ですし、おかしな出来事の連続ですっかり心の準備も整っていました。
同居人が若い女性ならそう悪くはないと思ったくらいです。
ところが、家に居たのは彼女だけではありませんでした。
ナオさんを見た翌日、台所で夕食の準備をしていると後ろの空気が変わりました。
肩越しに視線を送ると背後に立つ女性の足元が見えます。
早速ナオさんがまた現れたか。そう思っていると、後ろの女性はすっすっと進んで私の横に並び立ちました。
別人でした。アップヘアの中年女性。
女性はキャベツをみじん切りにする途中で止まった私の手元をじっと見つめ、なぜか軽く頷いて消えました。
その二日後、仕事から帰って玄関のドアを開けると、小柄な白髪のお婆さんが三和土に立っていて鉢合わせになりました。
そのまま金縛りになった私はお婆さんとしばらくの間、見つめ合っていました。
お婆さんが頷いて消えると私の身体はようやく解放されたのです。
それからは繰り返し彼女達は現れ続けました。
風呂に入ろうとすると湯気の中にナオさんが立っている。あいにく裸ではありません。
廊下を中年女性が行き来する。芸の細かいことに時々転ぶ。
お婆さんがテレビの前に立って画面がよく見えない。透けて何となく見えはするのですが。
あと子猫が出ます。座るといつの間にか膝の上に乗っているのです。
子猫は便座に腰掛けている時にも現れ、膝上から私の顔をきょとんと見上げるので困ります。
ある晴れた日の午後には二階の和室で禿頭の老人を見ました。私も禿頭ですけど。
老人は浴衣姿で横になって私の目の高さに浮いていました。
開け放たれた窓から流れ込む緩やかな風に、ふわりふわりと揺蕩っています。
一体この家には何人いるんだと思いました。
私は体調を崩しがちになりました。
家の過去をちゃんと調べた方が良いのかと思い始めたのは、冬に入ったこの頃です。
ある朝、腹に衝撃を受けて目が覚めました。衝撃は何度も続きます。
学生服の中学生位の男子が布団越しに私の腹へ怒涛の連続パンチを打ち込んでいました。
こんな事もありました。
寝そべって読書をしている時に、地震でもないのに突然本棚が倒れ掛かってきたのです。
危うく大怪我をするところでした。
二階への階段を上がっているといきなり下から足首を掴まれて引っ張られ、転げ落ちた事もあります。
殺意があるのではないかと感じ、不安に苛まれ始めました。
ある晩、風呂から上がって居間に向かうと、そこに五人が揃っていました。
出したばかりの炬燵の四辺にそれぞれお婆さん、お爺さん、中年女性、中学男子。
そして、ソファにはナオさんが座っています。その膝には子猫。
皆黙り込んで俯いているのですが、静かな家族団欒というイメージが脳裡に広がりました。
家に出現するのはこの五人と一匹までで、その後それ以上の霊はもう現れませんでした。
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